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2009年9月28日 (月)

神経質礼賛 470.そのままでよろしい

 神経質人間は些細なことが気になる。気になるのは仕方がないとして、それを何とか気にならないようにしようと「はからう」ことが神経症の症状を引き起こすのである。人前で恥ずかしい、緊張する。これは誰でもあることなのに自分に特有のことであるかのように思い込み、それを避けようとすれば対人恐怖になる。不潔は気持ちが悪い。これも誰もが感じるところなのだが、不潔を極度に嫌って何度も手を洗いなおしたり、ちょっと汚れたと感じただけで洗濯しなおしたり極端な場合衣服を捨てたりしていたら不潔恐怖になる。

15歳の頃から些細なことが気になり、1冊の本を置くにも十回、二十回と置き直さなくては気が済まず、「永久に不幸が続く」という強迫観念に悩む22歳の女子学生が森田正馬先生の診察を受けた。2回の診察の後、約1年後の3回目の診察の記録から引用してみよう。

「氣にしてもよいか」と問ふたら、ダメです。よい事はない。仕方がないのである。Man is mortal「人は死すべきものである」といはれて、「ハー成るほど、恐ろしいものですな」とか、感服すればよいのに、「それでは死んでもよいですか」と問ふたらダメです。そんな人が自殺するとかいふ事にもなるのです。「夏が来れば暑い」、「そんなら暑いと思つて居ればよいか」と問ふてはいけない。思はなくとも、暑いから、其のまゝでよろしい。夏は暑い。いやな事は氣になる。不安は苦しい。雪は白い。夜は暗い。何とも仕方がない。それが事実であるから、どうとも別に考へ方を工夫する余地はない。

 貴方は私の言葉を憶えて行つて、それを考へては、思想の矛盾になつて、益々迷ひを深めるばかりです。只、「なるほど」と感心しさへすれば、それが事実となつて、簡単に治るやうになる。      (白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.40-41

 「あるがまま」というとわかりにくいが、「そのままでよろしい」といえばもう少しわかりやすくなると思う。鈴木知準先生流に言えば、気になることも不安も「それっきり」であろう。いろいろなことが気になるまま、仕方なしに、そのままで必要なことをやっていけばよいのだ。気にしないようにする必要はないし、それは逆効果であって、そのままにしておくところがミソである。行動しているうちに、気分は後からついてくるものである。神経質という財産を「症状」に無駄遣いしていてはもったいない。神経質の活かしどころはいくらでもある。

2009年9月25日 (金)

神経質礼賛 469.ピースサインの謎

 子供に頼まれて学校行事の写真をプリントアウトしてみると、どれもこれもピースサイン(Vサイン)のポーズをした写真ばかりである。まるで、ピースサインをしなければならないというルールでもあるようで不思議である。と思っていたら、915日付読売新聞夕刊「いま風」というコラムで酒井順子さんが「レンズの前 奇怪な同調」という記事を書かれていた。酒井さんもカメラの前で全員がピースしている光景に違和感を覚えておられるようだ。ピースサインは笑顔の言い訳になる、一緒に写真に写る人との一体感づくりに役立つ、といった効用がある反面、写真を撮られる時にはピースをするのがマナーと思われてはいないか、ピースをしない子がいじめられたりしないか、と心配もされている。

 神経質で小心者の私は写真の写り方も控えめである。ところが、一枚だけピースサインをしている写真が残っていた。今から25年ほど前の写真だ。入社4年目の2月上旬、会社の後輩たちから熱心に誘われて日曜日に日帰りで東京ディズニーランドへ行った。アルコールが入っているわけでもないのに、頭にはドナルドダックの帽子をかぶり破格の笑顔でピースサインをしている。「先輩、頭がおかしくなっちゃったかと思いましたよ」と後輩から言われた。実はこの時は、会社に辞表を出し、浜松医大受験のために(会社には私用とだけ告げて)2日間の有休を申請した直後のことだった。退路がなくなったことで何かふっ切れたような心境だったのだと思う。この「とらわれのない心理状態」が奇跡的な合格を呼び込んだのかもしれない。

 Vサインの起源はチャーチルだと言われている。チャーチルにしてもケネディにしても歴史に名の残るような政治家のVサインは実に格好がいい。日本人でピースサインが似合う人はどうも少ないような気が私はする。しかし、仏頂面で写りがちな神経質人間の場合、たまには、ピースサインをしながら笑顔で写真に納まるのも悪くはないだろう。ピースサインそのものより、ピースサインによって引き出される笑顔の方に御利益があるのではないだろうか。やはり、笑う門には福来る、である。

2009年9月21日 (月)

神経質礼賛 468.彼岸花

9月の中旬になるとあちこちで彼岸花が咲いているのを見かけるようになる。近所の「つつじ通」と呼ばれる所でもつつじの木の中からひょっこり彼岸花が頭を出して咲き乱れている。東北地方では稲刈りの始まる合図の花です、とNHKニュースのアナウンサーが言っていた。現在JR東海の車内ポスター広告・万葉集シリーズは彼岸花を前景にお寺らしき建物を撮った写真で、「路の辺の 壱師の花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻を」という柿本人麻呂の歌が添えられている(JR東海の「万葉集」というホームページでも見ることができるがポスターとは別の画像である)。「壱師の花」は彼岸花だとするのが通説である。柿本人麻呂は万葉集の代表的歌人でありながらその生涯は謎に包まれている。梅原猛の「水底の歌」が話題になったこともあった。従来は地方回りの下級官吏とされていたのに対して、高級官僚だったが政敵によって石見国(島根県)に流され刑死した、という説である。別の人が書いた本では、「いろは歌」は無実の罪で処刑された人麻呂の作だとしていた。「いろはにほへと・・・」を7字ずつ区切って最後の文字を並べれば「とかなくてしす(咎なくて死す)」という人麻呂からのメッセージだという。古代史はわかっていないことが多いだけに、いろいろな説があって面白い。

 彼岸花(曼珠沙華)は稲作と同時に日本に伝来した帰化植物なのだそうだ。球根性の植物で鱗茎にはリコリンという有毒物質が含まれている。そのため、モグラやネズミなどの動物を寄せ付けない目的で墓地や水田の畦に植えられてきたと考えられている。ただし、リコリンは水溶性で長時間水にさらせば毒抜きができるので、デンプンを多く含んだ鱗茎は飢饉の時に食用された歴史もあるらしい。

 「死人花」「地獄花」などの異名もあって、彼岸花の花としての人気は芳しくない。花言葉は「悲しい思い出」なのだそうだ。墓地に咲く花としても白百合や野菊くらいなら良いが、強烈な色で目立ちすぎるのがいけないのだろうか。神経質人間だと、彼岸花→お墓→死、という連想が働いて「死の恐怖」を呼び覚ますためか、私も彼岸花を見ると、ちょっとドキッとしてしまう。しかしながら、目の前のカレンダーで一輪をアップに撮った写真をあらためて見ると、独特の花弁の形や長く反り返ったおしべの形はなかなか面白い。素直に彼岸花の美しさを認めてあげてよいのではないかとも思う。

2009年9月18日 (金)

神経質礼賛 467.のどもと過ぎれば熱さを忘れる

 ちょうど1年前に「錬金術の果てに」(347話)という記事を書いた。サブプライムローン問題からリーマンショックや大手銀行・保険会社の経営危機が起きた。それにも懲りず、ヘッジファンドが息を吹き返し、損失リスクが不明確なデリバティブ(金融派生商品)が増えてきていることが、最近NHKの番組や新聞などで報道されている。アメリカでは税金を投入して金融機関を救済したにもかかわらず、役員に巨額報酬が支払われることが問題になっている。オバマ大統領が巨額報酬を「グリード(greed:強欲)資本主義の象徴」と糾弾し、危機再発防止のための金融規制法案を成立させようとしても、業界団体が議員たちに強く働きかけて成立阻止を画策しているので、まだどうなるかわからない。低金利政策で金融機関には金がダブつき、リスクの高い運用で稼ごうという流れになってきて、カジノ経済がまた頭をもたげてきている。のどもと過ぎれば熱さを忘れる、の喩えの通りである。昨年来の金融危機や不況に対応するために各国の財政赤字が膨張しているところに、もう一度金融バブルがはじけたらどういうことになるか。今度は国家経済破綻、国際経済破綻をきたす可能性が高いと思われる。

 これが神経質だと、過去の失敗にこだわり二度と轍を踏まないように、熱いものはよく冷ましてから口に入れるようになるものである。敗戦時の情けない自分の姿の絵「しかみ像」(209話)を常に座右に置いて慢心の戒めとした徳川家康、毎日寝る前の一時間を反省の時間にあてていた松下幸之助(211話)の例もある。政治・経済界のトップに立つ人たちには神経質さも必要である。

2009年9月16日 (水)

神経質礼賛 466.カルメン

 私は歌劇はどうも苦手で、せいぜい有名なアリアを聴くだけである。しかしながらオーケストラで演奏されるカルメン組曲やヴァイオリン曲のカルメン幻想曲は大好きである。名ヴァイオリニストだったサラサーテ編曲の「カルメン幻想曲」の楽譜をかつて若気の至りで買ったがとても全曲弾きこなせるシロモノではなかった。この頃はワックスマン編曲のものもよく演奏されるようになってきた。曲の魅力からカルメンには親しみがあって、1984年作の映画「カルメン」(フランス=イタリア)はビデオを買って持っていた。フランチェスコ・ロッジ監督、オールロケで撮影された迫力のある画面、ホセ役は名テノールのプラシド・ドミンゴ、ジュリア・ミゲネス・ジョンソン演ずる妖艶なカルメンはとても魅力的だった。残念ながら、DVDにダビングしようとしたら、途中でテープが切れてしまったので、もう見ることはできない。

 最近TVコマーシャルや新聞の全面広告で「DVDオペラ・コレクション」というのが安く発売されていると知り、書店で第1巻「カルメン」(990円)を買ってみた。1978年にウイーン国立歌劇場でライブ収録された映像である。ホセ役は映画と同じドミンゴ、カルメン役はエレーナ・オブラスツォワだが、このカルメンさんの正面からのアップ映像はどうも細木数子さんのお顔を連想してしまう。しかしながら、映画とは異なる歌劇本来の魅力を伝えてくれる良品だと思う。

 初演された当時は極めて不評で、作曲者のビゼーは間もなく急死している。衛兵の伍長をしていたドン・ホセはジプシー女のカルメンに心を奪われ、婚約者を捨てて密輸団に身を落とすが、カルメンは闘牛士に心移りし、復縁を迫るホセが闘牛場でカルメンを刺殺する、というストーリーである。今風に言えばストーカー殺人ということになろうか。

 新聞の三面記事を見ていると、ストーカー事件は結構多い。というより、増えているという印象がある。ストーカーの心理を分析した書物が出ているが、必ずしも妄想や人格障害がなくてもストーカー行為に至るケースもあるかと思う。

 その点、私のような対人恐怖タイプの神経質人間だと、「自分はダメだ」とすぐあきらめて引いてしまうので、ストーカーにはなれそうもない。小心者の神経質人間は人畜無害である。

2009年9月14日 (月)

神経質礼賛 465.秋祭り

 一昨日、病院行事の秋祭りがあった。あいにくの雨天で、ボランティア団体の方々の太鼓演奏や舞踊は中止となった。午後から雨間をみながら模擬店と盆踊りが行われた。私は開会の挨拶を頼まれていた。祭りの模様は最初から最後までビデオに撮影されて、後日、各病棟で患者さんや職員さんたちが見ることになるので、失敗は許されない、と思うと例によって緊張するが、何とかこなした。模擬店は、焼きそば、ヤキトリ、かき氷、フルーツ盛があって、係の職員さんが作る。森田療法で入院中の患者さんたちも手伝ってくれる。どれも数十円なので、患者さんたちは次々とおかわりする。楽しい午後のひと時である。外来診察の合間に窓から会場となっている中庭を眺めると、ニコニコ顔が並んでいる。

午前中に降った激しい雨のため、中庭の周囲に張り巡らしたしめ縄に付けてある白い紙が落ちてしまっていた。外来の看護師さんが「あれって何ていうんでしょうねえ」と言う。若い事務員さんも首をひねる。幣(ぬさ)である。百人一首の中にある菅原道真の歌「このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」に出てくる。御幣(ごへい)ともいい、「五平餅」は御幣に形が似ていることからきていると言われている。また、「御幣を担ぐ」は最近聞かなくなった言葉であるが、縁起をかつぐことである。御幣を担いで不吉なものをお祓いすることによる。

以前述べた不吉な語呂合わせ(444話)の数字を避けるのも御幣担ぎである。将棋の棋士が勝った時のネクタイを続けて使うとか、試験の前に豚カツを食べるとかいった、いわゆる「験(げん)かつぎ」はよくあることである。しかし、あまり「4」や「9」や仏滅の日を避ける、などということをやっていたら日常生活に支障をきたすことになる。やりたくないことを先送りする口実になりかねない。これがひどくなると強迫神経症の縁起恐怖である。もっと神経質を生かすべき場所はたくさんある。御幣担ぎもほどほどにしておいた方がよい。

2009年9月11日 (金)

神経質礼賛 464.子を思ふ道にまどひぬるかな

 いつも通勤途中に通りかかるお寺の掲示板。たいてい1、2週間で新しい標語に変わるのだが、ここ1ヶ月以上同じままでどうしたのかな、と思っていたら、先週の土曜日の朝には新しくなっていた。「人の親の 心は闇に あらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな  藤原兼輔」という和歌が書かれている。

 藤原兼輔は堤中納言とも呼ばれた歌人で紫式部の曽祖父にあたる。この歌は後撰集に収録されている。大和物語では、醍醐天皇の後宮に更衣(女御よりも位が下)として入っていた娘(楓御息所)が帝の寵愛を失わないようにと願った歌とも伝えられている。

 いつの世でも子を思う親の心は同じである。子を思うあまり親バカになってしまうことがしばしばある。過保護・過干渉が良くないことは頭ではわかっていても子供のことが心配でついやってしまうのだ。そしてそれが子供をダメにすることもある。「親はあっても子は育つ」という逆説的な坂口安吾の言葉が思い浮かぶ。

 我が家でも、だらしない生活をしている息子に妻が小言がてら感情的に怒りをぶつける。息子もふてくされてますますヒネクレる。親心でいろいろと注意したくなるのはよくわかるが、幼児ではないので、本人が「これではいけない」と自分で変える気にならないことには始まらないし、怒りをぶつけるのは逆効果である。わかっているのに感情的に言われると面白くないからますます言うことを聞かなくなるのである。

 私が息子と同じくらいの時を思い返してみれば、学校の勉強をサボり、生活もだらしない時期があった。そして、ささいなことで親や教師に反発した。今になって、ずいぶん親に心配かけたものだ、と反省している。当時は音楽と電子回路にハマっていたが、もし今のようなゲーム機があったら、私もそれにハマっていたかもしれない。こんな親だから子供が不出来なのは当たり前のことである。注意するのは人に迷惑をかけそうな時だけにして、あとは時間がかかっても少しずつ成長するのを辛抱強く待つことにしている。私も神経質人間だから細かいことを言いたくなるがガマンである。

2009年9月 7日 (月)

神経質礼賛 463.「うっかり八兵衛」は不眠症?

 先週火曜日の夜、たまたまTVをつけてチャンネルを回していたら、「たけしの本当は怖い家庭の医学」で不眠症をやっていた。ゲストの中にドラマ水戸黄門の「うっかり八兵衛」役を長年演じている高橋元太郎さんがいた。役の上ではひょうきん者で失敗ばかりしているのであるが、実際の高橋さんはまじめで几帳面であり神経質のようだ。撮影で遅刻してことは一度もない「しっかり八兵衛」と御自分で言っておられた。悪役専門の俳優さんが実生活では人への思いやりが深く気配り上手のとてもいい人だったり、ヒーロー役の俳優さんが実生活では問題ばかり起こしていたり、と役柄と本来のキャラクターが一致しないことはしばしばあって面白い。高橋さんは不眠に長いこと悩み、「羊が1匹、羊が2匹・・・」と数えていても眠れなくて困るという。今では活動量を記録する小さな器具があるので、ゲストたちがそれを体に付けて解析されて、やはり不眠症と診断された。眠れなかったらどうしようという不眠へのこだわり、いわば不眠恐怖が原因であり、神経症性不眠ということもできよう。

 森田正馬先生の治療を受けた人たちの集まりである形外会の会長をしていた香取さんという貿易商は、当時の脳科学者の「眠らないと脳の重量が少しずつ減少して死ぬ」という説を聞いて恐ろしくなり、大磯に別荘を建てて温度や湿度を適度に保てる特別室を作ったが、不眠は改善しなかった。まだエアコンのない昭和初期のことであるから大変な出費だっただろう。散歩が不眠によいと言われて、毎日天候にかかわらず長時間散歩してもダメだった。舟を漕ぐとよいと言われて大波の日でも漕ぎに出たが効果がなかった。結局、森田先生の本を読んで一晩で治ったという。つまり「眠るために・・・する」ということをしているうちは不眠が続くのである。眠ろうとする努力を忘れた時、不眠症は治っているのである。

2009年9月 4日 (金)

神経質礼賛 462.薬価の怪

 今年、新たに発売されたパーキンソン病の薬「トレリーフ」は25mg1錠が1084.9円と極めて高価である。ところが、同じ会社から全く同じ成分(一般名ゾニサミド)で以前から販売されている抗てんかん薬「エクセグラン」は100mg1錠が38.5円と安い。同じmg数で計算すると「トレリーフ」は「エクセグラン」の約114倍もの高値である。

 どうしてこんなことになったのだろうか。薬の値段である薬価は厚生労働省が諮問機関の算定に基づいて決めている。抗てんかん薬「エクセグラン」のパーキンソン病への効果がわかり、臨床試験を行った上で、別の新薬として申請したところ認められた。すでに発売されているパーキンソン病の新薬の薬価に近い高値に設定されてしまった。

 厚生労働省は医療費抑制のためなるべく安いジェネリック薬品を使うように誘導しているのに、同じメーカーの同じ薬に100倍以上の高い薬価をつけるというのは常識はずれである。新たな臨床試験に費用はかかったにせよ、すでに市販されている薬なのだから、薬価は元の「エクセグラン」より若干高い程度に設定すべきではないだろうか。幸い多くのパーキンソン病患者さんは公費補助が受けられるので自己負担はないというが、そのツケは税金で払うことになる。結果的には税金で製薬会社に余分な金を払うことになる。

 医療費を安くするためのジェネリック薬品の問題点は以前指摘したことがある(103話)。最近はオリジナル薬で処方箋を出しても、患者さんが調剤薬局でジェネリックを希望すれば変更できるようになっている。ところが、おかしなことにオリジナル薬にある適応疾患がジェネリックにはない、というものもある。そうなると、患者さんの希望でジェネリックが処方され、適応のない病気に対して薬を処方したとして医療機関側がペナルティーを払うことになって、実に不合理である。

 薬価の設定やジェネリック薬品のオリジナル薬との整合性にはもっと神経質になっていただきたい。官僚の独断で常識はずれがまかり通るのでは困る。政権も変わったことだし、もっと風通しをよくして、税金の無駄遣いをなくし、医療機関も不条理に損をすることがないようにしてほしいものだ。

2009年9月 2日 (水)

神経質礼賛 461.ポニョポニョ腹対策

 若い頃に比べると、むしろ体重は減っているのだが、中高年の悲しさ、少し腹が出てきて体型が見苦しくなってきている。脇腹が緩くなり、お腹がポニョポニョしているのを実感する。加齢に伴い、どうしても内臓脂肪や皮下脂肪が増えがちになる。たまに思い立って腹筋運動や腕立て伏せをやってみるが、どうも続かない。年だから仕方ない、とあきらめムードのところに、これは良さそうだ! という新聞記事が目に留まった。

 826日付読売新聞の健康プラスというコラムにドローイン(Draw-in)・・内側に引く・・という方法が紹介されていた。呼吸は止めずに、きついズボンをはこうとする時と同様に腹をへこめた状態を30秒くらい保つ。慣れたら時間を延ばし、回数を増やす。これなら、いつでもどこでもできる。電車に乗っている時でもOKだ。これを続けると腹腔を引き締める働きをする腹横筋が強化されて腹囲が減少するのだそうだ。もちろん、内臓脂肪や皮下脂肪を直接減らすわけではないので、食事内容に気をつけたり、脂肪を燃焼させるような運動を心がけたりすることも必要ではある。なお、腹横筋の強化は腰痛の予防にもなるそうである。

 おっと、問題はポニョポニョ腹だけではなく、ヒップアップも必要だった。どの対策も根気強く続ければそれなりに効果が出てくるだろう。細く長く続ける神経質の本領が発揮できればいいなと思っている。

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