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2008年12月 1日 (月)

神経質礼賛 371.下り坂の時代を生きる

 十年ほど前のことだろうか。長年、外来と森田療法を担当していた80歳近い看護婦さんが退職される時に「これはとてもよい本ですからお読み下さい」と置いていかれた1冊の本があった。病院の引越のどさくさで紛失してしまい書名も覚えていないが、中高年期は老荘思想に従って生きていくとよい、といった内容の本だったように思う。当時は「ふーん、そういうものかなあ」と思いながら読んだ記憶があるが、いざ自分が中高年世代になってみると、確かにいいことが書いてあったなあ、と思えてくる。歳を取ればだんだん体力が落ち、いろいろな病気を抱えて生きていかなくてはならない。若い頃はなんだかんだ言っても親や職場の上司先輩に依存していたのが、いつの間にか子供から後輩から依存される逆の立場になっていて、誰かに頼るというわけにもいかず、自分一人でいろいろな問題を抱え込むことになる。やがて最後には自分自身の死と直面しなくてはならないだろう。「下り坂」の時期は誰にもやってくる。力まずに回りの景色でも眺めながら、ゆっくりと坂を下っていければ理想的であるが、現実はなかなかそうもいかないだろう。

 森田療法は中国でも広がっているが、中国の人たちから見ると老荘思想だ、ということですんなりと受け入れられている面もあるようだ。薬で「症状」を打ち消そうとするのではなく、「症状」がありながらも行動していくことを説く森田療法は無為自然の道と合致しているということなのだろう。私は老荘思想については不勉強でよくわからないが、下り坂の時代を生きていく上でのキーワードは森田療法では「日々是好日」(50話参照)ではないだろうか、と思う。

森田先生はしばしば俳人の正岡子規のことを語っておられる。正岡子規は肺結核と脊椎カリエスに体を蝕まれながらも文学史に残る業績を残している。

 正岡子規が、七年間、寝たきりで動く事ができず、痛い時は泣きわめきながら、しかも俳句や随筆ができたというのは、これが「日々是好日」ではなかったろうかと思うのであります。

(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.559

 また、森田先生御自身も、肺結核による気管支喘息症状に苦しみ、一人息子と奥さんに先立たれた深い悲しみを抱きながらも、講演旅行をされていた。

私は、ステーションの階段が苦しい。登りつめれば息が切れる。それで薬を呑んだりして、未だこんな処で、喋舌(しゃべ)りたいのである。それが、私の『日々是好日』である。東京では体が悪くなると、寝転んで居て・話すことさへある。我々の日常生活に於いては、如何なる時も、死ぬ迄、憧れと・欲望とに引づられて、前へ前へと追ひ立てられてゐるが、それが即ち私の『日々是好日』である。生きて居る事実は、誰にも皆同じ様に、『日々是好日』であって、嘆くにも及ばない。安心するにも及ばない。それは事実である。屁理屈をつけてこそ、好日でもなくなるが、屁理屈が無ければ好日である。(白揚社:森田正馬全集 第7巻 p.479

 何も全力でがむしゃらに働け、ということではない。よりよく生きたいという「生の欲望」に沿って、たとえ小さくてもいいからできることをやっていく、ということでいいのではないだろうか。病気であっても、心配事が山積みでも、好日にはなりうる。そして自己の存在意義を高めていくことができるのだ。長い下り坂の時代を生きていく上で、特に神経質人間にとって、座右の銘にふさわしい言葉だと思う。

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