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2010年11月29日 (月)

神経質礼賛 610.誰もが恥ずかしい

 私が外来で担当する新患数は年間100人強といったところである。そのうち対人恐怖や対人緊張を主訴とする人は大体5人前後である。時には製薬メーカーの新聞広告(584話:疾患啓発広告)を見て「自分は社交不安障害ではないか」と言って来院する人もいる。精神科病院を受診するのはよほどのことで、対人恐怖の悩みを持った人の多くは一人で悩んでおられるのではないかと思う。しかし、本人の悩みにもかかわらず、周囲の人から見れば「全くそんな悩みを持っているようには見えない」ということが多いものである。

 かくいう私自身、小学生の頃から授業中に先生に当てられると激しく緊張して、わかっていることでもしどろもどろになって答えられないことがよくあった。対人恐怖的な傾向はだんだん強くなり、劣等感が強くなる思春期にはピークに達した。特に女性の前ではフリーズしやすかった。人前で緊張しないようになりたい、大胆になりたい、と思って自律訓練法の本を読んでいろいろやってみたが変わらなかった。今思えば「不可能の努力」をしていたわけである。結局、苦しいまま仕方なしにやっているうちに、二十代後半には「まあ、こんなもので仕方がない」とあきらめがつくようになり、結果的には以前ほどは気にならなくなった。緊張して苦しい、人前で恥ずかしい、というのは自分だけがそうなのではなく、誰もがそうなのである。タレントやスポーツ選手や音楽家でさえ例外ではない。当ブログで紹介した、ヴァイオリニストの徳永二男さん(5話)、相撲の高見盛さん(5話)、俳優の竹中直人さん(105話・484話)、ピアニストのフジコ・ヘミングさん(306)、歌手の小林幸子さん(323話)、元マラソンランナーの増田明美さん(367話)の他にも人前で恥ずかしいと感じたり、強い緊張を感じたりする有名人は決して少なくないはずである。

 森田正馬先生は次のように言っておられる。

人前で、きまりが悪いとか、恥ずかしいとかいうのは、人の感情であって、なんともない人は、白痴か変質者か精神病者であります。神経質の皆様は、誰でも対人恐怖でないという人は、一人もありますまい。その恥ずかしい事の、あるがままにある人が、常人であって、これに屁理屈をつけて、恥ずかしくては不都合だとか、損だとか、いう風に考えるのが、対人恐怖であります。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.124

 神経質人間の場合、人から好かれたい、上手に話したい(演奏したい)という気持ちすなわち生の欲望が人一倍強い。その裏返しで失敗したらどうしようという予期恐怖が起り強い緊張を感じやすい。しかし神経質人間の良いところは失敗しないようにと普段から念入りに準備し練習することである。緊張しながらも恐怖の中に飛び込んでしまえば恐怖だったものが恐怖でなくなっている。

2010年11月26日 (金)

神経質礼賛 609.製作欲

 先週の土曜日の午後は、小春日和に誘われて、以前から気になっていたホビーショーの会場に行ってみた。お台場から移設した高さ18mのガンダム像はすぐ近くで見ると迫力がある。仰ぎ見ながら一周する。グッズの販売所には行列ができていて「待ち時間30分」のプラカードを持った係員が立っていた。有料(大人600円)のホビーミュージアムに入ってみた。プラモデルの歴史を展示したコーナーがあった。プラモデルがこの世に誕生したのはちょうど私が生まれた頃である。子供の頃は駄菓子屋で10円から50円位の小さなプラモデルが売られていたのを思い出す。やがてお年玉を手に握り締めて模型屋に通うようになる。私も200円位でモーター付の戦車を自分で買って作った。しかし、小学校5年の時に模型屋で見つけたゲルマラジオのキットを買って、電池もないのにラジオ放送が聞けることにとても感動して以来、一気に電子工作の世界にのめり込んで行ったのだった。考えてみれば、プラモデルが製作欲の原点だった。

 精神科病院の作業療法やデイケアでも工作でプラモデルや木工に取り組む人たちがいる。そんな物を作って何になるんだ、と思われるかもしれないが、集中力を高めるとともに、完成した時の満足感は自信にもつながり、他の物も作ってみようかという意欲も湧いてくるものだ。

 森田正馬先生の作業療法でも、当初は先生が入院者たちのために決まった仕事を与えていたが、しだいに各自の自発性に任せるようになった。与えられたことをやっているだけではまた社会に戻った時に通用しないからである。入院者の中にはヴァイオリンを作った人もいた。

 一患者ハ菓子箱其他ノ板切レヲ以テばいをりんヲ製作シ、終ニ之ガ玲瓏タル音ヲ発スルニ至リタルガ、其時ノ歓喜ハ、彼ノエヂソン氏ガ自己発明ノ電燈ニ少シク光ノ発シタルヲ見テ、長時失神ノ状態トナリタル時ノ心境ニモ比ベツベシ。(白揚社:森田正馬全集 第1巻 P.215

「人生何事カ成シ得ザラントノ自信ト勇氣トヲ体得スルモノニシテ、是レ一種ノ悟道ナリ。論理・思想ニヨリテ得ベキモノニアラザルナリ」というわけである。

 最近の子供はプラモデルを作ることもあまりないだろう。ましてや木工の機会はまずないだろう。ゲーム機で遊ぶのも悪いとは言えないけれども、ちょっとしたモノ作り体験がさらなる製作欲を引き出し、それに関連した知識欲も高めてくれるものである。工作の効用を再認識してもいいのではないだろうか。

2010年11月22日 (月)

神経質礼賛 608.五月蝿い

 普段読んでいるブログの中に「五月蝿い」という表記が出てきて、読みは何だろう?と気になった。前後関係から「うるさい」と読めるのだが間違っていないか心配になる。国語辞典の「うるさい」を引いてみると、この表記も出ていた。「うるさい」の語源は、心を意味する「うら」が「うる」に変化したものに「さし(狭し)」がついて「うるさし」となったのだそうだ。五月のハエは特にうるさいということから「五月蝿い」という当て字も使われるようになったという。ブログの作者さんは、上の階に引っ越してきた一家がドタバタ走り回る・大声で怒鳴るといった日々が続いて辛い思いをされていて、まさに「五月蝿い」と表記したくなるのはよくわかる。

 うるさい、と感じるのは必ずしも物理的な音の大きさではない。夜寝ている時に蚊のプーンという小さな羽音はとてもうるさく感じるものだ。刺されたら嫌だなあ、という思いがあるからだ。電車の中で近くにいる人のヘッドホンから漏れてくるシャカシャカ音は電車の音に比べれば微々たるものだが無神経さに腹が立ってうるさく感じる。新幹線の座席に座ったまま携帯電話で通話している声はこれまたうるさく感じる。「携帯電話はマナーモードにしてデッキでお話ください」といった表示があちこちに書かれているのにマナーを破る人は腹立たしく思えるのでうるささが倍増する。夜の路上で発せられる長いクラクション音はかなりうるさく感じる。これが道路工事の騒音や通過する電車の騒音であれば、仕方ないと思うからさほどうるさく感じないものである。つまり心理状態により、うるささは変化するということなのだ。ということは、このくらいの音(声)ならば大したことはない、と自分では思っていても、人にうるさく感じられて迷惑をかけていることもあり得る。周囲の人たちから「五月蝿い」と思われないように神経質を働かせる必要があるだろう。

2010年11月19日 (金)

神経質礼賛 607.マーラーの交響曲第10番

 今年は作曲家グスタフ・マーラー(1860-1911)生誕150周年にあたり、TVのN響アワーでは毎月1曲ずつ交響曲を取り上げて放送しているらしい。毎回連続でないため、見(聴き)そびれてばかりいて、先月の第4番と先週の第10番(未完成)第1楽章アダージョを見ただけである。この第10番は無調やトーンクラスターといった20世紀の作曲技法の先駆けといえる曲なのだそうだ。ヴィオラの単旋律で始まる不安の動機が弦全体に受け継がれていく。不安や絶望感とあこがれが交錯したような印象を受ける。第1楽章はほぼ完成しているものの第2楽章以降はスケッチが残っているだけである。番組では自筆譜がアップで映し出され、そこにはマーラーの苦しい心情が書き連ねられていた。「死!変容!」「おお神よ!なぜあなたは私を見捨てられたのですか!」「さようなら、私の竪琴!」そして最後に「君のために生き!君のために死ぬ!アルムシ(妻アルマの愛称)!」。

 マーラーの妻アルマ(1879-1964)は指揮者志望で作曲の能力もすぐれていたが、マーラーが結婚時に専業主婦となることを要求したため筆を折った。しかし美しい才女アルマの周囲には有名な画家グスタフ・クリムトをはじめとする崇拝者たちが常に集まってきた。1910年夏、マーラーが交響曲第10番の作曲に取りかかったちょうどその頃、アルマは青年建築家ヴァルター・グロピウス(1883-1969)と恋愛関係に陥り、ラブレターがマーラーの手に渡り、その関係が知られるところとなる。以後、マーラーはアルマの作曲も浮気も許すようになったが、かつて「強い」マーラーに惹かれて結婚したアルマは「弱い」マーラーには無関心となり、仮面夫婦状態になってしまう。1911年2月、マーラーはアメリカでニューヨークフィルを指揮した直後に敗血症で倒れ、感染性心内膜炎と診断されて重体のままヨーロッパに戻り、5月にウイーンで亡くなった。愛する妻の浮気、それを認めざるを得ない自分の弱さ、病気の苦しみ、死の恐怖、そういった苦悩が自筆譜への書き込みとなったのだろう。(参考文献:音楽之友社 村井 翔 著 『マーラー』)

 もっとも、マーラーの曲全般に「死」のイメージがつきまとうのは、以前書いたように(402話)、兄弟の多くが早死にし自分の長女も病死したことや、当時のヨーロッパの世紀末的な厭世感の影響と考えられる。神経質人間で強迫神経症だったマーラーが「第9のジンクス」・・・交響曲第9番を書くと死ぬ・・・を極度に恐れていたことは有名な話である。マーラーの作品の人気が年々高まり演奏回数も増えているのは、不安の時代を生きる現代人の共感を受けてのことではないか、と私は思っている。森田正馬先生が言われたように「死の恐怖」はよりよく生きたいという「生の欲望」と表裏一体の関係にある。行き詰った時にはマーラーの音楽に浸り、また気を取り直して日常の生活に向かっていく、というのもよいのではないかと思う。

2010年11月15日 (月)

神経質礼賛 606.炭酸リチウム錠回収

 先週、全星薬品で製造販売しているジェネリック薬品の炭酸リチウム200mg錠が自主回収・供給停止となった。1110日付の文書によると、溶出試験で規格に適合しないロットがあったため回収することとなったという。溶出が遅くなって吸収が遅延して、薬の効果が減弱する可能性はあるものの、健康被害にまでは至らない程度の問題ではある。しかし、回収されてしまうとなると、何とか対応しなくてはならない。勤務先の病院でも院内・院外とも処方している薬なので大慌てである。オリジナル薬のリーマスが品薄になったという話も聞く。事情を説明して試験で問題なかった100mg2錠に変更させてもらったケースもある。

 リーマス(炭酸リチウム)は躁うつ病(双極性障害)の基本的な治療薬である。日本の精神科病院の入院患者さんの約6割が統合失調症の方だと言われていて、躁うつ病の方は数の上では少ない。外来でもやはり躁うつ病の患者さんの人数は統合失調症の患者さんの人数に比べてかなり少ない。これが統合失調症の基本的な治療薬で回収騒動が起きたら大混乱になってしまうだろう。

 医療費抑制のために国の施策でジェネリック薬品にシフトしつつある。最近では初診の患者さんにオリジナル薬を処方しても、調剤薬局が利ザヤの大きいジェネリック薬品を勧めて変更してしまう。しかし、以前から述べているようにジェネリック薬品はいいことずくめではない。

①中小メーカーが製造しているため、品質が劣る場合があり、供給が不安定になりやすい。今回のトラブルはこの一例である。また、頓服薬の場合、長期保存後に使用される可能性があり、安価な材料で製造していると長期の安定性が心配である。

②ジェネリックは「成分が同じの安い薬」として調剤薬局は勧めるが、主成分は同じでも錠剤の基材やコーティング材や着色料は同じではない。従って、オリジナル薬では起らなかったアレルギー反応や副作用が起きることがまれにある。現実に私の外来患者さんでもジェネリックに変えて問題が起きた方がいた。

③同じ主成分の薬に多様な名前の薬が存在することで、医療ミスの原因となるおそれがある。また、他の医療機関で処方された薬を調べる際、マイナーなジェネリック薬だと通常の薬の本ではわからないことがある。

 ただ安いから使え、では困る。少なくとも品質に関してメーカー側はもっと神経質になってほしい。また、③について、ジェネリック薬のネーミングはメーカーがてんでばらばらに勝手につけるのではなく、例えば(オリジナル名または一般名)+(ジェネリック薬であることを示す記号)+(製造メーカー名)に統一したらどうだろうか。メーカー名が明示されればユーザー側で安心できるメーカーを選ぶことが可能になるメリットもある。

2010年11月12日 (金)

神経質礼賛 605.貝原益軒も神経質

 製薬メーカーが出している雑誌の中で最も医学以外の記事が多い(?)のは大塚製薬の「大塚薬報」という雑誌だと思われる。何しろ古今東西の名画を原寸大の陶板で複製したものを展示した美術館を持っているくらいの会社であるから、美術・文学・歴史関係の記事は豊富にある。毎回読むのが楽しみである。このところ作家の山崎光夫氏による「江戸の人生名人・貝原益軒 未公開資料を読み解く」と題した連載記事がある。今月号は第四回で、未公開の『益軒用財一端』について書かれている。

 江戸時代の本草学者(今で言えば薬学者)・儒学者の貝原益軒(1630-1714)は生まれつき病弱であり、いかに体の養生をして長寿を全うするかというテーマをライフワークにしていた。日本史の教科書で名前は聞いたことがある、という方は多いと思う。『大和本草』という専門の著書の他、一般向けの『養生訓』が有名である。今回の資料『益軒用財一端』には「若い頃から無愛想なので、会話が少なく人と話すのが苦手だった」「生まれつき胃腸が弱くて宴会を好まなかった」といったことも書かれているそうだ。益軒さんもやはり神経質人間だったのだ。この書は財産をどう用いるか、家計をどう安定させるか、ということについて書かれている。益軒は倹約の重要性を常々説いていた。ぜいたく品を求めず、家計の中でやりくりし、借金はしない、普段から人に物を借りることをしない、という無借金・無借物主義を自分でも貫いた。代金を商人に逆に催促してすぐに支払うという面もあったらしい。これなど、未払いがあると気持ちが悪いので一刻も早く払おうとする小心者の私はとても共感するところである。莫大な借金をしていても平気で国債や地方債をいくらでも発行し続ける現在の国や地方の放漫財政を見たら益軒は何と言うだろうか。

 益軒は病にかからずに健康な生活を楽しんで長生きするために四つの欲を抑えるように説いていた。①食欲、②色欲、は確かに行き過ぎるとよろしくない。③むやみに眠りたがる欲、④いたずらにしゃべりたがる欲、が選ばれているのが面白い。③は不眠を訴える神経症の人に言えることである。統合失調症や躁うつ病といった精神病の不眠とは異なり、神経症の不眠は「不眠恐怖」であって、本当はどこかで眠っているのである。むやみに眠ろうとする必要はない。寝すぎれば寝くたびれることにもなる。④は一般的には「口は災いのもと」ということかもしれない。神経症の人の場合は、「症状」のグチをこぼしたがる点が該当する。ちなみに今でも不問技法を重視した禅的森田療法を行っている京都の三聖病院にはおしゃべりを禁ずる張り紙があるそうである。

益軒自身、当時としてはかなりの長寿であり、晩年も健康で妻と旅行を楽しんでいたという。益軒さんのように神経質を生かして上手に病を予防し、長寿人生を楽しみたいものである。

2010年11月 8日 (月)

神経質礼賛 604.言葉は心の使い

 駅前の再開発高層ビルに市立美術館が入った。とはいっても独自の所蔵品があるわけでもないので、今回はポーラ美術館から借りてきた絵画を並べた開館記念展「印象派とエコール・ド・パリ」と題する展示である。入口に展示されていたのはルノワールの「アネモネ」で明るい色彩が美しい。つい、何度も戻って見直してしまう。セザンヌやモネやスーラをはじめとする印象派の作品の数々、そしてモディリアーニ、シャガールやレオナール・フジタ(藤田嗣治)の作品も展示されていた。見ごたえがあって、なかなか良かった。見終わって、まだ11時半前だったので、同じビルの最上階のレストランに行ってみた。受付の女性に聞くと、「今日は予約で一杯です」と事務的な答え。横に立っていた高いコック帽をかぶった料理人は挨拶なしだ。下りのエレベーターで「何て高姿勢なの!」と妻が怒りの炎を吹き出す。危ない危ない。とばっちりを食ったらかなわない。同じエレベーターに後から乗った女性二人連れも同じ目にあったらしく「たかがランチなのにね。何様のつもりよ!」と怒りをあらわにする。市内で一番高いビルにできたレストランではあるが、接客態度もお高いのはいただけない。「今回はダメだったけれど予約を入れてぜひまた来たいなあ」と思わせるようでなくては。

 「言葉は心の使い」ということわざがある。言葉は心の中で考えたことを相手に伝える手段だという意味であり、心で思ったことは知らず知らずに言葉に表れるものだという意味でもある。森田正馬先生の言われた「純な心」があって「物そのものになる」ができれば、自然とそれが言葉や態度になって表れてくるはずである。そうなれば、同じ断るにしても、「今日は満席で本当に申し訳ありません。またのお越しをお待ちしています」という言葉が自然に出るだろうし、エレベーター前やエレベーター内に今日のランチは予約で満席となっている旨を掲示する神経質があってもよいのではないだろうか。森田先生の言う「人が便利なように」というのは商売の基本である。きっと料理には絶対の自信を持っているのだろう。ウチの店に予約もせずに気軽に来るような奴は客ではないという気概を持っているのだろう。しかし商売と言うものはいつまでも順風が続くとは限らない。見晴らしの良い高層ビルにライバル店ができればそこに客を奪われるだろうし、上から目線の接客態度ではリピーターは減っていくだろう。店に限らず神経質が足りない組織は長続きしない。

2010年11月 5日 (金)

神経質礼賛 603.(みせかけの)防衛単純化

 尖閣諸島の事件を契機に中国で反日デモが相次いだ。暴徒化した群集が日系の百貨店・スーパー・料理店を襲ったり、日本車を破壊したりした。まだネットでデモを呼びかける動きがある。当局は「理解できる」として取り締まりに本腰を入れていない。天安門事件に関するデモに対する介入とは大違いである。政府を批判するデモは厳しく弾圧しても反日デモは結構というわけだ。貧富の差や中央と辺境との差が拡大した社会に不満を持ち反日教育を受けた地方の若者たちが中心に動いているようだが、都合の悪いことはすべて「小日本」のせいにしてそちらに不満を向けさせて国内の矛盾から目をそらそうとする当局の意図が働いているという指摘もある。まるで第2次世界大戦前、「鬼畜米英」だった言論統制下の日本とそっくりである。

 神経症の人の場合も「症状さえなければ思ったように何でもできるのに」と考えている人が少なくない。実際にはやればできるのに症状のせいにしてやるべきことから逃げる。そうしていると「症状」が悪化するという悪循環をきたす。

 森田正馬先生の高弟・高良武久先生は「(みせかけの)防衛単純化」という心理機制について述べられた。生きていく上で不安はつきもので除去できないものである。病気や事故や経済上の心配や対人関係の問題など不安の出所は広範囲にわたる。敵があちこちにいては防衛が大変なので、神経症の人は問題を一つに絞り込んで、それが自分にとって有害だとして徹底的に否定あるいは排除しようとしがちである。これさえなければ安心で、自分は何でもできるのに、と思い込む。ところが、実際にはかえって症状へのとらわれを強めてしまい、ますます症状を悪化させてしまうことになって、ちっとも防衛機制として働いていない、というわけである。みせかけの、というのはそういう理由からである。「悪いのはすべて日本のせいだ」とか「悪いのはすべて症状のせいだ」をやっていては根本的な解決にはならないのである。中国の場合、言論を自由にして多くの人々の知恵を集めて問題を一つ一つ解決していけば真に世界一の大国になっていくだろう。神経症の場合、症状はあっても仕方無しにやるべきことをやっていけば、症状はいつしか忘れて、神経質性格が実生活に生かせるようになっていくのである。

2010年11月 3日 (水)

神経質礼賛 602.備えあれば憂い無し

 昨日、標高1400mほどの山に登ったまま下山できなくなっていた大学院生ら五人の若者グループが無事救出された。立つのがやっとの急斜面だったためヘリコプターに直接収容することができず、地上からの救助隊の到着を待たなければならなかった。ネット情報で往復4-5時間程度の初心者向けの山だということで、軽装で地図やコンパスや懐中電灯も持たずに出掛けたが、霧で道に迷ってしまったと言う。食料や十分な水分なしで二晩を山で過ごして生きた心地もしなかっただろう。たとえ標高200m300m程度の小学生向けハイキングコースでさえ、油断していたら足を滑らせて急斜面でケガをするような所はいくらでもある。遠景が見えない山の中では方角がわからなくなって、同じところをグルグルまわってしまうことさえある。ましてや標高が1000mを超えれば地上は晴れていても急に深い霧に包まれてしまうこともある。最低限、雨具を兼ねた防寒着、地図、多めのスポーツドリンクと(カロリーが高い)チョコレート位は持っていく必要がある。神経質人間が得意とする「備えあれば憂い無し」が大切である。今回の遭難では平年に比べて気温があまり下がらなかったのが幸いしたようである。実際に救助活動にあたった人たちに言わせると、「迷った時に下っていくと沢や岸壁があって危険。迷ったと感じたら引き返すこと」だそうである。とにかく無事でよかった。学生さんたちは多くの人たちに迷惑をかけてしまったが、この苦い経験をこれからの長い人生に生かしてほしいと思う。

2010年11月 1日 (月)

神経質礼賛 601.毒キノコ

 今年は夏の猛暑の影響で、自然界では大きな異変が起きている。ドングリの不足のため飢えた熊が人里に出没して人に危害を加えるという事件が相次いでいる。高価なマツタケが「豊作」で価格は例年の半分くらいとの報道もある。こちらは喜ばしい(といっても私の口には入りそうもないが)半面、毒キノコも大発生しており、一見食用に見える毒キノコが販売されてしまう、という問題が起きている。毒のあるニガクリダケをクリタケと誤って販売、やはり毒キノコのクサウラベニタケをホンシメジやシイタケとして販売してしまった例がある。また、キノコ狩りで採った毒キノコを食べて中毒になる人も続出している。神経質が足りないと命を落とすことにもなる。キノコ狩りの名所では、「キノコ鑑定士」が1本1本チェックしてくれるという所もあるようだ。食用と非常に紛らわしいキノコもあるので、素人判断では危険である。また、専門家の話では今年は高温だったため例年と色が変わっていて見分けにくいものがあるという。キノコに関しては、やはり「危うきに近寄らず」の神経質が一番である。

 我が家の小さな花壇にも鮮やかなレモン色をしたキノコが発生している。一見して毒キノコである。たまたま腐葉土の中に菌が紛れ込んでいたのだろう。夏場にせっせと水をまいていたら、オリーブの落葉が積み重なったところから発生した。生育に適した高温多湿の環境になってしまったようだ。取っても取ってもまた出てくる。この調子では「毒キノコvs神経質」などというお題が書けそうだ。カサが開いてしまってからでは胞子が落ちてキリがないので、先手を打って5ミリくらいのまだ小さい段階で見つけ次第、表面の土や落葉と一緒に廃棄することにしている。

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