フォト
無料ブログはココログ

« 神経質礼賛 501.無可無不可(可も無く不可も無し) | トップページ | 神経質礼賛 503.煮込みラーメン »

2010年1月 4日 (月)

神経質礼賛 502.見つめよ、逃げるな

 元日は昨年一年をリセットして新たなスタートを切ろうという気分が盛り上がる時である。新年を迎えて「今年こそは○○しよう」と意気込まれた方も多いだろう。さっそく始められただろうだろうか。いわゆる三日坊主になっていないだろうか。あるいは計画だけで絵に描いた餅になっていないだろうか。「今年こそは○○しよう」の○○は、簡単にできればとっくにやっていたはずで、一見簡単そうに見えて実はなかなか手を出しにくい・あるいは継続が困難なものであることが多い。

 神経質人間は良く言えば慎重で熟慮するので失敗が少ない反面、なかなか手を出さないので、スタートで出遅れたり、計画倒れになったりということもある。ことに苦手なものは、ああでもない、こうでもない、と屁理屈を並べて後回しにしがちである。だから、なおさら○○には手が出ない。

 森田正馬先生は便所掃除を例に挙げて次のように言っておられる。

「世の中に我というもの捨てて見よ 天地万物すべて我物」という歌がある。私は、これをこう言い換えた。

「世の中に、物その物になってみよ。天地万物すべて我物」

というのである。この事を、私は「見つめよ。逃げるな」といって教えます。例えば、便所の掃除などは、誰も嫌いです。普通の人は、これを「いやという心を捨てて精進努力して、掃除せよ」という風に解釈します。しかしこれは、ワサビの嫌いな人に、それを好きと思え、死にたくない人に、死を恐れるなと忠告すると同様に、実は不可能であるから、世人は、修養とか捨身とかいう事に、非常に苦難をするのであります。

 私の教えに従えば、例えば、便所を見つめていると、いろいろの汚いものが目についてくる。少し我慢して、逃げずにいれば、手を出すのは苦しいけれども、汚いままに放任して置くのも、気になってしかたがない。心の内には、さまざまの葛藤があり、種々の思想が浮かんでくるけれども、結局これを実行した時に、初め想像したよりも楽であり、その奇麗になった結果を眺めて、自分の力と・善行とを喜ぶ事になる。それで私からいえば、汚い事の嫌いなのも我であり、清潔にしておきたいと思うのも、両面ともに我である。すなわち我を捨てるのではなくて、自我を発揮すると解釈するのである。こんな手近な手段によって、私は多くの患者の修養に成功しているのである。 (白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.509-510

 「○○しよう」という決意そのものは悪くないが、それよりも大切なのは、ほんの少しでもよいから実際に行動に移すことである。「すべきである」からやるのは誰だって嫌である。この時、注意は自分の方にばかり向いていて、物そのものになっていない。苦しいけれども気になるからやってみよう、と純な心で実際に手足を動かしてみれば、しだいに注意は自分の外に向くようになってくる。神経質は動き出せば、「もうちょっとやってみよう」ということになって、気がついたら意外にも仕事が進んでいる。そして、後から達成感・満足感が得られるもので、まさに「苦楽共存」なのである。

 「思い立ったが吉日」という言葉があるが、神経質の場合は「動き出したが元日」ということになるだろう。スタートで出遅れても「やっぱり自分はダメだ」とガッカリすることはない。1年365日いつでも元日になりうるのだ。

« 神経質礼賛 501.無可無不可(可も無く不可も無し) | トップページ | 神経質礼賛 503.煮込みラーメン »

コメント

先日は病院でお会いできて、とても嬉しかったです!地元で先生にお会いするとホっとします。今年もよろしくお願いします。

出発を間近にして不安と緊張が増してきました。だんだん口数も減り・・・。「見つめよ・逃げるな」ですよね・・・。極寒での閉じ込められた生活を思い浮かべただけで逃げ出したくなります(笑)。帰国後は、神経質を生かしつつも気楽さをもった生き方をしたいですね。

 あけましておめでとうございます。

 今年も一年、よろしくお願い致します。(財)メンタルヘルス岡本記念財団は昨年の9月の末に以下の所に移転しました。

 (財)メンタルヘルス岡本記念財団
〒530-0057
大阪市北区曾根崎2丁目5番10号
梅田パシフィックビル7F
TEL:06-6809-1211 FAX: 06-6809-1233
ホームページ www.mental-health.org

 最寄りの駅はJR大阪駅から徒歩10分の所にあります。財団ビルの北側に露天神(大阪のみなさんにはお初天神で親しまれています。)があります。

 露天神の由来は

菅公が当地で詠まれた御歌
「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」に因る。(その他諸説有り)

昌泰4年(901年)2月、菅原道真公が筑紫へ左遷配流される途中、福島に船泊まりされた折に、当社東方に伽藍を構える「大融寺」に船頭茂大夫の案内でご参詣の道すがら、当地で、上の歌を詠ぜられた。この故事にちなみ、露 天神社と称すると伝えられている。

 とのことです。

 先生、一度遊びにいらっしゃいませんか……。とても賑やかな所ですよ。笑い。

 コメントいただきありがとうございます。確かに極寒の閉ざされた空間への旅立ちは気が重くなりますね。でも、もうひとふんばりすれば春もやってきます。仕事の上でも実を結ぶといいですね。時には休符も入れましょう。

万代博志様

 新年おめでとうございます。コメントいただきありがとうございました。メンタルヘルス岡本記念財団がますます交通至便の地に移転し、喜ばしい限りです。万代様も以前に増して御多忙のことと思います。新図書室、ぜひ行ってみたいです。
 今年もよろしくお願いいたします。
 

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 神経質礼賛 501.無可無不可(可も無く不可も無し) | トップページ | 神経質礼賛 503.煮込みラーメン »

最近のトラックバック

2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30