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2008年11月 7日 (金)

神経質礼賛 363.楠木正成・神経質説(2)

ハードボイルド作家として有名な北方謙三さんが書いた楠木正成だから、さぞ豪胆な正成が登場するかと思いきや、完全に外された。小心で戦は見るだけで身がすくむ。父親から胆(きも)を太くしてこい、と命じられて出た旅で野宿する場面から始まっている。三年間の旅から戻っても、臆病者だという自覚は変わらない。このままでは「悪党」は六波羅(鎌倉幕府側)に潰される、悪党としてどう生きていけばいいか、と正成は悩み続ける。戦は弟に任せて、もっぱら街道を押さえて他の悪党や海賊たちとも交渉して物流を盛んにしていく。もし時代がもっと後であったなら、坂本龍馬の海援隊のように流通・運輸会社のさきがけとなっていたかもしれない。現代に生まれていれば、神経質を生かして会社経営者として大成功していただろう。

物語上巻は正成の動きと交互に後醍醐天皇の息子・護良親王の倒幕に向けた行動が書かれている。護良親王の求めに応じて挙兵すると述べた後、正成は「大変なことを言ってしまった」と怯え続け、夜も不眠に悩まされる。しかし、そういう神経質だからこそ、全国の情報を集めて分析し、兵糧や武具の準備を着々と進め、敗戦後に落ちのびる布石まで打っておくことができたのである。下巻では赤坂城・千早城での長い籠城戦が描かれている。千早城は攻めるのが困難な地形を利用し、十分な食料を用意し、城内に湧き水も確保していた。その結果、半年以上も大軍の激しい攻撃に耐え抜いて事実上の勝利となる。その後、建武の親政となったが、武士の不満が高まる中、足利尊氏は巧に勢力を広げていく。物語では、その尊氏がたびたび正成の二条の屋敷を供人一人だけを連れて訪れ、酒を飲んで本音を話す部分がある。これは多分フィクションではあろうが、正成は尊氏からも一目置かれる存在だったことは確かなようである。最終章の「人の死すべき時」では、尊氏との決戦を前に、もはや勝ち目のないことを知っている正成が一旦河内に戻り、寺を建立しようとするところで終わっていて、湊川での最期は描かれていない。

 視野が広く合理的で柔軟な思考のできる正成がなぜ犬死とも思える道を選んだのだろうか。赤松円心のように悪党としての道を貫き、室町幕府に貢献して生き延びるという選択肢もあっただろうし、あくまでも理想を通すならば、河内に立てこもって抗戦して後醍醐天皇を援護する方がベターだったはずだ。北方さんの書き方だと、護良親王の死によって自分の理想とする道が断たれてしまい、燃え尽きたというように読める。歴史は謎が多くて面白い。以前、歴史に名の残る神経質人間ということで徳川家康について書いたが(11話・209話)、まだまだ出てきそうである。

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コメント

先生お久しぶりです。お元気ですか?図書館のパソコンで先生の日記をまとめ読みさせてもらっています!先生は歴史にも深い関心があるのですか。本当に神経質というか几帳面ですね。私は家系図とか戦略記とか細かい記述がもうダメです。戦国武将としてまず失格でしょう(笑)。

アメリカでの生活にも慣れてきました。人間関係も広がって、皆で助け合いながら大変な課題を乗り切っています。先日は大統領選挙がありました。神経質人間としては「最後に何か大事件が!?」と心配していましたが意外に普通に終わりましたね。アメリカ人学生もハラハラしてました。

来月18日に日本に帰国して1月下旬まで滞在します。神経質パワーを発揮して体型を変わらずキープしてます。身近では10キロ程度太るのが当たり前になってますね。帰国した折、私の心身の健康状態をチェックしていただきたく思います。よろしくお願いします。

 コメントいただきありがとうございます。お元気に活躍されている様子ですね。図書館のパソコンでインターネットが使えるのは実に便利ですね。

 私はどうも人の名前が覚えられないのですが、系図を併用すると結構覚えられるものです。日本史の教科書で藤原氏などの家系図は好きでしたし、源氏物語を読む時も系図を見ながらでした。

 私もオバマさんが立候補した時から暗殺されはしないかと心配していましたが無事でよかったです。アメリカは大きな変革期の真っ只中のようですね。

 全くご無沙汰しています。楠木正成・神経質説を楽しく拝見させて頂きました。

 私の趣味は愛車のロードに乗って歴史の旅に出かけることです。

 先日開かれました日本森田療法学会が終わり、博多から熊本へ足を伸ばしました。途中、柳川に立ち寄り古賀政男記念館や北原白秋記念館で疲れを癒しました。

 レコードで聴く「影をしたいて」は良かった。訪れた11月2日は北原白秋命日で町を挙げてお祭りがありました。太宰府にも立ち寄りましたよ。

 さて、私はどこまでも自力で走行しますので、その街々の地形をいつも意識します。果たして無理をすれば無事に目的地にたどり着くことが困難ですから、筋肉を疲労させない走り方が自然と身に付きました。

 武将楠木正成の居城千早赤阪村へもこれまで何度も足を運びましたよ。笑い。

 大阪平野は西から六甲山・宝塚川西山系・池田高槻山系・生駒山系・二上山から金剛山、そして和歌山の岬までぐるりと山に囲まれた地形です。川は西から猪名川・淀川・大和川と水脈は豊かで土地は良く肥えています。

 昨日の日曜日も箕面から山に入り、茨木高槻の裏山を駆け抜けて京都亀岡に二時間半かけて到着しました。目的は鍬山神社・神蔵寺・穴太寺などのモミジ見物です。今年はモミジが綺麗だそうです。

 こうして実際にその山地に立ってみますと何十万もの軍勢に追走されても十分な物資を用意して地形に詳しい武将なら少人数のほうがかえって充分な対抗ができるだろうなあと想像できます。

 真田幸村が和歌山九度山から誰にも知られずラクラクと大阪城に入城できたのも地形を熟知すれば案外容易です。生駒山の暗峠や清滝峠の昔話を知るものは、古い石仏を見て夏の暑い夜でも背筋が冷たくなること請け合います。高槻の裏山には切支丹の民が密かに生き延びたという墓が点在します。

 先生こうした面白い話を楽しみにしています。そうすればまたこうしてお話ししたくなります。これから寒い季節を迎えます。昨日も5時半には日も落ちて、眼下に見える大阪の灯りにホット胸をなで下ろすと共に坂道は皮膚をさすような冷たさでした。

万代博志様
 コメントいただきありがとうございます。今はサイクリングに最適な時期でしょうね。奈良・大阪・京都周辺の関西地区は歴史的名所が多く、万代様の森田的自転車療法にはピッタリかと思います。一石三鳥いや四鳥・五鳥でしょう。
 森田療法学会には出たいのですが、土曜日の外来担当なので、金曜日帰りでは九州はちょいとキビシイということで今回はパスしてしまいました。また、お会いできる日を楽しみにしております。

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