神経質礼賛 520.人の品性
勤務先の病院の資料室には森田正馬先生自筆の色紙がざっと60枚以上積み重ねて収蔵されている。それとは別に、入口近くの目立たないところに掛けてあって、今まで見落としていた色紙があるのに気付いた。
「職業によりて人の品性の定まるにあらず その人の品性によりて只 職業の貴賎を生ず」というものである。
これは実に当たり前のことだと思うのだが、世間ではそうは思わない人も少なくないようである。職業で判断して「あの人は○○だからすごい」と持ち上げたり、「あの人は☐☐の分際で偉そうだ」とけなしたりしがちである。一種の「レッテル貼り」だ。10年近く前、猫の額ばかりの土地を買って今の家を建てる際、隣家に手土産を持って御挨拶に行ったら、隣の奥さんは誇らしげに「ウチは県庁職員ですがおたくは何ですか」と言った。田舎ではお役人様はとても偉いらしい。
職業では人の品性はわからない。世間でセンセイ稼業と言われる人たち・・・例えば、弁護士、教師、医師を見ても、本当に「先生」と呼びたくなるすばらしい人から、人格に疑問符がつくような人まで、ピンからキリまである。ましてや国会議員のセンセイ方ともなれば新聞で読む限り、後者の方が圧倒的に多いのではないかと思わざるを得ない。国会議員が賤しい職業では困る。
その人の品性があらわになるのは、注意してくれる人がいない立場になった時である。先日引退した大相撲の横綱は典型例だろう。指導する立場にある親方は弟子の暴力が怖くて見て見ぬふりをした。強い人気者だから客寄せということで相撲協会も問題行動に毅然とした態度が取れなかった。そして未熟な人格が暴走してしまった。これは周囲の人ばかりでなく本人にとっても不幸なことである。大物国会議員、会社の経営者、大学教授のような立場では諌めてくれる人がいなければ、同じようなことが起きうる。
小心者で周囲からどう思われるか心配する神経質人間ではそうした「裸の王様」になってしまう可能性は低いが、用心するにこしたことはない。以前、「天神様は神経質」(381話)で書いたように、森田正馬先生の神経質学説をいち早く支持し自らも森田療法を行った下田光造九州大学教授は、「(神経質者は、)世の多くの英雄や天才が自制心に欠けて、その没落や挫折をきたすのとは趣を異にし、反省心に富むと共に、向上努力の念が強いため、真に偉大な人物が生れる」と神経質を礼賛しておられた。偉大な人物にはなれないまでも、反省と向上努力で神経質を生かしていきたいものである。
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