フォト
無料ブログはココログ

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009年12月30日 (水)

神経質礼賛 500.唯我独尊

唯我独尊という言葉からどんなイメージを受けるだろうか。現代では自己中心のうぬぼれという悪いイメージを持たれる言葉かもしれない。しかし、本来は釈迦が生まれた時に右手で天を指し左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と唱えたという伝説からくる言葉なのだそうだ。この世に我ほど尊いものはない、ということで釈迦をたたえる言葉であり、仏教関係者は「人はそれぞれかけがいのない存在なのだからお互いを尊重しよう」と説いている。

森田正馬先生も唯我独尊を良い意味でとらえておられる。

 僕が神経質を礼賛するのは、真珠が好きだというくらいの事です。いやルビーだオパールだと争うのではない。我々が自分自身の本性を認めて、これを礼賛し、ますますこれを発揮し、どこまでも、これを向上させて行こうという心境を、唯我独尊といいます。これは絶対的の主観的心境でありまして、他と比較しての事ではない。「唯我独尊」とかこんな言葉は、どのようにでも、勝手に説明のできるものであるけれども、ちょっと面白い心境であろうかと思います。

強迫観念の治った人は、強迫観念にかかった事を喜び、神経質という素質は優秀であり、有難い事であると礼賛するようになる。この話は、先月の形外会記事に出ている事ですが、この強迫観念の全治という事は、「悟り」の模型標本であろうかと思います。(白揚社:森田正馬全集第5p.340

神経質な性格を嘆き、神経症の症状に苦しんでいる人もおられるかもしれない。しかし、神経質というのは高感度センサーのようなものであって、上手に使いこなせばこんなにすぐれたものはない。逆に無神経で鈍感では本人の気分はラクでも危機的状況に対処できない。火事になっても平気で寝ているようなものである。それではいくら命があっても足りないし、他人の命を失わせることにもなりかねないだろう。

「己の性(しょう)を尽くす」という言葉のように、神経質性格の特徴を自覚して、その良さを生かしていけば、唯我独尊ということになっていくのではないだろうか。神経質性格を「宝の持ち腐れ」にせずに、大いに活用していきたいものだ。

 今年も残すところあと1日になりました。そろそろネタ切れになるのでは、と思いながらも毎月10話のペースでアップし、累計500話に達しました。来年はいよいよ5年目に突入です。マンネリ気味の内容で、悪い意味での「唯我独尊」になっているかも知れません。文章だけの無愛想なブログですが、お読みいただきありがとうございます。皆様、よいお年をお迎え下さい。   四分休符 拝

2009年12月28日 (月)

神経質礼賛 499.年末の匂い

 寒い季節になってくると、暖かい食べ物の匂いの引力がことさら強くなってくる。仕事帰り、風が吹きさらしの駅のホームで電車を待っていると、立ち食いそば屋から流れてくる醤油とカツオだしの入り混じった匂いが強烈である。その誘惑を振り切って電車に乗るが、降りた駅のコンコースでは天津甘栗が甘く香ばしい匂いを発している。歩いて家に着くまでの間には酒場から流れ出るヤキトリの煙、とんかつ屋でカツを揚げているゴマ油の混じった匂い、喫茶店から流れ出るコーヒーの香り、イタリア料理店の換気扇からは焦げたガーリックの匂い、どれも「おいでおいで」と囁きかけてくるようで、つい寄道したい衝動にかられつつ足早に帰宅する。・・・家で待っていたのはアジの干物を焼く煙だった。

 年末にはまた特有の匂いがある。デパ地下を通れば、色彩豊かなおせち料理が並び、イクラや数の子などの並ぶ海産物売場が活気を呈している。匂いは嗅覚で感じるばかりではない。海産物を見ていると何となく磯の匂いがしてくるし、紅白の酢の物を見ているとすっぱい匂いがしてくる。「パブロフの犬」ではないが、見ただけで脳が匂いを感じるという面もあるのだ。そもそも古文で「匂う」と言えば、嗅覚よりも視覚的に受けたインパクトが主である。

 森田正馬先生の短歌にも匂いばかりか湯気がたちこめてきそうなものがあるので紹介しておこう。先生の奥さんの心の温かみまで感じられる。

 我妹が 設けて待ちつる 湯豆腐に 一日の疲れ 忘れ果てゝき(森田正馬全集第7p.445

味噌汁の ねぎの匂ひの 鼻に入りて ふと腹へりぬ 物書ける時(同 p.447

 働きづめの神経質もちょっと一休みである。

2009年12月25日 (金)

神経質礼賛 498.平成21年生まれの名前

 12月21日、年末恒例の「生まれ年別の名前調査」が明治安田生命から発表された。新聞やニュースで御存知の方も多いと思うが、詳細はネット上にPDFファイルが公開されており、ダウンロードして読めるようになっている。同社の個人保険・年金の約1050万契約データから集計したもので、今年生まれた子の名前データ、男4595人、女4254人が対象となっている。男の子で多かったのが1位は大翔(ヒロト、ヤマト、ハルト)、2位が翔(ショウ、カケル、ソラ)、3位が瑛太(エイタ)と大和(ヤマト)、5位が蓮(レン)で、女の子の1位は陽菜(ヒナ、ハルナ)、2位が美羽(ミウ、ミハネ、ミワ)と美咲(ミサキ、ミク)、4位が美桜(ミオ、ミオウ)、5位が結愛(ユア、ユイ、ユウナ、ユナ)だったとのことである。

 私が子供の頃とは隔世の感がある。PDF版では過去のデータも詳しく載っていて、私が生まれた年のベスト5を見ると、男子が①誠、②隆、③茂、④博、⑤修、女子が①恵子、②京子、③洋子、④幸子、⑤和子となっている。

それにしても、今の子供の名前の読みは難しい。男の子で1位だった大翔はタイガ、ダイトと読ませる場合もあるという。個性的な名前の読みの例として、男の子で琉星(ルキア)、会仁(カイト)、輝星(ライト)、偉士(イオ)、星桜(シオン)、女の子で乃愛(ノア)、愛月(ルナ)、伊桜(イオン)、唯歩(イブ)、珠瑛璃(ジュエリ)というように、読みだけ聞くとどこの国の人だろうか、というのが紹介されていた。マンガやアニメの登場人物から取った名前なのだろうか。総画数が多いと、子供が試験などで名前を書く時に大変なのではないか、と神経質人間としては余分な心配をしてしまう。

子供の名前は世相を反映すると言われる。また、親の子供に対する願望を投影しているという点では、親の心理検査とでも言えるかもしれない。男の子の名前で「翔」の字が多くなっているのは、大きく羽ばたいて欲しいという願望を表しているのだろう。女の子の名前では、やはり美しくあって欲しい、明るく愛される人になって欲しいという願望を示しているのだろう。国も地方も財政破綻、企業も個人も先行きに希望が持てない時代ではあるけれども、いつの時代も子供に幸せになって欲しいという親心は変わらない。

2009年12月21日 (月)

神経質礼賛 497.新薬X

 10年位前までは製薬メーカーの営業担当さんが薬に関するアンケートをよく持ってきたものだ。それが、いつしかマーケティング会社からアンケートが郵送されてくるようになった。回答しやすいものならば空き時間に書いて返送するが、薬剤ごとに何人の患者さんに処方しているか、といったカルテを調べなければ書けない内容の時には捨てている。薬に対するものばかりでなく各メーカーの営業担当者の評価を求めるようなアンケートもある。さらに2、3年前からはマーケティング会社からメールでアンケートが通知され、ネット上で回答するようになった。

 その中にはまだ開発中の薬を評価させるようなアンケートがあり、これが増えてきた印象がある。メーカー名を伏せた開発中の新薬Xのプロフィール(効果、副作用などのデータ)が示され、それを見て、どう評価するか、どういった症状の患者さんに、どの程度処方するだろうか、といったことを問うものだ。どんな薬が開発されつつあるのか興味があるし、問題点を指摘するのが得意な神経質人間としては、そそられるアンケートである。ただし回答時間の目安が20分となっていても考えているとその倍はかかってしまうのが難点である。

 最近の新薬Xアンケートは抗うつ薬が続いている。今年、新しい抗うつ薬リフレックスが発売され、来年あたりにはイーライリリー社から新しいSNRIタイプの抗うつ薬の発売も予定されている状況で、さらに新薬が出てくるのだろう。詳細を書くことはできないが、最近のアンケートにあった新薬Xは今までにないタイプで意欲を出す作用が強い薬のようである。

 ただ、どれだけ新しい薬が開発されても、誰にでも効果があって副作用のない薬というものはあり得ない。ことに昨今のように「うつ病」のストライクゾーンが大きく広がってしまっていると、うつ病周辺群には薬が効きにくい。認知行動療法のような精神療法が必要なケースが多いだろうし、神経質性格を基盤としている人では森田療法が奏功するケースもありうるだろう。漫然と薬を処方しているだけではダメであり、診療する側には神経質さが要求される。

2009年12月18日 (金)

神経質礼賛 496.使わなければ錆びる

 病院に出入りしている製薬メーカーの営業さんの話によると、宇宙飛行士の若田さんは骨粗鬆症の予防のためアレンドロネート製剤(商品名フォサマック)を飲んでいたそうである。無重量(無重力)状態で生活していると短期間で筋肉が落ちてしまって地上に帰還した時には歩行困難になることは御存知かと思うが、骨も荷重が全くかからない状態が続くとスカスカになってしまうのである。

 高齢者の骨折予防のために薬を処方して下さい、というわけだが、本当は適度な運動をしてもらうのが最善の処方のように思う。国の財政が破綻状態なのに、やみくもに薬を処方して「患者」を増やし、医療費を使うのはいかがなものか。元気なうちからなるべく車を使わずせっせと歩いて骨粗鬆症を予防すれば炭酸ガス排出も減り、医療費もかからないというものだろう。

 人間の体は使わないでいると「錆びて」しまうものである。今のような精神病の治療薬がなかった時代、精神病院は患者さんを収容しておくしか手立てがなかった。多くの患者さんたちが無為に終日寝て過ごしていた。そんな時代に、巣鴨病院(現在の都立松沢病院)や根岸病院に勤務しておられた森田正馬先生は、作業療法に力を入れ、当時としては画期的な治療をしておられた。森田先生の書かれたものから引用する。ここで緊張病とは統合失調症の一病型である。

 今から二十五年余も前のこと、余が病院に奉職した時、脚氣廃用萎縮で、足関節の強直を起して、歩行不能の緊張病患者が数人、枕を列べて寝て居た。それは寒い冬の事、余は直ちに、昼間は、患者から布団を取り上げて、寝て居る事の出来ないやうにした。数月ならずして、是等の患者の強直は治ッた。(白揚社:森田正馬全集 第3巻 p.408-409

 薬はなくても人間の適応能力を引き出すことで見事に治療されたわけである。当時「早発性痴呆」と呼ばれていた統合失調症の治療経験も森田療法に生かされていくことになる。

 使わないと錆びてしまうのは体だけではない。頭も同じである。数多くの名言を残したナポレオンの言葉に「使わない鉄が錆びるように、活動しないことは知性を損なう」というものがある。これは売れっ子の脳科学者の説明がなくてもおわかりいただけると思う。かく言う私も気をつけなくては、と思うこの頃である。

2009年12月14日 (月)

神経質礼賛 495.カメ女

 大型電気店やパソコンショップのカメラ売場で女性をよく見かけるようになった。一人で来店して展示品を手に取って見ている女性がよくいる。以前ならばカメラ売場で女性を見かけることはあっても、男性と二人で来店し男性が展示品の品定めするのを眺めている、という風だったのが大きな変化だ。これは私の印象だけかと思っていたら、最近のニュース番組でカメラを自分で選んで購入する女性が増えてきて売場も女性を意識したものになってきたとの報道があった。カメラ付の携帯電話が普及して、気軽にスナップ写真が撮れるようになったが、それでカメラに目覚めた女性たちが携帯電話のカメラでは物足りず、高画質・高機能のカメラを求めるようになったのだろうか。カメラ女性、略して「カメ女」が来年の流行語になるかもしれない。

 デジタルカメラも出始めは35万画素とか100万画素だったものが、現在は1000万画素以上のものが主流となり、従来の写真フィルムの解像度と同等以上になった。音声付の動画も録れる。ずいぶん便利になったものである。コンパクトデジタルカメラは1万円くらいからあるし、従来マニア専用だった一眼レフもデジタル化で小型軽量・使いやすく・お手頃価格になってきた。また、写真といえば印刷するだけのものだったのが、印刷せずにパソコン画面や携帯電話の画面で見るような使い方も増えている。写真パネルのような形の液晶画面に表示するデジタルフォトフレームという商品も見かけるようになった。

 私のような中高年男だと写真は旅行の記録や何かの集まりの記念に撮るものという固定観念がある。デジタルカメラが普及してからはプリントアウトはせずに身の回りの記録を残すという使い方がようやく追加された。「カメ女」さんたちはどんな新しい使い方をしているのだろうか。近頃、手間いらずの料理を紹介したブログが忙しい女性たちの間で人気を集めているそうだ。レシピだけでなく、調理の途中経過の写真があるとわかりやすい。身近な生活上の工夫をブログで発信して、多くの人の生活に役立つとなれば、こんなにいいことはない。神経質人間としては、「カメ女」さんたちに負けずにカメラの利用法を工夫したいところである。

2009年12月11日 (金)

神経質礼賛 494.睡眠薬と健忘

 精神科病院の勤務医だと、保健所の依頼で措置診察(自傷他害のおそれのある精神障害者を都道府県知事命令で強制入院させる措置入院が必要かどうかを判断するための診察で、2名の精神保健指定医によって行われる)の仕事が飛び込んでくる。私の場合、年5-6回と出動回数がやや多い。一昨日も昼食中に連絡が入り、保健所の車で隣市の精神科病院に向かった。

 今回の対象者は糖尿病などで内科通院中の人だが、うつ状態ということで、抗うつ剤パキシル、超短時間型睡眠薬のハルシオン・アモバン・マイスリーも処方されて、これらの睡眠薬をしばしば過量服用していた。本人の話では「眠れないからアモバンを10錠飲んだ」「そのくらいは飲んでも大丈夫だと医者から言われていた」とのことである。中途覚醒して錯乱状態となり、家の中の物品を破壊し、家族に暴言を吐き、大きな窓ガラスを割り破片が道路に散乱した。110番通報で駆けつけた警官にも暴言を吐き、警察署でも暴れたため、警察官通報での措置診察となった。診察時には落ち着いた状態だったが、何をしたかは全く覚えていなかった。診察の結果は措置入院とはならなかったが、今後もこのような事態を繰り返すことが懸念される。

 ハルシオンの血中半減期は2.9時間、アモバンは3.7時間、マイスリーは2.1時間と極めて短く、翌朝に眠気が残らず切れ味鋭い入眠剤として内科や外科でもよく処方される。服用する人も「軽い薬」ということで気軽に服用する面がある。しかし、一過性の健忘や時には今回のような錯乱を起こすことがある。服用してすぐに横にならずに起きているとか、中途覚醒してしまった場合に問題が起きやすい。飲んでも眠れなかったから、と後から追加して飲むと、自分でも飲んだかどうか覚えておらず、過量服用につながる危険性がある。安易に超短時間型睡眠薬を多量に処方する医師は神経質が足りない。また、服用する側でも一過性の健忘や時には錯乱が起りうることを知って服用方法に注意する必要がある。

 入眠困難はうつ病よりも神経症でよくみられる症状である。不眠に対するこだわり・・・眠れないと次の日に支障があるのではないかとか、体調が悪くなるのではないか、といった心配が原因となっている。いわば不眠恐怖であり、安易に睡眠薬に頼らない方がよい。今日は眠れなくても仕方がない、とあきらめておけば、そのうちに眠っているものだ。

2009年12月 7日 (月)

神経質礼賛 493.キャリーバッグの氾濫

 以前、東京駅のエスカレーターでキャリーバッグが落ちてきてヒヤリとした話(68話)を書いたが、それから3年以上経ってみると、キャリーバッグをガラガラ引きずって歩く人が大幅に増えている。新幹線ホームの電光掲示板ではキャリーバッグによる接触事故が増えています、と注意を喚起してはいるが効果はないようだ。海外旅行用の容量50-60リットルもあるようなバッグでは確かにキャスターも欲しくなるだろうが、近頃は小さなバッグまでもが長い取っ手が付いている。本人は横着ができても、混雑した通路では他の人が足を引っ掛けたり、バッグ同士が引っかかったりして危険である。心配性の神経質にとっては我慢のならない状況になってきている。

 最近では飛行機の手荷物としてキャリーバッグを持ち込もうという人が増えて、それが原因で発着が遅れるという事態が起るようになり、この12月から、100席以上の国内線旅客機で手荷物の大きさ制限が厳格化された。3辺の合計が115cm以内でかつ幅55cm以内・高さ40cm以内・奥行き25cm以内という規定である。そこでとばっちりを食ったのがヴァイオリン・ヴィオラの小型弦楽器である。容積はそれほどないので3辺合計はクリアできるが、長さ(幅)でひっかかってしまう。衝撃に弱いし、プロだと数千万円する楽器もあるから預けるわけにはいかない。片道1万円の追加料金を払えば荷物用の座席を確保してもらえるとのことだが、不景気の影響で経営の厳しいオーケストラにとっては40人や50人分の追加料金は大出費で死活問題になっているという。それに飛行機の座席がもったいない。その分、乗客を乗せた方が合理的である。地方巡業を取りやめるようになったら、ますます東京と地方の文化格差は開いてしまうのではないか。

 便利なはずの道具がいろいろな問題を引き起こす。製品開発担当者はもっと神経質になって先の心配をしてほしいものだ。

2009年12月 4日 (金)

神経質礼賛 492.四分休符

 森田療法というと、休まずとにかく働け、という治療法だというイメージを持っておられる方もおいでかと思う。森田正馬先生の色紙には、「休息は仕事の中止に非ず、仕事の転換の中にあり」と書かれたものがあり、勤務先の病院が移転する前の古い医局の壁にはその色紙がかかっていた(24話)。森田先生御自身、病身を押して講演旅行に出かけ、帰って来られても休むことなく、すぐに手紙の整理をしたり患者さんの指導をしたりされていた。神経質人間の中には「疲れた疲れた」とグチをこぼし、休みたがる人がいる。自覚的な疲労感は必ずしも本当の疲労とは限らない。「こんな仕事はバカバカしいなあ」とか「何で自分ばっかりやらなきゃならないんだ」とかいうように頭の中で仕事の価値批判をしていると、「疲れた疲れた」になってしまうこともあるものだ。そこで、疲れを感じたら、別の仕事をするとまた気分が引き立って休息になる、ということなのだ。

 しかしながら、一日中働きづめでは、ワーカホリック(働き中毒:236話)になってしまう。先の言葉は、あくまでも動かない人に対する方便なのである。森田先生御自身も年中働き通しかというとそうでもない。お弟子さん相手の晩酌を楽しんでおられたし、将棋はお好きだった。月に1回、患者さんたちが集まる形外会もマジメな話ばかりでなく、時には旅行に行ったり、落語家を呼んだり、寸劇をやったり、皆で東京音頭を踊ったり、とレクリエーションの場になることもあった。適度な休息や仕事以外の楽しみも必要なのである。

 音楽でも楽譜には音符だけでなく休符が必ずある。休符は何もしないムダな時間かというとそうではない。文章の段落の区切りのように、フレーズを区切る重要な働きをする。もし、休符が全くなかったらメリハリのない音楽になってしまうだろう。実際の演奏の際には、短い四分休符も、次のフレーズを演奏するための準備の時間である。管楽器奏者ならばすばやく息を吸い込み、弦楽器奏者ならば弓を構えて指揮者やパートのトップ奏者を注視する。緩みきった休みではなく緊張感を伴った休みなのである。

 四分休符氏いわく「休符があって音符が生きる」。

 われわれの実生活も、次の仕事につながるような休み方が必要だと思う。

2009年12月 2日 (水)

神経質礼賛 491.怠けアリも必要

 1128日付読売新聞夕刊に「怠けアリ」も立派な働き手、と題する記事があった。北大の生物学者の研究で、アリの集団を1匹ずつ識別できるようにして1ヶ月間仕事振りを調べた。すると、よく働くアリとほとんど働かないアリがいる。そこで今度はよく働くアリだけ、ほとんど働かないアリだけを集めてそれぞれの集団を観察すると、どちらも前の集団と同様によく働くアリとほとんど働かないアリが同じ割合で見られたという。アリも働き続けると疲れて休む。幼虫や卵の世話は少しでも中断すると集団の死につながるので、わざと働き方に差が出る仕組みになっているのではないかという。働き者の代表と思われているアリもむやみに働きっぱなしというわけではない。長続きするようにうまく調節しながら働いているわけである。それにしてもアリ1匹1匹の働きぶりを根気強く長期間観察するとは何と神経質な研究者だろうか。大したものである。

 察するところ、ほとんど働かないアリというのは「充電中」であって、フル充電になったらまた働くようになり、疲弊したアリが交代で充電期間に入るのだろう。その辺は人間の怠け者とは違うところだ。意志薄弱者はどこへ行ってもダメである。などというと、「自分は意志薄弱でダメ人間だ」と悲観する神経質人間がいるかもしれないので、生活の発見会の創立者・水谷啓二さんが学生時代に森田先生のところに入院中に書いた日記から引用しておこう。

 神経質はズボラに見へるけれども、本質は努力家である。仕事の選択や・価値批判のために、努力が費やされて、仕事其ものになりきらないから、ズボラに見へるのである。

(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.157

 神経質が活用できるようになれば、神経質人間は人一倍有能であり、「いい仕事」ができる。そして効率よく充電できるようにもなるものである。

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

最近のトラックバック

2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30