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2008年11月28日 (金)

神経質礼賛 370.安心立命

 安心立命とは、心を安らかにして身を天にまかせ動揺しないことをいう。元は儒教の言葉で後に仏教の言葉となったそうだ。仏教関係者は「あんじんりゅうみょう」と読むようである。

 神経質で小心者の私は、次々と心配事が頭に浮かび、仕事や雑事でドタバタの毎日を送っている。安心立命の境地に達することができたらいいだろうなあ、と憧れてしまう。だが、実は私のような凡人であっても、悟りを開くための仏道修行をしなくても、安心立命の境地は身近なところにあることを森田正馬先生は教えておられる。

 忙しいときはハラハラする・注射が未熟なときは手が震える・難解な読書は骨が折れる・人前は恥ずかしい・不潔はいやらしい・みなすべて「諸行無常」すなわち固定・常住ではないという事の事実である。この事実をそのまま認識さえすれば、初めて安心立命の境地に到達し、強迫観念が解消する。心配事をも、作為をもって安心しようとするから、そこに迷妄が起こり、絶えざる不安心に駆られるようになるのである。(白揚社:森田正馬全集第5p.651

 不安な状態を何とか解消しようと「はからう」ことが次の不安を呼び起こしてしまう。平常心になろうとしてなれるものではない。平常心になろうとあくせくすること自体がすでに平常心ではないのだ。不安であっても心配事や雑念を頭に浮かべたまま、仕方なしに行動して「物そのもの」になっていくうちに、不安にとらわれない・不安はあってなきが状態となる。これがまさに安心立命の境地でもあるのだ。「道は近きにあり」なのである。「青い鳥」を探しにさまよい歩く必要はない。

2008年11月24日 (月)

神経質礼賛 369.「アダルトチルドレン」という観点の功罪

 外来初診の人が「私はアダルトチルドレンです」といきなり言い始めることは時々経験するところである。過去にカウンセラーからそのように言われている場合もあるし、本を読んだりインターネットのサイトで知ったりして自分でそう決めている場合もある。

 実はアダルトチルドレン(AC)という言葉は精神医学用語ではない。精神科領域で信頼度の高い弘文堂の「新版精神医学事典」や講談社の「精神医学大事典」には載っていない。そもそも、アメリカでアルコール依存症者とその家族を支援する社会福祉関係者が作り出した言葉である。その概念がさらに広がって、アルコール依存症者以外でも例えば子供を虐待するような親のいる機能不全家庭で育った人たちが大人になっても心的外傷が残っていることを言うようになった。もっと広く、子供っぽい大人という意味で使われることもある。

 AC理論は、ACの人にありがちな心理パターンや行動パターンを分析して、偏った認知を是正して行動パターンを修正していくのに役立ち、家族関係の調整にも使えるので、経験を積んだカウンセラーやケースワーカーが上手に使えば、悩んでいる人を援助する上で有力な武器となりうる。

 しかし、カウンセリングやケースワークが中途で終わってしまった場合にはACというレッテルばかりが本人に残ってしまうことがある。自己流の誤った理解をしていることもある。ひきこもりの講習会の講師をしていると、ウチの子供は「自分はACでこうなったのはみんな親のせいだ」と言って仕事を探そうともしない、という親の声をしばしば耳にする。これでは逆効果である。すべてを親の責任にして、自分が努力しないのではひきこもりから脱することは困難である。

 最初に述べた自称ACという人は境界性や依存性あるいは自己愛性といったパーソナリティー障害であることが多いように思うが、時に神経質でもACという概念に固執して行動が伴わない人もいる。その場合には、過去を問題とせずに今ここでの行動を重視する森田療法的アプローチの方が効果的だと思う。

2008年11月21日 (金)

神経質礼賛 368.医師不足対策

 1119日、首相が全国知事会議の席で医師不足の話題に関連して「医師は社会的常識がかなり欠落した人が多い」と発言して問題となっている。神経質の足りない問題発言を繰り返している首相が言ったことではあるが、私のような人間はともかく、産婦人科や小児科で昼夜休む間もなく過酷な診療業務にあたっておられる勤務医に対して失礼極まりない言動である。少なくとも漢字も満足に読めず対他配慮の欠落した非常識な人間から言われる筋合いはない。「医師は」でなく「最近の日本の首相は」に訂正すべきだ。

 地方の公立病院を中心に医師不足のために診療科の閉鎖が相次いでいる。救急患者のたらい回しも起きている。長いこと医師過剰と言われていたのがここ数年で一変した。少ない医師で診療を回している病院では過重労働となり、ますます医師が辞めていくという悪循環になっている。かつては多くの研修医が出身大学の医局に残り、大学附属病院や関連の公立病院で奴隷のごとく働いて医療を支えていた。ところが数年前から研修制度が変わり、研修医が大都会の有名病院に集中するようになり、地方の大学病院には残らなくなった。研修も内科・外科・小児科・産婦人科をメインに他の科も短期間で回るわけで、戦力とはなりにくく指導医の負担は大きい。医療訴訟の増加、業務上過失致死での医師逮捕といったことで、特にリスクの高い診療科は敬遠されるようになった。また、女医さんが増えて今では新たに医師になる人の3-4割が女性である。出産や育児の間は戦線離脱せざるをえないし、復帰後は当直勤務のないパート医や企業の産業医や老人施設の管理医という道を選ぶのも無理はないが、実質的には病院の医師数が減ることになる。単に医学部の定員を増やすとか、地方の病院に残る人に奨学金を出すとか、産婦人科の開業に融資するとかいう小手先の対応では効果は薄い。IT時代なのだから、わざわざ東京まで出かけなくても地方にいながらにして専門的な講習会や研修会に参加できるような工夫や、子育てが一段落した女性医師が病院に常勤医として復帰できる体制作りなどにお金を出すことが必要だと思う。

2008年11月17日 (月)

神経質礼賛 367.乾杯の音頭さえ あがる

 1115日付読売新聞の人生案内(人生相談コラム)に興味深い記事があったので紹介したい。このコラムには家庭や職場の人間関係・自分の進路などについての悩みが読者から寄せられ、相談内容に応じて、弁護士、医師、作家などが回答している。

今回の相談主は、会社員の30代女性。引っ込み思案で、人前で話す時にあがってしまい、これからの忘年会・新年会シーズンで乾杯の音頭が心配で悩んでいる、ということだ。いつもなら、この種の相談の回答者は著名な精神科医と決まっているのだが、なぜか今回は元女子マラソンで活躍したスポーツ解説者の増田明美さんだった。

緊張しながら一生懸命話す人には好感が持たれるもので、あなたを悪く言う人はいない。自分も講演会の前日は緊張して眠れず、聴衆がどう思うか気にしだすと逃げ出したくなるが、うまく話そうとせず、等身大の自分を見せればいいのだ、と割り切っている。というような回答で、「ありのままのあなたが一番です」という言葉でしめている。

実に見事な名回答である。百点満点で120点を付けたいところだ。この相談者は明らかに神経質人間である。職場で乾杯の音頭を依頼されるということは皆から信頼される立場にあるわけである。それは普段から神経質を生かして、きっちり仕事をし、対人関係も円満だからなのだ。それにしても普段からTVに出ている強心臓の増田明美さんも緊張するというのは意外である。

恥ずかしい話だが、私は五十代になってもなお人前では激しく緊張する。乾杯の音頭でさえあがって、声は上ずるし、手も震える。この相談者と大差はない。神経質人間は「失敗しないようにしよう」「人よりも立派にやろう」という考えが強いので緊張が強くなってしまうのだ。本人は顔面が高潮し、口が乾き、震えを自覚するのだが、はたで見ている人にはそうは見えない。そんなものである。緊張しないようにしようとしてもムリであるし、緊張しないように努力する必要もない。緊張してドキドキハラハラのまま仕方なしに人前に出て話すのが、森田正馬先生が言われた「あるがまま」なのである。

2008年11月14日 (金)

神経質礼賛 366.神経症と統合失調症の間

 前回話題にしたような新聞記事を見ると、もし自分が精神科を受診したら統合失調症だと誤診されてしまうのではないか、と心配される方もおられるかも知れない。そう心配される方は単なる神経質であって病気ではないので御安心いただきたい。

 現在、精神科の診断はICD(WHO:世界保健機関の診断基準)に基づくのが主流となっている。というより強制的にそうなってしまった。都道府県に提出する書類はすべて病名をICD診断で書いてコードも書かなくてはならないご時世だ。症状を診断基準にあてはめるだけ、ということなのだが、実際にはグレーゾーンが存在する。経験を積んだ精神科医は、まだ幻覚・妄想が顕在化してはいない段階で、統合失調症発病のプロセスを嗅ぎ取って、治療にとりかかるということもありうる。また、神経症圏内であっても自己視線恐怖・醜貌恐怖・自己臭恐怖などの重症例では、統合失調症の治療に準じた対応が必要なことがある。重症の強迫性障害ではSSRIによる治療では不十分で、統合失調症の治療薬を必要とするケースもある。するとカルテ表紙の病名欄に「統合失調症」と書かれることになる。

最初に受診した医療機関での診断や薬に納得がいかなければ、他の医療機関を受診してみるのも悪いことではない。しかし、あまりあちこち受診するドクターショッピングは治療上マイナスだ。紹介状に書かれる情報は少ない。ある薬で効果がなかったり副作用が出たりという情報はあまり紹介状には書かれていないため、そうした薬がまた処方されるということも起こる。私は、近くの医療機関から転医を希望してきた人に対して、前医の診断・治療に問題ない場合には極力今までの医療機関に通院した方がよいと説明して帰している。

2008年11月12日 (水)

神経質礼賛 365.統合失調症の誤診

 先週の読売新聞の医療ルネサンスというコラムでは、「これ、統合失調症?」と題して、統合失調症と誤診されてしまうケースが紹介されていた。114日の記事では、学校でのいじめが原因で視線恐怖から外出できなくなった人が「悪口を言われているような気がする」と言ったところ、実際に悪口を言われているのに被害関係妄想だと思われて統合失調症と診断されたケース、いじめを担任教師に相談したところ、担任が他の生徒に話してしまい、そうとは知らない本人が相談内容を知られたのは盗聴されているのではないかと思い込んで、統合失調症と診断されたケースだ。115日の記事では、うつ病で抗不安薬の量が増えた会社員が、駅のポスターを破って器物損壊で逮捕され、措置鑑定の結果、統合失調症のため自傷他害のおそれあり、との診断で措置入院(都道府県知事命令での強制入院)になってしまった例が載っていた。その後の経過は6日の記事にあるが、2ヶ月間入院して抗精神病薬を投与されたところ、記憶障害や判断力の低下をきたしたという。薬がどんどん増えていくため別のクリニックを受診してうつ病と診断されて抗精神病薬は減量→中止となった。しかし、まだ記憶障害が残っているという。そのクリニックはネット上で診断に疑問を持つ人のためにセカンドオピニオンの相談に乗っているそうだ。さらに11日の記事ではQ&Aということで誤診問題に取り組んでいるという心療内科クリニックを開業している精神科医が質問に答えていた。

 前の2例は完全に誤診と言っていいだろうが、最後の例は純粋な「うつ病」を統合失調症と誤診したと言い切れるかどうか疑問がある。抗不安薬を多量に服用すると泥酔状態と同様、抑制が取れて反社会的な行動に至ることがありうる。しかし、措置鑑定(診察)は私も40回ほど経験があるが、2名の精神保健指定医が保健所職員立会いで診察するし、書類は行政側でチェックを行うので、それほどひどい誤診は起こりにくいはずだ。精神病症状が出現してから期間が短く確定診断が付かない場合は「統合失調症の疑い」あるいは「急性一過性精神病性障害(ICDコードF23)」という仮診断をつけて、経過をみたり心理テストを行ったりして確定診断に持っていくのが普通である。統合失調症の治療で主流になっている非定型抗精神病薬では認知機能を低下させることは少なく記憶障害もきたしにくい。ましてや中止しても記憶障害が残っている、というところをみると、演技性あるいは境界性といったパーソナリティ障害が疑われる。その場合には断片的にうつ病・躁病・統合失調症の病像を呈することがあるし、いわゆるヒステリーの疾病逃避・疾病利得の心理機制のために「記憶障害」は医療ミスのせいだとして仕事を休み続けている可能性がある。

 血液検査データやレントゲン写真やCTのように診断上決定的なデータを残すことが困難な精神科では、セカンドオピニオンで前医の診断を安易に誤診だとあげつらうのはどうかと思う。過去のある時点をみれば、そう診断がつくのもやむを得ないこともあるからだ。さらには本人・家族が症状を過剰に申告したり、逆に症状があっても否認したりすることもある。そのあたりは神経質にした方がよい。新聞記事で、患者さんの味方です、と名前を売るクリニックの先生方でも「誤診」はしているはずである。

2008年11月10日 (月)

神経質礼賛 364.義母の最期

 先週、妻の母親が亡くなった。今年の6月に食欲不振で近くの内科を受診したところ市立病院を紹介され、検査の結果、膵臓癌で余命3-6ヶ月との診断だった。膵臓癌は自覚症状が出にくいため、わかった時には末期ということが多い。それまで元気で家事をし時には旅行に行ったりしていたのが青天の霹靂である。しかし義母は自分が病気であることを親類・知人には一切言わなかった。入院して検査を受けたと知った人から電話があると、「大したことはないよ。元気だよ」と言い通した。なるべく自宅で過ごしたい、ということで病院の先生に往診していただき、訪問看護を利用していた。麻薬性鎮痛剤で貼付剤というものがあるので苦痛は全くなかった。食事の世話や身の回りのことは義父が行い、週1-2日、妻が応援に行っていた。徐々に衰弱してきたが、先週の木曜日の夕刻に容態が急変して静かに息を引き取ったのだった。

 私はあいにく土日連続当直がどうしてもはずせないので、金曜のうちにお手伝いできることはしておいて、今日は外来初診担当を他の先生に代わってもらって休みを取り、火葬場からの出席となった。

 義母の生前の希望で、葬儀はなるべく身内だけで小ぢんまりとやって、ということだったのだが、やはり町内会がからんできて、親族よりも町内会の参加者の方が多くなってしまった。

 「ピンピンコロリ(PPK)」ということがよく言わる。老後は病気をせずに元気に過ごし、急に苦しまずに亡くなるのが理想だというのだ。しかし、義母の最期を見ていると、それよりもベターだったと思う。8月には車イスを借りて私たち家族と一緒に海に近いホテルに泊まることができた。針仕事が好きだったので、9月までは寝たり起きたりでも、妻が持ち込んだ衣類の繕いや名札付けをしてくれていた。寝たきりになっても義父に小言をいい、夫婦喧嘩もやっていた。義父も大変だった。今までやったことのなかった料理、洗濯などに追われ、さらに文句をつけられるわけだから。余命が短いと知ってもこうして十分に家族と関わってやりたいことをやって、病気ではあっても自宅の畳の上で死んでいけるのはコロリよりもずっとよいではないか。義父も「やるだけのことはやった」と満足しているようだ。

 もし自分が余命3-6ヶ月と診断されたらどうだろうか。小心者の私のことだから激しく動揺するのは目に見えている。しかし死の恐怖におびえながら、仕方なしに身辺整理をして神経質らしく死亡後のマニュアルを作った上で、一日一日できることをやっていく、ということになるだろうと思う。森田正馬先生が「死にたくない、死にたくない」と言いながら亡くなる直前まで弟子の教育にあたられたのには頭が下がる。まさに「生き尽くす」である。「よき死」とは生を燃焼し尽くしたところにあるのではないだろうか。

2008年11月 7日 (金)

神経質礼賛 363.楠木正成・神経質説(2)

ハードボイルド作家として有名な北方謙三さんが書いた楠木正成だから、さぞ豪胆な正成が登場するかと思いきや、完全に外された。小心で戦は見るだけで身がすくむ。父親から胆(きも)を太くしてこい、と命じられて出た旅で野宿する場面から始まっている。三年間の旅から戻っても、臆病者だという自覚は変わらない。このままでは「悪党」は六波羅(鎌倉幕府側)に潰される、悪党としてどう生きていけばいいか、と正成は悩み続ける。戦は弟に任せて、もっぱら街道を押さえて他の悪党や海賊たちとも交渉して物流を盛んにしていく。もし時代がもっと後であったなら、坂本龍馬の海援隊のように流通・運輸会社のさきがけとなっていたかもしれない。現代に生まれていれば、神経質を生かして会社経営者として大成功していただろう。

物語上巻は正成の動きと交互に後醍醐天皇の息子・護良親王の倒幕に向けた行動が書かれている。護良親王の求めに応じて挙兵すると述べた後、正成は「大変なことを言ってしまった」と怯え続け、夜も不眠に悩まされる。しかし、そういう神経質だからこそ、全国の情報を集めて分析し、兵糧や武具の準備を着々と進め、敗戦後に落ちのびる布石まで打っておくことができたのである。下巻では赤坂城・千早城での長い籠城戦が描かれている。千早城は攻めるのが困難な地形を利用し、十分な食料を用意し、城内に湧き水も確保していた。その結果、半年以上も大軍の激しい攻撃に耐え抜いて事実上の勝利となる。その後、建武の親政となったが、武士の不満が高まる中、足利尊氏は巧に勢力を広げていく。物語では、その尊氏がたびたび正成の二条の屋敷を供人一人だけを連れて訪れ、酒を飲んで本音を話す部分がある。これは多分フィクションではあろうが、正成は尊氏からも一目置かれる存在だったことは確かなようである。最終章の「人の死すべき時」では、尊氏との決戦を前に、もはや勝ち目のないことを知っている正成が一旦河内に戻り、寺を建立しようとするところで終わっていて、湊川での最期は描かれていない。

 視野が広く合理的で柔軟な思考のできる正成がなぜ犬死とも思える道を選んだのだろうか。赤松円心のように悪党としての道を貫き、室町幕府に貢献して生き延びるという選択肢もあっただろうし、あくまでも理想を通すならば、河内に立てこもって抗戦して後醍醐天皇を援護する方がベターだったはずだ。北方さんの書き方だと、護良親王の死によって自分の理想とする道が断たれてしまい、燃え尽きたというように読める。歴史は謎が多くて面白い。以前、歴史に名の残る神経質人間ということで徳川家康について書いたが(11話・209話)、まだまだ出てきそうである。

2008年11月 5日 (水)

神経質礼賛 362.楠木正成・神経質説(1)

 小学生の頃は大河ドラマの影響もあって、戦記物をよく読んだ。源平盛衰記、太閤記などである。最後に読んだのが太平記だった。その中で一番魅力を感じた人物は楠木正成だった。わずか数百の兵で数万・数十万の鎌倉方を翻弄する様は痛快だったし、的確に情勢を読んで緻密な作戦を立てて行動する様には感心した。足利尊氏が後醍醐天皇に反旗をひるがえし、正成や北畠顕家の活躍で一旦は敗走させるが、再び西国から京に攻め上った際、正成は和睦をするか京から撤退するかどちらかしかないと進言した。しかし天皇や愚かな公家たちに受け入れられず、湊川の死地に赴いていく悲劇は強く印象に残った。正成と同じような立場だった赤松円心が後醍醐天皇方に見切りをつけて尊氏側に移ったのと対照的である。ただ、太平洋戦争前は天皇のために命を捧げた「忠臣」として修身の教科書に載り、特攻隊に代表されるように若者を死へ追いやる存在として利用されてしまっていたということがあって、人前で正成を尊敬する人物とはちょっと言いにくい。それにしても現在の天皇家は後醍醐天皇と対立した北朝の子孫なのだから、尊氏が忠臣とされなければおかしいはずなのだが。

正成は武将ではなく当時は幕府側から見て「悪党」と呼ばれていた。悪党とは年貢米を略奪するようなこともあるが、今風に言えば運輸・流通業などに手を染めていた豪族である。楠木正成の前半世は謎に包まれている。どんな性格の人だったのか、とても興味があるところだ。森田正馬先生は「釈迦、親鸞は神経質で、日蓮は偏執性性格、天理教祖はヒステリーである」「白隠禅師は明らかに神経質であるが、(楠木)正成もそうではないか、禅は大分やったようである。(北条)時宗も禅についての問答をした事がある。禅をやるような人はいくぶん神経質かも知れぬ。(森田正馬全集 第5巻 p.65)」と正成が神経質だった可能性を述べておられる。

 先日、書店で中公文庫の北方謙三著「楠木正成」が目に留まり、上下2冊を買って読んでみた。そこでは正成が神経質人間として描かれていたので、次回に紹介してみたい。

2008年11月 3日 (月)

神経質礼賛 361.パソコンショップ閉店

 3年前に近所のパソコンショップが閉店し、仕方なく少し郊外のパソコンショップを利用していたが、そこも今年の10月末で閉店になってしまった。これからはさらに遠くの店まで行くか、全国チェーンの総合電気店YかKを利用せざるを得ない。妻に言わせると、私が愛用する店はみんな潰れる、という法則があるのだそうだが、そこまで私は疫病神ではないと思っている。実際、1031日付の毎日新聞経済面では秋葉原で最初にパソコンショップを出した老舗のT電機の倒産とやはり老舗電気店I電気のパソコンショップ撤退が報じられていた。T電機はアマチュア無線のオールドファンには懐かしい店であると同時に、ロボット館という店も出していてロボットコンテストに出場する大学生・高専生たちが電子部品や機械部品を買い求めに来ていた。こういう専門店が秋葉原から姿を消してしまうのは寂しい限りである。

考えてみれば、WINDOWSが出る以前のMS-DOSのノートパソコンは40万円近くした。しかも知識がなければ使いこなせなかった。ハードウエアの進歩で今では数万円でノートパソコンが買える。その分、店側の利益幅も小さい。それほど知識がなくても買ってすぐにワープロなどとして使えるしインターネットもできるから、ショップ店員の知識もさほど必要ない。ソフトウエアを店頭で選んで買わなくても、無料ソフトをダウンロードして使えば用が足りてしまうことも多い。これでは商売が成り立たないのも無理はないだろう。

これからはパソコン関係の買物が不便になるので、とりあえずプリンタがインク切れにならないように注意するのと、ファイル整理をこまめにしてハードディスク満杯による買い足しという事態を防ぐ、といったあたりが神経質人間にできる対応策だろうか。

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