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2009年11月30日 (月)

神経質礼賛 490.腰を軽くする

 神経質人間は、用心深く慎重なので、大きな失敗は少ない。それは長所であるのだけれども、気が付いていても行動に取り掛かるのが遅いので、結果的には気が回らないのと同じになってしまうことがある。頭の中では「めんどうだなあ」「もっとラクな方法はないかなあ」「誰かがやってくれるんじゃないかなあ」というような考えが巡っているのだ。

 森田正馬先生のもとに入院経験者や外来通院中の人が月1回集まる「形外会」の場で、先生が参加者たちを叱る場面があった。先に来た人たちが前に詰めないので、後から来た人たちが座れない、ということがあったからだ。誰しも状況はわかっていたはずだが「先生に近いところでは恥ずかしい」「何か言われたらどうしよう」「自分が前に詰めなくても誰かが前に詰めてくれるんじゃないか」と思って動かなかったのだろう。気が付いたら、腰を軽く行動することが大切である。森田先生は次のように言っておられる。

 腰が軽いという事は、思い立った事に、早く気軽く手を出して実行する事であって、これは何事にも功利的で、一つ一つの事に労力と時間の見積もりを立て、損得を打算し、骨惜しみをして、物事をおっくうに思うという事のない時にできる事である。つまる所は捨身の態度という事に帰着する。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.743

 日常生活の中では、「めんどうだ」「何で自分がやらなきゃならないんだ」とか考えている間に、腰を軽くしてサッと自分が行動すれば済んでしまう雑用はいくらでもある。さらにちょっとめんどうな仕事であっても、「神経質を生かす仕事法」(70話)で書いたように、気分は乗らなくてもとにかく手を出していけば、本来、神経質人間は有能であるから、どんどん仕事が片付いていく。そして気分も後からついてくるものである。

2009年11月27日 (金)

神経質礼賛 489.こころの窓

 秋も深まり紅葉の季節となった。年に1回くらいは京都を散策してニシンそばを食べたいなあ、と思うばかりで、ここ数年すっかり足が遠のいている。朝のニュースでは紅葉の美しい京都・源光庵からの中継映像が流れていた。この庭園は本堂に座して窓越しに見るようになっている。丸窓と角窓があって、それぞれあたかも額縁に収まった名画のようでもある。丸窓は「悟りの窓」、角窓は「迷いの窓」と呼ばれている。丸は広い宇宙をあらわすのだそうです、とアナウンサーが言う。窓越しに同じ景色を見るのでも、窓の形が異なるとずいぶん違った印象に見えるものである。ましてや窓が大きいか小さいかで全く別の景色にもなるだろう。

 神経質な性格に悩む人の場合、木を見て森を見ず、というようなところがある。たとえて言えば、小さい窓を通して景色を眺めているようなものである。まだ紅葉していない部分だけを見たのではつまらないし、紅葉したごく一部分だけを見ても面白味が少ない。全体を見るためには窓を大きくする必要がある。こころの窓が小さいと「症状」などの悪いところばかりを拡大して見てしまうわけである。

 こころの窓を大きく広げるにはどうしたらいいだろうか。ただ座って待っているだけでは窓は広がらない。不安を抱えたまま外に向かって行動していくことである。行動していろいろな方面に神経質を発揮していけば、森田正馬先生の言葉「四方八方に気を配るとき 即ち心静穏なり」(217)の状態となって不安はあってもないも同然となる。その時には、こころの窓も大きく開いて、全体を見渡せるようになっている。そして「症状」も忘れているのだ。

2009年11月23日 (月)

神経質礼賛 488.屁

 高校の古文の教科書に出ていたか、どこかの大学入試問題で見たか、記憶が定かではないが、今昔物語集におならの話があった。近衛の舎人(武官)がお寺の学問所で高僧たちと話をしている際に、「あやまりて、いと高く鳴らしけり」・・大きなおならをしてしまった。誰も何も言えず沈黙が続き、舎人は「あはれ、死ばや(ああ、死にたい)」と言ったところ爆笑が起り、舎人はその場を逃げ出した、というものだ。沈黙の時の気まずい空気がよく伝わってくる話である。

 中学の時に英語の先生が授業中に大きなおならをしてしまい、間髪を入れず「あ、わりいわりい」と言われて笑いが起ったがすぐに静まった記憶がある。すぐに一言謝れば、別に何ということもないのだが、即座に謝るにはちょっと度胸がいるだろう。高校2年・3年の同級生に「ブブ」というあだ名の男がいた。そう、彼は授業中でも大きなおならをしてしまう人だったのだ。おならをした時にはいつも顔を赤らめて何も言わずニヤニヤしているだけだった。同姓者が多いありふれた苗字だったから先生まで「ブブ君」と呼んでいて、本人も嫌なそぶりを見せなかったし、私と違って授業中に手を挙げて積極的に発言する人だった。女子から嫌われることもなく、結構、愛されるキャラクターだったように思う。ブブ君は数学や物理が得意で確か京大の理学部に進学した。10年くらい前のクラス会で会った時には、大学で助教授をしているという話だった。

 おならは生理現象でどうにもならないし、それにまつわる言葉「屁とも思わない」「屁の河童」からしても取るに足りないことである。神経質な人には人前でおならをしたらどうしよう、と心配する人がいる。おなら恐怖で人前を避ける人もいる。出てしまった時に咄嗟に謝れなくても、顔を赤らめて黙っていても大した問題ではない。ブブ君のように頻繁に放屁していると目立ってしまうけれど、一度や二度はどうということはない。

 時に、単純なおなら恐怖に留まらず、「気が付かないうちにおならが洩れていて周りの人に嫌な思いをさせている」と思い込むような人が重症対人恐怖の中にいる。そうした場合は心理療法だけで改善させるのは困難で薬物療法が必要なことがあるので精神科受診をお勧めしたい。

2009年11月20日 (金)

神経質礼賛 487.白色発光ダイオード(LED)の中央はなぜ青い

 長年、白衣のポケットに入れて使ってきたペンライトがそろそろお疲れである。単5電池2本使用のもので、瞳孔を見たり、皮膚病変を照らして見たりするのに重宝してきた。しかし、何度も落としてプラスチック製の本体はヒビだらけで見た目が悪い。最近では白色発光ダイオード(LED)を使用したペンライトが安く出回っているので買ってみた。消費電力が少ないので電池が長持ちし、電球と違って衝撃に強いという特長がある。しかし、実際に使ってみると、照らした時に最も明るい中央部は青色になってしまって、皮膚などの色調が変わって見えて診察には不都合である。数年前にキーホルダー付の白色LEDライトを買っていつもズボンのポケットに入れているが、これもやはり中央部は青くなる。私のような神経質人間でなくても気になる人はいるだろう。

 どうしてこのように中央部が青くなってしまうのだろうか。実は、懐中電灯などに使われている白色LEDの正体は青色LEDなのである。正式には擬似白色LEDと言って、青色LEDチップを蛍光体で覆い、蛍光で得られる赤から緑までの光と、蛍光体を透過した青色が合成されて、白色を得ているのである。従って、中心部の最も明るい部分はどうしても本来の青色が出てしまうのである。青みがかった白色だと少し冷たい感じがする。赤色LED、緑色LED,青色LEDの3原色の光を合成して白色を得る方法もあるが、各色のバランスが難しいし、コストが高くなってしまうため、今のところ蛍光体を用いた擬似白色LEDが主流になっているようだ。

 電光掲示板、信号機、自動車のブレーキランプなど、電球に代わってLEDが幅広く使われるようになってきた。長寿命・低消費電力で大変良いことである。最近になって家庭用60W白熱電球の代わりに使えるLED電球も14000円程度で市販され始めた。消費電力はわずか約7Wだ。我が家では消費電力の少ない電球型蛍光管を多用しているが、もう少し安くなってくれればさらに長寿命で低消費電力のLEDランプに交換したいと思っている。今後も低コストで製造するための技術開発が進むことを望む。欲を言えば均質な白色が得られる工夫もお願いしたいところである。

2009年11月16日 (月)

神経質礼賛 486.対人恐怖の告白

 最近送られてきた日本森田療法学会雑誌の最新号(第20巻2号)に、黒川順夫(のぶお)先生の、<「パニック障害」および「対人恐怖症」に対する森田療法実施の相違点>という論文が載っていた。35話で述べたが、黒川先生は「主人在宅ストレス症候群」という著書で有名であり、大阪で内科クリニックを開業されている。かつては御自身が「対人恐怖症」に苦しみ、水谷啓二さんのもとで森田療法を受けられた。そして医大卒業後、九大の心療内科で学ばれているが、そのきっかけは、心療内科の大家である池見酉次郎教授もかつては赤面恐怖症で悩み、森田療法を受けたことがあると知ったためだそうである。学会発表や論文では御自分を「症例」として発表されている。

 黒川先生はパニック障害の患者さんたちに「歩行訓練療法」というユニークな外来森田療法を行っている。パニック障害の人はパニック発作を恐れるために、電車、会議、美容院、歯科治療など途中で抜け出せない場面を避けるようになり、さらには一人では外出も困難になってしまう。歩行訓練療法は、まず徒歩20分程度の目標地点とコースと時刻を決め、短い距離から始めて、だんだん距離をのばしていく、不安はあっても一人で歩行し乗車できるようにしていくというものだ。認知行動療法の系統的脱感作療法と似ているが、昨日の地点までは今日も必ず歩くように指導し、症状の有無を問題にしないところに森田療法的な特徴がある。

 パニック障害の場合は人に告白して依存したいという「甘え」があるので告白しやすいのに対して、対人恐怖の人はそもそも「人前で赤くなってはいけない、恥ずかしがってはいけない」という自分の弱みを見せたくない心理が働くので、なかなか人に告白できるものではない。黒川先生は月1回集団療法を行い、そこで自分の症状について告白してもらうようにしている。緊張しながらも逃げずに行動できるのが第一のゴールだとすれば、人前で隠さずに告白でき、建設的・積極的な行動ができるのが最終ゴールだとしている。パニック障害の場合、比較的短期間で改善し、「頓悟」ともいえる状態になりやすいが、対人恐怖の場合、年数を要し、「漸悟」のことが多いという。黒川先生の場合、患者さんに対して御自分が対人恐怖だったことを告白できるようになったのは50歳頃のようだ。私も患者さんの前で自分が対人恐怖だったと告白することはできなかった。弱みを見せたくない意地っ張り根性もあったし、精神科医が対人恐怖だったというのではまずいだろうという「悪智」が働いたこともあるだろう。黒川先生と同様、50歳近くなってやっと公然と言えるようになった。

 赤面恐怖・対人恐怖(今風に言えば社交不安障害)に悩んでいるが近くに森田療法を指導してくれる医療機関がないという方には、「生活の発見会」に参加されることをお勧めしたい。全国各地で月1回の集談会が開かれている。最終ゴールに向けて大きな一歩となるはずである。

2009年11月13日 (金)

神経質礼賛 485.シャーロック・ホームズの冒険

 書店の雑誌コーナーをのぞいたら、宝島社から出ている「シャーロック・ホームズの冒険」DVD BOOKが目に留まった。以前NHKで放送されていたイギリスのグラナダTV製作のTVドラマシリーズである。NHK版のDVDセットは高価だが、通販では日本語吹き替えナシ・対訳本付の全シリーズセットが2万円弱で販売されている。宝島社のものはやはり吹き替えナシ短編2話で1050円。全巻揃えると通販セットよりちょっと高くつくけれど、ポケットマネーで少しずつ買い足していく楽しみを選択し、とりあえず最初の4巻分を買ってみた。DVDだけあって画質はすばらしい。VHSテープに録画したものとは大違いである。今までは日本語吹き替えに馴染んでいたのでホームズ役・ジェレミー・ブレットの肉声を改めて聞いてみると、ホームズの神経質な部分もよく出ているような気がする。

 そもそも私がホームズにかぶれたのは小学校3、4年生の時だった。図書室にあった確か偕成社の子供向け版を片っ端から借りて読んだ。都会の学校に転校して友達の少ない「いじめられっ子」だった私にとってホームズはあこがれのヒーローだった。さらに中学生になると小遣いで買える創元推理文庫を揃えた。証拠を押さえるために自ら法を犯したり時には復讐殺人の犯人を逃したりする独特の正義感は私に大きな影響を与えたと思う。後にはエラリー・クイーンやアガサ・クリスティーの小説も読むようになったが、私にとって最も魅力的な探偵はホームズである。

 探偵の性格は実にいろいろである。ホームズやクイーンのようにやせ型で神経質な探偵もいれば、太り型でいかにも人当たりの良いポワロや刑事コロンボのようなタイプもいる。アメリカのハードボイルドでは瞬間湯沸器みたいな性格で拳銃を打ちまくる探偵もいる。神経質なホームズと温和なワトスンの組み合わせはお互いの欠点を補いあって最良のコンビだと思う。

ホームズのモデルは作者のコナン・ドイルの恩師で外科医のベル教授だと言われている。難事件が舞い込むと生き生きとするホームズは、難手術を生きがいとする天才外科医とよく似ている。平凡で退屈な生活には耐え切れず、仕事がない日々が続くとコカインに手を出す。超人ホームズにも弱さがあったのだ。晩年は探偵を引退して田舎で養蜂をする健康的な生活になったという設定である。

 第2巻の2話として収録された「ボヘミアの醜聞」の冒頭部分では、ふさぎこんでいるホームズの部屋に戻ってきたワトスンが引き出しの注射器に気付き、What is it tonight, morphine or cocaine?(今夜はモルヒネか それともコカイン?)と問い詰める場面がある。「モルフィーン」と「コケイン」が特に強調されていて英語に弱い私にもハッキリ聞き取れる。そしてI can strongly recommend a seven percent solution of cocaine.(コカインの7%溶液はいい)Would you care to try it?(君もどうだ)というホームズに対して、ワトスンは麻薬の害を説いて、友人として医師として忠告している。

 最近、大学生を中心に覚醒剤や麻薬使用にまつわる事件が急増していることは御存知の通りである。薬物で一時的な高揚感や多幸感を味わっても現実に戻れば大きな落ち込みに襲われるだけであるし、心身を害していく。好奇心から、「ちょっとくらい」で手を出すと取り返しの付かないことになる。こればかりは神経質人間の(融通が利かない)「絶対ダメ」がベストである。

2009年11月11日 (水)

神経質礼賛 484.生きていくということは恥ずかしいことです

 117日の毎日新聞夕刊に俳優の竹中直人さんの居酒屋での写真が大きく出ていた。竹中さんが照れ性であることは、以前も書いた(105話)。子供の頃から極度の恥ずかしがり屋だったそうである。高校生になっても女の子と口をきいたことがなく、一緒にいると緊張して下痢になったという。そんな竹中さんの転機となったのが物まねだった。自分じゃないと思うとしゃべることができて自由で楽しいと感じ、やがてお笑い番組でデビューし、俳優として、さらには映画監督として才能を発揮していくことになる。47歳の時にやっと酒の楽しさを覚え、車の免許を取ってドライブして、自分を開放する時間を作っている。「臆病なんです。有名になって周りが優しくなると、どっかに落とし穴が待っているぞ、と思ってしまう」と自信のない神経質ぶりを語る。インタヴューの最後で「若い頃は大人になったらいろんなことにもっと強くなっていると思っていた。何も変わってないね」と述べた言葉には思わず共感してしまう。

 俳優やお笑い芸人として活躍している人の中には意外に神経質で対人緊張の強い人もいる。けれども、竹中さんのように役そのものになり切ってしまえば、自分に向いていた注意が外に向かうようになり、神経質の良さが存分に発揮できるのである。

対人緊張に悩む人にはイメージトレーニングのように自己暗示をかける方法もある。しかし、かえって「症状」へのこだわりを強めてしまう場合もある。不安を軽くする薬も一時しのぎである。そもそも性格の根本が変わるわけではない。小心者で大いに結構である。図々しい人のように他人に迷惑をかけることはない。ムリに強がろうとせず、弱い自分を素直に認め、弱くなりきる、こんなもので仕方ない、恥ずかしいまま生きていく、という森田療法的な対処法が優れているように思う。

2009年11月 9日 (月)

神経質礼賛 483.心如水

 国民文化祭というものが開催されていて、市文化財資料館で徳川慶喜関連の特別展があったので見に行ってきた。神社の境内にある小さな展示館でその存在を知る人は少ない。1Fは近くの古墳から発掘されたものが常設展示されている。2Fの展示室に慶喜邸日誌、種々の写真、カメラなど愛用の品々が展示されており、書も数点あった。大きく書かれた「静」の一字が目を引いた。目立たない隅の所に「心如水」(実際には右から左に書かれている)という書があった。解説はなく、いつ頃書かれたものかはわからないが、慶喜には似つかわしい言葉のように思う。大政奉還後、一時謹慎生活を送り、晩年は静岡で余生を送ることになる。街の中を自転車で走り回り、市民からはケイキさんと親しまれた。生活の困窮にあえぐ旧幕臣を顧みることなく、狩猟、カメラ、碁といった趣味三昧の生活だったことに対する批判もある。しかし、特定の旧幕臣に近づけば、明治政府転覆の陰謀を疑われただろうから、賢明な身の処し方だったのではないだろうか。そもそも将軍に担ぎ上げられたのは自らの意思ではなかったろう。大政奉還にせよ謹慎・隠居生活にせよ、無益な戦争の火種を元から絶とうと、身を引いたのだと思う。

 心如水で連想するのが羽柴(豊臣)秀吉の軍師だった黒田官兵衛である。織田信長が本能寺の変で急死直後、秀吉は戦っていた毛利と和睦し、すばやく引き返して明智光秀を討つことに成功し、やがて天下人となっていくわけだが、この策を進言したのは官兵衛だった。才気にあふれた官兵衛を秀吉は天下取りの野心があるのではと疑い、疎んずるようになる。そこで官兵衛は「心清き水の如し」で如水と号して出家・隠居した。それでも虎視眈々と天下取りのチャンスを狙っていたとも言われている。

 水はどんな形の器にも収まるし、常に高いところから低いところに流れる。そこには何のはからいもない。心如水は森田正馬先生の言葉で言えば、「柔順」や「純な心」が近いだろう。境遇は自分の力ではどうにもならないことが多い。しかし、うまくいかないのは親のせいだ、学校のせいだ、会社のせいだ、と恨んでみたところで何も得られるものはない。世界中を見渡せば、内戦で家族が次々と命を落としていくような国や、貧困と飢餓と病気にあえいでいる国もある。それを思えば日本に生まれたというだけでも大変な幸運ではないだろうか。グチをこぼしているヒマがあったら、できることを一つでもやってみることだ。ことに私のような神経質人間は、あれこれ批判ばかりしていて動き出すまでに時間がかかるキライがある。理屈は後回しで行動してみれば気分も変わってくる。いざ動き出せば神経質の粘り強さが生きてくるのである。

2009年11月 6日 (金)

神経質礼賛 482.可愛げがある人はトク?

 毎日新聞のコラムでちょっと興味を引いた記事があった。一つは1030日付夕刊の「キャンパる」というページの「すたこら」というコラム。22年間彼氏なしという女子学生さんが書いたものだ。女友達からは慕われて恋の相談を持ちかけられるが、いざ自分の恋愛となると消極的になってしまう。好きな人が自分に好意があるとわかると、こんな自分でいいのか、と引いてしまう。よくモテる友達に言わせると「スキ」が足りないと。人を「好き」になることと態度に「隙」を作ることが恋愛上手になる方法だとまとめている。もう一つは112日付「くらしナビWork」というページに連載されている「女上司の本音」というコラムである。仕事に対する謙虚さ、いちずな姿勢、言い訳せずに黙々とがんばる姿、強がりの中にふと見せるはにかみの表情などに人は感動し、それらの魅力を「かわいい」「可愛げがある」というのであって、成功した人やカリスマ性のあるリーダーは、男女を問わずこの「可愛げ」がある、というのがコラムニストの意見だ。

 この2つの記事を読むと、若い頃に対人緊張でとても悩んだ私としては内心忸怩(じくじ)たるたるものがある。会社員時代には「(女性に対して)お前はスキがなさ過ぎる」と上司からよく言われたものだ。もっともその上司のようにすれ違った女子社員のお尻に自然と手が伸びるようでは、今ならセクシャルハラスメントで御用となる。「可愛げ」も自分には足りないものだ。ある程度のがんばりや謙虚さはあっても、神経質人間特有の意地っ張りのために「可愛げがある」とはお世辞にも言えない。

 確かに週刊誌によく登場するような「成功した人」「カリスマ性のあるリーダー」は可愛げがあるかも知れない。だからといって私のような小心者で可愛げのない神経質人間はまるでダメかというと、そうでもないだろう。今まで当ブログで紹介してきた神経質人間と思われる日本史上の人物、菅原道真(381話)、紫式部(414)、楠木正成(362363話)、徳川家康(11209話)、白隠禅師(388)、乃木希典(382)、松下幸之助(211)いずれを見ても「隙」や「可愛げ」はなさそうであるが、神経質な性格を生かして歴史上に名を残している。われわれ神経質人間は、何とか大胆になれないものかと悩むけれども、性格の根本は変わらない。ただ、行動は変えられる。慎重で注意深く根気強いという神経質の良さはそのまま生かせばよい。人前で緊張したり不安感に襲われたり小さなことが気になってクヨクヨしたりしながらも、ビクビクハラハラのままで行動し、人の役に立つ人間になろうと努力していけばよいのではないだろうか。その行動の積み重ねがいつかは実を結ぶ可能性があるし、仮に実を結ばないまでも充実した人生が送れるというものである。

2009年11月 2日 (月)

神経質礼賛 481.ごみ袋

 私が住んでいる市内の大手スーパーでレジ袋が有料化されて2年以上たった。今ではスーパーに買物に行く時には必ず袋持参である。当初は袋を忘れてスーパーの入口で気付いてあわてて家に戻ることもあったが、そこは神経質、最近はバッチリだ。仕事帰りに急に買物をする場合も考えて、かばんの中にも白色ビニール袋を常駐させている。車のドアポケットにも常備している。有料化前にマイバッグがサービス配布されていたが、小さ過ぎて使い物にならないし、牛乳や肉・魚介類を入れると中が濡れて厄介である。それに、見た目は良いが強度的にちょっと不安がある。牛乳パック3本とじゃがいも・にんじんなどの重い物を入れることはマイバッグでは想定外らしい。また、レジ袋では弱くて商品の角で穴があきやすいため繰り返し使用には向かない。結局白色ビニール袋を繰り返し使っている。

それはよいのだが、レジ袋の大部分は焼却時に有害物質を出さないということで市指定を受けていて、ごみ袋として利用してきた。レジ袋がもらえなくなってからというもの、ごみ袋として保存していたレジ袋のストックがそろそろなくなってきた。今でもレジ袋を無料でくれるホームセンターの袋は貴重品で、予測されるごみの量に見合ったサイズのものを使い、ムダにならないように利用している。もちろん以前から市指定のごみ袋は販売されているのだが、大型45リットルと小型20リットルサイズが売られているだけで、少量のごみを捨てたい時には袋ばかり大きくてもったいないことになる。環境にやさしくレジ袋を有料化したのだから、市販のごみ袋も様々なごみの量に見合ったサイズ・形状のものを販売するべきではないか。と思って市役所のホームページを見たら、要望に応えて「家庭用ごみ袋等の指定等に関する要綱」を一部改正して新たに極小型10リットルサイズを追加したとのこと。しかし、まだ店には出まわっていない。さすがはお役所。動きが遅い。「相手が便利なように尻軽く行動しなさい」という森田正馬先生の言葉を耳にタコができるくらい聞いていただく必要がありそうだ。

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