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2009年3月30日 (月)

神経質礼賛 410.不即不離

 不即不離とは、つかず離れずの関係をいう。神経質人間ではともすると柔軟性に欠けるきらいがある。「話す時に相手の目を見ることができない」と訴える視線恐怖の人は、全く相手を見ないわけではない。「目を合わせて話なさければならない」ということにとらわれ過ぎているのだ。これがもし、相手の目をじっと見つめたままであったら、相手は不気味で逃げ出すだろう。無意識のうちに相手の目を見たり視線をそらしたりしている、いわば不即不離がむしろ自然なのである。

 森田正馬先生は、よく患者さんたちを連れて散歩に出かけられた。しかし先生は息切れがしてゆっくりしか歩けない。患者さんたちは先生を追い越しては失礼だと思ってピタリとその後についてくる。これはハタから見れば異様な光景である。森田先生がくっついてこないようにと注意すると、今度は10mほど間隔をあけてソロソロと歩いてくる。そこでまたお説教である。「悪智にとらわれていては犬にも劣る。犬は主人にくっついているだけでは退屈なので興味を引くものがあれば走っていくが、すぐにまた主人の所へ戻って来る。どうすればそのように不即不離になれるかというと、悪智(はからいや小細工)を捨てて自然に帰ればよい」、と話された。

 不即不離は何も神経質人間に限って大切ということではない。例えば家族関係でもあるのではないだろうか。親子関係でも、子供が小さいうちは何から何まで親がくっついて手出し口出ししなくてはならないが成長につれて距離が離れてくる。しかし、食事を一緒に食べることもなく自室にこもりきりというようにあまり離れすぎても家族としての一体感がなくなる。過干渉では困るが適度なかかわりは必要だろう。熟年期の夫婦関係も同じだろう。定年退職してすることのない夫がべったり妻につきまとって妻がノイローゼになってしまうということが話題にのぼる。かといって家庭内別居でもまずいだろう。夫婦であっても適度な距離があるものだ。

2009年3月27日 (金)

神経質礼賛 409.まるはん

 春のお彼岸に合わせて義母のお墓が完成したので家族でお参りに行った。義母は鰻が大好物で、年に3、4回は皆で食べに行ったものだ。昨年6月に体調を崩して膵臓癌と判明、11月には亡くなってしまい、最後の鰻を食べてもらうことはできなかった。

 今時珍しく田んぼにはさまれた鰻屋「まるはん」は木々に覆われている。木戸をあけると古民家が現れる。建物に入ってすぐの所に清水に洗われている鰻たちを見ることができる。調理場ではせっせとオヤジさんが鰻を焼き上げ、配膳と洗場を担当しているのはオヤジさんの親戚の女性一人だけである。6畳ほどの客室はどこもオヤジさんが撮った富士山の写真があるばかりで、テレビもエアコンもなく、窓をあければ自然の風が入ってくる。メニューはなく、予約客しかとらない。土曜日は定休で日曜日も隔週休み。昼だけの営業である。自称「へそ曲がり」のオヤジさんは、奥さんを亡くしてうつ病になったことがあるそうだが今では元気に仕事をされている。ここの鰻は絶品である。御飯も漬物も実にうまい。

 箸の包み紙にはオヤジさんからのメッセージが印刷されていて、1年くらいで内容が変わる。面白いので持ち帰っている。今回のものを紹介させていただこう。

らあーッくに生きたい人に!!

   人と比べず、背伸びせず

  がんばらないけど、あきらめず

  どんな事でも投げ出さず、逃げ出さず

      人の前では でしゃばらず、

   それでも 自説は押し通す。

 なかなかいいことが書いてある。神経質人間の場合で言うと、動き始めればコツコツがんばるし長続きするのが特長だが、スロースターターであり、始める前からああでもないこうでもないと考えたあげくにあきらめて逃げてしまうことがある。それとつい人と比べてしまい劣等感にさいなまれることがある。これは人より優れたいということからくるもので、決して悪いことでもない。劣等感を持ちながら、人並みになるように、さらに人より頭一つ前に出るようにと努力を続けていけばプラスに生きるのである。神経質はでしゃばって人から嫌われる心配はまずないだろう。

 「らあーッくに生きる」レベルに達するのは容易ではないかもしれないが、「苦楽共存」のつもりで行動していくうちに、楽とか苦とかを意識しないようになってくるものである。

2009年3月23日 (月)

神経質礼賛 408.和顔愛語(わげんあいご)

朝の通勤途中にあるお寺の掲示板には標語が書いてある。一週間で新しいものに変わることもあれば、1ヶ月くらいそのままのこともある。先週からの標語は「和顔愛語」という言葉だ。その後に「なごやかなお顔で 親切な言葉で」とある。

笑顔や優しい言葉は、物やお金がなくてもいつでもどこでもできる。ボランティア活動をされている方は実感しておられると思うが、人のために何かした時に見せてもらう笑顔や心からの「ありがとう」の一言で、自分も癒され幸せを分けてもらった気持ちになるものだ。笑顔と優しい言葉は自分も人も幸せにしてくれる。

神経質人間には特有の硬さがある。面白くない時は、つい、それが顔に出やすく、気がつくと仏頂面になっていることがある。これは私自身、気をつけなければと思っていることである。「顔で笑って心で泣いて」がなかなかできない。自分が不遇なのは周りのせいだ、と不満をかこちやすい。森田療法を受けている患者さんの中には、「自分を偽って笑顔を作るのはおかしい」という人がよくいる。しかし、周囲を変えることは簡単にはできない。自分の行動を変えるしかないのだ。行動を変えると、気分も後からついてくるものである。嫌だなあ、苦手だなあ、と思う人と話す時に笑顔で話してみると、気持ちにゆとりが出てきてラクになることもある。特に対人恐怖、赤面恐怖の人は、緊張しながら、あがりながらも、笑顔を心がけてみるとよい。

自己中心的な人と話をしていると、つい語気を荒げてしまうことがある。1年ほど前、他の病院で外来担当医とトラブルを起こして紹介されてきた外来患者さんがいる。紹介というと聞こえがいいが、実態は厄介払いである。彼は就職しても怒りっぽいため、すぐにクビになるが、自分が悪いとは思わずすべて周囲のせいにしている。両親にも当り散らす。初診時、こちらの話を聞かずに一方的にまくしたて続けるので、彼の怒りのツボを刺激する言葉を発してしまった。本人の話を傾聴するのが精神科の基本なのだが、私は時々掟破りをしてしまう。その後は、爆発が起きない範囲内で叱るべきことは叱り、いいところは褒め、どうにかバランスを保っている。定年退職した彼の父親が農業を始め、彼も手伝うようになって、規則正しい生活が送れるようになってきた。「偉いじゃない」と褒めると、硬い表情が和らいで笑みが漏れる。こういう人に対しては「愛語」のアメはそう安売りはできない。

神経症を乗り越えた人では、和顔愛語が自然と身についてくるものである。岡本常男さん(37,268,269話参照)は、胃腸神経症を森田療法で克服した後、「近寄りがたく怖い存在だったのが、親しみやすく話しやすくて明るくなられた」と周囲から驚かれた、と講演で述べておられる。私はまだまだである。

2009年3月20日 (金)

神経質礼賛 407.「うつ偽装 簡単」

 平成21年3月18日付の読売新聞に、「うつ偽装 簡単」という大きな見出しで、札幌市内の詐欺グループ5人が逮捕されたという記事があった。うつ病の体験記を読んでうつ病を装って精神科クリニックを受診すると、15分ほどの診察で簡単に薬が出た。2回目の受診で「会社を休んでいるから」と傷病手当金の意見書を医師に書いてもらった。この詐欺グループの会社の架空支店に勤務しているという名目で社会保険事務局から傷病手当金を騙し取ったということである。大きな病院だと怪しまれるので、小さなクリニックを狙って「受診」したとのことだ。犯人たちは口をそろえて、いとも簡単に騙せた、と言っているそうだ。

 病気で休業中の人の生活を守り安心して療養に専念できるようにする制度を悪用した卑劣な犯罪である。それにしても、医療機関側で見破ることはできなかったのだろうか。確かに本人がうつ病のふりをふれば、ウソを見破るのは容易ではない。以前にもうつ病のふりをする「患者」についての報道があった(353話)。しかし、本物のうつ病は初診時に家族や上司に連れられて来ることが多いし、もし一人で受診したとしても自殺予防や本人への対応法を説明する必要から、「次は御家族と一緒に来てください」というのが普通である。初診時には生活歴を聴取する際、これまでどういう仕事に就いてきたか、現在の仕事内容や残業・休日出勤状況や上司・同僚との人間関係などは必ず聞くし、簡単な心理検査も行うので、どこかでボロが出るだろう。また、2回目の受診で傷病手当金の意見書を要求されることは普通ありえない。欠勤を有給休暇で処理しきれなくなって1ヶ月以上してから意見書を書くからである。「気分が落ち込んで夜も眠れない」というような訴えを聞いただけで「うつ病」の診断をつけて安易に抗うつ薬などを処方し、診断書や意見書を乱発する風潮がありはしないだろうか。

 ただでさえ精神科外来には、いくつもの医療機関をかけもち受診しては睡眠薬や抗不安薬を乱用する人、密売用の薬の入手目的で受診する人、病気でもないのに休業の診断書欲しさに受診する人などがやって来る。時には演技で涙を出さずに泣く人もいる。ウソを見破ることにも神経質を活用しなくてはならないのは悲しいことである。

2009年3月16日 (月)

神経質礼賛 406.ロコモ

 病院に送られてくるメディカル朝日という雑誌をパラパラ見ていたら「ロコモ」という言葉が目に留まった。初めて目にする言葉である。蒸気機関車(ロコモーション)と関係があるのだろうか、まさか料理のロコモコ丼と関係があるわけないだろう、などと思いながら記事に目を通した。

 ロコモは運動器症候群すなわちロコモーティブシンドロームの略で、運動器(筋肉や骨)の障害のために要介護となるリスクが高い状態になることをいう。高齢者に多い骨粗鬆症、変形性関節症や慢性関節リウマチなどの疾患ばかりでなく、加齢による筋力低下・持久力低下・バランス能力低下といったことも要因になる。

 日本臨床整形外科学会のホームページには「ロコチェック」ということが書いてあった。

1)片脚立ちで靴下がはけない

2)家の中でつまづいたり滑ったりする

3)階段を上がるのに手すりがひつようである

4)横断歩道を青信号で渡りきれない

5)15分くらい続けて歩けない

の5項目のうちひとつでも当てはまればロコモが疑われるので専門医の診察を受けましょう、ということである。

 メタボ健診同様にロコモ健診を勧めようという意図も見え隠れしないでもないが、今まで盲点となっていた問題を提起したことはとてもよいことだと思う。精神科病院に入院している中高年の人たちも昼間からゴロゴロ寝て過ごしていると、この「ロコモ」状態となるのが早くなってしまう。週1回、病院の中庭での運動の日がある。神経質な私は外来診察の合間に窓越しに様子を見ているが、出ていない人に気付くと、病室へ行って声をかけて出るように勧めている。

 超高齢化社会となり、医療費の増大がよく問題になる。本当に大切なのは、病気になって医療機関にかかることよりも、生活スタイルに気をつけて、生活習慣病を予防し、少しでも若い時の機能を維持していくことだと思う。

2009年3月13日 (金)

神経質礼賛 405.老眼鏡

 45歳頃から老眼を自覚するようになった。外来患者さんから「この薬を飲んでいるのですが」と錠剤を出されて、シートがない裸錠だと薬本体に印刷された小さな製剤コードを見なければならない。老眼にはキビシイ。神経質人間ゆえ白衣のポケットに常時ルーペを忍ばせている。50歳を超えてからは小さい活字を読むのが困難で、書類を書くのにも苦労するようになった。一番困るのが縫合処置をする時である。年に一度くらいは、入院患者さんが転倒して頭を切るようなことがある。たまたま外科のパートの先生がおられる時ならばお願いしてしまう。そうでないと自分でやらなくてはならないが、どうにも眼のピントが合わなくて往生する。

 100円ショップで売っている老眼鏡でも普通の人ならば結構使えるのだが、私は丸顔で顔の幅が広いため、規格品ではムリがある。そこでメガネ屋で遠近両用メガネを作った。最近のメガネのフレームはファッション性重視のためか、細い(レンズ上下の幅が狭い)物が多く、遠近両用には不向きである。作ったのは「全視界メガネ」と宣伝されているもので、鼻パッドが上下に移動する仕掛けになっている。パッドはマグネットで固定され、近くを見る時はメガネを上に持ち上げれば見やすくなる。・・・はずなのだが、使い勝手はイマイチだった。無意識にメガネのズレを直すために触った時に、気がつかないうちに片方のパッドだけが動いてしまい、左右びっこになっていることがある。後で気がついて恥ずかしい思いをすることもある。神経質らしく時々メガネをはずしては「確認行為」をすることになる。もっぱら外来診察専用で、それ以外は医局の机の上に置きっぱなしである。次に作る時は老眼専用にして、首にぶら下げておこうかとも思う。

 歳とともに、白髪・シワが増えるばかりでなく、老眼になるし、少しずつ白内障にもなってくる。禅僧・仙厓の描いた「老人六歌仙画賛」(238話)には絵とともに古人の歌として「しわがよるほ黒が出ける腰曲る 頭まがはげるひげ白くなる・・・」(原文のまま)という身体的変化と、「心は曲る欲深ふなる くどくなる気短になる・・・」といった性格的変化が書かれている。身体的変化はやむを得ないが、調節力・柔軟性に欠ける「こころの老眼」には気をつけたいものである。

2009年3月 9日 (月)

神経質礼賛 404.レーシック手術

 先日、銀座のクリニックで視力矯正のためのレーシック手術を受けた人たちに感染性角膜炎や結膜炎の症状が出たことが報道されていた。まだ入院中の人もいて、最悪の場合は角膜移植が必要になる可能性もあるという。原因は手術器具の滅菌が不完全だったということで、一部報道では医師が滅菌手袋を使わずに素手で手術していたとのことである。こうなると、医療過誤というより、人災に近い。安全な手術だと高をくくって、神経質が足りなかったと言わざるを得ない。

 レーシック手術はレーザーを用いた近視・乱視の矯正手術である。スポーツ選手がこの手術を受けているということで人気が高まった。角膜の表面を薄くはがしておいてレーザーを当てて角膜を薄くすることでレンズの屈折率を適正にするもので、その後ではがした部分(フラップ)を元に戻す。今回の問題は角膜をはがす器具の滅菌が不十分で集団感染が起こったものと考えられている。

 以前から医師のサイトではレーシック手術の是非が話題になっている。短時間の日帰り手術で眼鏡やコンタクトが不要になるメリットは大変大きい。しかし、問題点もある。フラップを作ることで角膜中心部の神経が切断されるためにドライアイになることがある。手術を受けたことで角膜の機械的強度が低下して、外傷時に眼球破裂を起こすリスクが高まるという点も指摘されている。また、角膜を削りすぎてしまった場合、もはや補正は困難である。そして何といっても、長期予後がまだ不明であり、10年先、20年先になって、問題が起らないという保証はない。そうしたデメリットを考えると慎重な神経質人間はすぐには飛びつかないと思う。

2009年3月 6日 (金)

神経質礼賛 403.強迫的な作曲家たち(3)ストラヴィンスキー

 最後はイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)である。ロシア生まれで父親はオペラ歌手だった。大学で法律を学んでいたが、リムスキー=コルサコフに作曲法を学び、作曲家への道を歩むことになる。20代後半でバレエ音楽「火の鳥」と「ペトルーシュカ」で成功を収める。30代になってバレエ音楽「春の祭典」がパリで初演された。この時には大作曲家たちも来場していたが、サン=サーンスはすぐに席を立って出て行ったという。聴衆からはヤジと怒号が飛び交い、場内で賛成派と反対派の激しい喧嘩が始まったそうである。この曲に関する賛否両論が巻き起こり世界的に注目されるようになった。確かに強烈なインパクトのある曲である。なお、終曲の変拍子は指揮者泣かせの難物で、ストラヴィンスキー自身うまく振れなかったというし、後に大指揮者が演奏中に曲を見失ったり中断したりするアクシデントに見舞われている。第一次世界大戦でスイスに移住するが、1917年のロシア革命でロシアにあった土地などの財産を失った。その後はしだいに古典回帰の曲を作るようになる。第二次世界大戦前には娘と妻を亡くし、ナチスの圧迫のためにアメリカに渡り、ハリウッドに住んだ。1959年に来日した際には日本人作曲家・武満徹の作品を聞いて絶賛し、それまで無名だった武満徹が評価されることとなった。晩年はニューヨークに住み、長寿を全うしている。

 ストラヴィンスキーも一旦発表した曲を何度も改訂したことで知られている。「リハーサル中でも書き直す」と言われた。アメリカに渡って過去の版による著作料が入ってこないため改訂版を出した、と言われているが、完全欲が強く強迫的であることも大きな原因だったのではないだろうか。作風は初期の原始主義から古典派回帰、十二音技法と次々と変化し「カメレオン」とまで評され、作風の変貌ぶりという点では美術界で同世代のピカソ(1881-1973)と比較される。これもあくなき探究心によるものだと思う。

2009年3月 4日 (水)

神経質礼賛 402.強迫的な作曲家たち(2)マーラー

 次はグスタフ・マーラー(1860-1911)である。マーラー現在のチェコ、当時のオーストリアで生まれた。酒造業をしていた父親は地元のユダヤ社会では有力者だった。14人兄弟の二番目だが、多くは早死した。弟の一人は成人後にピストル自殺している。15歳からウイーンの音楽院で学び、前話のブルックナーから対位法(和声法とならぶ作曲技法)を学んだ。その後は指揮者として活動しながら歌曲と交響曲を中心に作曲していった。交響曲はブルックナー以上に長大であり、1曲でCD2枚組というものもある。

 マーラーの曲には死や夜にまつわるイメージがつきまとう。交響曲第5番はいきなり葬送行進曲で始まるし、第6番には「悲劇的」、第7番には「夜の歌」という題名がついている。当時ヨーロッパに蔓延した世紀末の厭世観の影響もあったかも知れないが、弟たちを早くに亡くしていることが大きな要因だったのだろう。彼は、不吉だからという妻の反対を押し切って「亡き子をしのぶ歌」を発表したところ、長女が病死するという悲劇にも見舞われている。そんな彼は「第九のジンクス」に悩んだ。ベートーヴェンもシューベルトもドヴォルザークも交響曲第9番を書いて亡くなっている(シューベルトの「グレイト」はかつて第9番とされていた)。「交響曲第9番を作ると自分も死んでしまうのではなか」と恐れていた。一種の縁起恐怖である。そこで本来、第9番となる曲に「大地の歌」と名付けて9番を回避した。その後安心して第9番を発表したのだが、第10番は未完のまま亡くなったため、結果的には第9番が最後となって、ジンクスは破れなかった。

 マーラーには他の悩みもあった。19歳も年下の美しい妻アルマには魅力的な男性たちからの求愛があって不安である。妻がいることを夜中に何度も確認する強迫症状や、作曲中の集中困難が悪化し、ついには精神分析で有名なフロイトの診察も受けている。フロイトは症状の原因を幼児期の体験に求め、それをマーラー自身が洞察することで症状は改善したようである。

マーラーの曲は不安に悩む現代人の心に強く響く。まさに神経質の音楽である。いろいろな葛藤があっても、第2番「復活」、第4番「大いなる喜びへの賛歌」となってほしいものである。

2009年3月 2日 (月)

神経質礼賛 401.強迫的な作曲家たち(1)ブルックナー

 強迫神経症だったと言われる作曲家ショスタコーヴィチについては以前書いた(138話)。今回はシリーズで、やはり強迫神経症だったと言われる大作曲家を取り上げてみる。まずは、アントン・ブルックナー(1824-1896)である。

 ブルックナーはオーストリアの作曲家で、もとはオルガン奏者である。作曲家としては極めて晩成型であり、30歳を過ぎてから作曲を学び、交響曲を作り始めたのは40歳に近くなってからである。代表作の交響曲第7番を世に出して人気を得たのは60歳頃である。ブルックナーの交響曲はヨーロッパ特にドイツ・オーストリアでは極めて人気が高い。初期の交響曲ヘ短調、交響曲第0番から未完成の第9番まで計11曲を作曲している。日本ではそれほど知名度は高くないが熱烈なブルックナー好きはいるし、朝比奈隆(1908-2001)さんの指揮による大阪フィルの演奏は海外でも高く評価された。

 ブルックナーの交響曲には際立った特徴がある。弦楽器のトレモロで始まる曲が多く、曲想が変わるところで管弦楽全体を一旦休止させることがしばしばある。また、ブルックナー・リズムと言って2+3あるいは3+2の音型がよく登場する。同じ旋律の繰り返しも多い。そして演奏時間が長い大曲が多い。1曲聴けば、満腹でご馳走様と言いたくなる。演奏会では交響曲1曲で終わり、というプログラムにもなりやすい。そして「版問題」がある。ブルックナーは一度発表した曲にもこだわりが強く、自分で何度も改訂版を出している。さらに弟子たちが校訂した版があるのに加えて、国際ブルックナー協会が原典版を2回出した(ハース版とノヴァーク版)ため、ややこしくなっている。作風といい改訂を繰り返したあたりはまさに完全欲が強い強迫の特徴がよく表れていると思う。

 ブルックナーは厳格なカトリック信者で、流行遅れの服装に身を包み、純朴な性格だったと言われている。女性には縁がなく、生涯独身だった。晩学ながら作曲家として大成できたのは神経質の粘り強さのおかげだったのではないだろうか。

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