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2010年7月30日 (金)

神経質礼賛 570.不可能の努力

 ある時、森田正馬先生のところに新聞社勤務の29歳男性から胸苦しい感じを治すにはどうしたらよいか、という手紙が届いた。この人は少年時代より神経質で音に敏感で、負けず嫌いでもある。大酒・夜更かしをきっかけに体がだるくなり、以後、飲酒すると翌日、仕事中にめまいを感じ、胸がつまるような気がして心悸亢進するようになったという。返事の中で森田先生は次のように言っておられる。

 強迫観念とは、身体の病根や死を直接に恐怖するのではなく、自分で「つまらぬ事を気にし余計な事を心配する」のを自ら或は自分の気質の病的異常かと思ひ違へて、之を排除し、気にする事の苦痛を逃れんとする為に却て益々其に執着を深くして逃れる事の出来なくなる苦悩が、即ち其れであります。即ち此れは誰にでも普通に起る感じや取越苦労を強いて感じまい思ふまいとする不可能の努力を重ねるものですから、益々苦しくなるのは当然の事でも只苦しいものは其のまゝ苦しみ、恐ろしいものは其のまゝ恐るゝと言ふ風であれば何も強迫観念にはならないで、心の自然の絶へざる変転の内に自ら気がまぎれて忘れる様になるべきはずであります。

 発作性神経症でも同様です。苦しい事は苦しい、恐ろしい事は恐ろしい、只一途に其の事になりきりさへすればよろしいのです。徒らに発作を起こさない様に様々の工夫や、心の態度をとり、或はスースーハーハーやって気を楽にしたり、心を紛らわせたりしやうとすれば、する程其執着が深くなるのであります。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.562

 この人の場合は、不摂生をきっかけに「症状」が出るようになり、以後も飲酒した翌日に体調が悪くなるのだが、飲酒を控えるということをせずに、「症状」を何とかしようとしているところがそもそも間違っている。あまりにムシが良過ぎる。

 森田先生の「不可能の努力を重ねる」は神経症に陥る人の特徴を実にわかりやすく説明した言葉だと思う。私の場合、若い頃は対人恐怖・赤面恐怖に悩んだのだが、人前で緊張してはいけない、堂々と自分の意見が言えないようでは情けない、と思っていた。しかし、誰でも人前では緊張する。すでに具体例を何人も示しているように、TVに出て活躍している俳優やタレントや歌手あるいは一流のスポーツ選手でさえ緊張するし「あがる」のである。緊張しないようにしよう、というのはまさに「不可能の努力」である。緊張しないようにしようとすればするほど気になって緊張がひどくなってしまうものである。その他の強迫症状も同じことである。何度も確認してしまうのも、完璧さを過剰に求め過ぎる「不可能の努力」であるし、不潔恐怖の手洗いも、手術室の中でもないのに清潔さを過剰に追求する「不可能の努力」なのである。不可能の努力をやめて、苦しいまま、恐ろしいまま、仕方なしに過ごしていけば、「症状」はあっても気にならない、さらには気がついたら「症状」はなくなっていた、というようになっていくのである。

2010年7月26日 (月)

神経質礼賛 569.神経質vsムカデ

 病院の当直室に時々ムカデが出る。現在の病院は移転して五年ほど経つが、山の中腹にあるので、ムカデが出るのはやむをえない。しかし当直室は3階にあるし機密性のよい鉄骨造りなので一体どこから入り込んでくるのだろうか。どれも体長は5cm前後と小さい。ゴキブリ用の殺虫剤「コックローチ」をしつこく噴霧してもあまりこたえないようで、意外とすばしこく動き回り、流し台と壁の間の隙間に逃げ込まれてしまう。ムカデやクモにも効果があるという「虫コロリアース」を買ってもらったので、今度現れたら新兵器で対抗だ。幸い、今のところ刺されたことはない。もし刺された場合はただちに抗ヒスタミン剤とステロイドが入った軟膏を塗るつもりでいる。ムカデに刺されて死ぬことはまずないとはいえ、自分が寝ている近くをムカデがウロウロしているのは気持ちが悪い。靴の中に入り込んでいて知らずに履いてしまったら事件である。神経質人間としては、起きたらまず床をチェックするようにしている。

 私が浜松医大の学生だった頃は、山の中にポツンと大学と病院が建っていた。近くの道路では時々タヌキが車にはねられて死んでいた。そんな所だったから床や天井をはっているムカデはあちこちで見かけた。学内食堂で器に入った白いドレッシングをかけようとしたら、白いエビのようなものが見えたので、今日は豪華にエビが入っているのかと思いきや巨大なムカデだった、ということもあった(当然、大騒ぎになった)。大学助手になって官舎に住んでいた時もしばしばムカデが出た。聞くところによれば、今では周辺の山は切り崩されて広い道路が整備され、住宅や商店が立ち並ぶようになったそうだ。タヌキはおろかムカデも出なくなっただろう。浜松医大の一つ前のバス停は「北やぶ入口」という名称だった。もう竹薮はないと思うが、バス停の名前は残っているだろうか。それにしても医大の中が「藪」では困る。

2010年7月23日 (金)

神経質礼賛 568.夜間の火災訓練

 一昨日、病院で当直中に夜間の火災訓練があった。閉鎖病棟の喫煙室から火災発生との想定で、発見した職員が他の職員とともに初期消火をし、駆けつけた当直医の判断で患者さんの避難準備を開始し緊急連絡網で自宅にいる職員を招集し、安全な場所へ患者さんたちを避難させる、という流れだ。

 病院では年に何度か火災や地震を想定した避難訓練は行われているが、実際のところ問題になるのは当直職員だけしかいない夜間の火災や地震の場合である。老人施設やグループホームでタバコの火の不始末などから夜間火災が起きて大勢の入所者が犠牲になるという火災事故が相次いでいる。夜間は職員が手薄で、巡回の間隔があいてしまうし、車椅子や寝たきりで生活している人たちを避難させるのには膨大なマンパワーと時間を要する。精神科病院の場合も患者さんたちの高齢化で事情は似ているし、さらには精神症状が極めてよくないために保護室に隔離している人や身体拘束している人もいて、その場合には一人に複数の職員が付かなければならない。火災が起ってしまって避難させる時にはかなりの困難が予想される。不十分かもしれないが、こうした訓練は何度も行う必要がある。絶対に大丈夫だ、何とかなるだろう、というような鈍感力では、いざという時に動きが遅くなって多数の犠牲者をだしてしまう。火災や地震の被害を最小限にとどめるためには神経質になるに越したことはない。

 医局(医師たちの居場所)にも埃をかぶった防災用ヘルメットが置かれている。今回初めてかぶってみた。私は丸顔でアンパンマン頭なので、普通の大きさのヘルメットでは入らない。若い頃バイクのヘルメットはLサイズでもきつくてXLをかぶっていたくらいである。しかしよくしたもので防災用ヘルメットは何とか頭が入った。病院名が書かれている方を前にかぶったら、何かおかしい。軍隊のヘルメットみたいである。事務長に確認してみると前後逆とのこと。ありゃりゃ。一番訓練が必要なのはどうやら私だったようである。

2010年7月19日 (月)

神経質礼賛 567.繋驢桔

 この漢字を見て読みがわかった方はおられるでしょうか。私は読めなかった。「けろけつ」と読む。桔とは杭(くい)のことである。驢馬(ロバ)が縄で杭に繋がれている場面を想像してみて下さい。何とか逃げ出そうと前に進もうにも、杭の周りをグルグル回るだけで、そうこうしているうちに縄が杭に巻きついてしまい、身動きが取れなくなってしまう。元は禅語で、森田正馬先生は神経症に悩む人たちが症状にとらわれて自縄自縛となった状態を表現するのに使ったが、まさにピッタリの言葉である。ジタバタすればするほど強迫観念の無限ループにはまって、やがては他のことに注意がいかなくなり、全く動きが取れなくなってしまうのだ。残念ながら「繋驢桔」は現代人にとっては読みも意味も知らない言葉なので、わかりやすい言い方があればなあ、と思う。

 森田先生は次のように言っておられる。

 なお我々は、常に自分は、「何を求めつつあるか」という事を、静かに見つめるとよい。例えば赤面恐怖の場合に、人から、葉書一枚借りるのと、五円・百円借りるのと、おのおのその恥ずかしさの程度がちがう。課長が恐ろしいのは、自分が何を求めているためか、年ごろの美人が恥ずかしいのは、自分が何にあこがれるためかという、その目的を見つめるとよい。

 赤面恐怖の治りにくい患者は、この自覚を深めるという方面に、少しも心を用いず、子供・婆さん・課長・美人と、みな一様に恥ずかしくなく、面の皮を厚張りにしたいとばかりに苦悩するからである。

 かくの如きは、宗教的の平等観とか、精神修養の不退転の心とかいう事を、聞き違え思い違えて、循環理論・悪知・繋驢桔となるがためである。

私共も昔は、宗教や修養という事のために、長い間、その迷路から出る事ができなかった。しかるにひとたび、この抽象論の「思想の矛盾」を断念して、人生の一つ一つの事実を見つめるようになって、初めて「事実唯真」の安楽な生活ができるようになった。  第5巻 p.520

話はそれるが、これを読むと、知りたがりの神経質人間のクセで、つい余計なことが気になる。当時の「五円・百円」の貨幣価値を現代に換算したらいくらになるのだろうか。貨幣価値の換算はなかなか難しいが、日本銀行のHPの中で企業物価指数を用いた換算法が書かれているのを見つけた。昭和9年から11年の企業間で取引された商品価格の平均を1とすると、この話の昭和9年当時は0.969。平成21年の値が664.6なので、約686倍ということになる。おおまかに700倍とすれば、当時の「五円・百円」は今の「三千五百円、七万円」になるだろう。鉄面皮な寸借詐欺師ならともかく、私のような小心者の神経質人間だと、人から千円借りるのもかなり恥ずかしいことで、よほどの場合でなければできないだろう。もし、サイフを忘れて外出してしまった場合は、人からお金を借りる位なら、食事をガマンするとか乗り物に乗らずに歩いた方がマシである。もっとも心配性なので、家を出るときにはサイフを持ったかどうか確認するし、念のためかばんの中には少額のお金を入れてあるし、運転免許証のケースにもお札を一枚入れてあるので、そういう事態に至ったことはない。

2010年7月16日 (金)

神経質礼賛 566.手のふるえ

 7月13日付毎日新聞朝刊に将棋の羽生善治名人のインタビュー記事があった。小学生の時から頭角をあらわし、中学生でプロ棋士になり、名棋士たちを次々と撃破してタイトルを獲得していったあの羽生さんも今年で40歳になるということだ。現在は若い棋士たちの最終目標となり追われる立場に変わったが、鋭いヨミと柔軟な発想は変わっていない。幾多のタイトル戦を戦っている羽生さんだが、終盤で勝ちが見えてくると激しく緊張して指す手がブルブルふるえるのだそうである。

 結婚式や葬式、はたまた学会や講演会などの受付で記帳を求められた時に、緊張を感じられる方は多いと思う。住所(所属)と氏名を書くだけではあるのだが、受付の人が見ていて、次の人が待っているような状況では緊張して手がふるえやすい。私の場合は字が下手くそなので、逆に開き直っていて、上手に書こうなどと思わずさっさと書いてしまうため、緊張はするがふるえはそれほど気にならない。神経症の書痙は記帳の時に手がふるえたことがきっかけという人が結構いるものだ。またなったらどうしよう、ふるえているのを見られてみっともない、などと気にしているうちに、いろいろな場面でふるえるようになってしまうものである。さらに、ふるえないようにと筆記用具の持ち方を変えるなどという「はからいごと」をしていくと症状が悪化するのである。

 ふるえは字を書くときばかりに起こるものではない。森田正馬先生の患者さんで「茶痙」・・・お茶を出すときに緊張して手が激しくふるえる・・・に悩む女性教師がいた。症状のために仕事を辞めようとしたが、森田先生に強く止められ、森田先生の治療で治っている。

 TVのグルメ番組でも、料理をつかんだ箸がアップで映るとふるえていることが多い。そもそも、ふるえないようにしよう、と思ってもそれは不可能だ。人間の手は完全に静止させることはできない。いつもごくわずかながらふるえているものである。ふるえた字でも相手に読めればいいのだ、お茶を出す時に多少手がふるえてもこぼれなければいいのだ、くらいの心構えで、そういう場面を避けずに当たっていけば何とかなっていくものである。最初に書いた羽生さんの場合はふるえた手で指すと、本当は相手側にも勝筋があるのに相手が「もうダメだ」と観念してキワドイ場面でミスをしてくれて得をすることもあるようである。

2010年7月12日 (月)

神経質礼賛 565.ラー油

 最近、ラー油がブームなのだそうだ。ラー油と言えば、ギョウザを食べる時につけるとかラーメンに少し落とすとかいった使い方しか頭になかったが、具が入った「食べるラー油」というのが登場し、御飯にかけて食べるのだという。豆腐の冷奴にかけても合うらしい。行きつけのスーパーでも県内産の食べるラー油を見かけるようになった。民放の番組でも御当地ラー油が紹介される。近くで作られているものは、鰹節と桜エビが入っているというもので、品薄のため入手困難とのことである。

 このラー油ブームの火付け役となったのは沖縄の島ラー油なのだそうだ。私の住んでいる街にも沖縄ショップ「わした」があるので、以前から島ラー油は愛用している。唐辛子だけでなく種々の食材が入っていて、ビンの下半分くらいは沈殿しているのでかき混ぜて使う。石垣島で作られている「スパイシー 島のらー油」はピーナッツ・ごま・ニンニク・うこんなどが入っていて、口当たりがまろやかで香り高く、辛いものが苦手な子供でも、ギョウザを食べる時には喜んでかけている。店に行ってもいつも置いてあるわけではない。品切れの時に「くめじまのラー油」というものを買ってみたら、作っているのは沖縄本島だった。久米島産の唐辛子、ごま、島こしょう、シークワーサー(沖縄みかん)の皮、シナモンなどが入っているのだが、実際にギョウザにつけて食べてみると、シナモンの味と香りが強すぎて、家族には不評だった。買ってしまった責任上、私が一人でやっつけることになる。使い切るまで当分かかりそうだ。

 食欲が落ちがちな蒸し暑いこの時期、ピリ辛の食品は食欲をそそってくれる効果が期待できる。ただし、胃粘膜を刺激して胃酸分泌を増やすため、度を過ごさない方がよいだろう。ブームに水を差すようだが神経質人間としては気になるところだ。特に胃潰瘍・胃炎のある人の場合、ラー油は控えるに越したことはない。

2010年7月 9日 (金)

神経質礼賛 564.ガンダム像

 朝、通勤の列車の車窓から見える景色に突然巨大なガンダムが現れたので自分の目を疑った。一瞬のことなので翌日は注意して見ていたが、やはりガンダムに間違いない。次の日の新聞にそれについての記事が出ていた。昨年、お台場に展示されて話題になった(アニメで設定上の)実物大・高さ18メートルのガンダム像である。重量は37トンもあるそうだ。バンダイのプラモデル工場近くの駅前広場に展示されるもので、7月24日からのホビーフェアに合わせて公開されるとのことである。これまでは覆いがかかっていたので、そんなものが作られているとは全く気がつかなかった。

 ガンダムに夢中になった人たちは、私よりも一回りか二回り下の世代だろう。私の世代だとSFロボット系アニメと言えば、鉄人28号・鉄腕アトム・エイトマンあたりである。スーパーヒーローが悪に立ち向かい正義を守る、というわかりやすい設定だった。アニメはどれも高視聴率をとった。それが、宇宙戦艦ヤマトあたりからか、主人公は多くの登場人物の一人に過ぎず、さほど目立たず、また「悪役」側にも彼らなりの正義があって、単純に勧善懲悪というわけにはいかず、スカッとカタルシスが得られる話ではなくなっていった。ガンダムもヤマト同様、最初の放送は低視聴率で打ち切られたが、熱烈なファンのコールで復活を遂げたというエピソードがあるらしい。複雑な人間関係や思うに任せぬ境遇の中でどう生きていくかあがく登場人物たちの姿は現代の悩める若者たちが自分を投影しやすい面があるだろう。特にガンダムの主人公アムロ・レイは内向的で、神経質な性格特徴を持っているように思う。

 この暑い中、大きな駅周辺にはモビルスーツならぬ黒い就活スーツを身にまとった就活戦士たちを見かける。景気はやや上向きらしいが企業の新規採用は相変わらず少なく、就職氷河期は続いている。新卒でないと不利、という事情があって、わざと留年したり仕方なく大学院に進学したりする学生も増えているという。面接では緊張して思ったことが言えず、グループ討論の場でも自分の意見を出せずに苦闘している神経質学生さんも少なくないと思う。しかし、企業側でも、立て板に水のように話し上手の学生だけを採用するわけではない。赤面したり、時に返答に詰まったりするのが致命傷になるわけではないはずだ。緊張するのは仕方なし。ドキドキハラハラしながらも勇気を出して発言してみるほかない。大胆になろうなどと努力する必要はない。神経質を自分に対してではなく周囲に向けながら、就職活動に臨んでもらえたら、と思う。

2010年7月 5日 (月)

神経質礼賛 563.新しい不眠症治療薬ロゼレム

 明日から、武田薬品の新しい不眠症治療薬ロゼレムが処方可能になるとのことである。ロゼレム(一般名Ramelteonラメルテオン)は、メラトニン受容体アゴニストという、従来の睡眠薬とは全く異なった作用機序を持った薬である。

 メラトニンという物質は脳内の松果体から分泌される睡眠に関係したホルモンで、昼は少なく夜多く分泌されている。時差が生ずる海外旅行では、メラトニン分泌のタイミングがズレてしまい体内時計がズレてしまって、なかなか寝付けないということになる。そこでメラトニンを寝る前に増やしておけば、自然な眠りにつきやすくなるわけである。ところが、日本国内ではメラトニンそのものを薬として製造・販売することは認められていない(アメリカでは薬局でサプリメントとして販売されているため個人輸入している人はいるらしい)。今回発売されるロゼレムを寝る前に服用することで、メラトニンを増やして自然な睡眠リズムに導くことができる、というわけである。

 従来の睡眠薬のような健忘、ふらつき、翌日の眠気、といった問題が起らない、習慣性や依存性がない、服薬中止時のリバウンドがない、といった安全性が高いことが特徴で、向精神薬ではない医薬品である。ただし、SSRIのフルボキサミン(商品名デプロメールおよびルボックス)は併用禁忌である点には注意が必要である。単純に不眠を訴える人に、いきなり睡眠薬を処方しないで、こういった薬から始めることで、睡眠薬に依存する人を減らしていくことができる可能性がある。

 もっとも、規則正しい生活習慣をつける(特に日中はゴロゴロしないで明るい所に出て体を動かす)ことで、メラトニン分泌のタイミングは正常化されるので、本当のクスリは生活指導だと思う。

2010年7月 3日 (土)

神経質礼賛 562.失敗は成功のもと

 サッカーW杯で活躍した日本選手団が帰国した。一番つらかったのは延長でも勝負がつかずPK戦となり、PKをはずして日本の負けを決定付けてしまった駒野選手だったろう。その瞬間の場面は繰り返し繰り返しTV放映された。駒野選手は実はPKの名手(名足?)なのだそうで、公式戦で今まではずしたことはなかったという。W杯トーナメントという大一番の魔力だろうか。頭をかかえ、うつむいた駒野選手に一緒に戦った選手たちや岡田監督が駆け寄って来てみんなで慰めた。とても温かいものを感じさせるシーンだった。それでもその夜は一睡もできなかったという。帰国後のインタビューでは「仲間の励ましで帰ってくることができた」と語り、笑顔が見られた。大きなトラウマだろうけれど、これからの試合でも率先してPKを蹴り続けて、乗り越えてくれるだろうと思う。

 弘法も筆の誤り、猿も木から落ちる、であってどんな名人でもとんでもない失敗はありうる。将棋のプロがまさかの二歩だとか二手指しで反則負けを喫する椿事も年に一回くらいは起る。ましてや凡人の私はしょっちゅう失敗する。失敗を極度に恐れ、慎重な神経質人間でも、人間である以上、失敗はやらかすのだ。そこで「自分はダメだ」とクヨクヨ考え込みがちだが、考えていたってどうにもならない。失敗の原因を分析して、同じような場面を避けずにぶつかっていくしかないのだ。森田正馬先生の色紙に「不安心は用心の安心にして 失敗は改良の喜びなり」というものがある。不安はなくてはならないものだし、失敗は成功のもとである。

2010年7月 2日 (金)

神経質礼賛 561.過量服薬と駅前精神科クリニック

 6月24日付毎日新聞朝刊の第一面に「過量服薬 救命現場が警鐘」「治療薬 自殺手助け」「精神科乱立 安易な処方も」という大見出しが並んでいた。重症者が搬送されてくる都内の救急センターの医師が調べたところ、過量服薬の搬送患者が全体の1割を超え、大半が精神科診療所で処方された薬剤の服薬で、服薬量は平均100錠になるという。搬送患者の通院先の多くは「駅前」精神科診療所だという。民間調査会社によれば、ここ10年間で精神科・心療内科の診療所は5割増加し、向精神薬の売り上げは2倍になっているという。この記事を読んだ人は、駅前精神科クリニックが安易に大量の向精神薬を処方して結果的に自殺を幇助している、と思ってしまうだろう。

 多くの精神科診療所の先生方は限られた診療時間で効果的な精神療法をしようと努力されていたり、患者さんの社会復帰や就労支援に骨を折られたりしている。とんでもない誤解だと言いたいところだが、残念なことに記事で指摘されたような駅前クリニックは実在する。

 睡眠薬やリタリンの不正処方で摘発されるのは決まって大都市の駅前クリニックである。私が住んでいる田舎でも、駅前で繁盛している某クリニックは向精神薬欲しさに受診する人たちの間で「欲しいクスリをどんどん出してくれる」とクチコミで評判が広がっているそうだ。神経症性不眠でそこを初めて受診したらいきなり5種類の薬を処方されてビックリして私の勤務先の病院にセカンドオピニオンを求めて来た、という人もいた(432話)。

 長年、地域医療を支えていた病院や医院が次々と廃業や倒産しているこの御時世、街中で急増しているのは心療内科・精神科クリニックと「柔道整復師」が経営する整体・接骨院くらいのものだろうか。せっかく精神科の敷居が下がって受診しやすくなったのだから、それぞれの先生方が御専門とする精神療法を提供していただきたいものだ。新聞記事に書かれているような向精神薬の安易な大量処方は「神経質が足りない!」である。

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