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2008年12月29日 (月)

神経質礼賛 380.年末行事

 毎年暮れになるとあちこちでベートーヴェン作曲交響曲第九番の演奏会が開かれる。今ではちょっとした地方都市ならばアマチュアの第九を歌う会があって、地元オケと合同で演奏されている。本来、「第九」と年末とは何の関係もなく、日本だけでみられる現象である。原因は定かではないが、一説には、戦後間もない頃、年末年始の生活費に窮したオケ団員のために確実に客が見込める演奏会を開くにあたり第九がプログラムとして選ばれたのだという。それよりは、けじめをつけることを好む日本人に合っているからという説がもっともらしいような気もする。耳が聞こえなくなるという作曲家にとって最大の苦難を乗り越えて作られた「歓喜の歌」は年末を締めくくるのにふさわしいし、元気に新しい年を迎えようという気持ちになれる。

 それぞれの家庭で年末行事と言えば大掃除ということになるだろう。もっとも、生活の洋風化で昔のようにタタミを干したり障子を張り替えたりするような大掛かりな掃除はしなくなっている。我が家でも12月には換気扇・照明器具の掃除や年一度の浄水器フィルターの交換といった作業を少しずつやっていて、特に大晦日の日に大掃除ということはない。

 掃除は特に神経質人間にとって大切な作業である。掃除の効用は以前にも書いた(30話)通りである。「めんどうで嫌だ」と思うと先送りしてしまうのは神経質にありがちなところである。どうせやらなくてはならないことなのだから、さっさとやった方が気分もいい。何も年末だから、という理屈を付けなくても、普段から「汚れているな」「具合が悪いな」と気付いたら、森田正馬先生の言われた通り、尻軽く手を出して行くことである。自分の周囲を見れば、やるべき仕事はいくらでも見つかる。優先順位の高いものからどんどん片付けていけばよい。雑念に悩んだり、他人の思惑を忖度(そんたく)したりするようなヒマはなくなる。一石二鳥である。

 と、偉そうなことを言っていて、昨夜は大失敗をやらかした。不用意にWINDOWSの更新ボタンを押したら、ブラウザをIE7に変更するものだった。今まではIE上でメール処理をしていたが、IE7にはメールボタンがない。Outlookの設定をし直して受診トレイを見ると空になってしまった。いつも年末にファイルの大掃除で必要なメールだけバックアップしているのだが、その前につぶしてしまったわけである。「神経質が足りない!」と自責しなくてはならない。これからは随時バックアップを取っていかなくては、と反省する次第である。

 今年も残すところあと2日となりました。御愛読いただきありがとうございます。平成18年2月にスタートした当ブログはまもなく丸3年となります。1年ももつだろうか、と思いながら始めたのですが、そこは「神経質は重い車」という森田先生の言葉通りで、なかなか動き出さないけれども一旦動き出すと簡単には止まらないようです。来年も細々と続けていきますのでよろしくお願いいたします。

2008年12月26日 (金)

神経質礼賛 379.鬱の時代

 今年は作家の五木寛之さんが書かれた「鬱の時代」が話題になった。五木さんは、ゆっくり黄昏に向かって下りていく時期が人生の黄金期だと述べ、「にっこり笑って明るく覚悟する」ことを説いておられる。五木さんのように悟りきって人生の最終コーナーを回って行ければすばらしい。だが、どうも神経質人間の場合はそうはいかないだろう。そもそも発展向上欲や完全欲が強い神経質人間にとっては、老年期という喪失の時期はとりわけ辛く感じるものと思う。しかしながら森田正馬先生の生き様を見れば(371)、妻子に先立たれ、病気に苦しみながらも、死の直前まで「生の欲望」に沿って生き尽くすことができることがわかるはずだ。

英語で鬱をあらわすdepressionには不景気という意味もあり、ちょうど金融危機に端を発した不況の現代にも重なる。経済の鬱はまたたくうちに全世界に伝染した。アメリカの自動車業界は大規模なリストラを行って税金を使っての救済を仰ぐか、破綻するかの瀬戸際に追い詰められている。円高のため日本でも輸出への依存度が高い自動車・電機産業を中心に大量の派遣社員切りが始まった。パート従業員や契約社員の解雇も相次いでいる。経営側は「切る」と簡単に言うが、働く人々にとって「切る」は「kill(殺す)」も同然である。契約解除で寮を追い出されて行き所がない人も出ている。大学生の就職内定取り消し、正社員のリストラ予定も続々と報道されている。多くの人の所得が減れば、サイフのひもは硬くなり、内需縮小でますます企業業績も悪化する。来年はさらに厳しい状況が予測される。景気回復は2年先になるか3年先になるかわからない。しかし、鬱のトンネルがエンドレスということはありえない。必ず回復の日は来るはずだ。不運にも仕事を失った人々、内定を取り消された学生さん、ショックではあろうけれども何とか踏ん張って欲しい。

神経質人間はこういう大ピンチで抜群の粘りを発揮できる。辛抱していれば、いつか明るい明日は必ずやってくる。

2008年12月22日 (月)

神経質礼賛 378.魔女の一撃

 私の家での起床時刻は通常550分である。着替え・洗顔を済ませると新聞を取り込む。ゴミ出しの日にはゴミを出しに行く。NHKラジオのニュースを聞きながら、パソコンのメールチェックをし、馴染のサイトを見て、合間に新聞を読む。6時半から朝食を摂って出勤となる。

 先日、誕生日の朝は寒気が残ってかなり冷え込んでいた。いつも通り新聞を読み終え、パソコンの電源を切って、腰を捻りながらさっと立ち上がった瞬間、腰に激痛が走った。いわゆるぎっくり腰(欧米では「魔女の一撃」)だ。とんだ誕生日プレゼントである。駅の階段の昇り降り、病院までの車の乗り降りはおっかなびっくりである。仕事中も椅子から立ち上がる際は、ソロリソロリである。

 数年前にもなったことがある。寒い元日の朝、バスが運休のためタクシーで病院に乗りつけ、降りようとして腰を捻りながら右手でひょいと重いカバンを持ち上げたらやられてしまった。当直医がこれでは困ったものである。まるでドリフターズの「もしもこんな医者がいたら」のギャグである。以後は重い物を持つ時にはなるべく左右に分けて持つとか急に腰を捻らないとか気をつけていたが、長いことなかったので油断していた。そういえば運動不足もある。魔女の一撃の第3弾を食らわないように神経質を発揮していこうと思う。

 このような急性腰痛症は、なるべく安静を保っているうちに自然治癒することが多い。椎間板ヘルニアや腫瘍によるものとは異なり、疼痛は運動時に限られ、膝下にシビレが出るようなことはない。レントゲンやCTでも異常がみられることは少ない。「今日の治療指針」(医学書院)を見ると、90%は自然軽快するもので、痛みに応じた日常生活を維持し、必要以上に医療に頼らないこと、ということが書かれている。思わず笑ってしまう。いつまでも疼痛を訴えて仕事を休みたがる人がいるからこんなことが書かれているのだろう。まるで、神経症と同じである。神経症でも、仕事を休んだり、必要以上に医療(薬)に頼ったりしないことが大切である。

2008年12月19日 (金)

神経質礼賛 377.忘年会の挨拶

 今日は病院の忘年会だった。長年、忘年会を行っていた病院近くの結婚式場が廃業になって、昨年からは駅に近い老舗ホテルで行われている。当直者以外はほとんど参加するので人数は百名くらいである。いつも最初の挨拶をしている院長が外部の会議のために出席できないということで、私にお鉢が回ってきてしまった。多少アルコールが入ってしまえば緊張感も少なくなるが、冒頭の挨拶ではそうはいかない。先日書いた(367)「乾杯の音頭さえあがる」の通りで、人前で激しく緊張してあがり、赤面恐怖のある私にとっては苦手な場面だが、断るわけにもいかず、やむを得ない。そこは神経質で2,3分のスピーチとはいえ一応原稿を作り、準備するのであった。

 出勤前、毎日新聞朝刊の「きょうの星占い」に目が行ってしまう。「慣れないことで失敗あり」とある。仕事中も時々思い出して、何となく気になる。会場に着いて、顔は笑っていてもどこか引きつっているような気もする。だんだん緊張感が強くなる。まあ、こんなものだろうと自分に言い聞かせる。

 少しつかえたところもあったが大きな問題もなくお役目を果たすことができた。終わった後のビールは一段とおいしい。緊張したご褒美である。

 なお、星占いには「特に異性関係に注意をすること」とあったが、神経質ではその心配はなく、何事もなく帰宅したのであった。

 神経質人間は「上手にやりたい」「失敗して恥をかきたくない」という気持ちが強いので人一倍緊張しやすいものだ。しかし緊張も必要で、緊張感がなければ準備もしないし、失言も多くなる。緊張して赤面しながらやっていけばよいのである。

2008年12月17日 (水)

神経質礼賛 376.ゴミ屋敷

 勤務先の病院がある市内で有名な「ゴミ屋敷」がある。老姉妹が住んでいて、姉がガラクタやゴミを拾い集めてきて家の周囲に高々と積み上げているのである。電気・ガス・水道は止められている。家自体も一部が壊れ、倒壊する恐れもある。近隣住民からの苦情で市も対応を迫られていたが、ついに昨日、総勢50名ほどで立入調査が行われた。妹の姿が1年以上目撃されておらず、最近は姉が家の前の路上で寝ており、安否を確認するとともに食事が与えられていないなどの虐待がないかどうかを調べるためだった。この様子は民放TVのニュースで何度も放映され、全国版でも流れていた。積み上げられたゴミの一部を撤去して通路を作り、ゴミの山の中から妹さんを捜索した。搬出したゴミの一部だけで2トントラック2台分という。幸い、妹さんは生存しており、1日おきにパンを与えられていたという。市側としては、妹さんを施設に入れるよう説得したがダメであり、姉の精神障害も疑われたが強制的に治療を受けさせるレベルではないということで、結局は現状のまま、ということになった。確かに法的にはこれ以上どうしようもないのかもしれないが、何とか方法はないのだろうか。近隣住民にとっては悪臭・害虫・景観の被害が現実にあるのだし、地震や火事などの災害時に大変危険である。

 私の家の並びにもゴミ屋敷があって、野良猫の根城になっていて、そのウンチ被害に悩まされたことは以前にも書いた(125181話)。その後、この家は取り壊されて瀟洒な3階建ての建売住宅となり、今では新しい家族が住んでいる。しかし、増えてしまった野良猫は相変わらず悪さをしている。時々、近所の人から「オタクのそれ(どんとキャットという猫除け)は効果ありますか?」と聞かれる。我が家の周囲に隙間なく「どんとキャット」を敷き詰めてからというものウンチ被害はない。

 ガラクタやゴミを拾い集めてくる、というのは妄想に基づく行動である可能性が高い。その点、神経質の場合、室内は散らかしてはいても外観は気にするものである。一人暮らししている私の母も、家の中は「もったいない」と言って捨てられない古着や雑誌などで足の踏み場もないのだが、草取りはしっかりしていて、廃墟には見えない。放火されたら心配だと言って、燃えるものはあまり外に出ていない。神経質の住人ならばゴミ屋敷にはならないものである。

2008年12月15日 (月)

神経質礼賛 375.今年の漢字は「変」

 12月になると、「今年の漢字」が発表される。(財)日本漢字能力検定協会が、その年の世相を反映する漢字一字を11月から公募して得票数の最も多かったものを1212日(漢字の日)に京都の清水寺で発表するものだ。投票は漢検ホームページ上から、あるいはハガキで応募できる。平成7年から始まったこのイベントはすっかり定着し、今年は何が選ばれるのかと興味津々である。

個人的には「鬱」かなあ、と思った。うつ病を表す英語depressionは「低下」「不景気」といった意味をも持つ言葉でもある。病気の鬱が関心を集めているだけでなく、アメリカ発の金融危機から大不況が始まり、経済・社会全体が「鬱」になっているのでピッタリかなと思う。もし、こんなに画数の多い漢字が選ばれてしまったら、清水寺の貫主さんが巨大な和紙に毛筆で書く時に困るだろうな、と神経質らしく余計な心配もする。

実際に今年の漢字(平成20年)として発表されたのは「変」だった。日本では突然の首相交代劇があり、アメリカでは大統領選で変革を訴えた民主党黒人候補者オバマ氏が勝利した、というあたりが理由のようだ。ちなみに2位以下10位までは「金」「落」「食」「乱」「高」「株」「不」「毒」「株」とのことである。

「変」に人一倍敏感なのは神経質人間である。自分は変ではないか、他人から変だと思われはしないか、といつも心配する。わずかでも変なところを探し出すのは得意である。変でないようにいつも気をつけるから結果的には変ではない。神経質で大いに結構なのである。一方、神経質が足りない鈍感力過多の人では変であることに気がつかず、軌道修正も遅くなる。そういう人が首相になって変なことばかり言って国が変になる、では困るのだ。

2008年12月12日 (金)

神経質礼賛 374.神経質ではなかったプッチーニ

 今まで何度か作曲家を取り上げてきたが、今回は今年生誕150周年にあたるイタリアの作曲家プッチーニである。オペラに全く興味のない人でも、歌劇「蝶々夫人」のアリア「ある晴れた日に」は耳にしたことがあるだろう。また、トリノオリンピックのフィギュアスケートで金メダルを取った荒川静香さんの演技でBGMとして使われたのが歌劇「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」だったのは記憶に新しい。

 作曲家には神経質な人が比較的多い。モーツァルトのように頭の中でスコアが出来上がっていて後は書くだけというような超天才はそれほど多くなく、完全欲が強く、書いては破り捨て、発表した後も何度も改訂版を出すような強迫的な作曲家も少なくない。プッチーニは不安神経症だったという説もあるのでちょっと期待(?)したが、どうも神経質ではなかったようだ。

 ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)は代々宗教音楽にたずさわる家に生まれた。教会でオルガン奏者をしていたが、ヴェルディの歌劇「アイーダ」を見て触発され、オペラの作曲を始めた。「マノン・レスコー」の成功を皮切りに、「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」を発表した。その陰では、歌劇の台本作家に対するわがままぶりは有名だったという。また、音楽院院長への就任を依頼されたが、教育は面倒な仕事だと考えて断っていたという。最期は、喉頭癌のX線治療中に心臓麻痺を起こして急死している。

 私生活では、人妻と駆け落ち(夫の死後に正式に結婚)したり、狩猟に凝ったり、モーターボートに凝ったり、当時はまだ珍しかった自動車に凝ったり、ということで派手好き、遊び好きの面があった。自動車事故で大けがもしている。その際に付き添いとして雇った若い小間使い女性との関係を妻が疑っていじめたため、その小間使いが服毒自殺するという事件が起こり、裁判になって新聞に書きたてられた。どうやらプッチーニ本人も奥さんもヒステリー性格だったようである。激しい恋に命を燃やし恋に破れて自殺して行く様を歌劇で表現したのも、ヒステリー性格を生かしたものだったと言えよう。男女関係が地味な神経質ではこうはいかない。

2008年12月 8日 (月)

神経質礼賛 373.阿修羅の正義

 当ブログにコメントいただいた関係で、いつも読んでいる「こころとこころ」という名前のブログがある。作者のスローライフさんは実名で文芸社から「父  こころの和解」という自伝小説も出しておられる。家が破産して苦境のどん底なのに母にすべてを押し付けて愛人との生活を続ける父に対する強い憎悪感。極貧生活の中で挫折感を味わい、時には自暴自棄になりながらも母親の無償の愛に支えられて紆余曲折の末に得た家庭。そして父の葬儀に参列した時の心の変化。そういった流れの小説である。最近のブログ記事では、自身の若い頃の心情を自己分析して、「阿修羅の正義」とも言える誤った正義感に支配されていたと振り返っておられる。

 アシュラ(阿修羅)はインド神話では正義の神である。美しい娘がいたが、力の神インドラ(帝釈天)に拉致・陵辱されてしまう。怒りに燃えたアシュラはインドラに激しい戦いを挑むが敗れて死ぬ。死からよみがえっては戦うが力の神にはかなわない。娘がインドラの妻となった後も果てしなく戦い続ける。これが仏教では、正義にこだわることはよくない、怒りや恨みの心を捨てて慈悲心を持ちなさい、という教えになっている。

 スローライフさんの言われる阿修羅の正義は私にも思い当たる。神経質人間の私は気が小さくおとなしかったから小学校から中学にかけていじめにあったことがある。その時には自分の情けなさを嘆くとともに強い怒りの感情が湧き上がった。私の中の阿修羅が目覚めたのだ。しかしこれは、時には何らかの反撃行動に出ることで自己防衛したり、今に見ていろと勉強や趣味に打ち込むエネルギーに転化したり、という面もあってあながち悪いことばかりではなかったように思う。阿修羅の正義は自己愛の怒りに近いだろうか。生存していく上で適度な自己愛は必要である。理不尽な攻撃に対して無抵抗では生きていけない。もちろん自己愛が過剰になっては他者に迷惑を及ぼすので注意が必要であるが。若い頃は世の中の不正に対して強い怒りを覚えたものだ。今でもそれはあるが歳とともにいくらか薄らいできている。本来、慈悲心は強い力を持つ者にこそ必要だと思う。

 強迫神経症、例えば不潔恐怖なども極端な価値観にとらわれてしまうという点では「阿修羅の正義」と似たところがある。適度に清潔を保つことは必要ではあるのだが、過度に不潔を恐れ徹底的に「清潔」にしようとして手がボロボロになるまで洗うようでは他のことができなくなるばかりでなく体に有害である。ちょっとした汚れが気になって洗濯をし、さらには衣服を捨てるという不合理な行動に出る人もいる。入浴に時間がかかりすぎるから結局フロにも入らず、逆に不潔になる。森田正馬先生が色紙に書かれた「小我の偏執」の結果である。神経質を外に向けて生かしていくようになれば「大我の拡張」ということになってきて、「症状」もいつしかなくなってくるものだ。

 今日12月8日は太平洋戦争の始まった日である。戦争を起こすどこの国も正義の名のもとに戦うが、戦争に本当の正義などありはしない。軍事産業関連で利益を得る人を除けば、いかなる戦争も人を不幸にするだけである。「テロとの戦い」と家族を殺された人たちによる報復テロとの応酬では、両者とも阿修羅の正義であり、いつまでも戦いは終わらない。小我の偏執からの脱却が必要だ。

2008年12月 5日 (金)

神経質礼賛 372.鈴木知準先生

 鈴木知準(すずきとものり:1909-2007)先生が亡くなられて1年になる。多くの神経質者から「知準(ちじゅん)先生」と慕われてきた方である。長年、鈴木知準診療所で入院森田療法を行っておられ、御著書も多数ある。日本森田療法学会雑誌に追悼記事が載るだろうと思っていたが、今年の4月号をよく見ると理事会報告の中に「鈴木知準理事が逝去された」という一文があっただけで、最新の10月号でも全く触れられていない。同じく森田正馬先生の高弟であり高良興生院で入院森田療法を行っていた高良武久(こうらたけひさ:1899-1996)慈恵医大名誉教授が亡くなられた時には「追悼の辞」が掲載されたことを思うと、臨床家と学者では扱いが異なるのは仕方ないが、ちょっと寂しい気がする。

 私が知準先生の御姿を拝見したのは十数年前の森田療法学会の会場である。すでに80代ではいらっしゃったが、一般演題の質疑応答の際にはよく発言されていた。特に心理系の先生が少々理論に偏った発表をされると厳しい質問をされていたように思う。その都度、発表者の上の先生が助け舟を出して代わりに回答していた。やはり「打ち込み的助言」で実践重視の知準先生ならではだなあと思った。私の発表はいつも実際的な治療技法に関するものだったので、幸か不幸か知準先生の質問の洗礼を受けたことはなかった。

 その知準先生は学生時代に神経症に苦しみ、昭和2年に森田先生のところに入院している。第8回形外会(昭和5年12月)の記録に、知準先生の発言がある。

 中学3年の一学期から眠れなくなり、小さな物音でも目が覚めるため、土蔵の2階で寝て、母親に番をさせた。眠れずに野原をさまよい歩き、(心配した親が)提灯を持ってつけてきた。不眠の苦しさに時計を投げつけたり、家をひっくり返そうとしてナタで柱を半分切ったりもした。空気銃を買ってもらって雀を撃って、鬱憤をはらそうともした。種々の民間療法を受け、医者にも12人ほどかかったが良くならなかった。4年の3学期に(森田)先生の本を見つけて買ったが、人から神経衰弱と思われるのが嫌で隠していた。中学の先生から(入院してよくなった人の)経験談を聞いて、入院することになった。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.79-80

知準先生の他数名の発言に対して森田先生は次のように述べている。

 皆さんのお話を聞いて、神経質は徹底的であるという事がわかる。元来、神経質は理屈から出発して、自分で当然こうあるべきものと決めれば、人情をも没却して、押し通してしまい、随分無理な事をもするようになる。鈴木君が柱をたたき切ったり、夜中にウロウロ出歩くとかいう事実をそのまま聞けば、狂人のようにも思われる。しかしこれが理屈から出発したという事を確かめて、初めて神経質という診断がつくのである。 <中略> この神経質の徹底的という事が、最も有難いところである。昔から釈迦でも、白隠でもその他の宗教家でも、哲学者でも、皆徹底的に苦しみ抜いた人ばかりである。少しも煩悶し苦労した事のない人にろくな人はない。 (白揚社:森田正馬全集第5巻 p.82)

 知準先生の場合、今なら「自傷他害のおそれあり」の精神病症状ということで措置入院(都道府県知事命令の強制入院)にでもなりかねない激しい症状だったことがわかる。御両親の過保護も症状を悪化させた一因だったかも知れない。しかし、森田先生は神経質であることを見抜かれ、森田療法を適用された。家族的な雰囲気の中での再教育で知準先生は生まれ変わったように勉強に集中できるようになる。退院してからも森田先生にいろいろと相談し指導を受け続ける。森田先生も知準先生を自分の子供のようにかわいがっていた。やがて知準先生は旧制浦和高校から東京大学医学部に進学。御自分と同じように神経質に悩む人を助けたいという気持ちから精神科医を志すが、森田先生のアドバイスに従って一旦は内科に入局し、それから精神科に移っている。昭和26年に静岡駅近くで診療所を開業され、森田療法を実践された。私の母方祖父が家族に隠れてそこに通院していたことは以前に書いた通りである(118)。昭和39年には東京の中野に診療所を移し、作業にバラ栽培をされていた。入院患者さんとともに生活し、1年365日、直接指導にあたられた。入院治療を受けた人は約5000人にのぼる。雑誌「今に生きる」を発行し、森田先生と同様、退院後の指導も徹底されていた。入院者に限らず、「不安は不安だけでそれっきり」という知準先生の指導で症状の悪循環から脱却した神経質者は数知れない。

 鈴木知準先生が亡くなられて、森田正馬先生の直接のお弟子さん、いわば第2世代の治療者は姿を消した。精神療法は時代とともに変遷していくものである。今では森田療法もずいぶん変化しソフトになった。治療者も父親的というよりオトモダチ的な存在と化しつつある。適応範囲が広がった反面、切れ味が甘くなったきらいも否めない。森田先生の「先生が恐ろしいのは、勉強が苦しいように、当然の事であって、もし、それが友人や路傍の人のようであっては、ここへ入院しても、なんの効もないのである(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.409)」という発言が浮かんでくる。森田先生にせよ知準先生にせよ、御自身の神経症体験をふまえて、厳しくも心温かな治療者だった。神経質者の再教育に一生を捧げられた知準先生の姿勢からあらためて学ぶべきことは多いように思う。

2008年12月 1日 (月)

神経質礼賛 371.下り坂の時代を生きる

 十年ほど前のことだろうか。長年、外来と森田療法を担当していた80歳近い看護婦さんが退職される時に「これはとてもよい本ですからお読み下さい」と置いていかれた1冊の本があった。病院の引越のどさくさで紛失してしまい書名も覚えていないが、中高年期は老荘思想に従って生きていくとよい、といった内容の本だったように思う。当時は「ふーん、そういうものかなあ」と思いながら読んだ記憶があるが、いざ自分が中高年世代になってみると、確かにいいことが書いてあったなあ、と思えてくる。歳を取ればだんだん体力が落ち、いろいろな病気を抱えて生きていかなくてはならない。若い頃はなんだかんだ言っても親や職場の上司先輩に依存していたのが、いつの間にか子供から後輩から依存される逆の立場になっていて、誰かに頼るというわけにもいかず、自分一人でいろいろな問題を抱え込むことになる。やがて最後には自分自身の死と直面しなくてはならないだろう。「下り坂」の時期は誰にもやってくる。力まずに回りの景色でも眺めながら、ゆっくりと坂を下っていければ理想的であるが、現実はなかなかそうもいかないだろう。

 森田療法は中国でも広がっているが、中国の人たちから見ると老荘思想だ、ということですんなりと受け入れられている面もあるようだ。薬で「症状」を打ち消そうとするのではなく、「症状」がありながらも行動していくことを説く森田療法は無為自然の道と合致しているということなのだろう。私は老荘思想については不勉強でよくわからないが、下り坂の時代を生きていく上でのキーワードは森田療法では「日々是好日」(50話参照)ではないだろうか、と思う。

森田先生はしばしば俳人の正岡子規のことを語っておられる。正岡子規は肺結核と脊椎カリエスに体を蝕まれながらも文学史に残る業績を残している。

 正岡子規が、七年間、寝たきりで動く事ができず、痛い時は泣きわめきながら、しかも俳句や随筆ができたというのは、これが「日々是好日」ではなかったろうかと思うのであります。

(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.559

 また、森田先生御自身も、肺結核による気管支喘息症状に苦しみ、一人息子と奥さんに先立たれた深い悲しみを抱きながらも、講演旅行をされていた。

私は、ステーションの階段が苦しい。登りつめれば息が切れる。それで薬を呑んだりして、未だこんな処で、喋舌(しゃべ)りたいのである。それが、私の『日々是好日』である。東京では体が悪くなると、寝転んで居て・話すことさへある。我々の日常生活に於いては、如何なる時も、死ぬ迄、憧れと・欲望とに引づられて、前へ前へと追ひ立てられてゐるが、それが即ち私の『日々是好日』である。生きて居る事実は、誰にも皆同じ様に、『日々是好日』であって、嘆くにも及ばない。安心するにも及ばない。それは事実である。屁理屈をつけてこそ、好日でもなくなるが、屁理屈が無ければ好日である。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.479

 何も全力でがむしゃらに働け、ということではない。よりよく生きたいという「生の欲望」に沿って、たとえ小さくてもいいからできることをやっていく、ということでいいのではないだろうか。病気であっても、心配事が山積みでも、好日にはなりうる。そして自己の存在意義を高めていくことができるのだ。長い下り坂の時代を生きていく上で、特に神経質人間にとって、座右の銘にふさわしい言葉だと思う。

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