フォト
無料ブログはココログ

« 神経質礼賛 606.炭酸リチウム錠回収 | トップページ | 神経質礼賛 608.五月蝿い »

2010年11月19日 (金)

神経質礼賛 607.マーラーの交響曲第10番

 今年は作曲家グスタフ・マーラー(1860-1911)生誕150周年にあたり、TVのN響アワーでは毎月1曲ずつ交響曲を取り上げて放送しているらしい。毎回連続でないため、見(聴き)そびれてばかりいて、先月の第4番と先週の第10番(未完成)第1楽章アダージョを見ただけである。この第10番は無調やトーンクラスターといった20世紀の作曲技法の先駆けといえる曲なのだそうだ。ヴィオラの単旋律で始まる不安の動機が弦全体に受け継がれていく。不安や絶望感とあこがれが交錯したような印象を受ける。第1楽章はほぼ完成しているものの第2楽章以降はスケッチが残っているだけである。番組では自筆譜がアップで映し出され、そこにはマーラーの苦しい心情が書き連ねられていた。「死!変容!」「おお神よ!なぜあなたは私を見捨てられたのですか!」「さようなら、私の竪琴!」そして最後に「君のために生き!君のために死ぬ!アルムシ(妻アルマの愛称)!」。

 マーラーの妻アルマ(1879-1964)は指揮者志望で作曲の能力もすぐれていたが、マーラーが結婚時に専業主婦となることを要求したため筆を折った。しかし美しい才女アルマの周囲には有名な画家グスタフ・クリムトをはじめとする崇拝者たちが常に集まってきた。1910年夏、マーラーが交響曲第10番の作曲に取りかかったちょうどその頃、アルマは青年建築家ヴァルター・グロピウス(1883-1969)と恋愛関係に陥り、ラブレターがマーラーの手に渡り、その関係が知られるところとなる。以後、マーラーはアルマの作曲も浮気も許すようになったが、かつて「強い」マーラーに惹かれて結婚したアルマは「弱い」マーラーには無関心となり、仮面夫婦状態になってしまう。1911年2月、マーラーはアメリカでニューヨークフィルを指揮した直後に敗血症で倒れ、感染性心内膜炎と診断されて重体のままヨーロッパに戻り、5月にウイーンで亡くなった。愛する妻の浮気、それを認めざるを得ない自分の弱さ、病気の苦しみ、死の恐怖、そういった苦悩が自筆譜への書き込みとなったのだろう。(参考文献:音楽之友社 村井 翔 著 『マーラー』)

 もっとも、マーラーの曲全般に「死」のイメージがつきまとうのは、以前書いたように(402話)、兄弟の多くが早死にし自分の長女も病死したことや、当時のヨーロッパの世紀末的な厭世感の影響と考えられる。神経質人間で強迫神経症だったマーラーが「第9のジンクス」・・・交響曲第9番を書くと死ぬ・・・を極度に恐れていたことは有名な話である。マーラーの作品の人気が年々高まり演奏回数も増えているのは、不安の時代を生きる現代人の共感を受けてのことではないか、と私は思っている。森田正馬先生が言われたように「死の恐怖」はよりよく生きたいという「生の欲望」と表裏一体の関係にある。行き詰った時にはマーラーの音楽に浸り、また気を取り直して日常の生活に向かっていく、というのもよいのではないかと思う。

« 神経質礼賛 606.炭酸リチウム錠回収 | トップページ | 神経質礼賛 608.五月蝿い »

コメント

週に一度読ませて頂いています。

今回はマーラーがテーマとあって初めてコメントしました。

実際マーラーの音楽は表面的には(9番も)、クラシックに慣れていない人が聴くと、たんなるロマンティックな印象を持つというような側面があり、その苦悩を理解するには少しばかり時間がかかります。

かくいう私も9番の凄さを知ったのは色んな指揮者の演奏を聴いて5年ほどかかりました。

マーラーの音楽が例えば自殺しそうな人を救えるかと言えば、ちょっと難しく、甘美な死への誘いの音楽になるように存じます。

しかし聴き続けているのは、ずっと自分のテーマ曲のように音楽をかけていないときでも耳に聴こえているのは...

自己愛の肯定、あるいはエゴの普遍化みたいな部分に繋がる音楽だからではないかと考えています。

ゼロ様

 示唆に富んだコメントをいただきありがとうございます。マーラーの音楽は一筋縄ではいかない面があります。他の神経質作曲家(例えばショスタコーヴィチ)の曲もそうですが、神経質性格の持つ二面性・・強力性すなわち自己愛と弱力性すなわち自虐の両面が作品に反映されているように思います。苦悩を乗り越えて勝利、と思いきや皮肉たっぷりだったりもします。

 おっしゃるようにマーラーのロマンティックな旋律には「甘美な死への誘い」ともとれる部分があります。しかし、音楽療法の「同質の原理」からして、辛く悲しい時にベートーヴェンの交響曲第5番や第9番の終楽章の歓喜や勝利を聞いても逆に落ち込むだけです。辛く悲しい時には昔の演歌で「酒・涙・女」をテーマとした短調の曲の方が癒し効果があるかもしれません(笑)。

 曲のイメージは聞く人の個人的な体験とも密接に関連していることもありますね。私が初めて聴いたマーラーは交響曲第4番で、W大オケの練習の場で聴いたものです。浪人しても志望校に入れず落ちこぼれ、オケでも「もっといい楽器を買え」と言われて結局断念。自分は人生の落伍者だと強く感じたものです。この曲を聴くたびに三畳一間ボロアパートでの生活が思い出されます。今でもいろいろな演奏のCDで聴きます。行き詰った時に聴く曲の一つです。神経質人間の私には共感できる曲のように思います。ちなみに私の妻の父親は迷った時や苦しい時にはマーラーの第2番「復活」を聴くそうです。万人向きではありませんが癒し効果はあるのでしょう。

 またお気づきの点がありましたら、よろしくお願いいたします。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 神経質礼賛 606.炭酸リチウム錠回収 | トップページ | 神経質礼賛 608.五月蝿い »

最近のトラックバック

2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30