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2010年2月26日 (金)

神経質礼賛 520.人の品性

 勤務先の病院の資料室には森田正馬先生自筆の色紙がざっと60枚以上積み重ねて収蔵されている。それとは別に、入口近くの目立たないところに掛けてあって、今まで見落としていた色紙があるのに気付いた。

「職業によりて人の品性の定まるにあらず その人の品性によりて只 職業の貴賎を生ず」というものである。

 これは実に当たり前のことだと思うのだが、世間ではそうは思わない人も少なくないようである。職業で判断して「あの人は○○だからすごい」と持ち上げたり、「あの人は☐☐の分際で偉そうだ」とけなしたりしがちである。一種の「レッテル貼り」だ。10年近く前、猫の額ばかりの土地を買って今の家を建てる際、隣家に手土産を持って御挨拶に行ったら、隣の奥さんは誇らしげに「ウチは県庁職員ですがおたくは何ですか」と言った。田舎ではお役人様はとても偉いらしい。

 職業では人の品性はわからない。世間でセンセイ稼業と言われる人たち・・・例えば、弁護士、教師、医師を見ても、本当に「先生」と呼びたくなるすばらしい人から、人格に疑問符がつくような人まで、ピンからキリまである。ましてや国会議員のセンセイ方ともなれば新聞で読む限り、後者の方が圧倒的に多いのではないかと思わざるを得ない。国会議員が賤しい職業では困る。

 その人の品性があらわになるのは、注意してくれる人がいない立場になった時である。先日引退した大相撲の横綱は典型例だろう。指導する立場にある親方は弟子の暴力が怖くて見て見ぬふりをした。強い人気者だから客寄せということで相撲協会も問題行動に毅然とした態度が取れなかった。そして未熟な人格が暴走してしまった。これは周囲の人ばかりでなく本人にとっても不幸なことである。大物国会議員、会社の経営者、大学教授のような立場では諌めてくれる人がいなければ、同じようなことが起きうる。

 小心者で周囲からどう思われるか心配する神経質人間ではそうした「裸の王様」になってしまう可能性は低いが、用心するにこしたことはない。以前、「天神様は神経質」(381話)で書いたように、森田正馬先生の神経質学説をいち早く支持し自らも森田療法を行った下田光造九州大学教授は、「(神経質者は、)世の多くの英雄や天才が自制心に欠けて、その没落や挫折をきたすのとは趣を異にし、反省心に富むと共に、向上努力の念が強いため、真に偉大な人物が生れる」と神経質を礼賛しておられた。偉大な人物にはなれないまでも、反省と向上努力で神経質を生かしていきたいものである。

2010年2月22日 (月)

神経質礼賛 519.水中毒

 今はバンクーバー冬季オリンピックの話題でもちきりだが、冬のスポーツはスキーやスケートばかりではない。隠れたウインター・スポーツは駅伝やマラソンだと思う。たいていの高校では2月頃に全員参加のマラソン大会があって、その1-2ヶ月前から普段の体育の時間に校外を走るようになる。子供たちは大変だと言っている。私は走るのはまるで遅かったけれども、サッカーのように人とぶつかり合うわけではないし、がんばっていれば着々と前へ進んでいく喜びがあるので、長距離走は嫌いではなかった。

 長距離走で心配になるのが脱水である。私の世代では運動中に水を飲むな、と言われていた。今では脱水予防のために水分摂取が推奨されている。駅伝やマラソン大会の際には、中継所で水やスポーツドリンクを飲むのが常識となっている。ところが、この「常識」が水中毒(低ナトリウム血症)を起こす恐れがあることが指摘されるようになった。ボストンマラソンでレース後に行った採血では13%の人に低ナトリウム血症が認められたという報告もある。血液中のナトリウム濃度が低下すると、疲労感、頭痛、嘔吐、さらには意識障害が起り、重症の場合死亡することもある。スポーツドリンクはナトリウムを含んではいるものの濃度は血液中のナトリウム濃度に比べれば極めて低いため、スポーツドリンクを飲んでも塩分が不足して水中毒になりうる。

 水中毒というと聞きなれない方も多いと思う。精神科の病棟ではよくあることで、水中毒を一番多く診ているのは案外私のような精神科病院の勤務医かも知れない。精神科で用いる薬剤自体が水中毒の原因となりうると言われているし、「水を飲め」という幻聴に支配されて飲んでしまう場合や、薬の副作用の口渇のために飲みすぎる場合もあるし、強迫行為として多量に飲んでしまう場合もある。看護スタッフが患者さんのコップを預からせてもらうような対応をしても、水道の蛇口に口を当てて直接飲んでしまうので、過飲水がどうしても防げない場合には、やむなく隔離(行動制限)しなくてはならないこともある。

戦国時代、塩が不足して困っていた武田信玄にライバルの上杉謙信が塩を送ったという逸話は有名だ。20kg前後もある甲冑や武具を身に着けて戦場で激しく戦い続けたら大量に発汗するので、脱水状態でもいけないし、水分だけを補給したところで水中毒になってクラクラになって敵に討ち取られるなどということもあったのではないかと想像する。塩分なしには存分に戦えなかっただろう。

高血圧予防のためには減塩習慣が大切だけれども、マラソン大会のように激しく発汗する場合には水分とともに必要十分な塩分を補給することに神経を使う必要がある。

2010年2月19日 (金)

神経質礼賛 518.日本近代音楽館

 先週末は日本近代音楽館へ行ってきた。名ヴァイオリニストのハイフェッツから「百年に一度の天才」と激賞されアメリカに渡るも睡眠薬の大量服用から脳障害をきたし悲劇の生涯を送った「神童」渡辺茂夫さんの遺品が日本近代音楽館に寄贈された、という昨年12月の新聞記事を読んで、その存在を初めて知った。残念なことに3月で閉館となるので何とか一度行きたいと思っていた。

今でこそ武満徹の作品が世界的に有名にはなっているが、日本人作曲家の作品は演奏されることが少なく楽譜を入手することも困難である。日本近代音楽館は1987年に音楽評論家の遠山一行氏らが設立したもので、山田耕筰をはじめとする日本人作曲家の自筆譜や関連資料を多数収蔵し、公開している。私が興味を持っているのは山田耕筰作曲弦楽四重奏曲第2番ト長調である。巌本真理弦楽四重奏団のCDで聴いて大変感銘を受けた曲だ。一楽章構成で演奏時間5分ばかりの短い曲。出だしはベートーヴェンの若い頃の作品を思わせ、上昇音型が日の出の光景を連想させる。私の頭には5月頃の農村の朝の爽やかな風景が浮かぶ。小鳥がさえずり、人々も田畑で働き始める。山田耕筰はそもそも声楽科出身で「この道」「赤とんぼ」「ペチカ」「待ちぼうけ」などの歌曲・童謡が有名であるが、こんなにすばらしい器楽曲も作っていたのだ。もっと演奏されてしかるべきだ。日本近代音楽館が刊行した「山田筰作品資料目録」は百科事典1冊分くらいの本で、曲名などのデータが収録されている。全国の大学・高校・小中学校の校歌や企業の社歌も多数作曲しているので大変な数である。大学の校歌で有名どころを拾ってみると、一橋大、東京芸大、明大、日大、同志社大、関西大、関西学院大などがある。

お願いして弦楽四重奏曲第2番自筆譜のマイクロフィルムを見せていただいた。以前に奏楽堂で見た中田喜直(346)の神経質で完全主義傾向が窺われる自筆譜と違い、山田筰の自筆譜からは自由でおおらかな性格が感じられた。閉館前でいろいろとお忙しい中、マイクロフィルムの使い方から御親切に説明して下さった学芸員の方には本当に感謝している。また、この楽譜が(株)クラフトーンという会社から出版されていることも教えていただいた。同社の「山田耕筰作品集」というホームページには山田耕筰作品で販売またはレンタルしている楽譜の一覧があり、「山田耕筰作品集校訂日誌」というところをクリックすると楽譜の校訂を担当している方のブログが読めて、これがなかなか楽しい。

明治・大正時代の音楽家たちは、ヨーロッパの音楽を学び模倣した上で、日本音楽の独自性を打ち出していった。同じ時代、精神医学の世界でも多くの医師たちがドイツ流の精神病理学や治療法を学び模倣していったが、そうした中で独自の神経質理論と治療法を打ち出していったのは森田正馬先生だけである。グローバルスタンダードと称してアメリカに従えの昨今であるが、芸術でも医療でも、日本独自の良いものを埋もらせておくのは実にもったいない。そのすばらしさを世界に向けて発信していきたいものである。

2010年2月15日 (月)

神経質礼賛 517.続・減塩生活

私は4年ほど前から血圧がレッド・ゾーンに入った。毎日薬を飲むのには抵抗感があって、薬は飲まずに減塩生活(128話)を心がけてきた。朝食のパンにマーガリン類はつけない。麺類の汁はおいしくても残す。なるべく醤油は使わない。減塩単独で下げられるのは10mmHg程度と言われている。それだけではもはや限界だと観念して、昨年末から降圧剤を毎日半錠飲むことにした。血圧の薬は数種類あって、どれも一長一短である。よく使われるカルシウム拮抗薬は動悸や顔のほてり感が出やすい。ACE阻害薬では空咳が問題となる。最近は副作用の少ないARBがよく使われるが、薬価が高く、やや効果が弱い印象がある。私の場合もともと頻脈があるので、脈拍数を減らす作用のあるβブロッカーという種類の薬にした。βブロッカーは喘息がある人では禁忌である。この薬には思わぬ副作用(?)があって、人前で緊張して激しくドキドキしていたのがあまりしなくなって楽ではあるのだが、これでは「緊張感が足りない」という今までと逆の悩み(?)になっている。もっともそれを心配しているのだから神経質は健在である。

先週、デイケアの担当者から頼み込まれて、6年ぶりに音楽プログラムをやってみた。「ちょっと早いけど春のコンサート」ということでまず私が春にちなんだ曲を数曲弾き、その後で「おぼろ月夜」「花の街」「花」といった懐かしい歌を皆で歌う、というものだった。会場にはしっかりビデオカメラがセットされていて緊張していたのだろう。後で渡された写真を見ると赤面してヨッパライのようである。「緊張感が足りない」と心配するまでもない。

 減塩など生活上の注意は高血圧治療の基本である。薬を飲んでいるからいいや、ではなくこれ以上薬が増えないようにするためにも、神経質に減塩生活は続けていくつもりである。

2010年2月12日 (金)

神経質礼賛 516.アップルビー教授の講演会

 田舎に住んでいると、専門医更新のためのポイントを取るのが大変で、東京の研修会に足を運ばなければならない。先週の日曜日、研修会として、イギリスの精神保健衛生行政の中心的人物であるルイス・アップルビー(Louis Appleby)教授の講演会が東大安田講堂であったので、聴講しに行った。

 どうせ行くならば他のこともしよう、と欲張るのが神経質人間の常である。銀座ヤマハの開店時刻に着くように新幹線に乗る。ヤマハ銀座店は有楽町で仮店舗営業が続いていたが、この日がその最終日で、今月末には銀座で新ビルでのオープンとなる。楽譜売場でチャイコフスキーの弦楽セレナーデの全パート譜とスコアのセットを見つけ、購入。今までは小さいスコアをめくりながら弾いていたのがこれからはラクになる。さらに、フィギュアスケート・ミュージック・コレクションという伴奏CD付ヴァイオリン譜を見つけた。フィギュア・スケートのBGMとして使われるようなクラシック曲をアレンジしたものだ。私がよく弾いているモンティの「チャルダッシュ」が入っていた。これまではピアノ伴奏譜をシンセサイザーソフトに自分で入力したもので伴奏させていて、ぎこちない感じがしていたが、これで解決である。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲第一楽章短縮版も入っていて、これも楽しめそうだ。

 東大病院側の裏門(鉄門)から構内に入り、歩いていくと、すれ違った女性から「安田講堂はどちらですか?」と尋ねられた。広い構内で「迷子」になってしまったとのこと。私と同様、専門医のポイントを取るために地方から出てきた女医さんだった。ポイント難民は私だけではない。参加費は事前に振込だったにもかかわらず、例によって受付に手間取り、開始が15分遅れた。主催者の発表によれば参加者は400名で、今回は専門医だけでなく、一般公開のため、患者団体の方、政治家も参加しているという。イギリスで日本大使館の一等書記官を経験したことがある厚生労働省の武内和久氏がイギリスの医療制度・医療改革について説明した後、アップルビー教授の講演が始まった。ブレア政権の時代、精神医療に多額の予算を回してアウトリーチチーム・危機解決チーム・早期介入チームを作るとともに上級精神科医・精神保健看護師の数を増やした。その結果、入院数の減少・患者満足度の向上・就労の増加がみられたという。また自殺予防対策により(特に若年者の)自殺数が減少している(ちなみにイギリスでの自殺者は年間4500人程度で日本よりはるかに少ない)。薬物療法については、国立最適医療研究所(NICE)が治療の評価を行い、臨床ガイドラインを公表している。入院ケアの改善も図られ、70%が個室で男女別、明るい病棟となり、全面禁煙となっている。さらには、うつ病、認知症に対する取り組みも強化しているという。

 精神科の全面禁煙については質疑応答の場で患者さんの御家族という方から質問が出た。それに対してアップルビー教授は「イギリスでも当初は賛否両論があったが、うまくいっている。精神病患者さんは(種々の身体病について)ハイリスクなのだから禁煙がよい」という趣旨の回答をされていた。日本では精神科病院といえばタバコ臭いイメージがつきまとう。一般病院が全面禁煙化されつつあるのに、病院監査にやってきたお役人様は「患者さんの権利でいつでもタバコを吸えるように病院側で配慮しなさい」というとんでもないことをおっしゃる(29話:不可解な保健所の御指導)。その結果、身体合併症を増やして患者さん本人を苦しめ医療財政も圧迫するという単純なことすらおわかりにならないのである。喫煙によって肝臓内で代謝酵素誘導が起き、抗精神病薬のクリアランスが上昇して薬の効果が低下するので、より多量の薬が必要になるという問題もある。都道府県・保健所のお役人様方にぜひ聞いていただきたい内容だった。また、日本のように医療費を削減せよ、の一点張りでは医療はよくならない。関係者の努力や熱意だけでは限界がある。ムダはいけないが、イギリスのように十分な予算を医療に投入していく必要があると感じた。

2010年2月10日 (水)

神経質礼賛 515.知らぬが仏

 もう十年以上前のことだ。冬のある日、外来に中年の新患がやってきた。髪は丸刈りである。「今まで関西に住んでいて、不眠症のため、睡眠薬をもらっていて、こちらに引っ越してきたので同じ薬を処方して欲しい」という。紹介状はないが、前の病院の診察券と薬の名前を書いたメモを持っていた。当時の病院は、外来診察室のすぐ外が駐車場だったから新しい患者さんがどんな車に乗って来ているか把握できた。この人はクラウンに乗ってきたので、もしや「組」の関係者ではないかと警戒した。探偵シャーロック・ホームズが依頼人をよく観察してどんな人かを推理するようなものだ。神経質の生かしどころである。仕事を尋ねると、産廃業者をしている、という。いろいろと生活歴を聞いているうち、「すみません! 実は隠していました。正直に言います。覚醒剤で捕まって服役したことがあります」と言い出した。「組」との関係を問うと、今はもうない、という。服用している睡眠薬は1日1錠だけであるし、現在は薬物乱用もない様子なので、メモにあった薬を2週間分処方した。2回目に受診した時には憔悴した様子で、「親しい友人が神戸の事件で疑いをかけられて自殺してショックを受けています」と述べていた。3回目は奥さんが来院して、「大阪の方へ出張中なので」とのことだった。それからしばらくして、新聞にこの人の写真入りの記事が出た。大阪のゴルフ場でピストルを持った二人組に現金240万円が奪われた事件の容疑者として逮捕されたのだった。二人組のもう一人は神戸のF銀行五億円強奪事件の参考人として取り調べを受けた翌日に自殺したという。

 ある意味、この人は正直に話してくれていたわけだ。騙されたわけではないが、「知らぬが仏」である。もしかすると診察時にピストルを所持していた可能性も否定できない。妻の言う「出張」というのが本職だったのだろう。幸いなことに近頃はこういった人にはお目にかかっていないが、油断は禁物である。身を守るのには神経質を生かすに限る。

2010年2月 8日 (月)

神経質礼賛 514.嘘

 日経メディカル1月号に「医師のためのパフォーマンス学入門」という女性の心理学者が書いている連載で、患者の「嘘」をどこで見抜くか、という題名の記事があった。同じ話をした時の言葉の矛盾だとか、口調だとか、顔の表情から嘘が見抜けるという。かつて流行した演歌に「うそ」という歌があった。「折れた煙草の吸殻で あなたの嘘がわかるのよ 誰かいい女できたのね」というような歌詞だったろうか。ちょっとしたしぐさを観察して嘘を見抜く能力は女性の方が長けているようだ。

 私が大学病院勤務時代、30代の太った女性が外来に通院していた。前任者から引き継いだ人なので、あまり詳しくは覚えていないが、目つきが鋭かったのと、御本人の雰囲気には不似合いなブランド品を身に付けていたのが印象的だった。3つ子がいて超低体重で生まれたため東京の某有名病院に入院したままだ、という。私はどうも怪しいと思って、同じ綴りにある、同時に通院している産婦人科のカルテを見ると、妊娠0回、出産0回とあった。嘘は明らかである。子供が危篤だと言っては公務員の夫から金を巻き上げていた。夫が子供に会いたいと言うと、ICUに入ったままで母親の自分でさえ会えないと言っていたらしい。夫はいつも金策に走り回り、ついに職場の備品を持ち出して密かに売却したのがバレて懲戒免職になった。その後、この女性は受診しなくなったのでどうなったかわからない。

 クレペリンという精神病理学者が唱えた精神病質という人格類型の中に「虚言者」がある。異常に活発な空想力を持ち、それに熱中し、過去も現在も未来も好きなように思い描き、空想と現実の区別が付かなくなる、というような人である。しかし、この女性にせよ、前回の連続不審死事件の容疑者にせよ、虚栄心の強いヒステリー性格であるとしても、「虚言者」というレベルではなく、全部承知の上でやっていたことであろうと思われる。

 嘘をついたことのない人はまずいない。大人になれば時には方便としての嘘も出る。しかし、虚言癖の人がいたら周囲の人々は大迷惑である。小心者の神経質人間の場合、嘘をつくのが下手であり、嘘で人に迷惑をかけることも少ないだろう。

2010年2月 5日 (金)

神経質礼賛 513.連続不審死事件

 埼玉県と鳥取県で男性が金を貢がされた挙句に次々と不審な死を遂げた事件が長いこと新聞の三面記事をにぎわせていたが、ようやくどちらの事件も容疑者の女性が逮捕された。容疑者の女性はいずれも睡眠導入剤を悪用して「用済み」の男性たちを死亡させていたのではないかと考えられている。近頃は、犯罪のカゲに睡眠導入剤あり、というような事件が多く、薬を処方しなくてはならない立場としては困ったものである。より一層神経質に処方しなくてはいけない。「死人に口なし」で直接的な物的証拠が乏しく状況証拠を積み重ねていくしかないので、今後の裁判は長引きそうである。

それにしても、新聞に出た顔写真を見ると、両容疑者とも、いわゆる魔性の女にはほど遠い顔である。もっとも、地味な顔立ちだからこそ男性たちも気を許して、騙されてしまったのかも知れない。埼玉の事件の容疑者の場合は「育ちの良い家庭的なピアノ講師」を装ったブログに誘導して男性たちを騙していたらしい。結婚したらとことん尽くす、とか老後のめんどうをみてあげる、といった決めの言葉が犠牲者男性たちの結婚願望を揺さぶったのだろう。

 恋は盲目とはよく言うが、いろいろな名目で次々と金を貢がされているうちに変だなと思わなかったのだろうか。犠牲者の男性たちは、あまりにも「いい人」が多かったようだ。その点、油断はできないが神経質人間の場合は騙される可能性は低いだろう。小心者で心配性の神経質人間に「悪い虫」は付きにくい。(その代わり良い虫も付きにくいという難点はあるが。)

2010年2月 3日 (水)

神経質礼賛 512.横浜中華街の占い

 先週の水曜日朝のNHKニュース「おはよう日本」を見ていたら、横浜の中華街で占いがブームだという話題を取り上げていた。食事目的でなく風水や手相などの占い目的に訪れる人が増え、その数は年間10万人以上だという。番組では昨年占い師になったという30歳の男性を追っていた。大学中退後、定職に就けず、将来に希望が持てなかったが、占い師の言葉で人生が変わった。人に希望を与えたいと、自分も占い師になった。客に伝えたいメッセージを手帳に書き溜め、心に刻み込む。客として訪れた20代の失業中の若者に、幸せになるために笑うようにとアドバイスしていた。

 精神科の外来には時として、自分はどうすればいいのかわからない、ということで答えを求めに来る人がいる。不安や不眠ということで受診しても、主要テーマが転職したらいいかどうか、結婚した方がいいかどうか、というようなことがある。お見合い相手の写真付履歴書を持参して相談する人までいる。健康保険を使ってこの手の相談事は正直言って困る。「私は占い師じゃないからね」と言いながら、仕方なくカウンセラーのようにその人の考えを整理する手助けをすることもある。

 占いとは、本来、人の将来を予言したり運勢や吉凶を判断したりするものであるはずだが、番組で扱っていたような「占い」に人気があるとすれば、今「占い」に求められているのは未来の予言よりも行動指針のアドバイスなのだろう。一生懸命勉強しても仕事にありつけない若者が増えている。大企業に勤めていても安泰ではなく、いつリストラの憂き目に遭うかもしれない。ある日突然、通り魔に襲われて命を落とすかもしれない。運良く健康で長生きしたとしても少子高齢化の加速で年金財政は破綻が見込まれ、楽隠居できそうな状況にない。各種の調査で、これから世の中が良くなっていくと思っている人より、世の中が悪くなっていくと思う人が多い昨今である。世の中、不安だらけだ。

 しかし、不安を消そうとあがいてもどうにもならないし、ジタバタしていては不安スパイラルにはまるだけである。森田正馬先生が言われたように、不安はどうにもならないものをあきらめて、目の前のできることを一つ一つやっていくほかはない。行動しているうちにいつしか気分も変わって「不安心即安心」となるものである。就職先に困っている若者の場合、ダメもとで面接や採用試験に次々とチャレンジしていくしかない。番組に出た占い師にしても、考えるだけでなく実際に占い師になろうという行動に出て初めて道が開けたのである。「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る(高村光太郎:道程)」という言葉が思い浮かぶ。

2010年2月 1日 (月)

神経質礼賛 511.神経質の劣等感

 神経質人間は間違い探しや悪いところ探しは得意技で、自分に厳しく人にも厳しい傾向があるが、とりわけ自分の方にばかり注意が向いている神経症状態では自分の欠点ばかりが目に付いて強い劣等感にさいなまれることになる。そこで欠点を補おうとコツコツ努力していけばよいものを、自分はダメだとレッテルを貼って投げやりになって努力を放棄してしまったら、ますます悪循環で自分の欠点に目が行って劣等感が強くなってしまう。

 かつて森田正馬先生のもとに強迫症状を訴えて学生さんがやって来た。この人は、ある医院の住込み書生をしながら物理学校予科に通っていた。一回の診察で読書恐怖は改善するも勉強に集中できないことが気になる。そこで森田先生に手紙でアドバイスを求めた。ちょっと長いが森田先生のアドバイスを引用してみよう。

 薬を間違へる事を頭の悪い所為にしてはいけません。幾ら頭の悪いものでも骨を折れば間違ふことはありません。自分の頭の良し悪しを批評するひまには常に「どうすれば決して間違ふ事はないか」といふことを絶へず工夫するやうにしなければなりません。どうすればよいかといふことは、時としては寝てゐるひまにでも考へておけばよい。事に当つて人よりも遅く機転のきかぬやうに思はれるのは平常の心がけがないからであります。

 失敗の連続-其原因は、「間違ひはせぬか」「又叱られはせぬか」と考へる心が常にあるからの事であります。此時は「泣面に蜂」とか「二度ある事は三度ある」といふ風に、幾らでも其間違ひを繰り返す。そして其原因に気がつかないで、くやしがり、悲観し、負けおしみを起こせば起こすほど、益々手も足も出なくなり、神経質の「劣等感」といふ症状になります。

 そんならどうすればよいか。自分が間抜けであり頓馬であると思はれないやうにといふ負けおしみとごまかしとを断念して、自分は間抜けであり頓馬であると覚悟をきめる事を修養する事が大切です。さうすると前に述べたやうに、もはや利巧ぶる事も笑はれないやうにと見かけをごまかす心がなくなつて、診療場の整頓なり、物の取扱ひなどにも心がいきとヾくやうになります。(白揚社:森田正馬全集第4巻 p.615-616

 劣等感は決して悪いことではない。自分は人より劣っていると覚悟して、その分を努力と工夫で補っていこうとすればよい。そもそも神経質人間は劣っているわけではなく欠点に対する感度が高いだけのことであるから、元々人並み以上の人間がそういう努力と工夫をしていけば、大いに人よりも優れて役に立つ人間として活躍できるのである。森田先生の言われるように、悲観しているヒマがあったら、絶えず工夫や努力をしてみることである。劣等感は発展向上のエネルギー源に変化する。

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