神経質礼賛 530.本来性
神経質人間は「生の欲望」が強い。よりよく生きたい、人に認められたい、幸福になりたい、といった気持ちが強く、人一倍発展向上欲や完全欲が強いのだ。それだけに失敗を恐れ、不完全を忌み嫌う。「生の欲望」と「死の恐怖」とは表裏一体であって、注意が自分の方ばかりに向かうと「死の恐怖」が強く出てきて、体の不調を必要以上に気にしたり、対人恐怖や強迫観念や強い不安にさいなまれたりすることになる。注意が自分の外に向かい、仕事や勉強に打ちこむようになると、「症状」はいつしか気にならなくなっている。そして、ふと自分の本来性に気付くものである。森田正馬先生は次のように言っておられる。
我々は貝を拾っても、砂の池を掘っても、その現在においては、一生懸命に働いて、滅びるとか、なくなるとかいう観念を超越している。これが執着である。この執着が、実は動かすべからざる我々の本来性であり、人間の事実である。ただしこの執着の強いものが神経質であり、弱くて呑気なものが、意志薄弱者であるのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.325)
何度か書いているように、私が強い対人緊張や強迫観念に悩み出したのは小学生の頃に遡る。自意識過剰の中学生から高校生の頃はピークだった。自分は生きている価値がない。こんなでは生きていても仕方がない。死ぬしかない、とまで思いつめることもあった。今にして思えば発展向上欲や完全欲が強く、不全感を持ちやすかったということなのだ。自分は人生の落伍者だ、という感覚を引きずりながら大学・社会人生活を送ったけれども、しだいに「自分はこんなものでしょうがない。できることをやっていくしかない」とあきらめがつくようになり、対人緊張も「まあこんなものだ」と思えるようになっていった。今では、自分は執着心が強い欲張りなのだと自覚している。その本来性を生かしながら人の役に立っていければと思う。
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