神経質礼賛 600.厭はざれば如何なる苦しみも苦しみに非ず
森田正馬先生の色紙の中に、次のようなものがある。
求むれば如何なる楽しみも楽しみでなく
厭はざれば如何なる苦しみも苦しみに非ず
なかなか味わい深い言葉だと思う。楽しみを追い求めてもキリがない。人間には慣れがあるので、同程度の楽しみが続いたら楽しみではなくなってくる。毎日働いているとたまの休日が有難く感じられるが、これがもし毎日日曜日状態だったら、有難みはなくなるだろう。同じように、苦しいと思えることにも慣れはある。
神経質人間は物事の好き嫌いがハッキリしていて、一旦レッテル貼りをしてしまうと簡単に修正がきかない。イヤだなあ、と決め付けるとなかなか手が出ない。そうこうして避けているうちに、ますますイヤになってくる。誰でも苦しいことはイヤであるのに、自分だけが特別苦しいとか、苦しいことを苦しくないようにしたいと考えがちである。苦しいけれども、何とも仕方ない、と避けずにやっていけば、思ったほど苦しくないものである。
対人恐怖(社交不安障害)の人は人前に出て話すのは苦しい。会食する時には緊張する。不安神経症(パニック障害)の人は電車に乗ったり高速道路を運転したり会議に出るのは苦しい。ひとたびパニック発作が起きたら「このまま死んでしまうのではないか」と感じられる。強迫神経症(強迫性障害)の人は確認をガマンしたり不潔にならないように手洗いをガマンしたりするのは苦しい。不眠に悩む普通神経質の人であれば夜いつまでも眠れないでいるのは苦しい。しかし、苦しいことを避けていたのではますます苦しくなるばかりである。どの「症状」でも命を奪われることはないのだし、他人から見れば「そんなに悩むほどのことでもないだろう」ということになるし、治ってしまえば「何であんなことに苦しんでいたんだろうなあ」と思うようになるのだ。苦しいながらも「症状」を相手にせずに行動していけば、いつのまにか苦しみが苦しみではなくなっている。
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