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2009年12月 4日 (金)

神経質礼賛 492.四分休符

 森田療法というと、休まずとにかく働け、という治療法だというイメージを持っておられる方もおいでかと思う。森田正馬先生の色紙には、「休息は仕事の中止に非ず、仕事の転換の中にあり」と書かれたものがあり、勤務先の病院が移転する前の古い医局の壁にはその色紙がかかっていた(24話)。森田先生御自身、病身を押して講演旅行に出かけ、帰って来られても休むことなく、すぐに手紙の整理をしたり患者さんの指導をしたりされていた。神経質人間の中には「疲れた疲れた」とグチをこぼし、休みたがる人がいる。自覚的な疲労感は必ずしも本当の疲労とは限らない。「こんな仕事はバカバカしいなあ」とか「何で自分ばっかりやらなきゃならないんだ」とかいうように頭の中で仕事の価値批判をしていると、「疲れた疲れた」になってしまうこともあるものだ。そこで、疲れを感じたら、別の仕事をするとまた気分が引き立って休息になる、ということなのだ。

 しかしながら、一日中働きづめでは、ワーカホリック(働き中毒:236話)になってしまう。先の言葉は、あくまでも動かない人に対する方便なのである。森田先生御自身も年中働き通しかというとそうでもない。お弟子さん相手の晩酌を楽しんでおられたし、将棋はお好きだった。月に1回、患者さんたちが集まる形外会もマジメな話ばかりでなく、時には旅行に行ったり、落語家を呼んだり、寸劇をやったり、皆で東京音頭を踊ったり、とレクリエーションの場になることもあった。適度な休息や仕事以外の楽しみも必要なのである。

 音楽でも楽譜には音符だけでなく休符が必ずある。休符は何もしないムダな時間かというとそうではない。文章の段落の区切りのように、フレーズを区切る重要な働きをする。もし、休符が全くなかったらメリハリのない音楽になってしまうだろう。実際の演奏の際には、短い四分休符も、次のフレーズを演奏するための準備の時間である。管楽器奏者ならばすばやく息を吸い込み、弦楽器奏者ならば弓を構えて指揮者やパートのトップ奏者を注視する。緩みきった休みではなく緊張感を伴った休みなのである。

 四分休符氏いわく「休符があって音符が生きる」。

 われわれの実生活も、次の仕事につながるような休み方が必要だと思う。

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