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2010年7月19日 (月)

神経質礼賛 567.繋驢桔

 この漢字を見て読みがわかった方はおられるでしょうか。私は読めなかった。「けろけつ」と読む。桔とは杭(くい)のことである。驢馬(ロバ)が縄で杭に繋がれている場面を想像してみて下さい。何とか逃げ出そうと前に進もうにも、杭の周りをグルグル回るだけで、そうこうしているうちに縄が杭に巻きついてしまい、身動きが取れなくなってしまう。元は禅語で、森田正馬先生は神経症に悩む人たちが症状にとらわれて自縄自縛となった状態を表現するのに使ったが、まさにピッタリの言葉である。ジタバタすればするほど強迫観念の無限ループにはまって、やがては他のことに注意がいかなくなり、全く動きが取れなくなってしまうのだ。残念ながら「繋驢桔」は現代人にとっては読みも意味も知らない言葉なので、わかりやすい言い方があればなあ、と思う。

 森田先生は次のように言っておられる。

 なお我々は、常に自分は、「何を求めつつあるか」という事を、静かに見つめるとよい。例えば赤面恐怖の場合に、人から、葉書一枚借りるのと、五円・百円借りるのと、おのおのその恥ずかしさの程度がちがう。課長が恐ろしいのは、自分が何を求めているためか、年ごろの美人が恥ずかしいのは、自分が何にあこがれるためかという、その目的を見つめるとよい。

 赤面恐怖の治りにくい患者は、この自覚を深めるという方面に、少しも心を用いず、子供・婆さん・課長・美人と、みな一様に恥ずかしくなく、面の皮を厚張りにしたいとばかりに苦悩するからである。

 かくの如きは、宗教的の平等観とか、精神修養の不退転の心とかいう事を、聞き違え思い違えて、循環理論・悪知・繋驢桔となるがためである。

私共も昔は、宗教や修養という事のために、長い間、その迷路から出る事ができなかった。しかるにひとたび、この抽象論の「思想の矛盾」を断念して、人生の一つ一つの事実を見つめるようになって、初めて「事実唯真」の安楽な生活ができるようになった。  第5巻 p.520

話はそれるが、これを読むと、知りたがりの神経質人間のクセで、つい余計なことが気になる。当時の「五円・百円」の貨幣価値を現代に換算したらいくらになるのだろうか。貨幣価値の換算はなかなか難しいが、日本銀行のHPの中で企業物価指数を用いた換算法が書かれているのを見つけた。昭和9年から11年の企業間で取引された商品価格の平均を1とすると、この話の昭和9年当時は0.969。平成21年の値が664.6なので、約686倍ということになる。おおまかに700倍とすれば、当時の「五円・百円」は今の「三千五百円、七万円」になるだろう。鉄面皮な寸借詐欺師ならともかく、私のような小心者の神経質人間だと、人から千円借りるのもかなり恥ずかしいことで、よほどの場合でなければできないだろう。もし、サイフを忘れて外出してしまった場合は、人からお金を借りる位なら、食事をガマンするとか乗り物に乗らずに歩いた方がマシである。もっとも心配性なので、家を出るときにはサイフを持ったかどうか確認するし、念のためかばんの中には少額のお金を入れてあるし、運転免許証のケースにもお札を一枚入れてあるので、そういう事態に至ったことはない。

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