神経質礼賛 650.欲望と恐怖の調和
森田正馬先生は神経症を病気ではないとし、あえて神経質と呼んだ。そして神経質性格を礼賛したことは今までにも何度か書いたとおりである。
意志薄弱性の氣質の人は、初めから欲望が乏しいから、努力も・煩悶も・強迫観念もなく、只の貧乏の其日暮しといふ風であります。又ヒステリー性は、其の時々の感情にかられて、理智的の反省がないから、思ひ立つまゝに、何かと手を出し、いつも失敗するけれども、稀には成金にもなり、又忽ちに破産もする・とかいふ風になるのであります。
之等と比べても、最も上等の氣質は神経質で、之は強迫観念や・病的異常に迷ふ間は、敗残者のやうでありますけれども、一度、心機一転して欲望と恐怖が調和し、感情と理智とが、平衡を保つやうになつた時には、初めて上等の人になります。其の実例は私共の方に、幾らでもあります。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.510-511)
神経質という財産を強迫観念・強迫行為や病気探しに無駄遣いしているうちは神経質が生かせず敗残者のようになってしまうが、生の欲望に沿って、神経質を外に向かって発揮していけば、神経質性格が多いに生かせて、自己の存在意義を示し、人からも大いに認められるところとなるのだ。その結果、大成功は少ないにせよ、着実に実績を上げて、森田先生の言われた「上等の人」になるわけである。
かつての私がそうだったが、対人恐怖の人は人前に出たり話したりするのは死ぬほど恐ろしい。会食恐怖の人は、人と一緒の食事がノドに通らない。不安神経症の人だと、電車に乗るのが怖いし、会議の場が恐ろしいし、美容院や歯医者さんの椅子にじっと座っているのは恐ろしい。心臓がバクバクいって呼吸が苦しくなり、死ぬのではないかと感じる。不潔恐怖の人はささいなことでも不潔になり病気になるのが恐ろしい。不完全恐怖の人は何度確認しても不安で、確認をガマンするのが恐ろしい。恐怖をなくそう、恐怖から逃げようとすればするほど、森田先生の言われた「精神交互作用」という悪循環が起り、ますます恐ろしくなってしまうのである。しかし、どれも日常生活で好むと好まざると誰もがやっていることであり、恐ろしくても決して命を取られることはない。よりよく生きたい・人から好かれたい・成功したい、という生の欲望に背中を押されて、怖いという気持ちはそのままにしておいて、行動していく。それが欲望と恐怖が調和した状態なのである。
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