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2009年4月 8日 (水)

神経質礼賛 414.紫式部は神経質

 源氏物語の作者として紫式部の名は誰もが知っているが、実は本名も生没年もわかっていない。当時の女性で名前が伝わっているのはよほど上流貴族の娘だけである。父親の藤原為時が式部省に勤めていた時期があったことと「紫の物語」(源氏物語)の作者ということで付けられたあだ名である。幼少時より漢詩を読みこなし、「この子が男の子だったらなあ」と父親を嘆かせた。父親は花山天皇の教育係で式部省に勤めていたが、花山天皇が藤原兼家(道長の父)の陰謀で出家すると仕事を失った。しかし「芸は身を助ける」で漢詩が一条天皇の目に留まり、越前守に就任した。紫式部が結婚したのは20歳くらいで当時としては晩婚である。相手はもう40代後半の藤原宣孝だった。宣孝はプレイボーイとして有名で何人かの妻があった。翌年、娘・賢子が産まれたがまもなく夫とは死別する。その後、藤原道長の長女で一条天皇の中宮となった彰子に仕えた。源氏物語は宮中でも評判となり、一条天皇も愛読した。

 紫式部は華やかではあるが足の引っ張り合いのような宮中での生活は好きではなかったのだろうと思う。人前では漢字は読めないふりをしていたと言われる。一条天皇が「源氏物語の作者はよほど日本書紀を読んでいる人に違いない」と言われてから「日本紀の御局」とあだ名されてしまい、苦痛に感じていたようだ。石山寺にこもって物語を書いたという伝えも理解できる。とにかく謙譲の人で、宮中で八重桜を中宮に奉じるという「おいしい」役を後輩の伊勢大輔に譲り、それで百人一首「いにしえの奈良の都の八重桜」の歌が生まれたというエピソードがある。

紫式部は清少納言(これも本名ではなく清原元輔の娘)とよく比較される。明朗活発・負けず嫌いで思ったことをズバズバ言う清少納言と思慮深く一歩引いたような紫式部とでは性格は正反対である。小倉百人一首に撰ばれている、機知に富んだ「夜をこめて」(清少納言)の歌としっとりとした情感のただよう「めぐり逢いて」(紫式部)の歌は二人の違いを際立たせている。日記の中で清少納言を手厳しく批評しているあたりを見ると、紫式部はやはり神経質人間なのだと思う。神経質は自分に厳しく人にも厳しい。これがメランコリー親和型(うつ病になりやすい性格)だと自分に厳しく人に甘い。ヒステリー性格や自己愛性人格だと自分に甘く人に厳しい、というのが四分休符流性格学(?)である。自分に甘く人にも甘かったら?・・・それは能天気でしょう。とにかく、コツコツと長い時間をかけて大きなものを作り上げていくのは神経質人間が得意とするところである。

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コメント

 春爛漫! 先生いつも楽しく拝見させて頂いています。でも、なかなかお返事が出来なくてすみません。

 先週土曜日雨の中、石田梅岩先生が京都へ奉公するために歩いたとされる梅岩古道を仲間のみなさんと歩いてきました。

 一部、道なき道という荒れ果てた獣道があり、案内の方が指さしてこれは首塚ですと紹介されたとき、急に暗くなってきたので、ビビリの私は思わず首をすくめました。笑い。

万代博志様
 コメントいただきありがとうございます。梅岩古道というのがあるのですか。いつもの自転車ツアーでなくウォーキングだったのですね。万代さんが「ビビリ」だったら、桁違いに小心で「ビビリ」な私はどうなっちゃうんでしょうね(笑)。
 これからの季節はウォーキングに最適です。そろそろスギ・ヒノキ花粉も下火になってくるでしょうし、運動不足も気になっていますので、私も歴史散歩に出かけようと思います。

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