神経質礼賛 590.屁理屈
森田正馬先生のところには、著書を読んだ人からアドバイスを求める手紙がしばしば届いた。その中には、自分以外の人について相談するものもあった。
相談者の友人は28歳事務員。人を訪問したり社長と話をする時に、顔面がふるえ、思うことが言えない、自分は世界一の不幸者だと泣いて訴える、結婚問題を恐れ、儀式ばった三々九度はできないから、いっそカフェーの女給と一緒になっちまおうと言う。気の小さい友人を救って下さい、という手紙だった。
それに対して森田先生は次のように回答している。
出世したいといふ事を忘れて、課長の前で恥かしがり、立派な妻を獲たい事を失念して、下等の女を楽に弄ばんとする等は、皆自分の心底の本来の性情即ち欲望の捨て難いといふ事に氣が付かず、誤りたる見解、屁理屈を以て、目前の自己の苦痛から逃れんとする卑怯なる心掛けである。
而も若し之が意志薄弱者で、本来欲望の乏しい性質ならば、それなり済むけれども、神経質の性格は、之に反して欲の上にも欲があつて、欲望の捨てきれず、其上に、其大欲望を、苦痛も恐怖もなく、安楽に獲得しやうとする蟲のよい理屈を割出すから、其結果として、他人の成功は、只で楽に出来たやうに、偏見を以て解釈するのである。(白揚社:森田正馬全集第4巻 p.449)
わがままを言ってないで自ら努力する他ない、ということなのである。神経質には強い発展向上欲がある。具体的には出世したい、すばらしい女性と結婚したい、ということも含まれる。そういう強い願望があるからこそ、人前、特に上司や異性の前で緊張するのは当然のことだ。だから緊張して顔面がふるえたとしても、ビクビクハラハラしながらも話をしていくしかない。自分ばかりが特別緊張する、と考えるのは神経質特有の差別観からである。「自分は世界一の不幸者」というのは屁理屈で、現実逃避ということになる。相談者の友人はグチをこぼすだけで、実際に女給と一緒になる勇気などないだろう。グチをこぼしても得られるものは何もない。少しでも建設的な行動を積み重ねていけば、やがてそれが実績となっていく。「どうせ自分は・・・だ」「いっそ・・・してしまおう」という屁理屈のヒネクレはやめにして、気分はともあれ目の前のやるべきことに取り組んでいけば、いつかは道が開けてくるのである。
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