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2009年7月24日 (金)

神経質礼賛 448.座禅せば四条五条の橋の上

 座禅せば 四条五条の 橋の上 往き来の人を 深山木にみて

これは鎌倉時代の臨済宗の禅僧、大徳寺を開山した宗峰妙超(大燈国師)の歌と伝えられている。

のちに江戸時代、臨済宗中興の祖といわれる白隠は遠羅天釜(おらてがま)という法語の中で「動中の工夫は静中の工夫に勝る」と述べている。ここで工夫とは通常の意味以外に修行・精進の意味をも含んでいる。白隠の勧めた座禅は日常生活における座禅である。そうでなければ日常生活でいざという場合の役に立たない。座禅修行は山中で行うよりも四条五条の橋の上がよりふさわしい。日常繁忙の中で修していく座禅、それが動中の工夫というものだと平常禅を奨励しているのだ。(西村恵信著「白隠入門 地獄を悟る」より) 

この歌は森田正馬先生の色紙では

 某禅師

 座禅せば四条五条の橋の上 

 往き来の人を深山木と見る

 折角に座禅したらば正直に

 人は人ぞと見てやればいい

         形外蝉子

 となっている。京の四条五条を行き交う人々も座禅していれば深山の木々と同じように見える、という禅師の句に対して、森田先生は蝉子とへりくだりながら、チクリと皮肉っている。人は人、あるがままに見ればよい。事実唯真ということを強調したかったのだろうと思う。

 しかしながら、座禅せば・・・の句は森田療法にも言えることではないかと私は思う。入院中は規則正しい生活習慣と作業中心の生活により心身とも健康的な状態となっても、退院してから生活習慣が崩れ、症状のせいにして仕事に就かない・学校に行かない、ということで振り出しに戻ってしまう人がたまにいる。座禅修行が静寂で厳粛な雰囲気の寺院の中でしかできないのでは効果が薄いのと同様、森田療法も病院の中でだけやるものでは効果が薄い。本当の主治医は自分自身であり、日常生活の一コマ一コマがすべて治療の場だ、という意識で自発的に取り組んでいくと真の効果を発揮できるのである。

 不安でいっぱいで人前に出るのが嫌だ、会社や学校に行きたくない、避けたいというような時に、退却してしまっては不安の悪循環が深まるばかりである。逆に「今、ここが勝負どころだ」と必死になって踏みとどまり恐怖突入すれば道は開けてくる。

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