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2009年8月31日 (月)

神経質礼賛 460.ぶざまでよい ダメ人間でよい

 仕事でうまくいかないことがある。家庭の中でもいろいろと問題が起る。年を重ねるに従い、自分の努力だけではどうにもならない問題が増えてくる。思わず、フーッとため息をつきながら、ぶざまだなあ、自分は本当にダメな人間だなあ、と心の中でつぶやく時がある。

 認知療法でいうところの「認知の歪み」の「レッテル貼り」だとは承知の上である。しかし、どうにもならないのだから、あえて「認知の歪み」を是正しようともせず、落ち込んだ気分をぶらさげたままで仕方なしに、やらなくてはならないことを次々と片付けている。

 しかし、自分のダメぶりを嘆くことも悪いことばかりではない。逆に自分のいいところばかり誇張して根拠に乏しいプラス思考していたら自己愛のかたまりのような鼻持ちならない人間になってしまう。謙虚に反省することで自分を向上させようという気持ちになるし、人に対しても優しくなれるものである。そして自分を徹底的に貶めてしまえば、開き直りもできるというものである。ぶざまでもいい。ダメ人間でもいい。できることをやっていくだけである。

ちょっと長いが森田先生の言葉を引用してみよう。

 私が常にいうように、神経質はいつも劣等感を起こすのが自分の持前であるから、そのまま劣等感になりきっていさえすればよい。自分を不器用と決めておきさえすれば、あらためて、時々に、自分を不器用呼ばわりする必要はなく、何か自分で作りたくてたまらぬ物ができれば、丁度小児が力一杯でやるように、ただ工夫努力するよりほかは道がなくなる。そこに初めて成功の喜びができてくるのである。

 およそ何事にも偉くなるような人はみな劣等感をもち、へりくだった心から、自分の行いを慎み励んでいるものである。高ぶった心の人は、決して優れた者になる事はできない。私が色紙に書いたものに、こんな文句がある。

「金持は常に己れの財産の乏しきを思い、知者は常に己れの知能の足らざるを憂う。柔順なる人は常に自らわがままに非ずやと恐れ、善人は常に己れを悪人と信ぜり。貧者は常に己れのありたけの金を使い果たし、愚者は常に自分のありたけの知恵才覚をみせびらかし、不柔順なる者は常に己れがこれ以上の柔順ができるかと恨み、不善人は常に己れを誠実親切なりと信ぜり。」

 己れを偉いと思い・よい人のように思う者にろくなものはない。(白揚社:森田正馬全集第5p.741

 特に最後のところは政治家センセイたちや官僚様方にお読みいただきたいところである。

2009年8月28日 (金)

神経質礼賛 459.マイケル・ジャクソンの死因

 去る6月25日にマイケル・ジャクソンが50歳で急死して、全世界に衝撃が走った。以前から薬物依存状態だったようだ。不眠・不安や疼痛から逃れる目的でお抱え医師から種々の薬物を投与されていた。8月25日の新聞報道によれば、ロサンゼルス郡検視局の発表として、死因は複数の薬物によるとのことである。その中でも問題となるのはプロポフォール(商品名ディプリバン)とミダゾラム(商品名ドルミカム:ベンゾジアゼピン系超短時間型全身麻酔薬)いう麻酔薬である。これらは通常の薬局では手に入らないし、普通の医師が処方する薬でもない。手術の際に全身麻酔薬として麻酔医が注意を払いながら静脈注射で使用するものである。マイケルはプロポフォールを毎日50mg注射されていたが、中毒症状が出てきたため25mgに減量となり、他の5種類の鎮静剤が併用されていたという。その中には抗不安薬ロラゼパム(商品名ワイパックス)も含まれていた。日本では内服薬しか出ていないが、アメリカではロラゼパムの注射薬がある。死亡した日にはロラゼパム2mgとミダゾラム2mgを交互に2回ずつ注射しても眠らなかったため、プロポフォール25mgを注射してから12分ほどたって呼吸停止をきたしたという。遺体からは致死量を超えるプロポフォールが検出されたそうである。

 現在使われている内服の抗不安薬や睡眠薬の多くは、安全性が高く、単独で大量服用しても死に至ることはめったにない。しかし、静脈注射では急激に血中濃度が上がる可能性があり、しかも複数の薬剤が併用されていると、呼吸抑制が起りやすくなることは十分に考えられ、その結果、死に至ったものと思われる。

 世界のトップスターであり、美容整形・性的虐待疑惑などもあって、常にマスコミから注目される存在だっただけに精神的なストレスは大変なものだっただろう。お抱え医師を雇うだけの財力があったのが仇となった。病院やクリニックに通院して処方された薬剤を服用しているだけだったら、こんなことにはならなかったはずである。

 日本では芸能人の覚醒剤使用の問題が次々と報じられている。一般の若者にも麻薬・覚醒剤など違法薬物の乱用が広がっている。これらの薬物で不安や不眠を一時的にしのいだり落ち込んだ気分を爽快にしたりしても、それ以上に自分の心身を害するばかりでなく、他人にも害をおよぼす危険性がある。心配性の神経質人間ではそうした薬物に手を出す可能性は少ないだろうが、「自分は絶対大丈夫だ」と過信しないことが大切である。精神病による極度の不安や不眠は別として、「不安はあるがまま」「眠りは与えられただけ取る」という対処法がベストである。

2009年8月24日 (月)

神経質礼賛 458.うつ病は増えてはいない

 今月の精神神経学雑誌(2009 VOL.111 NO.6)に昨年の学会総会でのうつ病に関するシンポジウムの記事が載っていた。とても興味深い記事なので紹介したい。演者のひとり中安信夫先生(東京大学)は「うつ病は増えてはいない-大うつ病性障害(DSM)とは成因を問わない抑うつ症候群である-」というテーマで講演された。DSMとはアメリカ精神医学会の診断基準のことである。従来診断のうつ病はまじめで責任感が極めて強い性格の人に起りやすい内因性うつ病が中核となっていて内的エネルギーが枯渇した状態を呈する。それに対して、うつ状態を呈するものには、性格因が大きい抑うつ神経症、環境因が大きい抑うつ反応があった。ストレスが強ければ誰でも気分が落ち込んでうつ状態になるわけだが、抑うつ反応は程度が軽ければDSMでは適応障害と診断され、程度が重ければ気分障害の大うつ病性障害(Major Depressive Disorder)と診断される。この大うつ病性障害を従来診断の「うつ病」と言い換えてしまう言葉のまやかしの結果、「うつ病が増えている」ということになってしまう。そこには作為すら感じる、とハッキリ書いてはいないが精神科医が製薬メーカーの提灯持ちになっている現状を批判しておられる。

 田島治先生(杏林大学)は「新規抗うつ薬の登場とうつ病診断の拡散」というテーマで講演され、「うつ病」診断が拡大した原因を分析しておられる。その中で、現代的タイプの、ディスチミア親和型うつ病、自己愛傷つき反応型うつ病の急増について言及している。未熟な自己愛の人間が正常なパーソナリティとして捉えられるアメリカ型社会では、他罰的で自己中心的な性格の人間が社会の中心的なパーソナリティ構造になるのは避けられないかもしれない、と指摘されている。(ここ何人かの日本の首相の顔が頭に浮かぶ。)そして、こうした患者に対しても内因性のうつ病と同様の薬物療法と休養と支持的な精神療法を行ってしまうと、不安定な状態が長期間続き、治療未終結患者となっていくと述べておられる。(だからさる高貴な方の治療がうまくいかないのである。)そして安易なうつ病診断で、ごく軽症のうつ状態や一過性の抑うつ反応に対して「うつ病」として新規抗うつ薬(SSRISNRI)が投与されているが、その背景には過剰なマーケティングがある。新規抗うつ薬は軽症のうつ病に対してはリスクがベネフィットを上回ることを認識すべきである、としている。

 上記二人の先生と反対意見を述べていたのが張賢徳先生(帝京大学)であり、自殺予防の観点から「擬態うつ」「うつモドキ」という考え方は危険であるとしている。確かに一理はあるが、この先生が製薬メーカー主催の講演会や座談会での登板回数が極めて多いのがひっかかる。

 医療費という観点からみても、「うつ病」の間口を大幅に広げて「うつ病患者」を増やし、長期間高価な薬を飲み続けさせるのは、いかがなものだろうか。ましてや神経症に対してSSRIを長期投与し続けるのには私は否定的である。

2009年8月21日 (金)

神経質礼賛 457.新しい抗うつ薬リフレックス

 近日中に新しい抗うつ薬リフレックス(一般名ミルタザピン)が発売されることとなった。脳内のノルアドレナリンとセロトニンの放出を促進する今までにない作用機序を持つNaSSA(Noradrenergic and Specific Serotonergic Antidepressant)という新しい種類の薬である。意外と思われるかもしれないが、従来の抗うつ薬でプラセボ(偽薬)に対して有効性を示せた薬はない。うつ病はそもそも自然治癒する病気であるし、プラセボによる暗示効果が出やすいからである。「抗うつ薬の最大のライバルはプラセボ」と関係者の間でささやかれていた。このリフレックスは初めてプラセボに対して有意差を示せた薬剤だそうである。それだけ効果が高いということになる。また、従来の薬が効果を示すまで時間がかかったのに対し、投与1週目から効果が発現する。他の薬との相互作用が少ないのも特長だ。

 アメリカ流の診断基準が主流になって、うつ病の「ストライクゾーン」が大幅に拡大されるとともに、現在抗うつ薬の中心となっているSSRIはパニック障害・強迫性障害・全般性不安障害といった神経症も適応疾患としているため、SSRIの売上は毎年「うなぎのぼり」であり、製薬会社の稼ぎ頭となっている。売上が減っては困るということで、早くも、SSRIを販売している某メーカーはリフレックスの「ネガティブキャンペーン」的なマイナス宣伝を始めている。今ではあまり処方されなくなっている四環系抗うつ剤テトラミド(一般名ミアンセリン)の構造式と新薬リフレックスの構造式を並べて見せて、「ほら、構造式がほとんど一緒でしょう。新薬ではなくて古い四環系抗うつ薬に過ぎないんですよ」と言う。

 実際に広く使われるようにならないと分からない点もあるが、不眠や焦燥感の改善効果はSSRI以上に期待できそうであるし、パキシル(一般名パロキセチン)などのSSRIで問題となっている賦活症候群や離脱困難は起りにくいと考えられるので、使ってみたい薬である。

SSRIが日本で発売されて10年になる。江戸時代の何でも葛根湯を処方するヤブ医者のように、うつでも不安でもSSRIを安易に処方することを批判する記事(20話:葛根湯医者vsSSRI医者)を以前書いたが、新薬の登場が安易な処方を見直す契機になってくれたらと思う。

2009年8月17日 (月)

神経質礼賛 456.トロピカルフルーツ

 病院の職員で鹿児島県出身の方がいて、昨年、「実家から送ってもらったので」とパッションフルーツのおすそ分けをいただいて初めて食べた。シワが寄って香りが出るまで熟成させ、半分に切ってスプーンで中をすくって食べる。一見グロテスクな色であるが、食べてみると甘みと酸味が心地よく、香りもとても良い。口の中がサッパリして後味も爽やかだ。今年は果物屋で県内産のパッションフルーツを見つけて買ってみた。熟成してくると部屋に甘い香りが漂う。通になると種を飲み込んでのど越しを楽しむらしいが、もったいないので種はしっかり噛んで食べた。

 沖縄の病院に勤務していた時には、いろいろなトロピカルフルーツと出合った。院内にマンゴーの木があって収穫されると「配給」された。小ぶりの実でもなかなかおいしかった。八百屋でグアバを見つけて買ってみた。味はいいが種が多くてとても食べにくかった。やはりジュースの方がよい。パパイアは沖縄では青いうちに収穫されて「パパヤ」と呼ばれ野菜として料理になる。いずれもビタミン豊富で栄養価が高い。暑さで消耗した体には適しているのだろう。

 ふと、子供の時に食べていた、庭の木に成る変わった果物を思い出した。父が植えたもので確か「ヘージャー」と呼ばれていた。しかしそんな名前の果物はない。調べてみると、Feijoa(フェイジョア)が正しかった。中米原産、ニュージーランドなどで栽培されている。フトモモ科でグアバの仲間ということだ。緑色の実が成って、熟成して落ちたものを食べる。半分に切ってスプーンですくって食べていた。甘みと独特の香りが記憶に残っている。母がジャムにしたこともあったが、私は普通のイチゴジャムの方がいいなと思った。私が中学生くらいの時に木が枯れてしまい、以後口にしたことはない。

 よく話題になるドリアンはフルーツパーク内の喫茶店で食べたことがある。皿に盛られた果肉は生湯葉のようでもあるが、何しろ都市ガスに添加されているタマネギの腐ったような強烈な匂いを発している。妻も子供たちも逃げてしまい、私が食べるハメになった。甘さもまた強烈であった。ドリアンはハマる人と嫌う人とハッキリ分かれるそうだ。スーパーの果物売場で見かける(12000円から3000円くらい)ことがあるが、買う人がいるから置いてあるのだろう。ゴミ出しの時にガス漏れ騒動になるのでは、と神経質人間は心配する。

 最近の果物売場にはスターフルーツ、ドラゴンフルーツなどの珍しい形をしたトロピカルフルーツが並んでいる。初物には慎重な神経質だが、そのうち食べてみたいとひそかに思っている。

2009年8月14日 (金)

神経質礼賛 455.地震の影響

 11日の朝5時過ぎ、大きな揺れで目が覚めた。ついに東海沖地震か!?とにかく揺れが収まるのを待つ。ほとんど家具がない部屋なので落下物でケガをする心配はない。普段はいくら朝起こしても起きない子供が「大変だー!」と叫びながら部屋に飛び込んできた。階下に下りてTVをつけて地震情報を見る。私が住んでいる所は震度5強だった。家の中の被害状況を確認すると、台所で流し台の上の棚に乗せてあった、調味料のビンや小さいサボテンの鉢などが落下していた。食器戸棚の引き出しが飛び出している。引き出しの上の観音開きのガラス戸越しに、グラスが倒れていたり、飾り皿が落ちていたりするのが見えるが、困ったことに地震ロック機構のために戸が開かなくなってしまっていた。戸棚のマニュアルを探し出してきて見ると、ロックの解除方法は戸を押すとあるが、押すといっても2,3mm程度しか押せない。叩いてみてもダメである。そうこうしているうちに出勤の時間になってしまった。まだ電車は運転中止だが、とりあえず駅に向う。新幹線、在来線とも不通のままで、線路と架線の安全確認中というアナウンスが流れている。ホームで待つこと1時間以上。始発電車がようやく入線して10分ほどたってから発車した。ずっと徐行運転のためいつもの倍の時間がかかった。大幅遅刻だ。震度4だった病院でも業務用エレベータが止まってしまい、近くに住んでいる職員たちが応援に駆けつけて、患者さんたちの朝食を人海戦術で病棟に運び上げたのだそうだ。

 二日連続当直を終えて昨日帰宅し、食器戸棚の地震ロックは解除できた。戸の上部を強く押し続けた状態で取手を少し下方に押し下げながら引いたらあけることができた。やれやれ。

 今回の地震では、室内の固定してない家具類が倒れたり落下したりしてケガをした人がいた。不幸にして亡くなった方は山積みの本が崩れてその下敷きとなってしまった。それでも長年、東海沖地震への備えとして対策を取っている家庭が多かったので比較的被害は少なかったようだ。震度6弱の揺れを記録した焼津市の酒造所の社長がNHKニュースに出ていた。ケースで山積みの一升瓶は、普段から地震に備えて崩れないようにロープ固定していて、全く被害がなかったということだ。やはり備えあれば憂いなしである。今回の地震は想定される東海沖地震に比べればはるかに小さいということなので、「本番」はこんなものではないだろう。心配性の神経質を大いに生かして十分に準備し、生命を守りたいものである。

2009年8月10日 (月)

神経質礼賛 454.逃げ腰

 私は若い頃、対人緊張にとても悩んだ。そして、ささいなことが気になってクヨクヨした。自分は気が小さくて情けない。自分ほどの小心者は世の中にいないのではないか。何とか性格を改善して大胆になることはできないか、と思ったものだ。皮肉なことに人としゃべるのが仕事になるとは夢にも思わなかった。20代後半あたりから、緊張しても仕方ない、緊張しながらやっていくしかない、とあきらめがつくと、それほど苦にはならなくなっていった。今でも人前では激しく緊張するが、だからといって病気だと思ったことはないし、まあこんなものだと緊張する場面を避けずにやっている。そして、神経質な性格のおかげでずいぶん得をしたところもある。神経質で良かった、ということで神経質を礼賛するようになった。

森田正馬先生は次のように言っておられる。

 逃げ腰になるという事は、あるいは対人恐怖が、人前で恥ずかしく思わないようにとか、顔の表情を不自然にしないようにしようとするとか、あるいは不潔恐怖の人が、汚くてゾッとするような感じを、さっぱり・気の晴ばれするようにと思って、手を洗う時とか、あるいは鼻のさきが目障りになるから、これを見ないようにしようとかする時などで、すべてそのいやな気持をなくそうとすればするほど、胸はムカムカし・眼は暗むようで・頭はガーンとして気も取り乱すとかいう風になる。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.390

 不安から逃げようとすればするほど、不安は大きく膨れ上がり、どこまでも追いかけてくる。不安を好む人はいない。できれば何の不安もなく頭の中がスッキリと晴れ渡った青空のような状態でいたいものだが、そんなわけにはいかないのである。あの藤原道長でさえ、死の恐怖、不安からは逃れることができず、パニック障害になったことは以前書いた(413)通りである。ましてや我々の生活は困ったことだらけ、不安だらけである。不安を感じなくしようと「はからう」必要はない。「はからう」と前述の森田先生の言葉のように、さらに状況は悪化する。不安を抱えながら、必要なことを一つ一つやっていくうちに、いつのまにか不安にとらわれずに行動している自分になっているのである。

2009年8月 7日 (金)

神経質礼賛 453.緊張ということ(その4)

 いよいよ明日から甲子園の全国高校野球大会が始まる。TV中継されている中、甲子園の大観衆の前で、試合に臨む選手たちの緊張は大変なものだろう。一昨年(平成19年夏)の甲子園では、試合前に、新宗教系高校の選手たちがベンチ前に大の字に寝転がり、一方、対戦する高校の選手たちは一列に並んで正座していたのが話題になった。いずれも過度の緊張をほぐすためのメンタルトレーニングだった。結果は正座したチームが逆転勝ちしたとのことで、「平常心になれて、甲子園でも普段の野球ができた」と選手が語っていたという。もちろんメンタルトレーニングの優劣だけで勝負が決まるわけではないとは思う。

 緊張せずに実力を発揮できるようにする脳トレーニング流行の昨今である(426話)。今年はまた新手のメンタルトレーニングが登場するかもしれない。しかし、根本的に緊張はなくなるものではない。緊張するのは自然なことであって、緊張感が足りなくても実力が十分に発揮できないのだ。最初は激しく緊張しながらも、次第に「ものそのものになって」いき、試合に没入した状態になれば、平常心の状態で実力を出し切ることができる。

 神経質人間は緊張しやすい。特に本番直前になると、あれこれと余分なことを考えてしまい、失敗したらどうしよう、などと予期不安するものである。そうした不安をかき消そうとせずに、浮かぶままに、手足を動かし必要なことをしゃべっていけば、何とかなる。

 10月に地区の精神科医の集まりがあって、症例報告の発表を頼まれた。私にとっては「苦手種目」だが、引き受けた。例によって激しく緊張しながらハラハラドキドキでやらせてもらうつもりだ。

2009年8月 5日 (水)

神経質礼賛 452.クレジットマスター

 この頃、日本でもクレジットマスターという手口で他人のクレジットカード番号を割り出し、ネット通販で他人になりすましてカード決済する犯罪が出始めている。これだと全く防ぎようがない。自宅に置きっぱなしで全く使っていないカードでもこの被害にあう可能性があるのだ。

 16桁のカード番号のうち何桁か(下4桁?)はチェックデジットである。チェックデジットはデータ入力ミスをチェックするためのもので、バーコードや書籍のISBNという番号にも利用されている。本来のコード番号にある一定の計算をしてチェックデジットを算出して何桁かの数字を付け加えているのだ。従って、実在する複数のカード番号の間には規則性がある。それを逆手に取って、手持ちのカード番号にある計算を施すと、他の実在するカード番号が割り出されるというのが、このクレジットマスターという手口である。

 ネット通販ではカード番号と有効期限を入力するだけで決済できるところがあるので、この犯罪がまかり通ってしまうのだ。カード上の名前をアルファベット入力させるとか暗証番号と照合するとかすれば防げるのだが、業者側としては、めんどうにすれば客が逃げるし、詐欺にあっても保険で補償されるから、ということで、改善しようという動きはないのだそうだ。

 私はクレジットカード嫌いで、カードはなるべく増やしたくないが、子供の音楽教室でさえ、専用のクレジットカードを作らないと入会できなかった。仕方なしにだんだん枚数が増えてしまう。ネット通販もほとんど利用しない。今のところシンセサイザーソフトのヴァージョンアップにカード決済した1回だけである。しかし、世の趨勢でネット通販を利用している人は非常に多くなっている。ネットオークションの愛用者も増えている。知らないうちに自分のカード番号を割り出されて使われてしまう可能性があるのだから、カード会社から明細書が送られてきたら、すぐに神経質にチェックするに限る。

2009年8月 3日 (月)

神経質礼賛 451.生ラーメンはむずかしい

 デパート・スーパーの物産展やラーメン博物館などで売られている生ラーメン。おいしそうに見えてついつい買ってしまって、いざ作る時に往生する。今まで何度か大失敗もしている。最大の難関は麺を茹でる時だと思う。

 茹でる前に他の作業をすべて完了しておくことは絶対条件である。茹で始めたら他のことはできないし、モタモタしていたら麺がのびてしまう。袋を開けるだけと思っても、意外に手間取るものだ。スープを作って丼に入れておき、具材も直ちに入れられるよう準備しておく必要がある。真剣勝負だ。

 問題の茹でだが、失敗する主な原因は、湯量不足つまり鍋の大きさが十分でないからである。お店のように巨大な鍋にお湯を沸かしておき、1人分の麺を入れるザルを使って茹でる、なんていうことは家庭ではできない。生ラーメンの説明書では、1人前に必要な湯量は、少ないもので1リットル、多いものでは2リットルと書かれている。インスタントラーメンに比べると必要とする湯量が多い。家庭用の普通の鍋では2-3リットルしか入らないものが多いので、1回に茹でられるのはせいぜい2-3人前が限度だろう。

 先週、遅い時間になってあわてて作るはめになった。子供たちは腹をすかしている。いつもの鍋で2人前ずつ茹でようと思っていたら、あいにくその鍋がふさがっている。探すと普段使ったことのないステンレス鍋があった。直径は大きいが深さが足りないような気もする。しかし、時間がないのでお湯を沸かして4人分の麺を投入する。やはりムリだった。温度が下がって思うように茹らない。茹で汁は白濁しドロドロ。ゲル状態となる一歩手前である。鍋底には麺が焦げ付く。これはまずい。とにかく太い菜箸で力任せに麺をほぐす。「ざるラーメン」だったのが不幸中の幸いで水によくさらして、かろうじて食べられるレベルだった。

 次回はもう同じ失敗はしない。湯を沸かす前に計量カップで水の分量をチェックして十分な湯量で作ろうと思う。神経質を生かして、生ラーメンをおいしく食べたいものだ。

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