神経質礼賛 410.不即不離
不即不離とは、つかず離れずの関係をいう。神経質人間ではともすると柔軟性に欠けるきらいがある。「話す時に相手の目を見ることができない」と訴える視線恐怖の人は、全く相手を見ないわけではない。「目を合わせて話なさければならない」ということにとらわれ過ぎているのだ。これがもし、相手の目をじっと見つめたままであったら、相手は不気味で逃げ出すだろう。無意識のうちに相手の目を見たり視線をそらしたりしている、いわば不即不離がむしろ自然なのである。
森田正馬先生は、よく患者さんたちを連れて散歩に出かけられた。しかし先生は息切れがしてゆっくりしか歩けない。患者さんたちは先生を追い越しては失礼だと思ってピタリとその後についてくる。これはハタから見れば異様な光景である。森田先生がくっついてこないようにと注意すると、今度は10mほど間隔をあけてソロソロと歩いてくる。そこでまたお説教である。「悪智にとらわれていては犬にも劣る。犬は主人にくっついているだけでは退屈なので興味を引くものがあれば走っていくが、すぐにまた主人の所へ戻って来る。どうすればそのように不即不離になれるかというと、悪智(はからいや小細工)を捨てて自然に帰ればよい」、と話された。
不即不離は何も神経質人間に限って大切ということではない。例えば家族関係でもあるのではないだろうか。親子関係でも、子供が小さいうちは何から何まで親がくっついて手出し口出ししなくてはならないが成長につれて距離が離れてくる。しかし、食事を一緒に食べることもなく自室にこもりきりというようにあまり離れすぎても家族としての一体感がなくなる。過干渉では困るが適度なかかわりは必要だろう。熟年期の夫婦関係も同じだろう。定年退職してすることのない夫がべったり妻につきまとって妻がノイローゼになってしまうということが話題にのぼる。かといって家庭内別居でもまずいだろう。夫婦であっても適度な距離があるものだ。
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