神経質礼賛 400.死は恐ろし 恐れざるを得ず
これは森田正馬先生の色紙に書かれている言葉である。
「死ぬるは恐ろしい。生きるのは苦しい」。言い換えれば、「死を恐れないで、人生の思うままの目的を、楽々とし遂げたい」という事になる。これが神経質の特徴であって、無理にも、自然に反抗しようとする態度になり、死は当然恐ろしい。大なる希望には、大なる苦痛・困難があると、極めて簡単な事を覚悟しさえすれば、それだけで神経質の症状は、強迫観念でもなんでも、すべて消失するのである。既に神経質の全治した人には、これが簡単に理解できるが、まだ治らない人には、全く嘘のような法螺のような話である。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.183)
森田先生は9歳頃、村のお寺で極彩色の地獄極楽の掛図を見てから、死後のことを考えて恐れ、悪夢にうなされるようになったという。白隠禅師(150話、388話)が地獄の恐ろしさにとりつかれたのも似たような年頃である。
思い返してみれば、私も小学校3、4年生頃、「死」を強く気にするようになった記憶がある。その頃の担任の先生は雑談が大好きで、毎日1時間目は必ず漫談で終わっていた。その話の中に車にはねられて「痛いよー」と泣き叫びながら亡くなった小学生の話だとか、頭にケガをした時には何ともなくても少しずつ脳出血が起きて死んでしまうこともある、といったことがあって、そのことがずっと頭にこびりついた。ガラスの破片で切り傷をした後、小さなガラスの破片が脳の血管に穴をあけて、ある日突然死んでしまうのではないか、と恐れた。また、歩数を数えては、「死」とか「苦」のゴロ合わせで、4歩とか9歩にならないように調整する強迫行為もあった。これはしだいに薄れていくのだが、今度は人前で極度の緊張を覚えるようになっていった。対人関係の失敗は「社会的な死」にもつながるわけだから、対人恐怖も「死の恐怖」の変型だと思う。それから長いこと悩み続けた。自分は弱い性格で情けない、何とかしなくては、と苦闘し続けた。やがて試行錯誤しているうちに「苦しいままに行動する」ということが身についた。そんなわけだから、医大の講義で森田療法の話を聞いた時には、不遜にも「何だ、あたり前のことじゃないか」と感じて特に興味を持たなかった。恥ずかしながら、精神科に入局して森田療法の患者さんの治療にあたるようになって初めて森田先生のすばらしさを痛感した次第である。上記の引用部分は神経質の心理を実に的確に表現していると思う。
修行して悟りきった人ならば死の恐怖から開放されるだろうか。以前にも書いた(90話・238話)江戸時代の禅僧の仙厓(1750-1837)は素直に「死にともない死にともない」と言って死んでいったという。神経質な凡人としては死を恐れながら、生の欲望に沿って、毎日できることをやっていくのみである。
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