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2009年2月 6日 (金)

神経質礼賛 393.中国で徳川家康ブーム

 先週の新聞に、中国で山岡荘八著「徳川家康」が200万部売れる大ブームとなっていることが書かれていた。昨年の金融危機以降、会社経営者やホワイトカラーの間で人気が出ているのだそうだ。長く苦しい忍従の時期を耐え抜いてトップに立ち磐石の体制を作り上げた家康に学べ、ということのようだ。目先の利益のためには粗悪なコピー商品を大量生産し、消費者の健康被害もいとわない、といった体質から少しは脱却してくれるとありがたい。

最近、静岡新聞社発行の静新新書「駿府の大御所 徳川家康」(小和田哲男著)を読んだ。小和田静岡大学教授は戦国史が御専門でNHKの歴史番組によく出演されている。定説では人質時代の暗くつらい経験が家康の一生に影を落としたとされているが、小和田教授は「家康はのびのびと育ち、どちらかと言えば、すぐ羽目をはずす茶目っ気たっぷりで奔放な少年だったのではなかろうか。「忍」の一生とみるよりは、妥協に妥協を重ねた一生であったとみる方が自然だ」と書いている。

 確かに単なる人質よりはずっと厚遇されていた面もある。9歳から13歳まで臨済寺で今川義元の軍師・雪斎の教育を受け、16歳で義元の姪(築山殿)を正妻としている。義元としては、自分の有力家臣に育てようというつもりだったのかも知れない。また、10歳の時に今川館で元日拝賀の際に衆人の見ている中で縁側で立小便をしたとか、今川氏の菩提寺で鷹狩をしようとして周囲から止められたというようなエピソードもあるらしい。

とはいえ、家康は6歳の時、当初は今川の人質になるはずが織田氏側に奪われて織田の人質となり、8歳の時、人質交換で今川側に身柄を渡されている。祖父・清康は家臣に殺され、父・広忠もまた家臣に殺されたという事実もある。今川の不興を買ったり家臣に恨まれたりしたら自分もいつ殺されるかわからない、という死の恐怖は強く感じていたはずである。神経質は弱力性と強力性が入り混じった性格である。前出の天真爛漫を思わせるエピソードも、実は見下されたくないという気持ちからわざと強がってやったことではないか、という気もする。

小和田教授は家康の性格を「保守的だった。時として思い切ったことをする場面もあるが、何かことをおこす場合、そのことが確実に成功することを確かめてから行動に移している。つまり根まわしを得意としたことが、その裏がえしの表現であろう。体制順応型だった。置かれた状況を冷静に判断する確かな目をもっていた。また、熱しにくく、さめにくいという特徴をもっていたのではないかと考えられる。すぐにはカッとならないが、じわじわくるというタイプで、記憶力のよさ、執念深さということも、この点にかかわってくると思われる」と述べている。これらは神経質の性格特徴と合致する。

以前、209話で三方原の戦いのエピソードを書いた。それを含めて家康には三大危機があった。三河一向一揆の際には家臣の中に一揆を支援する者がいて苦戦し、家康が銃弾を浴びたこともあった。三方原の戦いで敗走する際に家康は斬り死にしようとする。しかし家臣たちが思いとどまらせ、家康の兜を自分の兜と取り替えたり、家康の采配を奪ったりして、次々と身代わりとなって討ち死にしてくれた。そのおかげで家康は浜松城に逃げ戻ることができた。もうひとつの危機、本能寺の変の時、家康は少人数の供人たちと堺で遊んでいた。そのままでは明智方に捕らえられて殺されるのは時間の問題だった。家康はパニックに陥り、斬り死にして信長の後を追おうとするが、家臣の酒井忠次や本多忠勝らに思いとどまるように言われて気を取り直し、伊賀を越えて岡崎まで逃げ帰り、危機を脱している。神経質人間は時に悲観的となって捨て鉢になることがあるが、「生の欲望」は人一倍強いので、最終的には生きのびる道を選ぶことが多い。

家康が織田信長や豊臣秀吉と決定的に違っていたのは、独断専行ではなく、有能な部下たちの意見をよく聞いた上で決断を下していた点である。そういうスタンスであるから三河以来の家臣たちは遠慮なく家康に意見していた。また、マイナス思考のように思われるかも知れないが、過去の失敗にこだわり、それを生かして同じ失敗を繰り返さないようにしようとした点もある。もし、家康が神経質でなかったら、信長同様に自滅したか、秀吉同様に一代で終わってしまうところだったと思う。最後に笑うのは神経質人間であった。

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コメント

先生こんにちは!スキー場のゲレンデに住んでいるのかと錯覚する毎日ですが(笑)、私は風邪もひかずに元気ですよ。

一番親しくしているのが中国人の女性なので、興味深く読ませていただきました。中国で家康ブームですか。彼女と話してみます。

毎年のことのはずなのに、わずかの雪を理由に大学が休講になりました・・・。「備えあれば憂いなし」と、アメリカ人にも知ってほしいと思います・・・。

 コメントいただきありがとうございます。アメリカの寒さは厳しそうですね。こちらは3月頃の暖かさが続き、ついに昨日から目のかゆみ・・・例年通り花粉症の季節到来です。
 「備えあれば憂いなし」をアメリカ人が実行したら、怖いものなしでしょうね。金融危機も楽観的過ぎたのが一因だったのでしょうから。

 本当に寒いときよりも、ちょっと暖かくなって気が緩んだ時にかぜをひきやすいものです。日本ではインフルエンザが猛威をふるっています。どうぞお気をつけ下さい。

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