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2009年7月 3日 (金)

神経質礼賛 442.感情の法則と90秒ルール

 毎日新聞の日曜版に心療内科医(歌手)・海原純子さんの「一日一粒 心のサプリ」というコラムがある。621日の話は90秒ルールに関するものだった。ささいなことで怒りが爆発しやすい「瞬間湯沸かし器」のような人の例を出して、最近の脳科学の研究から、脳から放出された化学物質が起こす反応は90秒以内におさまるので、怒りを感じたら90秒間何とかやりすごすとよい、というような話だった。これを読んだ妻は「90秒なんて、とても待てない!」と言う。妻と性格そっくりの息子とは「混ぜるな危険」の関係で、二人の間でいつも同じシナリオでのケンカが繰り返される。小言を言う前にワンテンポ待ったら、と妻にアドバイスするのだが、どうも学習効果がない。

 脳科学が進んでいなかった今から百年近く前に森田正馬先生はすでに「感情の法則」について書かれているが、現在でも通用する立派なものである。

 常識養成の根本とする処は広くいはゞ即ち心身の訓練にして狭くいはゞ即ち感情の修練なり。されば先づ感情の特性に就て考ふるに

一、感情は常に同一の強さを以て永く持続するものにあらず、之を放任すれば自然に消失す。

二、感情は之が行動に変化すれば消失す。

三、感情は之を表出するに従ひ益々強盛となる。ランゲは吾人は悲しき為に泣くに非ず。泣くが為に悲しきなりといへり。

四、感情は之に慣るゝに従ひて鈍くなる。  (白揚社:森田正馬全集第7巻 p.555

 さらに「憤怒の感情を表出して一言二言争えば、次第に憤怒は激烈になりついには暴行に至る下等社会の夫婦喧嘩におけるが如し」と付け加えておられる。鈍感な人ならば、何を言われてもカチンとくることは少ないだろうが、神経質人間は他人の言動に敏感なのでカチンときやすい。90秒という時間は短いようでも結構長く感じるものである。どうにもならない場合はその場をはずして何か物を取りに行くとかトイレに行って来るとか一工夫して怒りの感情が消失するのを待つのが賢明である。

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コメント

四分休符先生、お久しぶりです。

以前メールにて森田療法について質問をしたものです。
メールをお送りしました。もしお時間がありましたら見て頂けると嬉しいです。

先にブログに書き込んでからメールを送って良いか先生に確認を取るべきところ、
申し訳ありません。

 メール拝見しましたのでお返事を送りました。
 「恐怖突入」でだいぶ進歩されたようですね。
 これからも辛い場面が何度もあるでしょうが、そこで逃げずに踏みとどまる、ということを続けていかれれば、さらによくなっていくことでしょう。

 若い頃に対人恐怖で大成した人はいくらでもいます。以前書いたように、(35話:神経質な医師の系譜(その1))心療内科の大家、九大の池見酉次郎教授もかつては赤面恐怖症で悩み、森田療法を受けたことがあったということです。医療関係の仕事には神経質が要求されます。無神経では困ります。大いに神経質を生かしてください。

四分休符先生

お忙しい中、書き込みをしてしまい申し訳ありません。

メールで愚痴を書いてしまい申し訳ありません。
愚痴を言うことで症状が悪化するということを忘れていました。

森田療法のアプローチを始めたころ、「愚痴を言うと気持ちが弱くなる」との言葉を信じ愚痴は極力言わないように勤めてきました。
最初の数ヶ月は愚痴も言わず、
目の前やるべきこと嫌なことを積極的にやっているうちは森田療法でうまくいっていたのですが、最近になって辛い出来事が多くつい愚痴を言う癖が戻ってきてしまいました。

愚痴は環境だけでなく、
勉強についても生化学や生理学といった将来臨床では役に立たないであろう科目になんでこんなに厳しい試験を課しているのかと毎日のように愚痴を言ってしまいます。
愚痴を言わないことで治りが早くなると信じ、愚痴を言わない生活を送りたいです。
(ただ、臨床ではなく基礎専門科目が厳しすぎることには納得できません。)


最後に、
愚痴の件とは関係ないのですが、
森田療法的アプローチをする上で自分の参考に出来るのは森田療法に関する書籍だけです。
大きすぎる夢かもしれませんが、森田療法で神経症を克服された先生方のように、神経症を克服したい
本当は本だけでなく、鈴木先生や高良先生に直接指導して頂きたかっただけに非常に残念です。

これは、森田先生の治療を受けた対人恐怖の患者さんの日記に森田先生の言葉として書かれていたことです。

 心機一転とは、平生・内向性の心が、次第に変化して、或機会に一転して外向的となる事である。其手段としては、第一に自分の病状を言はない事、書かない事で、第二には仕事に乗りきる事の二つである。    (森田正馬全集第4巻 p.329)

 グチを言ったところで何の役にもたたないばかりか症状への「とらわれ」の悪循環にはまるだけのことです。

 生理学や生化学が何の役に立つのか(ましてやラテン語が何の役に立つのか)、という気持ちはわからないでもないのですが、医学の基礎としての重要性はそのうちお分かりになるのではと思います。実際に目の前の患者さんと対峙した時には、少しでも多くの知識が必要となります。私自身、もう少し生理学・生化学をしっかり勉強しておけばよかったと反省することは多々あります。

 自分が治るとともに、同病相憐むところの他の患者たちをも治したい心が当然起こるのである。もし単に自分が治ったというだけで、犠牲心が発動せず、自分の打明け話が恥ずかしいとか、人に知られては損害になるとかいう風では、まだその人は小我に偏執し、自己中心的であって、本当に神経質が全治しているのではない。(森田正馬全集第5巻 p.47)

 互いに他の人の苦痛に共鳴し同感する事が神経質の治る第一歩であるのであります。(森田正馬全集第5巻p.50)

 
 森田正馬先生、高良武久先生、鈴木知準先生はすでにお亡くなりになりましたが、いつでも御著書からは学ぶことができます。あなたも神経症を克服して、同じ悩みを持つ人たちを救うことができれば、こんなにすばらしいことはないでしょう。

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