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2010年1月30日 (土)

神経質礼賛 510.大原健士郎先生

 去る1月24日、私の恩師、大原健士郎先生が亡くなられた。享年79歳。膀胱がんの再発による多臓器不全だった。大原先生は森田正馬先生と同じ高知県の御出身。慈恵医大で森田先生の高弟・高良武久先生に師事し、自殺、うつ病、森田療法の研究で業績をあげ、浜松医大精神神経科教授になられた。神経症ばかりでなく精神科の入院治療全般に森田療法を応用され、「浜松方式」「ネオモリタセラピー」と呼ばれていた。研究・治療・教育ばかりでなく、数多くのエッセイを書かれ、NHKでTVドラマ化(1992915日放送「家族」)もされた。また、メンタルヘルス岡本記念財団の岡本常男さんとともに中国をはじめ世界中に森田療法を広める活動をされていた。

 私が研修医として入局した時には、もう60歳を過ぎておられた。医局員たちにとっては怖い「カミナリ親父」でもあった。月曜日朝の教授回診はいつも修羅場だった。患者さんを前にして、質問に答えられないと、カルテで頭を叩かれる医師もいた。「もうダメ。助けて」というメモを残して逃げ出した医師もいた。水曜日朝のケーススタディがもう一つのヤマ場だった。プレゼンテーションする研修医に次々と鋭い質問が繰り出される。往生していると、オーベン(指導医)の助手も「お前は見殺しにする気か」「何で助け舟を出さないんだ」と絞り上げられた。しかし、御自分が誤ったことを言ったのに気付かれた時には、相手が研修医であっても頭を下げて謝られた。学問には厳しかったが、大変な人情家でもあり、「おれたちは家族」の言葉通り医局員の健康や家庭の事情を心配して下さる先生だった。先生は教授室の椅子よりも医局のソファを好まれた。朝6時に医局に入ると、ソファでタバコを吸いながら新聞を読んでおられたり、万年筆で原稿を書いておられたり、時には仮眠をとられたりして、「おう、元気か」「子供さんはどうだね」などと気さくに声をかけて下さった。大原先生が定年退官されるまでの間、私は大学助手として、森田療法の実務を担当させていただいた。毎年発行される医局年報には教授以下医局員たちのエッセイが載せられる。ある時、「お前のエッセイ、無断借用したぞ」と笑いながら御著書を下さった。先生の名文の中に、確かに数行私が書いた下手な文があり、大変光栄に思った。定年退官される際、後任の教授は大原先生が推薦した助教授が上がれず、てんかんの専門家である福島県立医大の先生が新教授となった。大原先生にとっては断腸の思いだっただろう。よくある医学部の「掟」で、当時の助教授以下スタッフの大部分は大学を去って行き、森田療法も大原先生の築き上げたものとは別のものに変わっていった。しかしながら定年退官後もかつての医局員が院長をしている病院やクリニックで診療を続けられ、執筆・講演活動も続けられていた。私が最後にお会いしたのは一昨年の秋のこと、後輩が開業したクリニックで大原先生の講演会があった時だった。講演の始まる前に私を呼ばれ、10分ほど話されただろうか。白髪の増えた私に「相変わらず好青年してるなあ」と笑顔でおっしゃった。昨年秋には入院されて一時危篤との報が流れたが、その後は情報もなかったので回復されたものとばかり思っていた。

 一昨日、冷たい雨の降りしきる中、大原先生の葬儀が行われた。かつて医局員の大部分が集まる場は初夏の新入医局員歓迎会と忘年会だった。そしてその最後の〆はいつも「今日の日はさようなら」の歌と決まっていた。「お前が指揮しろ」と仰せつかったものだ。歌の最後のリフレイン「♪また会う日まで」が葬儀の場というのは何とも悲しい。会場の壁全面に関連病院からの生花スタンドが隙間なく並び、外の壁にもあふれていた。花を愛し、花言葉にまつわるエッセイを多数書かれた先生に似つかわしかった。先生と二人三脚で森田療法普及の旅をされた岡本常男さんもみえていた。途中で現在の浜松医大学長も現れた。ただ、参列者は全部で60名ほどだったろうか。大原先生の恩顧を受けても、現在の教授と関連がある人の姿はなかった。これも医学部の「掟」なのだろう。神式の葬儀が一通り終わり、最後のお別れでお棺に花を供えて拝んだ時には思わず涙があふれ出た。かつての医局員たちは大学教授や大病院の院長になったり大きなクリニックを開業したりしている。私は不出来な弟子で、この年になっても一介の勤務医に過ぎない。私にできることは、死ぬまで一人の臨床医としての職務を全うすることと、森田療法を少しでも多くの人に知ってもらうよう努めることだとあらためて思う。

 大原健士郎先生の御冥福を心からお祈り申し上げます。

2010年1月25日 (月)

神経質礼賛 509.冬の肌

 今年の冬は暖冬だという長期予報がはずれ、年末から厳しい寒さが続いている。暦の上でも大寒を過ぎ、一年で最も寒い季節がやってきた。

この季節に連想される歌は(私のような中高年では)「♪ 垣根の 垣根の まがりかど」で始まる童謡「たき火」である。作詞者の巽聖歌(たつみせいか:1905-1973)は岩手県出身で北原白秋に師事した詩人である。作詞した当時住んでいた借家の近辺が舞台といわれ、東京都中野区には「たき火」発祥の地を示す立て札があり、当時をしのばせる垣根の道も残っているそうである。発表されたのがちょうど太平洋戦争開戦時で、たき火は敵機の目標になるし、枯葉は燃料として風呂を沸かすことができる、この非常時に何事かという軍部の圧力で放送禁止になってしまい、戦後になってようやく愛唱されるようになった。渡辺茂作曲の旋律はファとシの音が出てこない「ヨナ抜き音階」で作られていて(よく見ると1箇所だけファがあるが)、どことなく懐かしさを感じる。ほのぼのとした情景が浮かぶ名歌だと思う。

私が子供の頃も落ち葉を集めてたき火をする家庭は多かった。サツマイモを入れて焼き芋にして体の中までホカホカに温まることができた。今ではたき火を見かけることはまずない。火災の危険があるし、煙で苦情が出る。ダイオキシンが発生するなどと騒がれたこともあった。都市化で緑が減って落ち葉自体が昔ほど多くないせいもあるかもしれない。ただ、歌の二番の歌詞にあるようにこの季節に子供の手にしもやけができるのは今も変わらないだろう。

皮膚に水分が多いみずみずしい子供の肌ではしもやけができるが、大人の乾燥した肌ではいわゆるヒビ・アカギレができる。私が住んでいる地方は気候温暖で、手袋が必要なのは寒い朝だけである。今年は油断していたら、手指がカサカサになって、アカギレがあちこちにできてしまった。インフルエンザ対策で手洗いをする回数が増えて皮膚が荒れているのが一因かもしれない。また、急に寒くなって暖房を使うようになり、皮膚乾燥がひどくなったこともあるだろう。寝る前にウレパールローション(尿素配合クリーム)を塗るという対策を始めたが、ちょっと遅かったという気がする。外出時にはめんどうがらずに手袋をして、室内の過度の乾燥に気をつける、といった対策が必要だった。肌の手入れまで神経質が回らなかったのは失敗だった。その点、普段からお肌のケアに神経を使っている女性の方々は、対策万全かと思う。

2010年1月22日 (金)

神経質礼賛 508.心筋梗塞

 かつて巨人と阪神で投手として大活躍した小林繁さん急死の報道があった。巨人軍時代、エースとして優勝に貢献して、沢村賞を受賞した。細い体にもかかわらず気迫に満ちたピッチングは強く印象に残った。江川投手の「身代わり」として阪神に移った年には22勝を挙げ、特に古巣の巨人から数多くの勝利を挙げて巨人キラーと呼ばれ、男の意地を見せた。二度目の沢村賞も受賞している。現役引退後は事業で失敗ということがあったようだが、最近は日本ハムの二軍ピッチングコーチをしていて今年から一軍を任されることになっていたそうである。新聞報道によれば、死因は心不全ということで、状況からして急性心筋梗塞らしい。まだ50代なのに大変残念なことである。

 心筋梗塞は心臓を栄養する冠動脈の閉塞によって心筋が虚血状態に陥り壊死してしまう病気で、この病気のために日本では年間4万人以上の人が亡くなっている。発症した場合、救命できるかどうかは時間との勝負になるので、救急隊が駆けつけるまでの間、心臓マッサージをするかどうかで予後が左右されることもある。身の回りの人が突然この病気で倒れることもありうるので、一般の方々も心臓マッサージの講習は受けておいた方がよいだろう。

 アメリカの循環器病学者フリードマンとローゼンマンは1959年にA型行動パターンという概念を発表した(ここでA型というのは血液型とは無関係である)。気性が激しく、競争心が強く、絶えず物事を達成する意欲を持つような行動パターンを言い、そうした行動パターンは心筋梗塞などの虚血性心疾患の発症と密接に関連するとしている。A型行動パターンはスポーツばかりでなくビジネスなどの競争社会で勝利を収めやすいが、無理をして事業に失敗したり病に倒れるリスクも高いため、長い目で見ればA型行動パターンとは正反対のマイペースでのんびりの行動パターンの方がうまくいくという説もある。小林さんの場合もA型行動パターンに当てはまるように思われる。強い闘争心が魅力的な人だったが、もし引退してからのんびりと過ごす生活にギアチェンジされていたら、長生きできたのかも知れない。

 冬は中高年の健康にとって危険なシーズンである。寒さから血圧が上昇して脳血管障害を起こしやすくなるし、急に寒い所に出たのが引き金になって心筋梗塞を起こすこともある。冬の夜遅くまで飲酒しての帰宅や早朝ゴルフは要注意だ。自分の健康を過信しないで、あまりムリをしないことも大切である。

2010年1月18日 (月)

神経質礼賛 507.日航法的整理

 経営危機に陥っていた日本航空の処理問題が昨年末からニュースをにぎわしていたが、ついに会社更生法による法的整理の方向で動き出した。厚生年金に上乗せされる企業年金は減額された上で保護される見込みで、利用者のポイントであるマイレージも保護されるらしい。株主優待の割引券も保護の対象となる見込みだ。融資していた大銀行は債権放棄で大損害をこうむるし、個人株主も株券が紙切れになってしまう損害を考えると、税金を投入しての企業年金維持やマイレージ保護はちょっと甘い気もするが、やむを得ない事情もあるようだ。とにかく再生にあたり、運航の安全がおろそかにならないようにしてほしいものだ。

一年前にこうなることを予測できた人がどれだけいただろうか。かつてパイロットは男の子の憧れ、スチュワーデスは女の子の憧れの職業だった。そして日本航空は就職先として人気企業だった。日の丸を背負った準公営企業のような存在でもあった。ところが燃料費の高騰、テロやインフルエンザの影響による利用者の減少などで、世界中の大手航空会社は赤字に陥っていて、日本航空も例外ではなかった。さらに不要な地方空港を次々と開港させる誤った行政に乗って、採算の取れない路線を運航させたことも足を引っ張った。どこの航空会社もコスト削減・リストラで窮地を脱しようとしてきた中、事なかれ主義で問題を先送りし続け、高コスト体質から抜け出せなかったと言われている。破綻したアメリカの自動車メーカー・GMと状況がよく似ている。

 超一流大企業でも経営を誤ったらたちどころに潰れてしまう厳しいご時世である。経常赤字に陥っている大企業は少なくない。企業年金の運用で巨額の損失を出している大企業もある。今まで大丈夫だったからというような楽観主義・根拠なきプラス思考・鈍感力にあふれた経営陣では社員や株主はたまったものではない。最後には社会全体に損失を撒き散らすことになる。経営陣には会社の危機を察知し警鐘を鳴らすような神経質人間が必要不可欠なのである。

2010年1月15日 (金)

神経質礼賛 506.日の出時刻の謎

 連日、日本列島は寒気団に覆われて厳しい寒さとなっている。特に日本海側の地方では大雪に見舞われているようだ。私も毎朝6時に新聞を取りに外へ出る時は震え上がる。この時期になると、夕方の日の入りは冬至の頃よりも遅くなっているのだが、なぜか朝の日の出は冬至の頃より早くなっていない。むしろ遅くなっているのは、いつも一定の時刻に新聞を取りに行くので空の明るさで体感するところである。実際に、私の住んでいる地方では、昨年の冬至の日の日の出時刻6:51、日の入り時刻は16:39で、今日1月15日の日の出時刻は6:54、日の入り時刻は16:58である。毎日の新聞に出ているが、簡単に調べたい方は、国立天文台ホームページで「日/月の出入り情報」(暦計算室)をクリックして、皆さんのお住まいの地方と調べたい日を選べば、日の出・日の入り時刻がわかる。

 小中学校の理科で教えている知識だと、冬至が一番昼の時間が短いので、冬至の日に日の出が一番遅く、日の入りが一番早い、と思っておられる方も多いだろう。ところが、実際には日の出が一番遅いのは1月5日頃であり、日の入りが一番早いのは12月7日頃なのである。さらには、太陽の南中時刻は理屈の上ではピッタリ正午のはずだが、国立天文台発表の南中時刻を見ると、季節によってずいぶん変動がある。

 こんなことが起るのは均時差というものがあるからである。均時差の原因はいくつかあるらしいが、主な原因として、地球が太陽を回る軌道が正円ではなくわずかに楕円軌道であることが挙げられる。ケプラーの第2法則から、太陽から距離が離れている時にはゆっくり公転し、太陽に近い時には速く公転することになる。地球が太陽を一周する公転周期を1年としてそれを等分して暦や時間を定義しているためにズレが生じてしまうのだ。もちろん日常生活上あまり影響はないことではあるが。

神経質を自分の外に向ければいろいろ不思議なことは見つかる。そして、ついつい調べたくなる知りたがりの習性で、楽しみながら知識が増えていくものである。

2010年1月11日 (月)

神経質礼賛 505.白髪

 数ある老化現象の中でも、白髪は特に目につきやすい。私も50を過ぎた頃から少しずつ額が後退するとともに急速に側頭部が白くなってきた。栄養に気をつけ、タバコは吸わない神経質人間にも老化は忍び寄ってくる。東洋水産のマーク「マルちゃん」のような丸顔なので実年齢よりかなり若く見られてきたのだが、今となっては年齢相応といったところだろうか。まあ、白くなっても毛が7割位は残っているからまだいいか、と自分を慰める。数日前、病棟内を歩いていたら、長いこと入退院を繰り返している60代後半の躁うつ病の男性患者さんから、「先生も歳とったねえ」と声をかけられてしまった。精神病の患者さんは概して正直だ。

 今年の元日、弟と会ったら、ずいぶん若く見えた。聞けば髪を染めたのだそうだ。若い頃から白髪を気にしていた弟もついに染めたか。2日に高校の同窓会があって2年ぶりに出てみると、白髪が多くなっている人もいれば、逆に黒々とした人もいた。女性は染めるのが普通だが、やはり男性でも気になって染める人が増えているのだろう。よく全国版のNHKニュースに出ている男性アナウンサーは白髪が目立つが、髪を染めればかなり若く見えるだろうにと思ったりもする。

 平家物語で、「老いぼれ」と見くびられないように髪を黒く染めて合戦の場に出て行った斉藤別当実盛の心意気は大切だ。しかし私は多分染めずに自然に任せるだろう。見た目は老いぼれてきても、こころは老いぼれないように気をつけたいものだ。前話のまど・みちおさんを見習いたいと思う。

 ブログ開設以来、4年間同じ顔写真のままだったので、今回、同じポーズで撮った最近の写真に入れ替えてみました。やはり少々クタビレていますか(笑)。

2010年1月 8日 (金)

神経質礼賛 504.?と!

 このタイトルを見て、世界一短い手紙の話かな、と思った方もおられるかもしれない。レ・ミゼラブル(ああ無情)の作者ユーゴーが出版社に売れ行きを問う「?」一文字の手紙(売れ行きはどう?)に対して出版社から「!」一文字の手紙(大売れだ!)が返ってきたというエピソードを思い出されるだろうが、今回は別の話である。

 13日の夜、NHKで「ふしぎがり まど・みちお 百歳の詩」という番組が放送された。その日は見ている時間がなかったのでとりあえず録画しておいて後から見てみた。

 まど・みちお(本名 石田道雄)さんは童謡「ぞうさん」の作詞で有名な詩人である。「やぎさんゆうびん」「ドロップスのうた」「いちねんせいになったら」など、まどさん作詞の歌を子供時代に歌ったり耳にしたりした方は多いはずである。現在は老人病院に入院中で百歳を迎えたが、創作意欲は衰えない。院内で歩行訓練をして食事を摂り車椅子で公園を散歩した後、自室に戻るとさっそく机に向かう。インタビューでまどさんは渦巻きのような「?」マークと「!」マークを描いて話をされていた。

どんな所にも、クエスチョンマーク・・・不思議なことはありますよ。これなんだろう?あれなんだろう?それなんだろう?いつもクエスチョンマークしかないんですよ。たまに感嘆符(不思議の答えを見つけた時のしるし)になるんだけどね、クエスチョンマークの方が多いですね。世の中にクエスチョンマークと感嘆符と両方あったら、なんにもいらんじゃないでしょうか。生きがいっていうものはそういうもんじゃないでしょうか。

 まどさんは少年時代、自然の中で遊び、動植物をよく観察していた。観察すれば、なぜだろう、と不思議に思うことがいくらでも出てくる。そして、その答えを探そうとする。百歳の今でも純な心で自然を観察してはその答えを探し出そうとしている。そしてそこから自然に詩が生まれ出てくる。?と!があればなんにもいらない、というのは悟りの境地を思わせる。

 私たちは日常生活に埋没してしまっているが、周囲をよく観察すれば、?はいくらでもあるし、!もみつかるかもしれない。毎日同じことの繰り返しでつまらない、と思っている方は?と!探しをしてみてはいかがだろうか。特に神経質な性格に悩んでいる方はなおさらで、自分の悪いところ探しをしているエネルギーを外に向けたほうがよい。

 森田正馬先生の色紙にこんな言葉がある。「常に何かを食ひたいと思ふ人は健康な人であり 常に何かを知りたがり疑ひ考へ工夫する人は精神優秀な人なり」

 ふしぎがり・知りたがりはいいことだ。

2010年1月 6日 (水)

神経質礼賛 503.煮込みラーメン

 この冬、我が家で、妻がいない日に新登場したメニューがある。煮込みラーメンだ。病院の患者さんたちが調理実習で作っているのを見て、これはいいぞ、と思った。煮込んでしまえば大量に野菜が摂れる。スープで煮込むと豚コマ肉も不思議とおいしくなる。エノキやシメジを入れても良い。何と言っても栄養バランスがとてもよい。寒い季節にはもってこいだ。永谷園の宣伝ではないが、子供たちもラーメンに釣られてよく食べてくれる。最初から土鍋で煮込んでも煮崩れないラーメンというのが創意工夫で、うまいことを考えたものである。

私は永谷園の回し者ではないので他社の商品も紹介しておこう。「マルちゃん」の東洋水産から「鍋の〆に食べるラーメン」というスープなしの袋入りラーメンが出ていて、これもなかなか便利である。こちらはコシの強いノンフライ麺で、説明の通りの茹で時間で食べてもよいが、ヤキソバ状になるまで汁を煮詰めて食べるとまた別の食感が楽しめる。

結局、ラーメン好きの子供たちの「替え玉」要求で、煮込みラーメンの最後に「〆に食べるラーメン」を追加して食べるスタイルが定着した。欠点は、食べ終わった後に大きな土鍋を洗うのがちょっと手間なのと、「かんすい」使用のラーメンを嫌っている妻にバレないように証拠隠滅を図らなくてはならないといったところだろうか。もちろん子供たちは喜んで共犯者になってくれる。

血圧が高めで神経質に減塩生活をしている私としては、煮込んだ汁をたっぷり吸い込んでおいしそうになった麺を子供に譲らなくてはならないのがちょっとシャクである。

2010年1月 4日 (月)

神経質礼賛 502.見つめよ、逃げるな

 元日は昨年一年をリセットして新たなスタートを切ろうという気分が盛り上がる時である。新年を迎えて「今年こそは○○しよう」と意気込まれた方も多いだろう。さっそく始められただろうだろうか。いわゆる三日坊主になっていないだろうか。あるいは計画だけで絵に描いた餅になっていないだろうか。「今年こそは○○しよう」の○○は、簡単にできればとっくにやっていたはずで、一見簡単そうに見えて実はなかなか手を出しにくい・あるいは継続が困難なものであることが多い。

 神経質人間は良く言えば慎重で熟慮するので失敗が少ない反面、なかなか手を出さないので、スタートで出遅れたり、計画倒れになったりということもある。ことに苦手なものは、ああでもない、こうでもない、と屁理屈を並べて後回しにしがちである。だから、なおさら○○には手が出ない。

 森田正馬先生は便所掃除を例に挙げて次のように言っておられる。

「世の中に我というもの捨てて見よ 天地万物すべて我物」という歌がある。私は、これをこう言い換えた。

「世の中に、物その物になってみよ。天地万物すべて我物」

というのである。この事を、私は「見つめよ。逃げるな」といって教えます。例えば、便所の掃除などは、誰も嫌いです。普通の人は、これを「いやという心を捨てて精進努力して、掃除せよ」という風に解釈します。しかしこれは、ワサビの嫌いな人に、それを好きと思え、死にたくない人に、死を恐れるなと忠告すると同様に、実は不可能であるから、世人は、修養とか捨身とかいう事に、非常に苦難をするのであります。

 私の教えに従えば、例えば、便所を見つめていると、いろいろの汚いものが目についてくる。少し我慢して、逃げずにいれば、手を出すのは苦しいけれども、汚いままに放任して置くのも、気になってしかたがない。心の内には、さまざまの葛藤があり、種々の思想が浮かんでくるけれども、結局これを実行した時に、初め想像したよりも楽であり、その奇麗になった結果を眺めて、自分の力と・善行とを喜ぶ事になる。それで私からいえば、汚い事の嫌いなのも我であり、清潔にしておきたいと思うのも、両面ともに我である。すなわち我を捨てるのではなくて、自我を発揮すると解釈するのである。こんな手近な手段によって、私は多くの患者の修養に成功しているのである。 (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.509-510

 「○○しよう」という決意そのものは悪くないが、それよりも大切なのは、ほんの少しでもよいから実際に行動に移すことである。「すべきである」からやるのは誰だって嫌である。この時、注意は自分の方にばかり向いていて、物そのものになっていない。苦しいけれども気になるからやってみよう、と純な心で実際に手足を動かしてみれば、しだいに注意は自分の外に向くようになってくる。神経質は動き出せば、「もうちょっとやってみよう」ということになって、気がついたら意外にも仕事が進んでいる。そして、後から達成感・満足感が得られるもので、まさに「苦楽共存」なのである。

 「思い立ったが吉日」という言葉があるが、神経質の場合は「動き出したが元日」ということになるだろう。スタートで出遅れても「やっぱり自分はダメだ」とガッカリすることはない。1年365日いつでも元日になりうるのだ。

2010年1月 1日 (金)

神経質礼賛 501.無可無不可(可も無く不可も無し)

 相変わらず年末年始を海外で遊んで過ごすという優雅な人々もいるようだが、雇用不安など明るさの見えない世相を背景に各地の神社は神頼みの人々で賑わっている。日付が変わった0時にNHKで流れた映像は増上寺で3000個の風船が放たれたところだった。私がいつも元日に行くのは、妻の実家近くに流れる川の土手にある日切地蔵である。地元の人しか知らないため、訪れる人もまばらである。今日は風が強く、時折風花が舞い、一段と寒さを感じる。家族4人が身を寄せ合って入るのがやっとの小さなお堂に入り、賽銭を投じて皆の健康を念じる。

神経質人間は欲張りで完全主義だけれど、実際には60点、70点くらいで何とか合格点を積み重ねていれば十分だ。だんだん歳とともにムリは利かなくなってくる。残りの人生を積分して最大値が出るように、と頑張り過ぎる必要はない。今年も、可も無く不可もなし、でいこう、などと自分に甘いことを考える。

 普通は、可も無く不可も無し、というと、特に良くもなく、また、特に悪くもない、ごく普通である、という意味で使われている。この言葉の原典は論語の微子編の中にある「我則異於是 無可無不可」なのだそうで、本来の意味は、良いとか悪いとか最初から決めつけずに、中道で向き合うことのようだ。

 これは神経質人間に必要な処方箋のように思う。神経質人間は価値判断をするのが得意であり、損をしないように行動を選択する能力が高い。しかし、ともすれば先入観から「これはよくて あれはだめ」と決めつけがちである。また、あまり得にならない、嫌だなあ、と思い込むと、必要なことでもなかなか行動に移せず、グチばかり言って先送りしてしまうきらいがある。そこで、本来の意味での「無可無不可」ということが大切になってくる。こちらの無可無不可は私自身も心がけなくてはと思う。

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