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2010年1月 1日 (金)

神経質礼賛 501.無可無不可(可も無く不可も無し)

 相変わらず年末年始を海外で遊んで過ごすという優雅な人々もいるようだが、雇用不安など明るさの見えない世相を背景に各地の神社は神頼みの人々で賑わっている。日付が変わった0時にNHKで流れた映像は増上寺で3000個の風船が放たれたところだった。私がいつも元日に行くのは、妻の実家近くに流れる川の土手にある日切地蔵である。地元の人しか知らないため、訪れる人もまばらである。今日は風が強く、時折風花が舞い、一段と寒さを感じる。家族4人が身を寄せ合って入るのがやっとの小さなお堂に入り、賽銭を投じて皆の健康を念じる。

神経質人間は欲張りで完全主義だけれど、実際には60点、70点くらいで何とか合格点を積み重ねていれば十分だ。だんだん歳とともにムリは利かなくなってくる。残りの人生を積分して最大値が出るように、と頑張り過ぎる必要はない。今年も、可も無く不可もなし、でいこう、などと自分に甘いことを考える。

 普通は、可も無く不可も無し、というと、特に良くもなく、また、特に悪くもない、ごく普通である、という意味で使われている。この言葉の原典は論語の微子編の中にある「我則異於是 無可無不可」なのだそうで、本来の意味は、良いとか悪いとか最初から決めつけずに、中道で向き合うことのようだ。

 これは神経質人間に必要な処方箋のように思う。神経質人間は価値判断をするのが得意であり、損をしないように行動を選択する能力が高い。しかし、ともすれば先入観から「これはよくて あれはだめ」と決めつけがちである。また、あまり得にならない、嫌だなあ、と思い込むと、必要なことでもなかなか行動に移せず、グチばかり言って先送りしてしまうきらいがある。そこで、本来の意味での「無可無不可」ということが大切になってくる。こちらの無可無不可は私自身も心がけなくてはと思う。

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