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2010年5月28日 (金)

神経質礼賛 549.ピアノの詩人ショパン

 今年が記念年の作曲家は、生誕200年となるショパン(1810-1849)とシューマン(1810-1856)、生誕150年となるマーラー(1860-1911)である。シューマンは137話、マーラーは402話で書いたので、今回はショパンについて述べる。

 ピアノの詩人として有名な作曲家フレデリック・ショパンはポーランドで生まれた。ワルシャワ音楽院を首席で卒業後、ウィーンさらにパリに移った。その頃、故郷ではワルシャワ蜂起失敗という事態が起っていた。以後、ショパンは生きて故郷の土を踏むことはできず、パリを中心にピアノの演奏活動・作曲活動を続けていった。

 日本ではショパンの人気はとても高い。特にピアノの練習者にとっては、ショパン作曲の幻想即興曲は弾けるようになりたいあこがれの曲ナンバーワンだろう。ショパンの叙情的な旋律は日本人に親近感を抱かせるようだ。ちなみに演歌の大ヒット曲「北の宿から」の出始め「♪あなた変わりはないですか」という部分はショパンのピアノ協奏曲第1番に出てくる旋律とほぼ同じ音の配列である。涙なしには聞けないノクターン第20番嬰ハ短調遺作の旋律も演歌にすれば大ヒットするのではないかと思ったりする。

 ショパンはパリ時代には社交界に出ておしゃれで派手好きとも見られる面があったが、本来は内向的で神経質な性格で優柔不断なところもあった。コンサートでピアノを弾くことは好まず、気心が知れた人たちのサロンで弾くことを好んだと言われる。初恋の相手はワルシャワ音楽院の同級生でソプラノ歌手。とても人気の高い彼女に話しかけることもできず、片想いに終わった。次はピアノを教えたことのあるポーランド貴族の娘と婚約までこぎつけたが、その親がショパンの肺結核を心配して破談になった。同棲の相手、「男装の女流作家」ジョルジュ・サンドはショパンとは全く正反対の性格の人だった。そもそもピアニストで作曲家だったリストの愛人で、ヘビースモーカーでもあり、最初ショパンは嫌っていたという。繊細なショパンと大雑把で思ったことはずけずけ言うサンドでは水と油のようにも思えるが、お互い持っていない部分に惹かれ合ったのだろう。また、ショパンは6歳年上のサンドに母性を求めた面もあったようだ。

 ショパンの一生は肺結核による「死の恐怖」との闘いだった。一時、サンドとともにスペインのマジョルカ島へ転地療養をしたが天候不順のためにかえって病状を悪化させた。その中で数多くの名曲が生み出された。神経質な性格が繊細な旋律を紡ぎ出すともに、神経質の負けじ魂のためか実生活では実現できない力強さも音楽で表現していたのだろう。祖国の独立運動に直接手を貸すことはできなくても、音楽の力で祖国の人たちを勇気づけたいという強い気持ちがあったに違いない。英雄ポロネーズの出始めは「おや」と思うような旋律が続いてじらした後で、満を持してあの有名な力強い旋律が出てくる。これを聞いたポーランドの人々は大いに奮い立ったことだろう。その意味でショパンはポーランドの英雄である。病魔に苦しみながらも「己の性(しょう)を尽くし、人の性を尽くす」の人生だったのだと思う。

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