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2008年12月26日 (金)

神経質礼賛 379.鬱の時代

 今年は作家の五木寛之さんが書かれた「鬱の時代」が話題になった。五木さんは、ゆっくり黄昏に向かって下りていく時期が人生の黄金期だと述べ、「にっこり笑って明るく覚悟する」ことを説いておられる。五木さんのように悟りきって人生の最終コーナーを回って行ければすばらしい。だが、どうも神経質人間の場合はそうはいかないだろう。そもそも発展向上欲や完全欲が強い神経質人間にとっては、老年期という喪失の時期はとりわけ辛く感じるものと思う。しかしながら森田正馬先生の生き様を見れば(371)、妻子に先立たれ、病気に苦しみながらも、死の直前まで「生の欲望」に沿って生き尽くすことができることがわかるはずだ。

英語で鬱をあらわすdepressionには不景気という意味もあり、ちょうど金融危機に端を発した不況の現代にも重なる。経済の鬱はまたたくうちに全世界に伝染した。アメリカの自動車業界は大規模なリストラを行って税金を使っての救済を仰ぐか、破綻するかの瀬戸際に追い詰められている。円高のため日本でも輸出への依存度が高い自動車・電機産業を中心に大量の派遣社員切りが始まった。パート従業員や契約社員の解雇も相次いでいる。経営側は「切る」と簡単に言うが、働く人々にとって「切る」は「kill(殺す)」も同然である。契約解除で寮を追い出されて行き所がない人も出ている。大学生の就職内定取り消し、正社員のリストラ予定も続々と報道されている。多くの人の所得が減れば、サイフのひもは硬くなり、内需縮小でますます企業業績も悪化する。来年はさらに厳しい状況が予測される。景気回復は2年先になるか3年先になるかわからない。しかし、鬱のトンネルがエンドレスということはありえない。必ず回復の日は来るはずだ。不運にも仕事を失った人々、内定を取り消された学生さん、ショックではあろうけれども何とか踏ん張って欲しい。

神経質人間はこういう大ピンチで抜群の粘りを発揮できる。辛抱していれば、いつか明るい明日は必ずやってくる。

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コメント

先生こんにちは。先日はお会いできてとても嬉しかったです!先生のおかげで時差ボケが解消されましたよ。ありがとうございます。

「鬱の時代」ですか。この時代に神経質人間の特性を発揮するとすれば、「しつこく考え抜く」ことだと思います。どうも日本では、「悩むこと」と「論理的に考える」ことが混同されているように思います。むやみに悩んだところで孤独と絶望しか残っていません。でも「考える」作業は、他者との連帯も可能にします。

こんな時代だからこそ、論理的かつ有効性を伴った思考力が問われていると思います。先日、電話で研究者仲間とそんな話をしました。

「私達は悩んでいる場合じゃない。粘り強く論理的に考え抜かないといけない。それが仕事なのだから」と諭されました。私の場合は職業的にいっても神経質で良かったのかもしれませんね。

コメントいただきありがとうございます。日本では「悩むこと」と「論理的に考えること」が混同されている、という御指摘は実に鋭いと思います。「悩む」は情緒を伴っています。情緒を排して論理的に考えるのは日本人は苦手かもしれませんね。農耕民族で周囲の人の顔を見ながら行動してきたことに由来するのでしょうか。心理検査で「うつ」の程度を調べるSDSというものでは、正常人の比較で日本人の方が欧米人より「うつ」のスコアが高く出ることは知られています。情緒的なのは良い面もあり悪い面もあります。

悲哀感に浸かって悩んでいても現実はよくなりません。状況が悪ければなおさら、粘り強く考えて最善の次の一手をひねり出す必要があります。

私の場合も、すぐに悩んでしまう傾向があります。しかし、悩んだ後でよく考えて手を打つところは神経質でよかったところです。

 お久しぶりです。先日、ある青年から相談があり、三島森田病院に入院したいがどうでしょうかと問い合わせがありました。とても生真面目な口調でした。私もこの病院には立派な先生がおられるのでしっかり頑張って神経症を早く克服されるようにおすすめしておきました。

 いよいよ、今年もあとわずかとなってきました。私もこの一年、年中無休で走り回った一年です。3月には森田正馬先生の古里に、5月には我が郷里に、海外へも韓国とオーストラリアに行ってきました。年末は毎年慌ただしいですが、書類や書籍の整理をしていますと思わぬものが発見があります。森田先生の賀状二通のコピーを発見しました。思わずやったと嬉しくなってきました。他にも沢山の古い貴重な資料がありますのでデジタル化して保存しておかなければと考えます。

 先生も神経質礼賛されますが、私も全く同感です。これまで長く神経質者の方とお逢いしてきましたがギャンブルに狂うとか、アルコールに溺れるとか、借金取りに追われているとか、そんな相談は皆無です。ご本人の心の悩みは真剣そのものですが生活そのものはあんがい堅実です。こんなことでは駄目だ駄目だと言われますが、神経質者は偉いものだと感心します。

 先日、自宅から彩都西→茨木山中→東別院→亀岡穴太寺を寒風の中、ロードで走りました。道中偶然、江戸時代に活躍した石田梅岩(1685年~1744年)先生のご生家を発見。幸運なことに当家のご老主(何代目の末喬だろう……)に面会を許されてお屋敷で梅岩先生についてお話をお聞きすることができました。

 あまり梅岩先生について知らなかったもので恥ずかしく思い、その後いろいろ調べていましたら梅岩先生についての論文が多数発見され、森田先生との人物対比しますと面白い人間学が発見できました。私は森田先生の座談会(形外会)が生涯学習の元祖かと思っていましたが、もっと古い時代に老若男女身分を問わず誰でも梅岩先生の講話を聞くことが出来たことに驚きを覚えました。また各地にいくつもの教室が開かれ、昭和40年ごろまでその教えを熱心に伝えておられたようです。また、梅岩先生の志を復活させようと郷土を上げて立ち上がられています。
http://www.city.kameoka.kyoto.jp/contents_detail.php?co=kak&frmId=301

 その教えの基本理念は「自分とは何か」「人間とは何か」を解き明かし、それに基づいて「人の人たる道」を説いておられたそうです。梅岩先生の心学は「経済の心」「企業の心」「教育の心」「政治の心」を教えておられたそうです。

 私がお会いしたご老主(75歳)はいかにも律儀な神経質そのものの語り口でした。梅岩先生の研究をするとまさに梅岩先生も神経質そのものです。一つ一つの勉学を律儀に一つずつ理論を組み立てていかなければ納得しないというご性格であったようです。だから行き詰まっては苦しむというご性格のようでした。またあまりかたぐるしいので奉公先のご主人から偶には夜遊びでもしたらどうかと言われるほどの堅物でもあったそうです。己を知り、人を知り、真実を知るその過程に置いて散々苦労した苦労人で、梅岩先生は二度悟る機会があったと語っておられます。もし、森田先生と梅岩先生が親しく人の心について人生問題について胸を開いてお話しになられたら、梅岩先生は心学の開眼を早めておられたのではないでしょうか……。梅岩先生、お許しを……。笑い。

 また、お二人の先生が今の時代に生きておられたら、アメリカ資本主義に偏りすぎた金儲け主義を痛烈にご批判され、人を大切にする労使関係の社会を堅持するように、人類繁栄のための食糧問題、環境汚染の歯止めについて訴えられたように私は思います。衝動的に幼い少女を殺めたり、安全なはずの自動車で人をひき殺すなど、一体この世はこの先どうなるのでしょうか……。

 私の救いは、そんな世の中にあっても、勤勉・正直・倹約の神経質が苦況にも負けずに頑張っている姿です。

万代博志様
 コメントいただきありがとうございます。相変わらず神経質エンジン全開で快走中の御様子ですね。
 石田梅岩も神経質人物名鑑に入りそうな気がします。梅岩の説いた商業倫理は、最近の経営者に欠落しているのではないでしょうか。「二重の利を取り、甘き毒を食ひ、自死するやうなこと多かるべし」は偽装問題の経営者そのものです。その点、神経質は濡れ手で粟のようなことはありませんが、質素倹約で、「負けるが勝ち」になるでしょう。おっしゃるように、石田梅岩の思想は森田正馬先生の考え方と共通する部分があるように思います。貴重な御意見、ありがとうございました。

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