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2010年2月 1日 (月)

神経質礼賛 511.神経質の劣等感

 神経質人間は間違い探しや悪いところ探しは得意技で、自分に厳しく人にも厳しい傾向があるが、とりわけ自分の方にばかり注意が向いている神経症状態では自分の欠点ばかりが目に付いて強い劣等感にさいなまれることになる。そこで欠点を補おうとコツコツ努力していけばよいものを、自分はダメだとレッテルを貼って投げやりになって努力を放棄してしまったら、ますます悪循環で自分の欠点に目が行って劣等感が強くなってしまう。

 かつて森田正馬先生のもとに強迫症状を訴えて学生さんがやって来た。この人は、ある医院の住込み書生をしながら物理学校予科に通っていた。一回の診察で読書恐怖は改善するも勉強に集中できないことが気になる。そこで森田先生に手紙でアドバイスを求めた。ちょっと長いが森田先生のアドバイスを引用してみよう。

 薬を間違へる事を頭の悪い所為にしてはいけません。幾ら頭の悪いものでも骨を折れば間違ふことはありません。自分の頭の良し悪しを批評するひまには常に「どうすれば決して間違ふ事はないか」といふことを絶へず工夫するやうにしなければなりません。どうすればよいかといふことは、時としては寝てゐるひまにでも考へておけばよい。事に当つて人よりも遅く機転のきかぬやうに思はれるのは平常の心がけがないからであります。

 失敗の連続-其原因は、「間違ひはせぬか」「又叱られはせぬか」と考へる心が常にあるからの事であります。此時は「泣面に蜂」とか「二度ある事は三度ある」といふ風に、幾らでも其間違ひを繰り返す。そして其原因に気がつかないで、くやしがり、悲観し、負けおしみを起こせば起こすほど、益々手も足も出なくなり、神経質の「劣等感」といふ症状になります。

 そんならどうすればよいか。自分が間抜けであり頓馬であると思はれないやうにといふ負けおしみとごまかしとを断念して、自分は間抜けであり頓馬であると覚悟をきめる事を修養する事が大切です。さうすると前に述べたやうに、もはや利巧ぶる事も笑はれないやうにと見かけをごまかす心がなくなつて、診療場の整頓なり、物の取扱ひなどにも心がいきとヾくやうになります。(白揚社:森田正馬全集第4巻 p.615-616

 劣等感は決して悪いことではない。自分は人より劣っていると覚悟して、その分を努力と工夫で補っていこうとすればよい。そもそも神経質人間は劣っているわけではなく欠点に対する感度が高いだけのことであるから、元々人並み以上の人間がそういう努力と工夫をしていけば、大いに人よりも優れて役に立つ人間として活躍できるのである。森田先生の言われるように、悲観しているヒマがあったら、絶えず工夫や努力をしてみることである。劣等感は発展向上のエネルギー源に変化する。

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