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2010年8月13日 (金)

神経質礼賛 575.退屈な話

 Medical Tribuneという医療関係の新聞に医学散歩というコラムがあり、チェーホフ生誕150年と題した記事の中で、昨年11月に発行された医学関連の中短編小説7篇をまとめた文庫本「六号病棟・退屈な話」(ちくま文庫)のことが書いてあったので興味を持った。気軽に読めそうで意外と手ごわい、じっくり読めば味わい深いが斜め読みや拾い読みは通用せず、ベッドで読めば睡眠薬代わりになること間違いない、しかし妙に安らぐ文体に不思議とまた浸りたくなる、とのことである。

「退屈な話」という言葉で連想したのは、私の若い頃W大近くのグランド坂にあった、「まずい焼鳥 水っぽい酒」という暖簾を掲げた「ひげの九二平(くにへい)」という名店のことだ。まずい、というのはもちろん謙遜である。安くておいしい焼鳥と酒にありつける店で、珍しいドジョウの串焼もあった。私のような貧乏学生でも安心して入れる店だった。次元が低い類推で恥ずかしいが、「退屈な話」というのは「まずい焼鳥」と同様にきっと良いものに違いないと思い、さっそく本を買ってみた。

 前半の短編の5篇はどんどん読めてしまう。情景描写や心理描写が見事で印象に残る作品揃いである。神経質が隅々まで行き届いているように思う。中篇「六号病棟」は、田舎の病院に院長として赴任した医師の話である。最初は熱心に診察していたが、しだいに情熱を失い、診療はなおざりになっていく。平凡な日常生活に飽きた彼は病院の片隅に放置された精神病棟である六号病棟に収容されているインテリ患者に興味を持ち、知的な会話を楽しむようになるが、院長はおかしくなったという噂が立ち、新しく赴任してきた医師の陰謀で院長職を解任され患者として六号病棟に収容されてしまう。病棟から出ようとした彼は兵隊上がりの番人に頭を殴られ、翌日脳出血で死んでいく。自由を失うことの悲惨さが時に滑稽さを交えて語られる。最後の中篇「退屈な話」は老い先の短い解剖学の名誉教授の日常がつづられる。妻と娘とは一緒に暮らしていても心が離れてしまっている。女優になろうとして挫折した養女には振り回されている。死を前にした無力感がよく表現されている。やはり退屈ではない話である。先を読みたい気持ちに引きずられて、結局2日間で1冊を読み終えてしまった。

 アントン・チェーホフ(1860-1904)は苦学してモスクワ大学医学部を卒業して医師となっているが、学生時代から生活費のために短篇小説を書いていた。医師になってからも小説や戯曲を発表し、「三人姉妹」「桜の園」が有名である。結核との闘病生活の末に亡くなっているが、「退屈な話」に出てくる老教授とは正反対に、たとえ1行でも書こうと、「生の欲望」を燃やし続け己の性(しょう)を尽くした人生だったようだ。

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