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2010年12月31日 (金)

神経質礼賛 620.偉人なる者は凡

 森田正馬先生が書かれた色紙に

偉人者凡  

天才奇 

(偉人なる者は凡 天才は奇なり)

というものがある。偉人と呼ばれる人は本を正せば平凡な人間であり、天才は元来、他の人が思いつかない奇抜で優れた才能の持ち主である、という意味である。神経症の画期的な治療法を編み出した森田先生はしばしば天才と言われる。しかし、先生はそれまで欧米で行われていた精神療法や薬物療法をすべてやり尽した上で、無効なものを捨てて有効なものを残して統合していき、森田療法ができあがっていった。森田正馬全集には神経症理論や治療法について同じような論文が何度も出てくるが、年代とともに少しずつ変遷しているのがよくわかる。試行錯誤しながら改良を積み重ねていったわけである。大原健士郎先生は森田先生の色紙を解説した著書『日々是好日』(白揚社)の中でこの色紙について、森田先生は「まず平凡な人間になれ」と教えている、と述べておられる。

 私はこの色紙の実物を見たことがないが、三島森田病院には同じ昭和11年9月に書かれた似た内容の色紙がある。その色紙では、偉人は聖人に、天才は傑人になっている。

聖人者凡

傑人奇 

(聖人なる者は凡 傑人は奇なり)

 神経質人間は才能はあっても、天才や傑人のように一気に開花させることができない。今まで紹介してきた菅原道真、紫式部、徳川家康、白隠禅師、松下幸之助といった歴史に名を残した神経質人間を振り返ってみても、みな地道な努力の積み重ねで大輪の花を咲かせたのである。神経質人間の強みは粘り強さにある。時々へこたれながらも何とかがんばりが長続きする。そして平凡の積み重ねが非凡となるのだ。不遇にあえいでいてもガッカリすることはない。長い目で見れば、いつか報われることもある。

昭和9年7月15の形外会(月に1回、森田先生のもとで行われた座談会)で会長の香取さん(貿易商)が閉会の挨拶で述べた〆の言葉を紹介しておこう。

「神経質は凡人にして、偉大です」

 当ブログは開設してから5年になります。毎月10話ずつ、相変わらず文章だけの無愛想なスタイルで、しつこく同じようなことばかり書いていますが、これも神経質のなせるわざかもしれません。私の場合は偉大でない凡人、と言うよりただの変人です(笑)。凹みがちな神経質な方々のお役に立てれば幸いです。

皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。      四分休符

2010年12月27日 (月)

神経質礼賛 619.見―ちゃった、見―ちゃった

 1221日付読売新聞によれば読者が選んだ国内10大ニュースの第1位は中国漁船衝突映像流出事件だった。衝突事件そのものについてはともかく、流出という件に関してはインターネット時代を反映する印象的な出来事だったように思う。情報の管理が甘いと容易に動画サイトなどに流出して短時間に多数の人々に広がってしまう。削除されても次々とコピーが投稿されていたちごっこになる。似たようなところでは、秘密文書を暴露する「ウィキリークス」がよく話題になっていたように思う(22日付読売新聞で今年の海外ニュースランキング第11位)。毎日新聞の4コマ漫画「アサッテ君」でも子供が「見―ちゃった、見―ちゃった、ウィキリークスに言ってやろ」と囃したてるものがあった。

 ちょっと脱線するが、「見―ちゃった、見―ちゃった、先生に言ってやろ」とか、その前半あるいは後半が「いーけないんだ、いけないんだ」となった囃し歌を子供の頃聞かれた(あるいは言った)ことのある方は多いことと思う。私が小学生の時、転校して他県の小学校に行っても同じメロディーだったから、全国規模で流布しているのだろう。ただし、地方によって方言になっていることはあるらしい。口伝で正確に伝わっているのはすごい。ラーソラミレミー、ラーラソラミレミーという日本民謡の陽旋法のため覚えやすいからだろうか。

 秘密文書の暴露により国家レベルの不正を知らしめる点ではウィキリークスの意義はあるが、不正と関わりのない個人のプライバシーまでが暴露されて不利益を被ったり身の危険を招いたりすることも考えられる。

 医療機関では患者さんのプライバシーの保護には神経を尖らせている。警察署から患者さんについての照会があっても、警察官を名乗って探り出そうということも考えられるため、即答はせずに後で警察署の電話番号に掛けなおすという対応を取っているし、正式な文書での捜査関係事項照会の場合はともかく、口頭での照会には最小限の情報を回答するに留めている。友人と称する人から「そちらの病院に○○さんが入院していますか」という問い合わせには、「お答えできないことになっています」と回答せざるをえない。病院によっては、部屋の入口のネームプレートをはずしているところもあるようだが、面会に不便だし、とっさの時に患者さんを取り違える事故が起る危険性もある。このあたりは熟慮して神経質に対応していく必要がある。

2010年12月24日 (金)

神経質礼賛 618.対人恐怖の診断

 そろそろ今年の10大ニュースが云々される時期になった。ローカルな話題で恐縮だが、私が住んでいる県内10大ニュースの第1位は1221日付読売新聞によれば「かみつき猿」だった。今年の夏から秋にかけて私の勤務先周辺で猿が子供や女性を襲ってかみつく事件が頻発した。網戸を開けて住宅内に侵入する手口からして、元は飼われていた猿ではないかとも言われていて、被害者は約100人にものぼった。544話に登場した鈴木茂能先生が負傷者の治療に当たられている様子が報道された。市が20万円の賞金を懸けて、住宅内に侵入した時に閉じ込めてついに御用となった。現在は駅前の市営公園に「らっきー」という名前でおとなしく飼われている。話題の猿を見ようという人々で、公園の入園者が増えている。ところが、新聞によると最近では抜け毛がひどく、大勢の人に見られるストレスによるのではないか、とのことである。人を恐れぬ「らっきー」嬢もついに視線恐怖・対人恐怖?・・・なんてことはないだろう。

 私は大学助手時代にメンタルヘルス岡本記念財団の研究費助成を受けて、浜松医大で5年間に入院森田療法を行った207例(うち森田神経質158例)について森田の神経症分類による診断とICD(WHOの診断基準)診断とDSM(アメリカ精神神経学会)診断を比較検討したことがある。そのうち対人恐怖は51例で、それにICDやDSM診断を付けるとsocial phobia(social anxiety disorder:SAD)35例と多いので、近い概念ではあるが、特定の恐怖症、身体醜形障害、重症例では妄想性障害の診断になってしまう例もあって、全く同じとは言いがたかった。一昨年、social phobia(social anxiety disorder:SAD)は社会恐怖(社会不安障害)という訳語が不適切であるとして社交恐怖(社交不安障害)となった。しかし、例えば対人恐怖であってsocial phobiaにも分類される中の視線恐怖や公衆便所が利用できないことによる頻尿恐怖・頻便恐怖・尿閉恐怖などは社交場面を恐れているわけではないので、この変更には疑問が残る。social phobiaの訳語を対人恐怖にしてしまった方がよいのではないか、と主張する研究者もいる。いずれにせよ、ICDやDSMは病因を無視して表面的な症状だけで診断してしまうので、対人恐怖を正確にはとらえていないと思う。半年位前に製薬メーカーの営業さんが社交不安障害評価尺度LSAS-J(Liebowitz Social Anxiety Scale)の用紙を置いていった。外来患者さんに使って、得点が高ければ社交不安障害としてSSRIを処方して下さい、ということらしいが、私はまだ1枚も使っていない。

 森田正馬先生は、対人恐怖の性格を「恥かしがるのを以て、自らをフガヒなしとし、恥かしがらじとする負けじ魂の意地張り根性である」(白揚社 森田正馬全集 第3巻 p.114)と実に的確に指摘された。そして、恥ずかしいままに仕方なしに行動していくように指導されていた。それにより対人恐怖に悩む多くの人々が神経質性格の良さを生かして社会で人並み以上に活躍できるようになっていった。機械的に診断名を付けて薬を処方して単に症状軽減を図るだけでは、そうはいかないだろう。

2010年12月20日 (月)

神経質礼賛 617.武士の家計簿

 先日、十数年ぶりに映画館に足を運んだ。読売新聞に「武士の家計簿」の原作者・磯田道史さんのインタビュー記事があったのを読んで興味を持ったからだ。映画を見に来た人たちの顔ぶれを見ると、中高年世代が目に付く。家で映画のDVDを見るのは手軽でよいけれども、たまには映画館で見るのもよい。おかしい場面では館内に笑いがあふれ、悲しい場面ではみな秘かに目頭を押さえる、という一体感もよいものである。

 武士の話とは言ってもチャンバラは出てこない。主人公・猪山直之は加賀藩の算用者つまりソロバン侍である。ソロバン一筋で上司や同僚からは「ソロバン馬鹿」と呼ばれている。愚直で融通がきかない性格で、領民に配られる米の不正に気付いていろいろ調べたことを咎められて左遷されそうになるが、その調査の正確さで逆に藩の幹部に認められて取り立てられ、さらには殿様にも認められて重用されることとなる。新婚初夜なのに妻を背にソロバンをパチパチはじいて婚礼費用を計算している場面は印象的だ。武家としての体面は保っているものの実は猪山家の家計は借金のために破綻寸前だった。息子のお祝いで親族を集めた時には食事に鯛の絵を描いたものを付けて節約する。「絵鯛か」と親や親族たちは渋い顔をするが、息子は「鯛じゃ鯛じゃ」とはしゃぎまわり、主人公も息子を肩車して一緒になって喜ぶ。純な心の表れである。直之は決して計算だけの冷たい人間ではなかったのだ。さらにリストラ策で売れるものは全部売り払おうとする。自分の本ばかりでなく、父親の骨董や母親自慢の友禅も売り払って、残りの借金は両替商と交渉して無利子の10年払いにする。弁当は握り飯だけにし、妻も協力して安い食材をいろいろな調理法で工夫して楽しめるようにした。このあたり、日本の官僚様たちや政治家様方にはぜひ見て欲しいところだ。すでに日本の財政は破綻同然だ。経済大国としての体面ばかりに気を取られて国内外にバラマキをやってさらに借金を膨らませて子孫にツケを回している場合ではない。

 直之の息子は、小さい時から家計の責任を負わされ、算用者の跡継ぎとして厳しく指導されるが、それに疑問を感じている。父親の葬儀の時まで費用をパチパチはじいている直之に反発する。しかし明治維新となって、息子は経理能力を買われて新政府の要職に抜擢され、結局ソロバンで身を立てることになる。久しぶりに故郷に帰ってきた息子が老いた直之を背負って川原を歩き、家族で思い出話をするシーンにはほろりとさせられる。

 いつも冷静に淡々とソロバンをパチパチはじき続ける猪山直之の性格は一見シゾイドパーソナリティ(Schizoid Personality)に見えなくもないが、彼なりの家族に対する愛情表現もにじみ出ているので、そうではないだろう。ソロバンで生きていく者として自分の能力を最大限生かして家族を守っていこうとしたのだ。悟りきった神経質人間ならばこんな風にもなるのかなあ、と思ったりする。

2010年12月17日 (金)

神経質礼賛 616.花粉症にバナナ?

 今年の猛暑の影響で来年のスギ花粉の飛散量は今年の10倍という予測が出ている。ワープロで「ひさん」と打つとまず「悲惨」に変換されるのだが、花粉症持ちの私にとっては、文字通り涙目の悲惨量になりそうだ。

 1214日付の各紙に「バナナが花粉症に効く」という東京理科大の研究成果が紹介されていた。動物実験では1日に10gのバナナを与えたマウスは通常のエサを与えたマウスに比べて、アレルギーを起こす物質の量が半分以下で、花粉症などのアレルギーで増加する白血球中の好酸球の数も正常だったという。ちなみにマウスにとって10gのバナナは人間にとっては3-4本なのだそうだ。効果があったとしても毎食1本ずつバナナを食べるのはちょっと難しい。効果を示す成分の分析が期待される。

 花粉症に効果のある食品ということではお茶が注目されていて、カテキンの作用の一つに抗アレルギー効果があるという説がある。商品化されているものでは、甜茶ポリフェノールだとか緑茶の一品種「べにふうき」などがある。ヨーグルトが花粉症を軽減させるという説もある。さらには眉唾もののウワサとしては沖縄の泡盛が有効という話が流布しているけれども、これはアヤシイ。本当ならば酒好きの花粉症持ちにとっては嬉しい、そしておいしい話なのだが。

 抗アレルギー薬は次々と新薬が開発され、より眠気などの副作用が少ないものが出ているので、薬の内服と点鼻薬・点眼薬でしのいでいくことになる。レーザー手術も受けてみた(281)が、やはり効果は1-2年だった。手術後の一過性の激しい鼻汁・鼻出血・鼻閉のつらさを思い出すと再手術を受けようという気にはなれない。あとは、花粉の飛散量が多い時期は極力外出を控え、外出時にはマスクを着用し、家に入る時にはしっかり花粉を払い落とす、という神経質な対応で乗り切るしかなさそうである。

2010年12月13日 (月)

神経質礼賛 615.睡眠薬密売

 私は見なかったのだが、1127日夜、NHKで放送された「“心の病”の薬に何が~向精神薬乱用の実態~」という報道ドキュメンタリー番組には大きな反響があったようだ。NHKのホームページを見ると、病院や診療所で処方された薬がネットや路上で密売されている実態を明らかにしたものだったらしい。麻薬取締部に摘発されたある女性は5つの病院を受診して処方してもらった睡眠薬をネットで密売して生活費に充てていたという。「価格表」にはよく処方される睡眠薬の名があり、1錠2000円から4000円の値が付いていた。南江堂の『今日の治療薬2010』によれば、代表的なベンゾジアゼピン系睡眠薬の薬価は、ハルシオン0.25mg錠が17円、レンドルミン0.25mg錠が31.7円、ロヒプノール2mg錠が24.7円、と大体20-30円程度である。しかも、保険診療では3割負担である。診察料や処方料といったコスト(?)がかかるにせよ、密売がボロい商売であることは容易にわかるだろう。大阪では暴力団が生活保護受給者に医療機関を受診させてタダで睡眠薬を入手して密売するという事件が摘発されたばかりである。密売された睡眠薬の乱用が健康被害をもたらすだけでなく、健康保険や自立支援医療や生活保護費のムダ使いにもなる。

 以前の健康保険証のように初診時に日付と医療機関名を記入するスタイルだったら、重複受診の抑止ができたはずだ。現在のようにカード化するのであればICカードにして、受診履歴、できれば処方履歴も記録するようにして欲しいところである。

 また、安易に睡眠薬を処方する医師にも問題がある。統合失調症や躁うつ病などの精神病の不眠に睡眠薬を使用するのはやむをえないにしても、神経症(不安障害)レベルの人には生活指導(カフェインやニコチンの摂取は控え、日中は明るいところに出る、風呂はぬるめにするなど)をした上で、乱用による害や依存に陥る可能性がなるべく少ない薬を少量処方するべきである。そもそも神経症の不眠は本当の不眠ではなく不眠恐怖・不眠へのこだわりであって、本人は「一睡もしてない」と思っていても実際はどこかで眠りに落ちていることが多い。何度も紹介しているが、森田正馬先生は、「不眠を訴へる患者に対して、多くの立派な医者が、之に徒(いたずら)に、催眠剤を種々撰定して与へる事がある。而かも患者の不眠は、少しも良くはならない。この医者は単に不眠の治療といふ事のみに捉はれて、其人間全体を見る事を忘れたがためである。其患者の毎日の生活状態を聞きたゞして見ると、豈に計らんや患者は、毎日・熟眠が出来ないといひながら、十二時間以上も臥褥し、五時間・七時間位も睡眠して居るのである」と警告されていた(白揚社:森田正馬全集第7p.401)。脳内レセプターがどうのこうのと御託を並べて薬を安易に処方する医師は百年近く前の医療水準よりも劣っている。

2010年12月10日 (金)

神経質礼賛 614.酒癖

 このところTVや新聞では歌舞伎役者の市川海老蔵さんが顔面を殴られて重症を負った事件について繰り返し報道されている。看板役者にとっては命とも言える顔の重症であるから大事件である。当初の報道は「酔った人を介抱していたら、知らない外国人風の黒い男に殴られた」ということだったのだが、海老蔵さんが泥酔して、暴走族のリーダーにからんでいたという話が出てきた。そして、普段から酒癖が悪いなどの品行上の問題がTVのワイドショーや週刊誌で次々と暴露されるようになった。海老蔵さんは、将来「市川団十郎」の襲名を約束された歌舞伎界のプリンスということで人気があり、本業以外にTVのバラエティー番組に登場したり、CMに登場したりしていた。しかし、本業の復帰にも期間がかかりそうだし、イメージダウンでCMもキャンセルされ、泣きっ面に蜂といったところである。

 幼い頃から芸を叩き込まれて歌舞伎役者としての厳しい修行をしてきたのだろうとは思う。しかし、社会性が身についていないうちに周囲から特別扱いされていき、誰も注意してくれる人がいなくなって自己愛が肥大していき、いつしか「裸の王様」になってしまったのだろう。127日夜の記者会見では「日頃の自分のおごりが招いたこと」という反省の弁があった。今回の事件を良薬として、歌舞伎史に名を残す大役者に成長して欲しいものだ。

 酒を飲んで抑制が取れた時にはその人の本性が出やすい。泣き上戸、笑い上戸、はまだよいとして、飲んで周囲の人に絡むとか、セクハラ行為や暴力行為に及ぶような人、いわゆる酒癖の悪い人には酒を飲む資格はない。酒は健康に気をつけながら楽しくおいしく飲みたいものだ。

用心深い神経質人間も酒を飲み過ぎればとんでもない失敗をすることがある。同様に抗不安薬やSSRIといった薬物に頼り過ぎていると、時に気が大きくなって、対人トラブルを起こすこともあり得る。薬は症状を軽減してくれるけれども神経質性格の良さも殺してしまうマイナス面がある。自己判断で薬の量を調整しないで主治医とよく相談した上で服用することが大切である。

2010年12月 6日 (月)

神経質礼賛 613.シャワーとカランの切換え

 たまにビジネスホテルに泊まってトイレが付いたユニットバス内の洗面所で手を洗おうと蛇口をひねったとたん、高い所にあるシャワーから水が噴出して衣服がビショビショ。こんな経験をされた方もいらっしゃるのではないだろうか。用心していれば大丈夫なのだが、油断しているとやられてしまう。シャワーとカランの切換えレバーのところには回す方向は書いてあるが、現在どちらの状態になっているのかわかりにくいものが多い。昔の銭湯の洗い場のように、まずカランから湯(水)が出て、ボタンを押し下げるとシャワーに切り替わり、使い終わると元に戻る、というのであればトラブルは起こらない。もちろん入浴時はどうせ裸なので大した問題ではないのだが、手を洗おうとした時に衣服がびしょ濡れなってしまうのは困る。やはりフェイルセーフの構造にするか、せめて現在どちらの状態になっているのかわかりやすくしてもらいたいところだ。住宅機器メーカーにはもう少し神経質になってもらった方がよい。

 現在勤務している病院の当直室にもビジネスホテルと同様のトイレ付ユニットバスがある。以前の古い病院ではトイレは下の階まで行かなくてはならず、風呂がないので当直勤務が続くと夏場はつらかった。その点はずいぶん助かっている。夜間救急車が来るような病院ではないけれども、ノンビリ風呂に入っているわけにもいかない。私は朝の7時少し前くらいに院内連絡用のPHSがすぐ手に届くところに置いて5分間で行水する。朝6時の起床時刻からしばらくは看護師さんたちが病棟内を見回って患者さんの異変に気付いて連絡してくることが多いし、7時頃から配膳が始まり患者さんたちが朝食を食べ始めると、食事をノドに詰まらせた、とか嘔吐したということで呼び出されることがあるので、一番コールが少ない時間帯を選んですばやく入浴することになる。このユニットバスの切換えもわかりにくい。職員さんたちが交代で毎日清掃してくれた際、人によってシャワー側にするかカラン側にするかはまちまちである。そこで、洗面時には念のためシャワーヘッドを左手に持って浴槽に向けてから蛇口を回す習慣が身についている。神経質は身を守る。

2010年12月 3日 (金)

神経質礼賛 612.J-POPジェネレータ

 先日、ネットニュースに、『「会いたい」とかいいすぎなJ-POPの歌詞が話題』、という記事があった。「翼を広げて」「会いたい」「桜舞う」「瞳を閉じて」というように、どれもこれも似たようなフレーズが使われているという話題だ。そして、J-POPの歌詞を自動的に生成する「J-POPジェネレータ」なるものがネット上に登場したという。

 検索サイトで探して「J-POPジェネレータ」をアクセスしてみると、さっそく歌詞が表示される。ご丁寧に間奏○秒という指定まで入っている。表示された歌詞を見ると、サビの部分の「会いたい」「会えない」が少々しつこく感じるが、確かにほぼこのまま歌にできそうである。再度アクセスすると、今度は別の歌詞が表示される。出現頻度の高いフレーズをランダムに生成させてそれを繋ぎ合わせて作っているのだろう。日本語は英語ほど語順が問題にされないので、作りやすい。「どちらかというと、恋愛に対して強迫観念や中毒症状が発症してしまった女性アーティスト向けの内容となっております」という作者のコメントには笑える。「イグノーベル賞」に推薦したいものである。

 私のような神経質人間ではJ-POPジェネレータならぬ脳内の不安ジェネレータが不安を自動生成しやすい。考えてみれば究極の不安材料は「死」なのである。それがいろいろな形の不安となって現れてくる。それが対人恐怖になったり不安発作になったり不完全恐怖になったり身体症状として現れたりすることにもなる。神経質人間はよりよく生きたいという「生の欲望」が人一倍強いだけに特に不安を感じやすい。しかしながら死は絶対に避けられないのだから不安をなくそうというのは不可能なのである。不安をなくそうとすることはあきらめて、森田正馬先生が説いているように、今ここで不安はそのままにして行動していく。目的本位に行動しているうちにいつしか不安ジェネレータの働きはおさまっていくものである。

2010年12月 2日 (木)

神経質礼賛 611.手帳

 12月に入り、何となくあわただしい雰囲気になってきた。最近は金融機関・生命保険会社をはじめ一般企業では経費節減ということでカレンダーや手帳を配らなくなった。10年前、20年前は各製薬会社の営業さんが病院に持ってくるカレンダーと手帳の処理に困ったものだが、今では全くその心配もない。このところ手帳は100円ショップで買ったものを使っている。電車・地下鉄の路線図や年齢早見表などが付いた厚い手帳が得なような気がするが、実際にはそれほど使う機会はないし、1年経ってみると、書いたメモ量も知れている。住所録も使わない。そんなわけでカレンダーと月間予定表と備忘録として使う罫線だけのページが10ページもあれば用は足りるので薄くて小さい手帳を使っている。これが強迫神経症(強迫性障害)の人だと、確認のメモが多くなるのでいくらページがあっても足りないということになるだろう。何でもかんでもメモしておけば安心、ということなのだが、どこに書いたか後で探すのも一苦労である。書く労力も大変だ。メモは必要最小限に留めた方がよい。

年末恒例行事は、手帳の備忘録の転記作業である。この手間は年々少しずつ増えている。パソコン関連のIDやパスワードの類はどんどん増えていて、書いておかなければ忘れてしまう。システム手帳にすればこの手間が省けるのではあるが、薄くてポケットに入る大きさでないと使いにくい。

一頃、電卓のような電子手帳が流行ったことがあったけれど、最近は見かけなくなった。携帯電話の機能が向上して電子手帳の機能をカバーしてしまったからだろうか。ものすごい速さでメール打ちできるような人だと手帳はいらないかもしれない。携帯メールを使わない、そして老眼の私のような中高年世代では、ポケットから出した手帳をパラパラめくる手軽さにはかなわないので、当分手帳がなくなってしまうことはないだろうと思う。

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