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2010年11月 5日 (金)

神経質礼賛 603.(みせかけの)防衛単純化

 尖閣諸島の事件を契機に中国で反日デモが相次いだ。暴徒化した群集が日系の百貨店・スーパー・料理店を襲ったり、日本車を破壊したりした。まだネットでデモを呼びかける動きがある。当局は「理解できる」として取り締まりに本腰を入れていない。天安門事件に関するデモに対する介入とは大違いである。政府を批判するデモは厳しく弾圧しても反日デモは結構というわけだ。貧富の差や中央と辺境との差が拡大した社会に不満を持ち反日教育を受けた地方の若者たちが中心に動いているようだが、都合の悪いことはすべて「小日本」のせいにしてそちらに不満を向けさせて国内の矛盾から目をそらそうとする当局の意図が働いているという指摘もある。まるで第2次世界大戦前、「鬼畜米英」だった言論統制下の日本とそっくりである。

 神経症の人の場合も「症状さえなければ思ったように何でもできるのに」と考えている人が少なくない。実際にはやればできるのに症状のせいにしてやるべきことから逃げる。そうしていると「症状」が悪化するという悪循環をきたす。

 森田正馬先生の高弟・高良武久先生は「(みせかけの)防衛単純化」という心理機制について述べられた。生きていく上で不安はつきもので除去できないものである。病気や事故や経済上の心配や対人関係の問題など不安の出所は広範囲にわたる。敵があちこちにいては防衛が大変なので、神経症の人は問題を一つに絞り込んで、それが自分にとって有害だとして徹底的に否定あるいは排除しようとしがちである。これさえなければ安心で、自分は何でもできるのに、と思い込む。ところが、実際にはかえって症状へのとらわれを強めてしまい、ますます症状を悪化させてしまうことになって、ちっとも防衛機制として働いていない、というわけである。みせかけの、というのはそういう理由からである。「悪いのはすべて日本のせいだ」とか「悪いのはすべて症状のせいだ」をやっていては根本的な解決にはならないのである。中国の場合、言論を自由にして多くの人々の知恵を集めて問題を一つ一つ解決していけば真に世界一の大国になっていくだろう。神経症の場合、症状はあっても仕方無しにやるべきことをやっていけば、症状はいつしか忘れて、神経質性格が実生活に生かせるようになっていくのである。

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