神経質礼賛 570.不可能の努力
ある時、森田正馬先生のところに新聞社勤務の29歳男性から胸苦しい感じを治すにはどうしたらよいか、という手紙が届いた。この人は少年時代より神経質で音に敏感で、負けず嫌いでもある。大酒・夜更かしをきっかけに体がだるくなり、以後、飲酒すると翌日、仕事中にめまいを感じ、胸がつまるような気がして心悸亢進するようになったという。返事の中で森田先生は次のように言っておられる。
強迫観念とは、身体の病根や死を直接に恐怖するのではなく、自分で「つまらぬ事を気にし余計な事を心配する」のを自ら或は自分の気質の病的異常かと思ひ違へて、之を排除し、気にする事の苦痛を逃れんとする為に却て益々其に執着を深くして逃れる事の出来なくなる苦悩が、即ち其れであります。即ち此れは誰にでも普通に起る感じや取越苦労を強いて感じまい思ふまいとする不可能の努力を重ねるものですから、益々苦しくなるのは当然の事でも只苦しいものは其のまゝ苦しみ、恐ろしいものは其のまゝ恐るゝと言ふ風であれば何も強迫観念にはならないで、心の自然の絶へざる変転の内に自ら気がまぎれて忘れる様になるべきはずであります。
発作性神経症でも同様です。苦しい事は苦しい、恐ろしい事は恐ろしい、只一途に其の事になりきりさへすればよろしいのです。徒らに発作を起こさない様に様々の工夫や、心の態度をとり、或はスースーハーハーやって気を楽にしたり、心を紛らわせたりしやうとすれば、する程其執着が深くなるのであります。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.562)
この人の場合は、不摂生をきっかけに「症状」が出るようになり、以後も飲酒した翌日に体調が悪くなるのだが、飲酒を控えるということをせずに、「症状」を何とかしようとしているところがそもそも間違っている。あまりにムシが良過ぎる。
森田先生の「不可能の努力を重ねる」は神経症に陥る人の特徴を実にわかりやすく説明した言葉だと思う。私の場合、若い頃は対人恐怖・赤面恐怖に悩んだのだが、人前で緊張してはいけない、堂々と自分の意見が言えないようでは情けない、と思っていた。しかし、誰でも人前では緊張する。すでに具体例を何人も示しているように、TVに出て活躍している俳優やタレントや歌手あるいは一流のスポーツ選手でさえ緊張するし「あがる」のである。緊張しないようにしよう、というのはまさに「不可能の努力」である。緊張しないようにしようとすればするほど気になって緊張がひどくなってしまうものである。その他の強迫症状も同じことである。何度も確認してしまうのも、完璧さを過剰に求め過ぎる「不可能の努力」であるし、不潔恐怖の手洗いも、手術室の中でもないのに清潔さを過剰に追求する「不可能の努力」なのである。不可能の努力をやめて、苦しいまま、恐ろしいまま、仕方なしに過ごしていけば、「症状」はあっても気にならない、さらには気がついたら「症状」はなくなっていた、というようになっていくのである。
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