神経質礼賛 470.そのままでよろしい
神経質人間は些細なことが気になる。気になるのは仕方がないとして、それを何とか気にならないようにしようと「はからう」ことが神経症の症状を引き起こすのである。人前で恥ずかしい、緊張する。これは誰でもあることなのに自分に特有のことであるかのように思い込み、それを避けようとすれば対人恐怖になる。不潔は気持ちが悪い。これも誰もが感じるところなのだが、不潔を極度に嫌って何度も手を洗いなおしたり、ちょっと汚れたと感じただけで洗濯しなおしたり極端な場合衣服を捨てたりしていたら不潔恐怖になる。
15歳の頃から些細なことが気になり、1冊の本を置くにも十回、二十回と置き直さなくては気が済まず、「永久に不幸が続く」という強迫観念に悩む22歳の女子学生が森田正馬先生の診察を受けた。2回の診察の後、約1年後の3回目の診察の記録から引用してみよう。
「氣にしてもよいか」と問ふたら、ダメです。よい事はない。仕方がないのである。Man is mortal「人は死すべきものである」といはれて、「ハー成るほど、恐ろしいものですな」とか、感服すればよいのに、「それでは死んでもよいですか」と問ふたらダメです。そんな人が自殺するとかいふ事にもなるのです。「夏が来れば暑い」、「そんなら暑いと思つて居ればよいか」と問ふてはいけない。思はなくとも、暑いから、其のまゝでよろしい。夏は暑い。いやな事は氣になる。不安は苦しい。雪は白い。夜は暗い。何とも仕方がない。それが事実であるから、どうとも別に考へ方を工夫する余地はない。
貴方は私の言葉を憶えて行つて、それを考へては、思想の矛盾になつて、益々迷ひを深めるばかりです。只、「なるほど」と感心しさへすれば、それが事実となつて、簡単に治るやうになる。 (白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.40-41)
「あるがまま」というとわかりにくいが、「そのままでよろしい」といえばもう少しわかりやすくなると思う。鈴木知準先生流に言えば、気になることも不安も「それっきり」であろう。いろいろなことが気になるまま、仕方なしに、そのままで必要なことをやっていけばよいのだ。気にしないようにする必要はないし、それは逆効果であって、そのままにしておくところがミソである。行動しているうちに、気分は後からついてくるものである。神経質という財産を「症状」に無駄遣いしていてはもったいない。神経質の活かしどころはいくらでもある。
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