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2010年10月29日 (金)

神経質礼賛 600.厭はざれば如何なる苦しみも苦しみに非ず

 森田正馬先生の色紙の中に、次のようなものがある。

求むれば如何なる楽しみも楽しみでなく

厭はざれば如何なる苦しみも苦しみに非ず

 なかなか味わい深い言葉だと思う。楽しみを追い求めてもキリがない。人間には慣れがあるので、同程度の楽しみが続いたら楽しみではなくなってくる。毎日働いているとたまの休日が有難く感じられるが、これがもし毎日日曜日状態だったら、有難みはなくなるだろう。同じように、苦しいと思えることにも慣れはある。

 神経質人間は物事の好き嫌いがハッキリしていて、一旦レッテル貼りをしてしまうと簡単に修正がきかない。イヤだなあ、と決め付けるとなかなか手が出ない。そうこうして避けているうちに、ますますイヤになってくる。誰でも苦しいことはイヤであるのに、自分だけが特別苦しいとか、苦しいことを苦しくないようにしたいと考えがちである。苦しいけれども、何とも仕方ない、と避けずにやっていけば、思ったほど苦しくないものである。

 対人恐怖(社交不安障害)の人は人前に出て話すのは苦しい。会食する時には緊張する。不安神経症(パニック障害)の人は電車に乗ったり高速道路を運転したり会議に出るのは苦しい。ひとたびパニック発作が起きたら「このまま死んでしまうのではないか」と感じられる。強迫神経症(強迫性障害)の人は確認をガマンしたり不潔にならないように手洗いをガマンしたりするのは苦しい。不眠に悩む普通神経質の人であれば夜いつまでも眠れないでいるのは苦しい。しかし、苦しいことを避けていたのではますます苦しくなるばかりである。どの「症状」でも命を奪われることはないのだし、他人から見れば「そんなに悩むほどのことでもないだろう」ということになるし、治ってしまえば「何であんなことに苦しんでいたんだろうなあ」と思うようになるのだ。苦しいながらも「症状」を相手にせずに行動していけば、いつのまにか苦しみが苦しみではなくなっている。

2010年10月25日 (月)

神経質礼賛 599.腕時計の電池

 いつも秋になると近くの時計屋のチラシが入ってくる。腕時計のセールと期間中電池交換半額を知らせるものである。よくしたもので、この期間、店は客で混雑する。普段使っている腕時計は5年前に買った電波ソーラーのデジタル時計で電池交換不要なのだが、20年位前に親戚の人にもらった腕時計は2-3年に1回電池交換している。ちょうど電池切れで止まっているので、電池交換、ついでにベルト交換に出した。小さい角型の時計で、秒針はなく、小さな時針と分針では時・分も読み取りにくい。仕事上、脈拍数をみるのに秒針あるいは秒表示は絶対に必要だし、カルテや処方箋に書く日付を間違わないように腕時計で確認するので、やはりデジタル時計の方が便利である。神経質な私は特に忙しくなくても頻繁に時刻を確認するクセがあるので、この時計を使うのは年に1、2回くらいがいいところである。この時計をすると、どうせ見ても正確な時刻はわからない、ということで非日常的なゆったり感があってたまにはいいものである。時を忘れるための時計とでも言えるだろう。

 ソーラー腕時計は電池交換不要ということになっているが、宣伝どおり半永久的に使えるわけではない。もちろん太陽電池そのものはかなり長寿命なのだが、太陽電池で得られた電流で内蔵の二次電池つまりバッテリーを充電して時計を駆動しているので、いつかはバッテリーの寿命が尽きる。メーカーに依頼すればバッテリーの交換はできるけれども安くはない。寿命がどれくらいなのかは公表されていないが、一般的なバッテリー寿命から考えれば、せいぜい5年から長くて10年といったところではないだろうか(ちなみに人気のハイブリッドカーも実はバッテリー交換が必要でそれなりの費用がかかる)。となると、2年に1回程度電池を交換する時計の方が案外安上がりなのかもしれない。

2010年10月22日 (金)

神経質礼賛 598.守破離

 大原健士郎教授が在任中の浜松医大では1カ月に1回、森田療法を受けている患者さんたちの茶話会があった。当初は食事会だったのだが、病院食を止めて自分たちで作ったものを食べることに病院当局からクレームがつき、手作りのお菓子とお茶を出す茶話会に変更された。一人当たりの会費は概ね100円前後で高い時でも200円くらいだった。高価な材料は使わずなるべく畑作業で取れたものを利用し、折り紙で季節感のあるものを折って添えたりして、茶話会担当者を中心に創意工夫をこらしていた。これも神経質を生かす訓練だった。大原教授と森田療法担当助手(私)の他、数名の医師や看護師が参加した。まずは茶話会担当の患者さんがお菓子の説明をし、皆でいただく。実はこの時、緊張しながら食べている人が一人いる。その後で体験発表をする患者さんである。また、対人恐怖の中でも特に会食恐怖の人にとっては教授や医師たちに見られながら食べるということで苦しい場面でもある。しかし、緊張しながらも皆が食べる場なのだからと諦めて食べるのが森田式なのである。食べずに取っておいて後で食べるなどということをやって避けていてはよくならない。体験発表をするのは退院を間近に控えた患者さんである。症状に悩みいろいろな治療を受けてもよくならず、入院して作業療法やいろいろな役割を果たしていくうちに症状はあっても健康人らしくなってきた、というような話が多く、さらに退院後に向けての抱負が語られる。それに対して大原教授の講話が始まる。

 ある時の講話は「守破離」という言葉についてだった。これは剣道などの武道や芸事でよく言われる言葉である。「守」・・・まずは基本の形を忠実に守り、教えられた通りに動いていく。「破」・・・しかし、それだけでは応用がきかないので、基本に自分なりの工夫を加えていく。「離」・・・そしてそこから独立して自在の境地に進んでいく。ということである。しかし「破」や「離」でやっていてもいつか行き詰まる時が来る。その時にはまた基本に立ち返ってみることも大切で、まずは入院生活で身につけた基本に自分なりの工夫を加えて行動していき、行き詰まった時にはまた入院生活で学んだことを思い出して基本に立ち返る、という守・破・離を繰り返して行けばよい、というようなお話だった。

 守破離という言葉は誰が言い出した言葉かわからない。茶道の千利休も言っていたようである。武道や芸事に限らず、勉強にも仕事にも当てはまることだと思う。そして森田療法そのものについても言えることではないだろうか。神経症以外の適応疾患の拡大、認知行動療法など他の精神療法との融合、外来森田療法の標準化、どれも「破」や「離」としてすばらしいものではあるけれども、そろそろ森田正馬先生の基本に立ち返る「守」の動きがあってもよいのではないかと思う。

2010年10月18日 (月)

神経質礼賛 597.音楽ギフトカード払戻期限迫る!

 一昨日、子供がCDを買いに行ったら、音楽ギフトカードが使えなかったという。昨年、クリスマスプレゼントとして子供たちにあげたものだ。今年になって音楽ギフトカードの発行が終了になったというニュースは聞いていたが、カードに記載されている有効期限はまだ先なので、それまでは使えるものとばかり思っていた。ところが、今年の8月末で使用中止となり、払戻の申込期間は今年の91日-1031日の2ヶ月間だけだという。しかも払戻申込書の記載に不備があって返送された場合でも1031日の期限を越えたらダメだという。周知徹底が不十分だし、払戻期間がわずか2ヶ月間というのはあまりにも短過ぎないだろうか。例によって「神経質が足りない!」と一喝したくなる。

 子供がCDショップでもらってきた払戻申込書の裏面にはすべての「金券番号」を記入する明細書があって面倒である。うっかりギフトカード表面の8桁の番号を書いてしまって、よく見たらギフトカード裏面の12桁の番号を書くことに気がついた。書き直しである。このあたりは神経質にやらなくてはいけない。カードを同封して昨日ポストに投函した。

 最近、街の書店が減っているが、CDショップも閉店したところがいくつかある。私が行きつけの店もこの春閉店してしまった。音楽をインターネット経由でダウンロードする人が増えて、以前のように店で購入する人が減ったためだろう。私のように古い人間は、書店やCDショップの棚を見て歩くのが楽しみなのだが、だんだんそれもできなくなってしまうのだろうか。体を動かさずに自宅のPCで本や音楽を入手できるのはラクではあるけれども、ちょっと味気ない。

 お手元に、音楽ギフトカードをお持ちの方、お子様が持っているという方、払戻手続は急ぎましょう。払戻申込書はCDショップに行かなくても株式会社ジャパン・ミュージック・ギフトカードのホームページからダウンロードできます。

2010年10月15日 (金)

神経質礼賛 596.御苦労

 近所にお住まいの老夫婦。娘さんと娘婿と同居している。御主人は元大工さんで、道で会うといつも笑顔で町中に響き渡るような大きな声で挨拶してくれる。本人も婿とのことで、奥さんがとても威張っている。夫婦連れ立って歩く時は奥さんの斜め後ろを2m位離れてついて歩く。御主人が車で出かけて帰ってくると、奥さんが「御苦労であった!!」とねぎらいの言葉をかける(二人とも声が非常に大きいので全部聞こえてしまう)。まるで時代劇のセリフのようだ。奥さんが殿様で御主人が家来といった感じである。

 私が最初の大学を出て会社に就職した時、まず社員教育の合宿があって、お辞儀の仕方とか電話の取り方とか言葉遣いなどの社会人としてのマナーを叩き込まれた。「御苦労様」は上司が部下をねぎらう言葉であって、目上の人や年長者に言ってはいけない、と教えられた。だから、私はいつも無難な「おつかれさまです」を使う習慣になっている。会社員時代、他社の人からかけられた言葉も「おつかれさまです」が普通だったように思う。

小学館の現代国語例解事典(第二版)で「御苦労」をひいてみると

 他人の骨折りを感謝する意を表す語。

(1)ふつう、目上の者が目下の者に言う場合に用いる。

(2)ひやかし、嘲笑の意をこめて用いられることもある。

とある。

 勤務先の病院で若い看護師さんたちから、「御苦労さんです」とよく声をかけられる。神経質人間ゆえ、一瞬おや、と感じる。(1)なのか(2)なのか、はたまた最近の看護師様方の業界用語なのだろうか。まあ、深く考えずに「ねぎらっていただいたのだ」と素直に受け取っておくとしよう。

2010年10月13日 (水)

神経質礼賛 595.アルミホイルは錆びる

 「アルミホイルが白くなっていておかしい!」「今までこんなのはなかった!」と妻が大騒ぎしている。見れば、確かに一部が白っぽくなっている所がある。多分、アルミ箔の一部が酸化したのだろうと思った。アルミホイルは純アルミニウムのはずで酸化したところで人体に害はないであろうが、とりあえず、そのホイルは食品用には使わずガスレンジ周りのカバー用として使うことにし、新しいホイルを出して使うことにした。

ネット上で厨房関連商品を扱っている会社のホームページに、製造後長く経ったアルミホイルに変色が起り、それは腐食(酸化)によるものだというようなことが書いてあった。その件についてクレームがつくこともあり、ホイルもなるべく製造後1年以内の新鮮なうちに使ってくださいともある。今回変色したアルミホイルは5、6年前にまとめ買いして納戸に保管していたものだ。納戸には傘も置いてある。時々窓を開けて換気はしているけれども、やはり湿気が多い場所である。たまたま保存状態の悪いものに白化現象が起きたのだろう。アルミホイルは大量に買い置きせず、保管場所に気をつけた方がよいということなのだ。その点について神経質が足りなかったようだ。

 もっとも、アルミホイルに製造年月日とか使用期限が表示されているわけではないので、食品のように購入時に新しいものを選んで買うことはできない。いくら私が神経質でもホイルの箱に購入年月日を書き込むほどの強迫性はないから、いつ購入したかもハッキリしない。災害時に備えて、ラップとアルミホイルは多めに備蓄していたのだが、アルミホイルに関しては買い過ぎないようにしようと思う。

2010年10月11日 (月)

神経質礼賛 594.タバコ値上げ

 今月になってたばこ税が上がり、タバコの小売価格が値上げとなった。代表的な銘柄「マイルドセブン」で1箱300円→410円になり、これを機に禁煙しようとする人もいるようだ。禁煙グッズの販売に力を入れている会社もある。社員の禁煙をサポートする会社もあるようだ。禁煙外来受診を勧めるようなCMも見かける。実は製薬会社による「疾患啓発広告」(584話)のひとつである。

しかし、街中で路上喫煙者が減ったかというと、そうは思えない。相変わらず、周囲の人々に有害な伏流煙を吸わせたあげく路上に吸殻をポイ捨てしていく神経質が足りない人は後を絶たない。値上げとは言っても欧米先進国に比べたらまだまだ安い。1箱1000円という国もある。それに、中高年の精神病患者さんたちが好む「わかば」(190円→250円)・「しんせい」(180円→240円)・「ゴールデンバット」(140円→200円)というようなタール成分が「マイルドセブン」の2倍前後と有害性の高いタバコは特に安い。

 喫煙は肺がん・喉頭がん・咽頭がん・食道がんなどの悪性腫瘍、心筋梗塞・閉塞性動脈硬化症などの循環器病の発病リスクを高めることはよく知られている。タバコ関連死という言葉もよく言われるようになった。喫煙により喫煙者本人だけでなく強制的に受動喫煙をさせられる人々の健康が損なわれることによる経済損失は極めて大きい。たばこ税を上げるだけでなく、TVコマーシャルや新聞・雑誌のタバコ広告に課税するとか、タバコ関連疾患の治療に要する医療費の分を販売業者に拠出させるとか、路上喫煙を全面禁止するといったようなより強力な健康政策を推進してほしいところだ。

 喫煙者はタバコを吸うと頭がスッキリするとよく言う。しかし、本当にスッキリさせているのではない。常習喫煙者では、脳内で認知に重要なアセチルコリン受容体がニコチンに塞がれてしまっていて、ニコチンが入った時だけ一時的に本来の状態に戻るだけのことである。決してタバコで頭の回転がよくなるのではなく普段の状態を悪くしているに過ぎない。

2010年10月 8日 (金)

神経質礼賛 593.宇宙流茶道

 先月から「東海道工作展」という展示があって、もう終わりになってしまうので見に行ってきた。かつてNHKの「ようこそ先輩」という番組で漫画家しりあがり寿さん(334話参照)が出演した元小学校の校舎が会場だった。その小学校は少子化のため他の学校に合併され、現在は「クリエーター支援センター」となって若いクリエーターたちのオフィスとして安く貸し出されている。今回はしりあがり寿さんを含む9名のクリエーターの展示である。成人の参加希望者を募り、クリエーターたちと一緒に紙で作った「スンプ城」と城下町が教室一部屋一杯に展示されていた。城の「しゃちほこ」は特産物の桜エビとワサビになっていた。童心に帰ってこのような工作をしたらどんなに楽しいだろうな、と思う。そして各人の風変わりなオリジナル茶道の展示があった。しりあがり寿さんの展示は宇宙船の中に浮かぶ飛行士が茶道をたしなんでいる有様で、パネルには次のように書かれていた。

宇宙流茶道心得

一つ 宇宙流茶道は無重力の茶道と心得よ。

二つ 重力とはすなはち、全てのしがらみ、煩悩、諸事情であり、茶をもってそれら重力から解き放たれることこそ、宇宙流の目指すところである。

三つ したがって宇宙流茶道に上下無し、左右無し、前後無し、貴賎無し、男女無しのもうなんだかなんにも無し。

四つ 無重力は己の想像力で生み出すものなり、重力を感じるのは己が未熟な所以と肝に銘ぜよ。

五つ 作法

 ①己が無重力であることを信ぜよ。

 ②呈された茶が無重力にあることを信ぜよ。

 ③しかして無重力を飲み干すべし。

家元 しりあがり寿

 こんな自由な発想で物事を考えられたらいいだろうなあ、とつくづく思う。私のような神経質人間はいろいろなしがらみにとらわれ、しかもそれを強く意識する。しりあがり流に言えば、重力を感じすぎるということになるだろう。グチをこぼしていると重力はますます強くなり押しつぶされそうになる。これが森田正馬先生の教えに沿って、四方八方に注意を向けて行動していけば重力は意識しない状態になるだろう。頭の固い私が宇宙流茶道に入門したら、すぐに破門されてしまうかもしれない。しかしながら「花は紅、柳は緑」であって、神経質な性格は変えようもないし、変える必要もない。しがらみという風を受けながら仕方なしに柳の枝のように流して生きていくほかない。

2010年10月 4日 (月)

神経質礼賛 592.地デジTV

 来年の7月にはアナログ停波となる。勤務先の病院内のTVもすべて地デジ対応の液晶TVに替わった。我が家で使っているブラウン管TVは買ってから13年になる。妻はまだ買い換えなくてもいいじゃない、というが、アナログ停波を告知する文が画面上下に表示されるようになって実質画面が小さくなって見にくくなったので、ついに買い換えることにした。2階のリビングで今まで使っていたTVの重量は取扱説明書によればちょうど30kg。ぎっくり腰経験者としては再発が心配である。しかし、階段を下りる時に妻に手伝ってもらった以外は一人で持って車に積み込んだ。用心していればトラブルは起こりにくい。油断した時にトラブルは起こるものだ。ここは神経質の生かしどころである。

最近のデジタルTVはハードディスク録画できるものやブルーディスクドライブ内臓というような便利なものもあるが、寿命を考えると余分な機能はない方が安全である。量販店で単機能の機種を選ぶ。横幅が広がった分、車への積み込みに手間どったけれども軽いので扱いやすい。家に帰って設置して配線し動作を確認。TVが入っていた段ボールはつぶして他の段ボールと一緒に縛り、廃品回収に備える。NHKの領収書から客No.を調べて、NHKのホームページ上で「メッセージ」消去の手続きをする。さらにエコポイントの申請書類を書いてポストに投函する。ここまでくればヤレヤレである。先送りしたところでどうせやらなくてはならないことはどんどん片付けるに限る。

 地デジ対応の液晶TVになって走査線数が増えて画質は向上した。しかし、電源を入れてから画面が出るまで時間がかかるのがもどかしい。一種のパソコンなのでやむをえないが、もう少し早くならないかと思う。高齢者にとってはボタンだらけの複雑なリモコンは使いにくくはないだろうか。また、地形の関係で電波が弱いところでは従来のTVならば画質が落ちても何とか見られたものが、デジタルTVでは一定のレベル以下では全く映らなくなってしまう。今は大丈夫でも、将来近くに高層マンションが建ったらアウトになる可能性もある。神経質人間としてはその辺も気になるところである。

2010年10月 1日 (金)

神経質礼賛 591.ミニトマト

 今年の夏が酷暑・少雨だったため、農産物や海産物に大きな影響が出ている。秋の味覚サンマが全くの不漁となっていて、目黒のさんま祭りは何とか実施されたものの同じようにサンマをふるまう各地の祭りが中止になってしまったという。スーパーへ行くと、野菜の高値に驚いてしまう。そのためか単身者向けのレタス・キャベツなどを刻んで袋に入れた「カット野菜」は姿を消した。キュウリは1本68円で売っていたが、買ってみると外見は新鮮そうに見えても中がスカスカで質が悪かった。食卓や弁当に彩りを添え、手軽に食べられるミニトマトは1パック普段148円位だったのが何と398円にまで跳ね上がり、しかも品薄である。たまたま1パック298円のミニトマトを見つけて、どうしようかと迷い売場を一回りしてきたら売切れてしまった。負けた・・・本職の主婦にはかなわない。

 ミニトマトはベランダのプランターでも作ることができるが、売っているように鮮やかな赤色で甘いものを作るのは難しいようだ。病院でも畑でミニトマトを作っていて、森田療法の患者さんたちが育てていて収穫すると販売している。いろいろ工夫しているけれども、やはり味や色は市販品にはかなわない。我が家でも、近くの信用金庫でもらったミニトマトの栽培キットを試してみた。「トマトちゃん」と書かれた缶に湯を注げば栽培土のできあがり、という何ともインスタントな構造である。冷めたところで種を蒔いた。発芽した中から一番ふてぶてしそうな芽を選んで水をやっていたにもかかわらず枯れてしまい、プランターに移すには至らなかった。水のやりすぎもいけないらしい。苗を買ってきて育てた方が無難だとも聞く。小さな実だから作るのは簡単そうに思えるが、実際に育てて収穫できるようにするのは大変なことなのである。よく観察して気を配る神経質が必要なようだ。

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