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2009年4月27日 (月)

神経質礼賛 420.森田マサタケかショウマか

 第25回森田療法学会(200711)の一般演題で、神奈川歯大・澤野啓一先生が森田正馬先生の名前の読み方の問題を取り上げていた。森田先生が発表した論文に「Shoma」というローマ字表記があることを示し、「マサタケ」でなく「ショウマ」が正しい、ということを述べておられた。

 また、実際に森田先生の治療を受け「森田療法の生き証人」と言われる井上常七さんも「マサタケなんて聞いたことがない。完全な誤りです。皆さんはショウマと言ってください」と述べておられる(生活の発見20094月号p.57)。

 私の師匠である大原健士郎教授は「本名は「マサタケ」なのだから、精神科医たる君たちはそう呼ぶべきだ」と研修医たちを指導されていたので、大原門下生は全員「マサタケ」と呼んでいる。正式な読みが「マサタケ」であることは間違いない。これは森田先生御自身が患者さんたちの前で言っていることである。

「私の名は、本当はショウマでなく、マサタケと読みます。馬の一字名もあるが、その時はタケシと読みます。土佐には馬のつく名前が多いが、普通にはマといいます(白揚社:森田正馬全集第5巻p.673)」

 この中で「本当は」という発言は、当時、誰もが「ショウマ」と呼んでいたことを意味する。患者さんたちの前で、本当はマサタケだ、と言っても、患者さんたちは「ショウマ先生」と呼び続けただろう。日本人男性の伝統的な4音節の名前は言いにくい。歌人で小倉百人一首の撰者である藤原定家も正式な「サダイエ」よりも「テイカ」と呼ばれることが多い。Ma-sa-ta-keよりSho-maの方が断然言いやすい。「ショウマ先生」という呼び方が定着してしまうと御本人もその方がよかったのだろう。学術論文も今ほどうるさくない時代だから、通称の「Shoma」とローマ字表記したのではないかと思う。

 森田先生の弟子・鈴木知準先生も本名の「トモノリ」先生と呼ぶ人はまずいない。当然、「チジュン」先生である。本名「トモノリ」で通称「チジュン」先生なのである。「トモノリ」は間違いだとか「チジュン」と呼ぶのはおかしい、などと議論する人はいない。

 「マサタケ」と「ショウマ」とどちらが正しいか白黒つけよ、というのはいかにも神経質らしい議論であるが、正式な読みが「マサタケ」で通称「ショウマ」というだけのことであって、どちらも正しい。学術上は「マサタケ」で、通常は「ショウマ」と呼んでいればよいのではないだろうか。そんなことを議論するよりも、森田療法の普及・発展に力を入れた方がよい。

2009年4月24日 (金)

神経質礼賛 419.学校を休ませて家族旅行

 子供が小学生の頃、「友達がハワイに行ったお土産を学校で配っていた」と言ってチョコレートを持ってきたことがあった。地方都市の市立小学校なのだが、学校を休ませて家族で海外旅行に行く家庭があって唖然としたものだ。休みじゃないから安く行けるし混んでないから、というのが理由らしい。

 ところが、最近のアンケート調査では、学校を休ませて旅行に行くことの是非を問うと、賛成・反対がそれぞれ半々だということだ。学校の教師までも「大きな学習になる」と賛成意見を出している、というのは寛容すぎるのではないかと思う。教師としての自負も、よりよい授業を行おうという向上心もないのだろうか。こんな調子では、権利ばかり主張して義務を果たさないモンスターペアレントに付け込まれるばかりである。

 スポーツの試合や音楽のコンクールなどに出場するために学校を休んで海外に行くとか、親のノーベル賞授賞式に同行するとまではいかなくても海外での学術集会に同行するのならば「大きな学習になる」と言えるだろうが、ただの観光旅行ならば何も学校の休み期間中に行けばよいことである。義務教育である小中学校を休ませて家族旅行に行くのはおかしい。けじめは必要だと私は思う。

 状況は異なるが、神経症に対する再教育ともいえる森田療法をしていても、何のために入院しているのかと首をかしげるような人がいる。毎週、気晴らしのために外泊して家でだらけた生活をしている人。外出で観光地巡り・温泉巡りばかりしている人。これでは入院が単なる現実逃避の場に過ぎず、いつまでたっても良くならない。グチをこぼしながらも保護された環境で居心地がいいせいか1年でも2年でも入院し続けることになる。私が主治医ならば喝を入れるところだが、他の先生の患者ではそうはいかないのがもどかしい。

2009年4月20日 (月)

神経質礼賛 418.はちきん

 先週の土曜日の朝、出勤前にNHKラジオ「著者に聞きたい本のツボ」という番組を聞いていたら、「毎日かあさん」でおなじみの漫画家・西原(さいばら)理恵子さんがゲストだった。といっても漫画ではなく、最近出した「この世でいちばん大事な「カネ」の話」(理論社)という本についてだった。「金がないのは首がないのと同じ」という副題が付いている。

 インタビューで西原さんは息もつかずに一気に話していた。西原さんは高知県の貧しい漁村で生まれた苦労人である。子供の頃、手にするお金は魚のニオイがしていた。漫画家として世に出るまでの間、キャバレーでも働いたそうである。漫画家として認められてからも夫のアルコール依存症で苦労した。一旦は離婚して夫が「底をつく」体験から立ち直ってまた同居するようになったが病気で亡くなっている。西原さんからの熱いメッセージで印象に残ったのは、「人が人であることをやめないために人は働いている」「八百屋のおばあさんと同じで体が悪かろうが何だろうが、とにかく「お店」を閉めちゃダメ!」である。これは、ニートの若者ばかりでなく、神経症であることを言い訳に学校や仕事を休むような人に対する強烈なゲンコツになりそうだ。西原さんの著書の題名は一見、「守銭奴のススメ」とも取られかねないが、インタビューを聞いた限りでは、生の欲望に沿って、人間らしくしっかり働いて稼いでいきなさいよ、ということなのだと思う。

 土佐人で気骨のある男性を「いごっそう」、女性を「はちきん」という。「はちきん」は4人の男性(キン○○8個)を手玉に取るからだという俗説もあるが、そもそもは男性にも使われた言葉だそうだ。西原さんはパワフルで一途に突っ走る「はちきん」そのものである。

私の恩師・大原健士郎先生も土佐のご出身なので、森田療法の講演の際には「いごっそう」と「はちきん」の話をよくされる。土佐出身の森田正馬先生は「いごっそう」で奥さんの久亥(ひさい)さんは「はちきん」だった。「いごっそう」と「はちきん」では両方ともパワーがあるし強情でもあるから、夫婦喧嘩は派手で、離婚寸前までいったこともあるようだ。

 森田療法は家庭的療法であり、久亥の助力は大きかった、と森田先生は書かれている。久亥さんは日常生活の中での患者さんの指導で大きな役割を果たしたばかりでなく、できの悪いお弟子さんたちをかわいがり、その人たちもやがては大学教授や病院長として出世していった。

 久亥さんは、森田家が経済的に豊かになってからも刺身や肉は口にせず、先生にはおいしいものを食べさせても自分自身は節約をしていたという。そして、「貧乏だった頃が懐かしい。何でも買えるようになると不幸だ」というのが口癖だったそうだ。若くて貧乏な時には、あんな物を買いたい・こんな物を買いたい、と夢を抱いていたのが手に入ってしまうと、輝いていた夢が色褪せてしまうのであって、ある意味幸せな不満でもある。久亥さんの人生は森田先生の言葉「己の性(しょう)を尽くし、人の性を尽くし、物の性を尽くす」を体現したものだったと言えよう。

 現代では男性の元気がなくなり、「はちきん」タイプの女性が増えているのではないだろうか。NHKの朝ドラのヒロインたちも元気一杯の「はちきん」タイプが多いようだ。私のようなショボくれた中高年男ではパワーの点でとてもかなわないが、せめて西原さんの言われるように、「お店」を閉めずに、細く長く働き続けたいものだ。

2009年4月17日 (金)

神経質礼賛 417.犬も歩けば棒に当たる

 いろはかるたには庶民の知恵と処世術が盛り込まれているが、現代では意味がわかりにくいものもある。トップバッターの「犬も歩けば棒に当たる」は誰もが知っているが、意味を問われると首をひねる人も多いのではないかと思う。

 本来の意味は、犬がふらふら出歩くと棒で叩かれるようなひどい目にあうこともある、ということで余計なことはしない方がよい、という戒めだったらしい。藪をつついて蛇を出す、の「ヤブヘビ」に近い意味である。

 ところが、現代では、行動しなければ悪いことは起らなくても良いことも起きないので、積極的に行動すべきだ、という逆の意味で使われているようだ。

 神経質人間は先の心配ばかりしているので、「棒に当たる」ことは少ない。その反面、考え過ぎて行動するまで時間がかかり過ぎる、あるいは考えたあげく行動しないため、大失敗は少ない代わりに、仕事でも恋愛でも絶好のチャンスを逃すことがありがちである。われわれ神経質人間は、どうやら現代的な意味で「犬棒」を解釈した方が有用かもしれない。

 犬棒はまだしも、「人も歩けばクレーンに当たる」が今週の火曜日に東京都心で起きた事故である。工事現場で作業中の大型クレーンが突然倒れて、歩道を歩いていた人が重傷を負った。持ち上げる物体に十分に近づかないで持ち上げようとしてバランスを崩したのが原因とのことである。例によって「神経質が足りない!」ために起った事故である。

大型クレーンが倒れてくるとは歩いている人には全く予測できないことである。かといって、出歩かないわけにはいかない。自衛のために工事現場の横を通るのはなるべく避けるといった神経質もある程度は必要であろう。

2009年4月13日 (月)

神経質礼賛 416.フリースペースの若者たち

 平成21年3月31日-4月4日の間、毎日新聞に「孤独の岸辺 第2部 つながりを求めて」という連載記事があった。親たちが作ったフリースペースに参加してくるひきこもりの若者たちの取材記事だ。5回の記事で紹介されたケースを要約してみよう。

36歳男性。人との会話で激しい動悸がして大学を中退した。年金暮らしの親元でアルバイトとひきこもりを繰り返した。ここ1年は契約社員として勤務。職場では人と交われない。辞めようとしたら女性上司から「辞めてどうするの?」と問われ、まだ決まってないと言うと、「じゃあ、次が決まるまでここにいてもいいんじゃない」と言われて仕事を続けている。

28歳男性。高校を2回中退し通信制高校卒業。アルバイトや日雇い派遣の仕事を転々。父親は家出し、母親との心の交流が乏しい。フリースペースを渡り歩くが「居場所がない」と感じて漂流する。

36歳男性。神経質、完璧主義。会社での仕事は丁寧でミスもなく周囲の期待を受けるが、過敏性腸症候群、パニック障害が悪化し、退職。失業保険をもらいながらひきこもる。

(1)33歳男性。人前で頭が真っ白になり、工場勤務を3カ月で退職してからはずっとひきこもる。ひきこもりの権威といわれる精神科医に10年かかるが改善しない。一度デイケアで女性メンバーと恋をしてすぐに破局。それでも自分を肯定し、相手を思いやる気持ちが芽生えた。「結局、人とつながるしかないんです」という。

(2)33歳男性。高3の時に肺の病気で休み、以来ひきこもり、自殺未遂で入院。現在は一人暮らし。仕事を通じて人とつながりたいと思って面接を受けたが不採用。「ひきこもりは多分、薬じゃ治らないと思います」という。

39歳男性。専門学校卒業後、進路が決まらず、父親に罵倒されて、以来ひきこもる。外出せず、床にまで届きそうな長く伸びた髪は頭上で束ねていた。父親がひきこもり親の勉強会に出て、少しずつ息子を支えるようになって、やっとフリースペースに参加するようになった。床屋に行き、髪も切った。

 ①の人は対人恐怖がベースにある。今風に言えば社交不安障害である。もし上司が「あ、そう。辞めるのね」と言っていたら、またひきこもっていただろう。ミスばかりしているが、上司が心にかけてくれたんだ、という思いが彼を引っ張ってくれたのだろう。自信がないままにどうにか働き続ければそれが実績となる。②の人はまだまだこれからという感じだ。漂流していく中でどこか居場所と思えるような場に漂着できればそこを足がかりに変わっていけるのかもしれない。しかし、フリースペースも保護された場とはいえ、ストレスはある。まあ、こんなものだと割り切って、一つのところに通い続けてみることである。③の人は強迫傾向を持った神経症といえる。完璧にやろうとして自分を追い込み過ぎるパターンに気付いてそこから抜け出せばよくなっていく可能性が高い。④(1)の人も①と同様、対人恐怖がある。「人とつながるしかない」と気付いているので、時間はかかるがいつかは働けるようになると思う。④(2)の人は気分障害が併存している可能性があるが、本人の言葉の通りで、薬だけで治るものではなく、社会の中で治していく部分が大きいだろう。⑤では父親が叱責するばかりの対応から、本人を支えて少しでも前に進ませようという対応に変わってから、本人に変化が出始めたばかりだ。

 どの人も「何とかしなくては」と思っているし、何人かは「つらくても人と関わっていくしかない」とわかってきている。弱いながらも「生の欲望」がある。フリースペースの中で安心できる人間関係を作りながら、また社会に向かってチャレンジしていけば、一筋縄にはいかなくてもいつかは自立できる日が来るのではないかと思う。記事のケースのうち少なくとも半分は神経症である。つらいけれども最低限できることをやって積み上げていく、完璧は求めず不完全なままでよいのだ、というアプローチで行動していけばひきこもりから脱却しやすくなるのでは、と思う。森田療法の考え方が役立つ部分も少なくないだろう。

2009年4月10日 (金)

神経質礼賛 415.イチロー選手と胃潰瘍

 先日のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本のイチロー選手はなかなか調子が上がらず、ようやく決勝戦での活躍で日本に勝利をもたらした。その後も体調不良で出血性の胃潰瘍だったことが判明し、治療のため大リーグ開幕戦からの出場ができなくなってしまった。WBCでの強いストレスが原因だったのではないかと言われている。

 胃の中では消化のために塩酸が作られているが、強い酸の中で胃壁の細胞は巧妙な仕組みで自分を守っている。攻撃因子と防御因子のバランスが崩れるとその仕組みが崩れて胃潰瘍になってしまうと考えられている。バランスを崩す原因としては非ステロイド抗炎症薬(解熱鎮痛剤)、ストレス、喫煙、コーヒー、アルコールなどがある。近年ではピロリ菌感染も大きな要因と考えられている。有名な「ガスター」に代表されるH2ブロッカー、さらには強力な胃酸抑制作用を持つプロトンポンプ阻害剤(PPI)が登場してからは、胃切除手術が行われることは極めて少なくなった。ピロリ菌を除菌する治療法も効果をあげている。

 まじめで几帳面な性格の人は胃潰瘍・十二指腸潰瘍になりやすい、ということが言われている。ストレスをまともに受けて胃の調子を悪くしやすいということで、神経質な人はハイリスクかも知れない。しかし、神経質だと早めに医療機関を受診したりタバコや酒を控えたりするので大事に至らないという面もある。イチロー選手の普段の「仕事ぶり」を見ていると明らかに神経質人間だと思う。ホームランか三振かという豪快なバッターではなく、相手のスキをつく神経質なバッターである。毎日一食は奥さんの作ったカレーライスを食べないと気が済まないのも一種のこだわりだろう。今回のWBCではやや尊大とも受け取られる発言があったが、これは自分を奮い立たせるためのパフォーマンスだったと私は思う。国の名誉をかけた戦いで一身に期待を集めていただけに、イチロー選手にかかったプレッシャーは尋常ではなかったろう。例年、シーズン中盤から調子を上げていく人だけに3月の試合は時期的にキビシイ面もあった。なかなかヒットが出ず、マスコミから叩かれた。胃潰瘍になってもおかしくない。

 このところのニュースによれば、イチロー選手は体調を回復し、トレーニング中とのことで、今シーズンも活躍が期待できそうだ。同じマリナーズで活躍している城島選手の神経質ぶりは以前に書いた(106話)。また、ヤンキース松井(秀)選手の神経質についても書いた(2話)ことがある。アメリカ社会で適応するには、一見、無神経で外向的で自己主張が強い方が良さそうに思えるが、大リーグで長く活躍している日本人選手を見ると意外にも神経質である。最後に勝つのは神経質人間である。

2009年4月 8日 (水)

神経質礼賛 414.紫式部は神経質

 源氏物語の作者として紫式部の名は誰もが知っているが、実は本名も生没年もわかっていない。当時の女性で名前が伝わっているのはよほど上流貴族の娘だけである。父親の藤原為時が式部省に勤めていた時期があったことと「紫の物語」(源氏物語)の作者ということで付けられたあだ名である。幼少時より漢詩を読みこなし、「この子が男の子だったらなあ」と父親を嘆かせた。父親は花山天皇の教育係で式部省に勤めていたが、花山天皇が藤原兼家(道長の父)の陰謀で出家すると仕事を失った。しかし「芸は身を助ける」で漢詩が一条天皇の目に留まり、越前守に就任した。紫式部が結婚したのは20歳くらいで当時としては晩婚である。相手はもう40代後半の藤原宣孝だった。宣孝はプレイボーイとして有名で何人かの妻があった。翌年、娘・賢子が産まれたがまもなく夫とは死別する。その後、藤原道長の長女で一条天皇の中宮となった彰子に仕えた。源氏物語は宮中でも評判となり、一条天皇も愛読した。

 紫式部は華やかではあるが足の引っ張り合いのような宮中での生活は好きではなかったのだろうと思う。人前では漢字は読めないふりをしていたと言われる。一条天皇が「源氏物語の作者はよほど日本書紀を読んでいる人に違いない」と言われてから「日本紀の御局」とあだ名されてしまい、苦痛に感じていたようだ。石山寺にこもって物語を書いたという伝えも理解できる。とにかく謙譲の人で、宮中で八重桜を中宮に奉じるという「おいしい」役を後輩の伊勢大輔に譲り、それで百人一首「いにしえの奈良の都の八重桜」の歌が生まれたというエピソードがある。

紫式部は清少納言(これも本名ではなく清原元輔の娘)とよく比較される。明朗活発・負けず嫌いで思ったことをズバズバ言う清少納言と思慮深く一歩引いたような紫式部とでは性格は正反対である。小倉百人一首に撰ばれている、機知に富んだ「夜をこめて」(清少納言)の歌としっとりとした情感のただよう「めぐり逢いて」(紫式部)の歌は二人の違いを際立たせている。日記の中で清少納言を手厳しく批評しているあたりを見ると、紫式部はやはり神経質人間なのだと思う。神経質は自分に厳しく人にも厳しい。これがメランコリー親和型(うつ病になりやすい性格)だと自分に厳しく人に甘い。ヒステリー性格や自己愛性人格だと自分に甘く人に厳しい、というのが四分休符流性格学(?)である。自分に甘く人にも甘かったら?・・・それは能天気でしょう。とにかく、コツコツと長い時間をかけて大きなものを作り上げていくのは神経質人間が得意とするところである。

2009年4月 6日 (月)

神経質礼賛 413.藤原道長のパニック障害

 平安時代、栄華を極めたのが藤原道長(966-1028)である。道長の父・兼家は三男だったが兄たちが亡くなって摂政・太政大臣まで昇りつめた。道長も兼家の五男であったが、兄の関白道隆と道兼が立て続けに亡くなるという強運に恵まれて頂点に立つことができた人である。道綱(母親は蜻蛉日記の作者で百人一首にも入っている才女)という異母兄もいたが、凡庸で出世欲に乏しい人だったらしく、道長から見れば自分の地位を脅かす心配がない存在だったようで、仲が良かった。道長は、長兄・道隆の娘・定子がすでに一条天皇の后となっているところに自分の娘・彰子を女御として入内させた。定子に仕えていたのが清少納言、彰子に仕えていたのが紫式部ということでこの辺の事情は御存知の方も多いだろう。定子には第一皇子が生まれていたが、道隆は亡くなっており、その嫡男・伊周も失脚していたため、彰子に生まれた第二皇子が皇太子となった。道長は自分の娘たちを次々と天皇の妻にして、生まれた子供をまた天皇に立てて、権力を確実なものとした。

 平安貴族の食生活は健康的とは言えない。特に高位高官は、運動不足であり、白米を食べ、酒も飲んだから、脚気(ビタミンB1不足)や飲水病すなわち糖尿病になりやすかった。道長の長兄・道隆は糖尿病で、道長もやはり50歳頃から糖尿病の症状が目立ってきている。53歳頃から急激にやせ、顔色が悪くなった。眼病(白内障か糖尿病性網膜症)のため、目の前の人もよく見えなくなった。さらに夜になると胸痛発作が起きるようになった。しかし、僧の読経で症状がおさまるところからすると、心臓の病気というよりは精神的なもの、つまりパニック障害だったと考えられている。

 「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思えば」と我が世を謳歌した道長も死の恐怖にさいなまれたのだ。最高権力者となって、子孫の繁栄も約束されており、何一つ不満なところはなかったはずだが、少しずつ健康が蝕まれていくことはどうにもできなかった。逆に何一つ不満がないために身体の変化にばかり注意が向くようになって、パニック発作を起こすようになったのだろう。森田正馬先生の言われた精神交互作用(注意集中→感覚の鋭化→意識の狭窄→注意集中→・・・という悪循環)が道長にも起きていたのだと想像する。

「教科書が教えない 歴史有名人の死の瞬間」(新人物往来社)の道長の項では、背中に腫れ物ができて、強い痛みに苦しんだとある。現代でも糖尿病の重症な人では末梢の血行障害のために感染症が悪化しやすく難治である。道長は自宅・土御門邸の横に建立した法成寺の阿弥陀如来の前で死の床についたという。

 道長の性格は外向的・負けず嫌い・自信家であったようだ。内向的・小心・取越苦労といった典型的な神経質とは異なるが、パニック障害になる人の病前性格ではありうることだ。偉い先生方には叱られるだろうが、私の個人的印象では、パニック障害になる人は、才気に富んだ美男・美女が多いような気がする。

2009年4月 3日 (金)

神経質礼賛 412.歴史を変えた神経症

整形外科医でもある篠田達明さんが書かれた「歴代天皇のカルテ」(新潮新書)という本を図書館で見つけたので読んでみた。

精神病レベルと考えられる天皇としては、精神遅滞説と統合失調症説のある冷泉天皇(第63代)、躁うつ病説のある花山天皇(第65代)などが挙げられているが、ここでは神経症と考えられる天皇について紹介する。

東大寺・奈良の大仏を建立した聖武天皇(第45代)は小学校の教科書で御存知のことと思う。聖武天皇は体が弱く、虚弱体質と心的葛藤をしずめようと5年間彷徨したことがあるという。情緒不安による神経症だったと考えられている。鑑真のもたらした薬の五石散(強精剤)、龍骨・龍歯(不老長寿薬)で治療を受けたそうである。聖武天皇には①藤原氏に対する政治的コンプレックス、②光明皇后の豊満な肉体に対するコンプレックス、③自分の虚弱体質に対する劣等感、という三つのコンプレックスがあったようだ。東大寺と大仏を建立したのはこれらのコンプレックス解消のためだったという見方もある。

 

「鳴くよ うぐいす 平安京」の語呂合わせで794年という平安遷都の年号を覚えた方も少なくないだろう。当時、桓武天皇(第50代)の皇后や母親が次々と病死し、藤原種継事件で疑いをかけられて死んだ早良親王の怨霊のせいだと噂が広がっていた。また、皇太子も病弱だったが、実は早良親王の怨霊を恐れ、長く「風病」(中枢神経の病気の総称)にかかっていて、実際には神経症だったと考えられる。桓武天皇自身、早良親王の怨霊をひどく恐れていた。桓武天皇の不安は平安遷都という行動に転化される。のちに即位した平城天皇(第51代)は即位3年で突然退位するが引退と静養で元気になっている。藤原氏を中心とした宮廷内の権力争いが大きなストレスになっていたのだろう。元気を取り戻した平城上皇がお気に入りの藤原薬子にそそのかされて薬子の乱へとつながっていく。

 聖武天皇がコンプレックスで悩まなければ、東大寺や奈良の大仏は作られなかったかもしれない。桓武天皇が怨霊を過度に恐れなかったら、平安京ひいては今の京都の町もできなかったかもしれない。神経症が歴史を変えていたと思うと、不思議なものである。

2009年4月 1日 (水)

神経質礼賛 411.二人に一人は「あがり症」!?

 今日から新年度。新しい環境の中で緊張した一日を過ごされた方もおられるだろう。スロースターターの神経質人間は環境の変化に慣れるまで時間がかかるものである。当分はまごまごしながら何とか毎日が過ごせていければよく、焦る必要はない。

 医師向けのMedical Tribuneという新聞326日号の特別企画として「社会不安障害におけるシグマ受容体の役割とフルボキサミンの可能性」という記事があった。フルボキサミンとは日本で最初に発売された新型抗うつ薬SSRIで商品名はデプロメールあるいはルボックスである。社会不安障害SAD(「社交不安障害」に名称変更)の適応もあり、製薬メーカーはこの分野での売り込みに力を入れている。最近ではシグマ1受容体に作用することで神経可塑性を改善し、脳内神経の再構築促進作用があるということがわかってきている。

 この記事の中で、2005年に一般市民を対象にしたインターネット調査で「人前で話をする、食事をする、字を書くなどのときに緊張しますか」との質問に46%が「緊張する」と答えており二人に一人があがり症だとしている。またアメリカの研究ではSADの生涯有病率は13%という数字も出ているとのことだ。そこで早くこの「病気」を発見してSSRIを飲ませて「治療」しよう、という製薬メーカーの戦略に沿った大学教授たちの発言なのだが、本当にそうなのだろうか。

 インターネット調査だから回答者層には偏りがあるはずでいくらなんでも5割ということはないだろうが、少なくとも1-2割くらいの人はあがり症に悩んでいると私は推測している。そもそもこれだけ多くの人がそういう状態で普通に社会生活しているのを「病気」として薬で「治療」すべきだという考え方はいかがなものか。製薬メーカーは大儲けだが、医療費がパンクする。それに、薬を飲んで不安が軽減されるメリット以外に、薬の副作用、さらに私が以前から主張しているように神経質の良さも失われてしまうデメリットもある。それよりも森田療法の考え方で、緊張するのは仕方なしとして行動していく習慣づけをしていくのであれば全くお金もかからない。もちろん認知行動療法でもよい。シグマ1受容体云々でなくても森田療法などの精神療法でも脳内神経の再構築が行われるのではないかと想像する。もっともそれを検証することは試験管的な実験ではできないので極めて困難だし、巨大な製薬メーカーがバックについた研究と違って研究費も得られないから、精神療法の神経細胞レベルでの効果を検証する研究はいつまでたっても進まない。

 私は今でも人前で激しく緊張し、赤面し、あがる。講演の前にはおなかの具合も悪くなる。しかし、病気だとは考えないし、まあこんなものだ、と思っている。逆に神経質だからこそ事前にいろいろと準備を重ねるのでよい面もある。「神経質は病氣でなくて、こんな仕合せな事はありません」(白揚社:森田正馬全集第4p.386)と森田先生の言われた通りである。

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