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2010年12月20日 (月)

神経質礼賛 617.武士の家計簿

 先日、十数年ぶりに映画館に足を運んだ。読売新聞に「武士の家計簿」の原作者・磯田道史さんのインタビュー記事があったのを読んで興味を持ったからだ。映画を見に来た人たちの顔ぶれを見ると、中高年世代が目に付く。家で映画のDVDを見るのは手軽でよいけれども、たまには映画館で見るのもよい。おかしい場面では館内に笑いがあふれ、悲しい場面ではみな秘かに目頭を押さえる、という一体感もよいものである。

 武士の話とは言ってもチャンバラは出てこない。主人公・猪山直之は加賀藩の算用者つまりソロバン侍である。ソロバン一筋で上司や同僚からは「ソロバン馬鹿」と呼ばれている。愚直で融通がきかない性格で、領民に配られる米の不正に気付いていろいろ調べたことを咎められて左遷されそうになるが、その調査の正確さで逆に藩の幹部に認められて取り立てられ、さらには殿様にも認められて重用されることとなる。新婚初夜なのに妻を背にソロバンをパチパチはじいて婚礼費用を計算している場面は印象的だ。武家としての体面は保っているものの実は猪山家の家計は借金のために破綻寸前だった。息子のお祝いで親族を集めた時には食事に鯛の絵を描いたものを付けて節約する。「絵鯛か」と親や親族たちは渋い顔をするが、息子は「鯛じゃ鯛じゃ」とはしゃぎまわり、主人公も息子を肩車して一緒になって喜ぶ。純な心の表れである。直之は決して計算だけの冷たい人間ではなかったのだ。さらにリストラ策で売れるものは全部売り払おうとする。自分の本ばかりでなく、父親の骨董や母親自慢の友禅も売り払って、残りの借金は両替商と交渉して無利子の10年払いにする。弁当は握り飯だけにし、妻も協力して安い食材をいろいろな調理法で工夫して楽しめるようにした。このあたり、日本の官僚様たちや政治家様方にはぜひ見て欲しいところだ。すでに日本の財政は破綻同然だ。経済大国としての体面ばかりに気を取られて国内外にバラマキをやってさらに借金を膨らませて子孫にツケを回している場合ではない。

 直之の息子は、小さい時から家計の責任を負わされ、算用者の跡継ぎとして厳しく指導されるが、それに疑問を感じている。父親の葬儀の時まで費用をパチパチはじいている直之に反発する。しかし明治維新となって、息子は経理能力を買われて新政府の要職に抜擢され、結局ソロバンで身を立てることになる。久しぶりに故郷に帰ってきた息子が老いた直之を背負って川原を歩き、家族で思い出話をするシーンにはほろりとさせられる。

 いつも冷静に淡々とソロバンをパチパチはじき続ける猪山直之の性格は一見シゾイドパーソナリティ(Schizoid Personality)に見えなくもないが、彼なりの家族に対する愛情表現もにじみ出ているので、そうではないだろう。ソロバンで生きていく者として自分の能力を最大限生かして家族を守っていこうとしたのだ。悟りきった神経質人間ならばこんな風にもなるのかなあ、と思ったりする。

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コメント

わたしは原作者の朝日新聞の連載をついも楽しみにしていて、新書は読んでいますが、映画は見ていません。

いいなぁと思うのは、磯田さんが古文書の正確な読み取りをして、そこから当時の生活が生き生きとイメージできるところです。

どんなに逼迫していても祝い事には金を使わなければならない。冠婚葬祭も。その体裁こそが武士。「葉隠れ」とかの武士とは、ちょっと違いますが、現代の「会社」も同じですね。

ヨーカドーが葬儀代をダンピングして僧侶から抗議を受けたりしてますが、負けないで欲しいです。もちろん伝統も大切ですが、それは忠義のため、あるいは、もっと崇高なモノのために命を張るのは大いに結構、しかし、なんのために「こんなことにお金と気を遣っているのか」疑問になることに命を張ってどうするのか...

ゼロ様

 コメントいただきありがとうございます。

 磯田道史さんは今年の4月から5月にかけてNHK教育TV直伝和の極意「古地図で巡る龍馬の旅」という番組の講師をされていました。古文書や古地図といった資料に忠実に解釈していく姿勢に打たれました。読売新聞のインタビュー記事によれば、中学生の時に自分の家に伝わる古文書の解読を始め、そのまま天職になっていったとのこと。徹子の部屋に出演との情報があったので、録画して見ましたが、何とも純粋な人です。番組の最後で徹子さんに「ところであなた、家計簿つけてらっしゃるの?」と突っ込まれて赤くなっておられました。

 現代は個人・地方自治体・国いずれも経済的に苦しく、幕末の武家と似たり寄ったりです。体面よりも、お金をいかに有効に生かしていくかを考えたほうがよいでしょう。葬儀ににしても、火葬するだけの直葬や地味な家族葬が増えていると言います。白洲次郎のように「葬式無用 戒名不用」と言い切るのも難しいですけれど、自分も形式ばかりの葬式なんかいらない、こんな奴もいたなあと思い出してもらえればいい、と思うこの頃です。

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