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2008年12月29日 (月)

神経質礼賛 380.年末行事

 毎年暮れになるとあちこちでベートーヴェン作曲交響曲第九番の演奏会が開かれる。今ではちょっとした地方都市ならばアマチュアの第九を歌う会があって、地元オケと合同で演奏されている。本来、「第九」と年末とは何の関係もなく、日本だけでみられる現象である。原因は定かではないが、一説には、戦後間もない頃、年末年始の生活費に窮したオケ団員のために確実に客が見込める演奏会を開くにあたり第九がプログラムとして選ばれたのだという。それよりは、けじめをつけることを好む日本人に合っているからという説がもっともらしいような気もする。耳が聞こえなくなるという作曲家にとって最大の苦難を乗り越えて作られた「歓喜の歌」は年末を締めくくるのにふさわしいし、元気に新しい年を迎えようという気持ちになれる。

 それぞれの家庭で年末行事と言えば大掃除ということになるだろう。もっとも、生活の洋風化で昔のようにタタミを干したり障子を張り替えたりするような大掛かりな掃除はしなくなっている。我が家でも12月には換気扇・照明器具の掃除や年一度の浄水器フィルターの交換といった作業を少しずつやっていて、特に大晦日の日に大掃除ということはない。

 掃除は特に神経質人間にとって大切な作業である。掃除の効用は以前にも書いた(30話)通りである。「めんどうで嫌だ」と思うと先送りしてしまうのは神経質にありがちなところである。どうせやらなくてはならないことなのだから、さっさとやった方が気分もいい。何も年末だから、という理屈を付けなくても、普段から「汚れているな」「具合が悪いな」と気付いたら、森田正馬先生の言われた通り、尻軽く手を出して行くことである。自分の周囲を見れば、やるべき仕事はいくらでも見つかる。優先順位の高いものからどんどん片付けていけばよい。雑念に悩んだり、他人の思惑を忖度(そんたく)したりするようなヒマはなくなる。一石二鳥である。

 と、偉そうなことを言っていて、昨夜は大失敗をやらかした。不用意にWINDOWSの更新ボタンを押したら、ブラウザをIE7に変更するものだった。今まではIE上でメール処理をしていたが、IE7にはメールボタンがない。Outlookの設定をし直して受診トレイを見ると空になってしまった。いつも年末にファイルの大掃除で必要なメールだけバックアップしているのだが、その前につぶしてしまったわけである。「神経質が足りない!」と自責しなくてはならない。これからは随時バックアップを取っていかなくては、と反省する次第である。

 今年も残すところあと2日となりました。御愛読いただきありがとうございます。平成18年2月にスタートした当ブログはまもなく丸3年となります。1年ももつだろうか、と思いながら始めたのですが、そこは「神経質は重い車」という森田先生の言葉通りで、なかなか動き出さないけれども一旦動き出すと簡単には止まらないようです。来年も細々と続けていきますのでよろしくお願いいたします。

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コメント

IE7にはメールボタンがあります。
HELPボタンの2つ右横なんですが・・・・

「ツール」→「ツールバー」→「カスタマイズ」で「ボタン」を追加、変更できます。

ソーラー様
 御親切に教えていただき、ありがとうございます。「メールを読む」がツールバーに追加できました。ここ2,3年というものパソコン関係の雑誌を買わず、すっかり情報弱者になっています(笑)。

今年は年末近くになって、こちらのHPを知ることが出来、本当に良かったです。(知準先生のお導きですね。)読んでいて新しい知見を得られる文章には中々巡りあえませんから、新しいエントリーをいつも楽しみにしています。

371話(下り坂の時代を生きる)と379話(鬱の時代)、とても面白く拝読しました。最近、お年を召した神経質人の方たちとお話しする機会があり、その内のお一人が「こんなに何も出来なくなって、死にたいなあと思うけど、死ねないわね」「自分の命の意味というものがいまだに分からない」と仰るのを切なく聞きました。

そんなこともあり、“神経質症にとって、病むこと・老いることはつらいものだなあ”と考えていたところだったので、「そもそも発展向上欲や完全欲が強い神経質人間にとっては、老年期という喪失の時期はとりわけ辛く感じるものと思う」という記述に大きく頷きました。

私自身、森田先生の晩年の生き方を思い出しては、人生や自分自身への非現実的な期待(完璧主義)を調整しながら生きています。こちらのHPを拝見しては、失礼ですが共に歩むお仲間のように思い、心強く励まされています。

「神経質人間はこういう大ピンチで抜群の粘りを発揮できる。辛抱していれば、いつか明るい明日は必ずやってくる」─そうなんです。神経質人の中には「自分は弱い人間だ」と思っている人をよく見かけますが、私は神経質人は、実は底力のある、強い人たち(粘り強さ、頑固さ、強情さも含めて)だと思っています。知準先生でしたか、「(危機に際して)やけを起こして自殺企図を起こしたりせず、目の前のことに手を出していく内に道は開けていく」というようなことを書いていらしたのを思い出します。

長々書いて申し訳ありません。また来年も楽しみにしております。良いお年をお迎え下さい。

WK様
 コメントいただきありがとうございます。「人生や自分自身への非現実的な期待(完璧主義)を調整しながら生きている」というお言葉にはとても共感を覚えます。

「やけを起こして自殺企図を起こしたりせず・・・」は森田先生の言われたところで

 ともかくも、神経質の人は精神病にならず、自殺に至らず、自暴自棄・放縦・ズボラにならない。真面目・忠実で・忍耐力が強い。しかしまだ治らない人は、物に拘泥し・鋳型にはまり・ヒネクレて・自我中心的で、機転が利かず・仕事が間に合わないが、これが全治すると、打って変わって、非常に能率があがるようになる。なかなか面白い事です。
 そのほかの気質の人には、さまざまの長所があるけれども、神経質のように、安心という訳には行かない。(白揚社:森田正馬全集第5巻p.573)
 「自分は頭が悪い、読書が少しもできぬ」と苦しむ人が、学校成績は一番になったりする事もあるように、およそ神経質は、何事につけても、いわゆる劣等感で、自分の悪い方面ばかりを考えるものであるから、事実においては、神経質は常に善良優秀なる人であるべきである。これがすなわち我々が、神経質に生まれたという事を感謝すべき事柄であります。これに反して、ヒステリーとか・意志薄弱性素質とかの人は、常に自分のよい面ばかりを考えて、独り得意になっているから、丁度神経質と反対になります。(白揚社:森田正馬全集第5巻p.433)

というあたりが近いでしょうか。

おっしゃる通り、「自分は弱い人間だ」と思いながら実は強いのが神経質人間です。神経質な性格に悩む人たちが、神経質の良さに気づいて、宝の持ち腐れにならないことを願ってやみません。

四分休符さん、今年一年大変お世話になりありがとうございました。
僕のブログに沢山のコメントをいただき、大変元気づけられました。
本当にありがとうございました。

それにしても、四分休符さんのブログは読みごたえがありますね。
四分休符さんが博学・博識であることが窺えます。
また、最近の四分休符さんの記事「阿修羅の正義」では、僕のブログ・本をご紹介いただき、ありがとうございました。
それに、鈴木知準先生の記事も書いておられますが、先生の本を読んだことのある僕にとっては懐かしい思いがしました。

今年は僕にとってプチ苦難の年でした。
しかし、今年も今日で終わり。
来年は楽しい年にしたいと思っています。
来年もどうぞご指導のほどよろしくお願いします。
よいお年をお迎えください。

スローライフ様
 コメントいただきありがとうございます。スローライフさんのブログ「こころとこころ」は優しさにあふれている感があります。とりわけ弱い立場の人に対する温かみが感じられます。その点、私は石頭で「阿修羅の正義」が色濃く残っていて、いけないなあ、と反省もします。今年は御著書を読ませていただき、より身近に感じています。
 こちらこそ来年もよろしくお願いいたします。
 

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