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2009年6月26日 (金)

神経質礼賛 439.山月記

 先週、学校から帰ってきた子供が、「明日までに山月記の感想文を書いて来いと言われた」と焦っていた。国語の授業中、生徒たちの態度が悪いということで全員に宿題が出てしまったという。

 山月記は中国の伝奇小説を題材にした中島敦(1909-1942)の作品である。主人公の李徴は博学の秀才で、官吏になったが、詩家としての名声を遺したいということで辞めてしまう。しかし、なかなか名声は上がらず生活苦からまた官吏の職に就く。かつての同輩たちは出世しており、つまらぬ人間だと思っていた連中に仕えなければならず、自尊心を深く傷つけられる。公用の旅の途中で突然発狂して失踪する。李徴は人食い虎と化していたのだが、かつての友人と会い、自分の心情を語り、自作の詩を託し、妻子の生活に便宜を図るように頼む。

高校時代、国語の教科書でこの物語を読んだ時、私をドキッとさせたのは、「なぜ虎になってしまったのかわからないが、思い当たることがないわけでもない」と語る李徴の言葉だった。「人間であった時、人との交わりを避けた。人々は尊大だと言ったが、実は、それがほとんど羞恥心に近いものであることを人々は知らなかった。自尊心がなかったとはいわないが、それは臆病な自尊心というべきものであった」

これはまさに対人恐怖の神経質人間の心理状態を表現したものである。森田正馬先生が「恥かしがるのを以て、自らをフガヒなしとし、恥かしがらじとする負けじ魂の意地張り根性」と言われた弱力性と強力性の入り混じった赤面恐怖の心理に他ならない。だから、対人恐怖に悩んでいた私の心の中を見透かされたような思いがしたのに違いない。

李徴は世と離れ、人と遠ざかり、自尊心を飼い太らせる。「人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ」と省みる。虎は肥大した自己愛の象徴とも読める。李徴が作った詩は、格調高く非凡な才能を示していたが、一流の作品となるにはどこか欠けるところがあるのではないかと旧友は感じる。具体的には書かれていないが、おそらく人を思う気持ちが欠落していたのだろう。家族を思いやり、友を思う気持ちがあれば虎になることはなかっただろうし、一度は虎になっても人間に戻れたかも知れない。下級官吏であってもガマンして勤めていれば家族を養っていくことはできるし、空いた時間に詩作することもできる。知識や感性だけでなく深い情感が加われば後世に名を残すような作品となってくるはずだ。山月記は対人恐怖や自己愛の心理を扱った小説だったようにも思えてくる。

 人間として生きていく上では、苦しくても嫌でも仕方なしに人と交わっていかなければならない。苦痛や不安や不全感はどうにもならないのだ。それに、よほどの能力と運に恵まれている人を別にすれば、たいていの人は自尊心がペシャンコになるような挫折を何度か経験する。私の場合も挫折体験を繰り返しているうちに20代後半になってようやく、自分はこんなもので仕方がない、できることを積み重ねていくまでだ、と思うようになった。すると対人緊張や不安はあっても、それほど意識しない存在になっていった。

 森田正馬先生の高弟である高良武久先生が書かれた入門書「森田療法のすすめ」(白揚社)の「あとがき」には高良先生御自身の体験が書かれていて、高良先生も私と同じだったのだなあ、としみじみ思うので、最後に紹介しておこう。

「不眠症、対人恐怖、頭重感、疲労感、それに人生観の問題などにつきまとわれて、高校時代(旧制)は迷いの中の苦しい努力の連続のようでした。それが長い間の数々の試行錯誤をかさねた末に、しだいに落ちついたのは、結局、人生には不安も苦悩もつきものであるということ、持続的な完全なコンディションなどあり得ないこと、そして向上する人間にとっては、不安も苦悩もまた生活の重要な内容であることが、体験的にわかってきたからであります」

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コメント

はじめまして
今日書店で「強迫神経症の世界を生きて―私がつかんだ森田療法」明念 倫子/著を見つけ、今読み終えたところです。著者の経験に基づいて(精神の拮抗作用)等大変わかりやすく解説してありとても勉強になりました。

山月記、また読みたくなりました。

コメントいただきありがとうございます。明念さんのように御自身の神経症体験を踏まえて、生活の発見会・生泉会(強迫の会)で同じ悩みを持つ人の助けになるように活動されていることは、本当にすばらしいことだと思います。つらいながらも行動していくうちに、「そういえば明念さんの本の中に書いてあった通りだな」と体験的理解が深まっていかれるとよろしいかと存じます。

山月記の作者、中島敦は今年が生誕100年ということで記念の行事があるようです。(同じく生誕100年の太宰治に比べると地味ですが。)先日、新聞記事に出ていた話では中島敦は意外とひょうきんな面もあったらしいのですが、持病の喘息に悩まされ、国が戦争へと向かっていく中で知識人としての悩みもあったのでしょう。多分、神経質な性格の持ち主だったろうと思います。そして主人公は彼の分身なのでしょう。

四分休符先生、おはようございます。

「山月記」は、私も高校時代に大いに感銘して
機会あるたびに読み返しました。

「神経質」の観点からの先生の作品や
作者のパーソナリティーの分析、
大変興味深かったです。

私は、長い間、中島敦自身も、山月記の主人公のような
パーソナリティーの作家だと思っていたのですが、
先生ご指摘の

>中島敦は意外とひょうきんな面もあったらしいのですが

の様に、実生活においてそのイメージとは、
対極的な一面もあったようです。
私はこの事実をkazeさんと言う方が書かれた
「中島敦の青春」という評論で知りました。

http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/atushi.html

中島作品の秘密を解く資料になるかと思い
紹介させていただきました。

keizo様
 コメントいただきありがとうございます。「中島敦の青春」さっそくプリントアウト(A4で21ページ分)して読んでみました。
 生まれて間もなく母親が離婚して家を去り、暖かい家庭や親の愛情とは全く無縁な少年時代を送ったということですね。孤立無援の中で生き抜いていくためには外向的に振舞わざるを得なかったのではないでしょうか。当然、このギャップは彼を苦しめたはずです。一見、外向的な彼の内面は、山月記の李徴や他の作品に出てくる教師と同様だったのでしょう。それをさらけ出すことができたのは、作品の中でと、実生活の中では妻・たかに対してだけだったのだと思います。喘息が悪化して痩せ衰え、妻の腕に抱かれて亡くなっていった時は、母親に抱かれた赤ん坊のような心境だったろうと想像します。作家として世に出る前に若くして亡くなってしまいましたが、よい奥さんにめぐまれた点は幸せだったろうと思います。

 興味深い文献を紹介していただきありがとうございました。とても参考になりました。
 

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