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2009年4月 3日 (金)

神経質礼賛 412.歴史を変えた神経症

整形外科医でもある篠田達明さんが書かれた「歴代天皇のカルテ」(新潮新書)という本を図書館で見つけたので読んでみた。

精神病レベルと考えられる天皇としては、精神遅滞説と統合失調症説のある冷泉天皇(第63代)、躁うつ病説のある花山天皇(第65代)などが挙げられているが、ここでは神経症と考えられる天皇について紹介する。

東大寺・奈良の大仏を建立した聖武天皇(第45代)は小学校の教科書で御存知のことと思う。聖武天皇は体が弱く、虚弱体質と心的葛藤をしずめようと5年間彷徨したことがあるという。情緒不安による神経症だったと考えられている。鑑真のもたらした薬の五石散(強精剤)、龍骨・龍歯(不老長寿薬)で治療を受けたそうである。聖武天皇には①藤原氏に対する政治的コンプレックス、②光明皇后の豊満な肉体に対するコンプレックス、③自分の虚弱体質に対する劣等感、という三つのコンプレックスがあったようだ。東大寺と大仏を建立したのはこれらのコンプレックス解消のためだったという見方もある。

 

「鳴くよ うぐいす 平安京」の語呂合わせで794年という平安遷都の年号を覚えた方も少なくないだろう。当時、桓武天皇(第50代)の皇后や母親が次々と病死し、藤原種継事件で疑いをかけられて死んだ早良親王の怨霊のせいだと噂が広がっていた。また、皇太子も病弱だったが、実は早良親王の怨霊を恐れ、長く「風病」(中枢神経の病気の総称)にかかっていて、実際には神経症だったと考えられる。桓武天皇自身、早良親王の怨霊をひどく恐れていた。桓武天皇の不安は平安遷都という行動に転化される。のちに即位した平城天皇(第51代)は即位3年で突然退位するが引退と静養で元気になっている。藤原氏を中心とした宮廷内の権力争いが大きなストレスになっていたのだろう。元気を取り戻した平城上皇がお気に入りの藤原薬子にそそのかされて薬子の乱へとつながっていく。

 聖武天皇がコンプレックスで悩まなければ、東大寺や奈良の大仏は作られなかったかもしれない。桓武天皇が怨霊を過度に恐れなかったら、平安京ひいては今の京都の町もできなかったかもしれない。神経症が歴史を変えていたと思うと、不思議なものである。

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