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2010年3月29日 (月)

神経質礼賛 530.本来性

 神経質人間は「生の欲望」が強い。よりよく生きたい、人に認められたい、幸福になりたい、といった気持ちが強く、人一倍発展向上欲や完全欲が強いのだ。それだけに失敗を恐れ、不完全を忌み嫌う。「生の欲望」と「死の恐怖」とは表裏一体であって、注意が自分の方ばかりに向かうと「死の恐怖」が強く出てきて、体の不調を必要以上に気にしたり、対人恐怖や強迫観念や強い不安にさいなまれたりすることになる。注意が自分の外に向かい、仕事や勉強に打ちこむようになると、「症状」はいつしか気にならなくなっている。そして、ふと自分の本来性に気付くものである。森田正馬先生は次のように言っておられる。

 我々は貝を拾っても、砂の池を掘っても、その現在においては、一生懸命に働いて、滅びるとか、なくなるとかいう観念を超越している。これが執着である。この執着が、実は動かすべからざる我々の本来性であり、人間の事実である。ただしこの執着の強いものが神経質であり、弱くて呑気なものが、意志薄弱者であるのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.325

 何度か書いているように、私が強い対人緊張や強迫観念に悩み出したのは小学生の頃に遡る。自意識過剰の中学生から高校生の頃はピークだった。自分は生きている価値がない。こんなでは生きていても仕方がない。死ぬしかない、とまで思いつめることもあった。今にして思えば発展向上欲や完全欲が強く、不全感を持ちやすかったということなのだ。自分は人生の落伍者だ、という感覚を引きずりながら大学・社会人生活を送ったけれども、しだいに「自分はこんなものでしょうがない。できることをやっていくしかない」とあきらめがつくようになり、対人緊張も「まあこんなものだ」と思えるようになっていった。今では、自分は執着心が強い欲張りなのだと自覚している。その本来性を生かしながら人の役に立っていければと思う。

2010年3月26日 (金)

神経質礼賛 529.サインバルタ

 来月にも新しい抗うつ薬サインバルタ(一般名:デュロキセチン)が日本イーライリリーおよびシオノギ製薬から発売されることとなった。脳内セロトニンだけでなくノルアドレナリンも増加させるSNRIとしては国内ではトレドミン(一般名:ミルナシプラン)に次いで2番目の薬剤となる。脳内セロトニンだけを選択的に増加させるパキシル(一般名:パロキセチン)やデプロメール・ルボックス(一般名:フルボキサミン)やジェイゾロフト(一般名:セルトラリン)といったSSRIではうつ病・うつ状態の意欲改善作用が十分ではなかった。最初のSNRIであるトレドミンが発売された時には意欲改善作用に期待が集まったのだが、効果は今一歩といった印象だった。サインバルタはセロトニン・ノルアドレナリンともにトレドミンに比べて強力な再取り込み阻害作用があるので、より強力な効果が期待されている。メーカー側はうつ病の多彩な症状(食欲不振・肩こり・痛みといった身体症状も含む)に対する効果を謳っている。この薬は朝食後1日1回服用である。初期用量20mg、1週間以上たってから40mgに増量して臨床効果が期待できる用量となる。副作用の点ではSSRIと同様、悪心(おしん:気持ちが悪く、吐きそうな感じ)が多く、パキシルとの比較試験では、サインバルタでは26.3%の人に悪心がみられ、パキシルの22.6%を上回っている。一方、便秘はサインバルタでは9.1%とパキシルの15.9%を下回っている。胃腸障害全体ではどちらも同じ46.3%という数字である。

 昨年発売された抗うつ薬リフレックス(457話)は中途覚醒型や早朝覚醒型の強い不眠だとか、焦燥感には確かに実際に処方してみてSSRI以上の効果が感じられた。しかし、日中の眠気が強いという欠点もあって、誰にも向いている薬というわけでもない。新たにサインバルタが治療薬の選択肢に入り、ますます神経質に使い分ける必要が出てくるだろう。

2010年3月22日 (月)

神経質礼賛 528.アイビーvs神経質

 我が家の入口にある塀を兼ねた小さな花壇には、何かを植えるまでの間とりあえず緑が欲しいということでアイビーを植えていた。8年ほど前、小さなポットに入ったかわいらしい四葉ほどの苗を4つ買ってきたのが最初だった。後から木を植えた時の下草にいいだろうくらいのつもりだった。ところが蔓モノの生命力は恐ろしい。日当たりが良い場所だけあって、どんどん伸びて行った。ブロック塀に勢力を拡げただけでは飽き足らず隣家へも進出していくので、夏場はしょっちゅう枝を切る必要があった。さすがに見た目にも良くないので業を煮やした妻が枝切りハサミを使って全部枝を切って処分した。しかし太い枝は切れず、根がしっかりと張っていて、そこからはどうにもならない、ということで私に仕事が回ってきた。根を取るには細く尖ったスコップが必要だ。妻と子供は実家に行ってしまったので車がない。片道3kmまでなら歩くところだが5kmほど離れたホームセンターまで歩いて往復はちょっとキツイ。そこで子供の通学用自転車を拝借することにした。

 少なくとも5、6年は自転車に乗っていない。最後に乗ったのは、子供を連れて遊びに行ったサイクルスポーツセンターの自転車だったような気がする。久しぶりの自転車に緊張しながら、他の自転車や歩行者に気を配りながら乗っていく。森田正馬先生の「四方八方に気を配るとき即ち心静穏なり 自転車の走れるとき倒れざるが如し」という言葉が浮かんでくる。神経質は自分の不具合に向けるのではなく、外に向けて生かしていくものである。風を切って走るのはなかなか気持ちが良く、うっすらと汗がにじんでくる。小学校の横を通れば桜の花が開き始めているのがわかる。花粉対策のマスクがなければ爽快なのに、と思う。

 帰宅して早速、作業に取り掛かる。まずノコギリで切り取れるところは切り落としてゴミ袋に詰める。太い幹は直径4cmにもなっていた。次に買ってきたスコップで土を掘り起こして根を抜こうとするが細い根がネットワーク状に長く張っていて、簡単に抜けるものではない。これだけ根が張っていればわずかな養分や水分をしっかり吸収できるだろう。全く感心してしまう。1時間半ほど格闘して、完全に根の先まで取れたのが1本。根の一部が残ってしまったのが2本。一番太いものは切株状態のまま残ってしまった。花壇の底のセメント部分からさらに奥に根を張っていて、無理に掘り起こしたら塀となっているブロックがグラつく心配があるのでこれが限度だ。粘り強さがとりえの神経質人間もアイビーの生命力にはかなわなかった。

2010年3月19日 (金)

神経質礼賛 527.続・不眠症のクスリ

 以前、「不眠症のクスリ」(345話)に書いた患者さんが1年半ぶりに再びやって来た。大正生まれで80代後半の方である。前回初診の時には奥さんがついて来られた。不眠のため、いろいろな医療機関を受診していて、どこでも短時間型睡眠薬と中-長時間型睡眠薬がセットで処方されていた。奥さんに話を伺うと、眠れないからと言って夜中に睡眠薬を飲んで、昼は雨戸を閉めて眠っているということだった。そこで薬は処方せず、日中は明るい外に出て昼夜のメリハリをつける、夕方以降はカフェインの摂取を控える、ムリに眠ろうとしない、などの一般的な注意をして、製薬メーカーで出している睡眠に関するパンフレットを渡したのだった。

今回はお一人でみえた。前回渡したパンフレットを机の上に出して「こういう文学ではなくて実際の薬を出してくれ」と意気軒昂たる口調で主張する。「文学」という表現が面白い。今どんな薬をもらっているのか尋ねると、とぼけている。調剤薬局の薬手帳を見せてもらうと、やはりいろいろな医療機関を受診しては睡眠薬を処方してもらっている。「その薬では効かない。おたくは精神科なんだから効く薬を出してほしい」とのたまう。そこで、「ここで出す薬も同じような薬しかない。前回説明したような生活上の注意が大事で、高齢者では睡眠薬の影響で転倒して骨折する事故も多いのでむやみに薬を出すわけにはいかない。必ずどこかで眠っているし、精神病ではないのだから薬はいらない。眠ろうとしないで、眠りは与えられただけ取ればよい」と(耳が遠い方なので)大声で応酬する。「おたくは本当に変わってるなあ」と言って帰っていかれた。変人の藪医者と呼ばれるのは本望である(笑)。

「患者は毎日熟眠が出来ないといひながら、十二時間以上も臥褥し、五時間・七時間位も睡眠して居るのである。多くの医者は不思議にも、其患者の日常の生活状態や、何時に寝て・何時に起き・其間に如何に睡眠が障害されるか・といふ事を聞きたゞさないで、患者の訴ふるまゝに、不眠と承認して、之に催眠剤を与へるのである。(白揚社:森田正馬全集第7巻 p.401)」

とまさに森田正馬先生が言われた通りでる。神経症性不眠の場合、本当のクスリは生活習慣を改善することと眠ろうとする「はからいごと」をやめることである。

2010年3月15日 (月)

神経質礼賛 526.ワイド画面

 自宅で使っていたメインのパソコン(XP機)の動きが悪くなってきた。そこで液晶が一部こわれたサブ機(以前子供が使っていたXP機)を処分して新しいパソコンを購入した。ハードの性能が上がっていることもあってかウインドウズ7は評判どおり早く立ち上がるしシャットダウンも速くて快適だ。しかしイマドキの機種はワイド液晶画面で、どうも違和感がある。今までの液晶画面は横4:タテ3の比のXGA(1024×768ドット)だったのが、最近の機種では横16:縦9比のWXGA(1366×768ドット)が普通である。一見して横長すぎる、というのが印象である。横の長さが縦の1.777倍であるから、人間が最も美しいと感じる黄金比1:(1+√5)/2≒1:1.618(名刺のサイズがこの黄金比になっている)に比べてもさらに横長である。液晶の対角線のインチサイズで計算すると15.6インチワイド液晶の縦の長さは従来比液晶の12.7インチに相当する。どうりで文字が小さく感じるわけである。これでは老眼にはきびしい。こんな計算をしてしまうのも神経質ゆえだろうか。今まで以上に机の上で場所を取ってしまうのも困ったことである。

 複数のウインドウを開いて使うには便利かもしれないが、単純なワープロとして使うには横長画面が生かせない。確か以前はタテ長画面のパソコンだってあったように思う。TVのデジタル放送に合わせての画面比となっていてDVDで映画を見るのには向いているだろうが、どうも使い勝手がよろしくない。縦もドット数を増やした高精度4:3画面の機種もあったらいいのに、と思うのは私だけだろうか。さしずめ、複数のウインドウを開いて効率よく仕事をこなす工夫をしてみようと思う。

2010年3月12日 (金)

神経質礼賛 525.コラーゲンの行方

 お肌すべすべで美しくありたいという世の女性方の願望は不変だと思うが、最近のコラーゲンのもてはやされ方を見ると、神経質人間としては疑問を持たざるを得ない。TVのグルメ番組ではモツ鍋が「コラーゲンたっぷりでお肌ツルツル」と紹介されることが多い。ゼラチン(哺乳類や魚類から抽出したコラーゲンを熱で変性させたもの)を鍋料理に入れるという店もある。確かにコラーゲンはツルツル皮膚に多く含まれているのだろうけれども、コラーゲンを食べたからといってそれが直接皮膚に取り込まれるわけではない。化粧品のように皮膚に塗ったところで時間が経てば剥がれ落ちるだけのことで、体内に吸収されるとは考えにくい。サプリメントも販売されていて、皮膚に対する効果ばかりでなく加齢による関節痛にも効果があるように謳っているものまである。

 コラーゲンは骨・軟骨・腱・皮膚(特に真皮)に多く含まれるタンパク質のひとつであり、ヒトの体内のコラーゲンはすべてのタンパク質の約3割を占めると言われている。経口摂取したコラーゲンは胃腸で分解されてアミノ酸として吸収され、体内に貯蔵される。この段階ではもはやコラーゲンとしての特性はなくなっている。従って、経口摂取したコラーゲンが分解吸収されて、その一部は体内でコラーゲンを合成する際の材料になる可能性はあるので、宣伝コピーは全くのウソとはいえないけれども、あたかも薬の効能のように謳うことは誇大宣伝だと思う。要は好き嫌いせずにバランス良く食品を摂っていれば、あえてコラーゲンを多く含む料理やサプリメントを摂る必要性はないだろう。高価なフカヒレ料理を食べるとお肌がスベスベになる、というのは高価な化粧品が効果を示しやすいのと同じでプラセボ(偽薬)効果だと思う。(たまにはフカヒレ料理でも食べてみたいものだ)

2010年3月 8日 (月)

神経質礼賛 524.ドライヤーからの発火

 TVのニュース番組で、電化製品からの発火事故が最も多いのはドライヤーだという話をしていた。電気ストーブやドライヤーなどの電熱器具は消費電力が大きく、電源コードに流れる電流が大きいため熱を持ちやすい。それに機器自体が発する熱も受けるのでコードが劣化しやすい。特に、ドライヤーの場合、使い終わってコードをクルクル本体に巻きつけて片付ける人が多いのだが、これがコード内部の撚り合わせた細い銅線の束が少しずつ断線していく原因となるのだそうである。一部が断線するとその部位の電気抵抗が高くなり、より発熱するという悪循環が起ってついには発火という事態に至る。安全なしまい方は、ドライヤーを置いて、その周囲にゆるくグルグルとコードを置くというやり方だそうである。

 私の妻は電化製品のコード類が大嫌いで、ドライヤーに「じゃまな」コードを力いっぱい巻きつけてしまう習性がある。いつもは私が何を言っても聞かない人だが、火事の危険と聞くと、「これからは巻きつけるのをやめる」と宣言していた。ドライヤーは無人状態で使うことはないので、火事になる危険性は低いものの、顔に近いところで使うだけに、発火による火傷の心配がある。

 発火するのは電熱関係の器具だけではない。消費電力の少ない電化製品であっても長年プラグをコンセントに挿しっ放しにしていると、コンセントとプラグの間にホコリがたまって湿気により電流が流れて漏電→炭化→発火となること(トラッキング現象)もあるので、すべての電化製品は注意が必要だ。大掃除の時にでも一度プラグを抜いて乾いた布で拭いておくと安心である。予期しない発火事故を防ぐには神経質にするにこしたことはない。

2010年3月 5日 (金)

神経質礼賛 523.津波警報

 この前の日曜日には、チリで発生した大地震の影響で津波が予想され、太平洋沿岸に津波警報が発令された。NHKのTV番組は一日中津波関連番組に変更され、民放でも画面の一部に津波情報が表示されていた。太平洋沿岸部を走るJRや私鉄は運転を見合わせ、高速道路や一般道も一部で通行止めとなった。また、被害が予測される地域には避難勧告が出た。幸いにして津波は予測されたレベルを下回り、人的被害は皆無だった。もっとも、津波が1mを越えた地域では、海岸近くの道路が冠水し住宅や店舗の浸水被害があったし、岩手県のカキ養殖業者は大損害となったようだ。

 予報や対応が大げさ過ぎた、と非難する声が上がり、気象庁が陳謝する場面もあった。しかし、私は非難するのはおかしいと思う。逆に予報や対応が甘すぎたら、多くの人々の生命が失われることだってありうる。今回の津波で最高潮位は120cm程度。大したことはないと思われるかもしれないが、50cm程度の津波でも人間は足を取られて流されてしまうという。ニュースで最も潮位が上がった海岸の様子を早送りで流した映像を見ると、わずか10分の間にみるみるうちに潮位が上がって船が岸辺に押し流されて岸壁以上の高さまで上がったかと思うと今度はみるみるうちに潮位が下がって船が沖の方向に流されていた。もし岸辺に立っている人がいたら流されてしまっただろう。警報を出さなかったら、交通マヒは起きなかった代わりに、海岸にいた漁業関係者やサーファーや観光客が巻き込まれていたはずだ。これだけ厳重な対応をしたからこそ人的被害が出なかったのだと思う。

 避難勧告で避難した人たちの中には第一波が小さかったからといって帰ってしまう人たちがいたということだ。実際には第二波で最高潮位となった。油断は禁物である。また避難をしない人たちも少なくなかったようだ。たまたま予測以下で済んだが、いつもそうなるとは限らない。予測以上となることだってありうる。命に関わることには大いに神経質であった方がよい。

2010年3月 3日 (水)

神経質礼賛 522.前奏曲嬰ハ短調「鐘」

 バンクーバー・オリンピックの女子フィギュアスケートをTVで見た方は多いと思う。浅田真央選手の演技は実に見事だったけれども、ライバルのキム・ヨナ選手の演技は完璧としか言いようのないもので、残念ながら銀メダルになった。逆転優勝がかかったフリー演技では、ライバルが自分の直前に完璧な演技をした後だけにプレッシャーは大変なものだったと思う。浅田選手には金メダル、それを上回るキム選手にはプラチナメダルをあげたいところだ。この時の音楽はセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)作曲の前奏曲嬰ハ短調「鐘」。同じラフマニノフ作曲のピアノ協奏曲第2番やパガニーニの主題による狂詩曲はロマンテイックな旋律ゆえフィギュアスケートの音楽としてよく使われている。前奏曲嬰ハ短調は重厚過ぎてあまり使われないのではないかと思う。

この前奏曲嬰ハ短調を初めて聴いたのは、高校生の時である。私の同級生が音楽室のピアノで弾いていた。大柄な彼がグランドピアノを力一杯弾くと、重い鐘の音が鳴り響くようにも聞こえた。体格に似合わずシャイな彼はこの曲が一番好きだと言っていた。この曲はラフマニノフの出世作で、初演の際には熱狂的な支持を得たと言われる。ラフマニノフ自身の演奏を記録したピアノロールから復元したCDが出ていて現代でも彼自身の演奏を楽しむことができる。心に迫ってくる名曲だけれども、私個人としては人が重圧に苦しみもがき救いを求める様子を表現しているようにも感じる。

ラフマニノフの人生は決して順風満帆ではなかった。貴族の家に生まれたが父の代に没落してついに破産し両親は離婚。音楽院では教師と対立。そして以前「神経質なラフマニノフ」(307話)で書いたように、交響曲第1番が酷評され、失恋や指揮者としての失敗も重なって「神経衰弱」にかかった。ニコライ・バジャーノフ著 伝記 ラフマニノフ(音楽之友社)にはそのあたりの状況が詳しく書かれている。アマチュアのヴィオラ奏者でもあった精神科医ダーリのもとに1日おきに1ヵ月半通った。暗示療法・説得療法とも言えるような治療で自信を取り戻し、最高傑作のピアノ協奏曲第2番を世に出すことになる。楽譜には「S・ラフマニノフ、協奏曲ハ短調 N・V・ダーリに捧ぐ」と書かれていた。

 重圧に苦しんで踏ん張った後にはそれなりの御褒美があるのではないだろうか。浅田真央選手も本人の言う通りでケガをしないように練習を重ねて次のオリンピックでさらなる活躍をしてくれるものと思う。

2010年3月 1日 (月)

神経質礼賛 521.パシュート

 昨日の朝は、バンクーバーオリンピック・女子パシュート決勝の放送に目が釘付けになった。パシュート(団体追い抜き)は前回のトリノオリンピックから正式種目になったもので、2チームがそれぞれ3人で滑って3人目のタイムで競うというルールである。男子は400mリンク8周、女子は6周なので、瞬発力だけでなく持久力も要求される。一人だけ速くても勝てない。先頭の走者は空気抵抗を大きく受けて消耗しやすいので、先頭を交代しながら走る。3人が呼吸とリズムを合わせ、ペース配分をうまくやりくりする必要がある。3位となったポーランドは個人では特出した選手はおらず、注目されていなかったが、チームワークの力でメダルを獲得した。決勝は日本対ドイツ。日本チームはまとまりよく前半でリードしていたものの、最後わずか0.02秒差で惜敗し、銀メダルとなった。しかしながらすばらしいレースだった。今朝の新聞を読むと、サポートチームの綿密な作戦作りも奏功していたようである。

 1位と2位がドイツと日本という神経質濃度の高い国民性を持った国が並んだのは面白い。かつてイタリアを旅行した時に、現地のイタリア人たちは電車やバスに我先に乗り込み切符を買わなくても平気という人が多かったが、ドイツ人観光客たちはきっちり列を作って並ぶ、という様子を見て、ドイツ人の国民性を垣間見た気がしたものだ。作曲家でもドイツ系の人たちは強迫性を帯びた人が多い。最近はアメリカナイズされて少々変わってきたかもしれないが、日本人も行列好きで秩序を好む。神経質さでは負けていないだろう。パシュートという種目は神経質向きなのかもしれない、と勝手に思ったりする。

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