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2010年8月 1日 (日)

神経質礼賛 571.北山修最後の授業

 7月26日(月)から29日(木)の4夜続けて教育テレビで「北山修最後の授業 テレビのための精神分析入門」という番組が放送された。

 「帰って来たヨッパライ」「悲しくてやりきれない」(478話)などのヒット曲で一世を風靡したザ・フォーク・クルセダーズのメンバーだった北山修さんは当時医大生だった。グループ解散後も「戦争を知らない子供たち」「あの素晴しい愛をもう一度」「花嫁」などの作詞で知られるが、本業としては精神科医の道を歩んだ。精神分析を専門とし、九大大学院教授となり、今年定年退官となった。

 かつてはテレビに論客として出演していた北山さんはある時から全くテレビに出ることをやめてしまう。治療を受けている患者さん(クライエント)たちが、「自分のことを話すのではないか」と不安に思うことに配慮しての決断だった。北山さんは言う。テレビでは見やすい・見ごたえのあるものが材料になりやすく、当然ウラにあるはずのものは見せない。テレビ的コミュニケーションは「見える」ので空想しない・想像(創造)しない・ウラを読まない、そういった心の在り方を常態化させてしまうのではないかと。それに対して精神分析はウラつまりその人の心の問題を言葉で表出させる治療法だと学生さんたちに説明していた。

 この4回シリーズの番組では2回分の講義のさわりに北山さんの経歴の紹介を加え、作家・重松清との対談がおりまぜられ、最後は別の日に行われたコンサート(坂崎幸之助、南こうせつ、杉田二郎も登場)の様子を紹介していた。北山さん個人に興味のない人でも退屈せずに見られる番組として、またどれか1回だけを見ても全体の内容がわかるように、きれいにでき上がっているけれども、北山さんが批判したようなテレビ番組でもあったかもしれない。とはいえ、精神分析やカウンセリングの基本をわかりやすく説明していたので、一般の方々にも参考になったのではないだろうか。

 精神分析の治療者はクライエントの心を映し出す鏡の役割を果たす。治療者自身のことは俎上に乗せないことで、そこは想像してもらい、クライエントのことを理解するための材料とする(分析家の「隠れ身」)という。この治療者対患者関係はフロイト以来のものだ。フロイトは、クライエントをカウチに寝かせ、自分はカウチに並んだ椅子に座り、お互いに視線を合わせないというスタイルで治療を行っていた。

 フロイトが神経症(ヒステリー)の治療法である精神分析を開発したのと近い時期、わが国では森田正馬先生が独自の神経症の治療法を開発している。森田先生の患者さんに対するスタンスは全く異なる点は興味深いので、次回述べたい。

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