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2011年4月29日 (金)

神経質礼賛 660.神経質でよかった(1)

 『神経質でよかった』という題名の本がある。著者の山野井房一郎さん(1903-1981は、会社で経理の仕事をしていたが、対人恐怖書痙(緊張のため字がふるえてしまう症状)のため仕事ができなくなってしまった官立(国立)大学病院で教授の診察を受けたところ「書字神経を切除すれば治る」と言われて納得がいかず、1929年、森田正馬先生のところに入院した。40日間の入院でまだ症状は治っていないように思われたが、会社を辞めて田舎に帰ろうとして先生に叱られ、ビクビクハラハラのまま出社したところ、苦手な重役の前でスラスラと思ったことが言え、書痙もしだいに良くなっていった。退院後も先生のもとで行われる座談会(形外会)の副会長を務め、森田先生亡き後は森田先生の助手をしていた古閑義之先生(慈恵医大教授→聖マリアンナ医大学長)のもとで行われた新生形外会に参加し、「同病相憐れむ」の精神で神経症に苦しむ人たちにアドバイスし続けた。独学で公認会計士の試験に合格し、東京青山に会計事務所を開業。経理や会計の専門書を20冊著作するとともに、1960年には『森田式生活30年の体験記録』という本も書き、これをベースとして晩年の1977年に『神経質でよかった』を白揚社から出している。私の勤務先の病院にあるこの本の表紙をめくると「森田秀俊先生 謹呈  山野井房一郎」と少し右下がりの大きな字で書かれている。もちろん字に震えはない。

 本書の約三分の一にあたる第一部「人を創る」は森田先生の診療所での入院生活を中心に書かれていて大変興味深い。現在、私の勤務先の病院や大学病院で行われている森田療法では作業やレクリエーションなどのスケジュールがキッチリ決められている。そして清掃などの雑用も当番制になっている。マニュアル化されているので、入院患者数が多くても少なくても、たとえ治療者やスタッフが替わったとしても、スムーズに存続していくことができる反面、患者さんたちが創意工夫し、自発的に作業する部分が少ない。それに対して森田先生の診療所では、指示されて行動するのではなく、周囲を「見つめ」、自ら仕事を探して行動していくことが求められていた。山野井さんが入院した時も先輩患者さんたちは仕事探しに苦労していたようである。ある先輩患者は仕事が見つからなくて古い板塀を雑巾がけして「これが機械的の仕事の標本である。こんなことをするなら、入院費を払ってここにいるより、自宅に帰る方が双方にとって好都合である」と先生から叱られた。また、ある年配患者は、婆や(古参の女中)からミソ汁に入れるニラを取って来るように頼まれて、「よしきた」と勇んで畑のニラを全部取ってしまい、「お父っつぁんも当分入院だねえ」と婆やから宣告された。山野井さんも、椅子のクギが緩んでいたのを見つけて修理して先生から「君はなかなか適切な仕事をする」と褒められたかと思うと、庭の柿の実を取るように先生から言われて熟れていない実まで全部取ってしまい先生の御不興を買った。これは先生が大事にしていた柿でようやく実が成ったのだと婆やから聞かされる。生活の中で周囲をよく観察していろいろと工夫して行動し、時には失敗して先生や奥さんや婆やから叱られながら、「物の性(しょう)を尽くす」「己の性を尽くす」「人の性を尽くす」ということを体得していったわけで、まさに治療というより再教育である。森田先生は冗談半分に「ここにおける四十日の入院による修行は禅寺における三年間の修行に相当する」と言っておられたという。

2011年4月27日 (水)

神経質礼賛 659.アルツハイマー型認知症治療薬

 このところ精神科領域の新しい薬で話題になっているのが、ヤンセンファーマ・武田薬品から発売されたレミニール、第一三共から近日発売(東日本大震災の影響で発売が遅れている)のメマリーという薬でいずれもアルツハイマー型認知症治療薬である。今までこの分野の治療薬はエーザイのアリセプトという薬しかなかった。アリセプト(塩酸ドネペジル)はアセチルコリンエステラーゼ阻害作用により脳内のアセチルコリンを増加させることで認知機能を改善する。レミニール(ガランタミン臭化水素酸塩)はその作用に加えてニコチン性アセチルコリン受容体に対する作用により脳内コリン機能を増強することでより強力な作用が期待できる。しかしながら、アリセプトでは嘔気・嘔吐の副作用が出ることがあったのが、レミニールではさらに多くなり、悪心15.5%、嘔吐が12.5%となっている。同じ承認時の総副作用発生頻度で比較するとアリセプトの10.5%に比べるとレミニールは58.2%であり、作用が強力な反面、副作用も出やすい薬ということになる。一方メマリーはNMDA受容体拮抗作用により神経細胞内への過剰なカルシウムイオン流入を抑制して神経細胞を保護するとともにシグナル伝達時のノイズを減らして学習機能障害を抑制するとのことである。承認時の副作用発現頻度は36.6%であり、その中で多いものは、めまい4.7%、便秘3.7%、体重減少2.2%となっている。メマリーは作用機序が異なるのでアリセプトあるいはレミニールと併用することができる。いずれの薬にしても、根本的な治療薬というわけではない。メーカーは認知症症状の進行を抑制すると言うが、認知症そのものは進行していくので、意地の悪い言い方をすると見かけを良くするだけであり、服薬をやめれば本来の状態になってしまう。ともあれ、上手に使えば、本来の状態よりも症状が改善することで本人も介護者(家族)も助かることになる。薬価が高いだけにムダ使いにならないように、副作用にも気をつけて、神経質に使っていく必要があるだろう。

 どんな人でも歳を取れば老化により認知機能が衰えていくのは避けられないことである。認知症治療薬の開発もよいことだが、食事や運動などの生活習慣に気をつけて少しでも脳の老化を遅らせていく工夫はさらに重要だと思う。江戸時代に貝原益軒(605話)が説いた養生訓でも腹八分目ということを言っていたが、最近では、カロリー制限により過酸化反応が抑制されて老化が抑制できるというような研究がある。やはり食べ過ぎ・飲み過ぎはよろしくない。古人の知恵の中にも老化防止の経験則がありそうだ。

2011年4月25日 (月)

神経質礼賛 658.Mサイズ

 シャツや下着を買う時には必ずサイズを見て買うことになるのだが、これが意外と難しい。上着ならば実際に試着できるけれどもシャツだとそういうわけにはいかない。買ってから、しまった、サイズが合わないぞ、ということもある。ワイシャツの場合は首周りや袖の長さが袋に記載してあるので神経質らしくチェックして買っている。カジュアルシャツだとそうはいかない。私の身長は同世代ではほぼ中くらいであり、以前はLサイズを買っていた。私の父親の世代の平均身長は私の世代よりも5cm程度低く、それがMサイズだったからである。ところが、近頃の若い人たちの平均身長はさらに高くなっていて、いつのまにか衣類のサイズもそれに合わせて変化してきたらしい。この頃はMサイズを買うことが増えてきた。

調べてみると、平成8年6月にJIS規格が改定され、成人男子の衣料サイズが変化したとのことである。「M」の中心値は身長165cm→170cm、チェスト88→92cm、ウエスト→80cmとなった。しかし、必ずしもJIS規格通りになっているわけでもなく、最近のMサイズでは身長175cmを想定している場合があるようだ。スポーチウエアにもJASPO(日本スポーツ用品工業協会)が定めた規格があって、Mサイズは成人男子で身長167-173cm、成人女子で157cm-163cmとなっていて、JIS規格に準じている。若い人の平均身長は年々高くなっているので、いずれはまた規格が改定されて、私はSサイズを買うようになるのかもしれない。

なお、どういうわけか、仕事で使う診察用白衣は昔ながらのサイズのままである。たまにMサイズを着ると窮屈であり、今でもLサイズを常用している。

2011年4月22日 (金)

神経質礼賛 657.我が身のことは人に問え

 職場に置いて使っている日めくり暦にこんなことわざが出てきた。自分のことは自分が一番よく知っていると思いがちだけれども、意外と自分では見えていない部分があるものだ。特にクセは自分では気がついていないことが多い。

 神経症の症状はどれも自分にとっては非常に苦しいが、人から見れば「何だ、そんなこと、どうってことないじゃないか」ということが多い。例えば対人恐怖の人は人前に出るのが恥ずかしいし何か話すのが恐ろしい。顔が赤くなっているのではないか、言葉につまったりどもったりしたらどうしよう、そんなことばかり気になる。会食する時には緊張して食物がノドを通らない感じがする。しかし、はたから見る分には本人が思っているほどではない。自分の方にばかり注意が向いてしまっているので、苦痛は過大評価し、できた行動は過小評価してしまうのである。そして自分ばかりが辛くて苦しいと思い込むのである。

 これは、集団療法をやってみるとよくわかる。対人恐怖の人は不安神経症(パニック障害)の人をうらやましがる。あんなに溌溂として人前で堂々と話せていいなあ、それに比べて自分は一番重症だと思い込む。逆に不安神経症の人は、自分は不安発作が起ったら死ぬ思いがする。それに比べれば人前で緊張するなんてどうってことない、自分の方がずっと重症だと思う。不眠や頭痛や胃腸障害を訴える普通神経質の人は、自分はあれこれ体の不調があるけれど他の人は大したことはない、自分が一番重症だと思う。強迫行為の人は、不潔が気になって頻繁に手を洗わなければならないし、戸締りやガスの元栓を止めたかどうかをいつも気にしてなければいけないから、自分が一番つらいと思う。しかし、集団療法を通じて「誰もがそれぞれ辛いのだ」とわかってくると差別観が平等観に変わってくる。そして辛いままに仕方なしに行動する習慣がついていけば自然と症状を忘れるようになっていくのである。入院森田療法や生活の発見会の集談会にはそうした他者を通しての自己洞察ができる仕掛けがある。入院森田療法を行っている施設は少なくなっているし誰もが入院できるわけではないので、神経症がなかなかよくならないという方は全国各地で集談会を行っている生活の発見会に入会してみるのも良いだろうと思う。

2011年4月18日 (月)

神経質礼賛 656.電池の回収

 皆さんは使えなくなった電池をどこに捨てていますか? 私が住んでいる市では乾電池は月に1回燃えないゴミとして回収することになっている。ただし燃えないゴミ収集日の1週間以上前に電話で申し込まなければならないので、つい電話し忘れてなかなか出せない。さらにボタン電池や充電池は市では回収してくれない。販売店に相談してください、ということになっていて、処分に苦労する。以前は行きつけのホームセンターに電池回収ボックスがあって、乾電池、ボタン電池、充電池に分けて入れればよかったので助かっていた。ところが最近行ってみたら、回収ボックスが撤去されていた。関係ない不燃ごみを投入する不届者が後を絶たないためだろう。幸い、店内のサービスカウンターへ持っていけば回収してくれるとわかった。たまった古い充電池とボタン電池の回収をお願いすると、にこやかに対応してくれた。

 ハイテク製品には国内では産出されないレアメタルが使われており、経済発展著しい中国はレアメタルの輸出を規制している。レアメタルに限らず種々の金属の価格は高騰している。これからは中国以外の新興国でも金属資源の需要が増えて、さらに価格が上がる方向に動いていくだろう。それを考えれば、資源の乏しいわが国としては使用済みの電池をしっかり回収して、リチウム、ニッケル、銀、マンガンといった資源を再利用していく必要があるだろう。小型軽量の電子製品にはボタン電池や充電池を使われていることが多い。行政では回収しません、と知らん顔をしていたら、普通ゴミの中に入れて廃棄されたり、不法投棄されたりしてしまい、環境汚染にもつながる。ボタン電池や充電池についても市役所や市民サービスセンターの一角に回収ボックスを設置して貴重な資源の再利用を図って欲しいものである。森田正馬先生の言われた「物の性(しょう)を尽くす」・・・物を大切に使いその物の価値を最大限発揮させる、という考え方は日本が生き残っていく上で必要不可欠だと思う。

2011年4月15日 (金)

神経質礼賛 655.標準電波

 東日本大震災の影響は思わぬところにまで出ている。電波時計を合わせるのに使われている標準電波福島送信所の停止もその一つである。

 標準電波(JJY)は、かつては東京の小金井市から短波帯の2.5MHz・5MHz10MHzなどで送信されていて、短波ラジオの調整には便利だった。特にアマチュア無線家にはおなじみだった。短波は上空の電離層で反射されて遠くまで届くメリットがある反面、海外局との混信が起きやすい。送信所近隣での電波障害の問題もあって、平成13年に小金井送信所は停止となった。それに先立つ平成11年から長波帯での標準電波の送信が始まった。長波は地上を伝播していくため、海外局との混信の問題が少ない。福島県の大鷹鳥谷山(おおたかどややま)から40kHzで、佐賀県・福岡県境の羽金山(はがねやま)から60kHzで、送信されてきた。ところが、福島送信所は福島第一原子力発電所から20km以内にあるため、避難指示により人員の撤退を余儀なくされ大震災翌日の312日より停波したままになっていて、復旧の見通しは立っていない。

 このため、九州局からは距離がある中部・関東以北では標準電波が受信できにくい状態となっている。自宅の目覚まし時計が電波の受信ができず、腕時計も日によって受信できなくなった。時々、上の階に持って行き窓際に置いておくと、九州局からの電波が受信できるようである。神経質ゆえ、置く位置や向きをいろいろ調整している。勤務先の病院で使われている掛時計も電波が受信できず、少しズレている。腕時計や目覚まし時計はそれほど精度が必要ではないので受信できなくても影響は少ないが、正確な時刻の取得を要する産業用機器には影響が出ているそうである。

 福島送信所の停止は地震や津波の直接の影響によるものではなく、原発からの放射能漏れが原因である。原子力安全保安院はこの事故を震災翌日に国際原子力事象評価尺度でレベル4と評価し、震災1週間後にレベル5とし、海外の専門家からは評価が甘過ぎると批判された。震災1カ月後にようやくチェルノブイリ事故と同様のレベル7に引き上げた。事故当初から東京電力の幹部や原子力安全保安院幹部のお役人たち(多くは文系出身者)は何の根拠もなく「心配ない」と言い続けているうちにどんどん事態は悪化したのである。この期に及んでも「チェルノブイリとは違う。放出した放射線量はチェルノブイリの1割に過ぎない」と平気で言い放っている。上に立つ人間の鈍感力は多くの人々を不幸にする。放射能汚染の影響が長年にわたって続く可能性のある原子力関係の事故に関しては、多いに神経質でなくてはいけない。

2011年4月11日 (月)

神経質礼賛 654.人を悦ばせようとすれば 即ち親切となる

 東日本大震災からちょうど1カ月が経った。まだまだ多数の行方不明者があり、ライフラインの回復にも時間がかかっているが、少しずつ復興へ向けて動き出している。全国から義援金が寄せられるとともに、津波のために壊滅的な打撃を受けて避難所で生活している方々のために多くのボランティアの人々が被災した方々の手足となって活動しているのは頼もしい限りである。

 直接的なお手伝いばかりでなく、昔懐かしい童謡・唱歌を唄ったり演奏したり、あるいは落語で楽しんでもらったり、肩をもんであげたりというようなボランティアも大いに役立っている。ただ、スポーツ選手がガンバレを連呼したり、気合を入れたり、の類は控えて欲しいものである。オリンピックやワールドカップ応援のノリではいけない。家族や住む家や財産を失い、心身ともに疲弊しきった人たちに過度の励ましは感心しない。今までがんばりにがんばって何とかここまで来ている人々には、励ましよりも、まずつらさへの共感が大切である。うつ病の人への対応に準じた方が良い。

 森田正馬先生が書かれた色紙に次のようなものがある。

人に親切と思はれようとすれば 親切の押売りになり

人を悦ばせようとすれば 即ち親切となる

 その人の境遇をよく考えた上で、役に立とうとすれば、有効な援助になる。

 全国的に、今年は花見や祭りは自粛という流れになっている。犠牲になられた方々への弔意・不便な避難生活をされている方々への配慮という意味なのだろうが、過度の自粛は経済の萎縮を招き、結果的には被災された人たちのためにならない。先週のニュースでは、岩手県の日本酒の蔵元が、花見を自粛しないで被災した地方の日本酒を飲んで下さい、というメッセージを流している、ということだった。なるほどその通りである。放射能汚染の風評被害で困っている地方の産物を買ってつまみにし、福島・宮城・岩手のお酒で一杯やり、花を愛でて私たちも元気を出そう、というのもよいだろうと思う。

2011年4月 8日 (金)

神経質礼賛 653.電子レンジ

 新年度になり、進学や就職で新たに一人暮らしを始めた方もおられるだろう。今の学生さんたちはキッチン・トイレ・バス・エアコン付のワンルームマンション暮らしが常識で、便利な電化製品に囲まれ、欲しいものはいつでもコンビニエンスストアで手に入る。私が学生時代だった頃の台所共同・トイレ共同・風呂無し4畳半一間(私の場合は3畳一間)の安アパート生活とは隔世の感がある。私は銭湯のコインランドリーは利用せず、大きな洗面器を使って手洗いしていたから、洗濯乾燥機が自室にあるなんて夢のような話である。親の立場からすれば、マンション入居時の礼金・敷金あるいは保証金やら電化製品を一通り揃える費用を用立てるのが一苦労であろう。

 電化製品の中で特に一人暮らしをラクにしてくれるのは冷凍庫と電子レンジだろうと思う。残った御飯はラップに包んで冷凍にしておけば、いつでも温めて食べられるし、作ったオカズも小分けして冷凍にしておけば、必要な時に食べることができる。ものぐさな人は冷凍食品を買ってきてチンするだけで済む。調理にかかる時間は短いし、調理器具や食器を洗う手間が少なくて済む。

 今では電子レンジを使った調理法がいろいろと紹介されている。温泉卵を作ることもできるらしい。しかし、わが家では冷凍物の解凍と牛乳や日本酒を温める位しか使っていない。先日、普通の袋入りラーメンを電子レンジで作ってみた。電子レンジ用の丼もあるのだそうだが、手軽にありあわせの丼を使ってみる。麺はそのままでは小さい丼におさまりにくいので手で4つに割って入れ、ポットの湯を入れ、まず「強」で1分回して様子をみてさらにもう1分回した。一度取り出して麺をほぐす。いい感じである。この時、丼がかなり熱くなっているので要注意である。さらにあと1分半回してからスープを入れて、と思ったら見事にふきこぼれてしまった。鍋を洗う手間が省けるという皮算用がはずれてレンジ皿を洗うハメになった。鍋にかけて作るのと違い、途中の様子がわからないので、いきなりふきこぼれる危険性が高い。神経質らしく(笑)もう少し小刻みに止めて様子を見ながら作るか、十分大きめの丼を用意するかという対策が考えられる。また工夫してみようと思う。

2011年4月 4日 (月)

神経質礼賛 652.洗濯機の排水トラブル

 いつも当直から帰った日の夜はたまった洗濯物を処理する。購入後7年ほど経つドラム式洗濯機の調子がどうも悪い。この機種は発火事故を起こして何度か無償修理になっているものだ。この日は乾燥の途中で見慣れないエラーコードが表示されて止まってしまった。排水のトラブルもしくは糸くずフィルターの目詰まりということだ。糸くずフィルターのカスを取ってもダメだったので、あきらめて室内干にして、翌日の夜、仕事から帰ってから調べてみた。

 我が家では、家を建てる時に、妻が風呂場横の洗面所に洗濯機を置きたくないと主張したため、台所の横の1畳サイズのスペースに洗濯機置場と手洗い洗濯用のシンクがある。ロールスクリーンを下ろせば隠すこともできる。家事をこなすのには動線が短くて大変便利なのだけれど、狭いので洗濯機の移動には非常に苦労する。排水パイプをはずしてみてビックリ。テッシュペーパーのカスや綿埃や糸くずがヘドロ状に詰まっている。合成樹脂性の軽いはずのパイプがずっしり重い。心筋梗塞を起こした冠状動脈さながらである。子供がポケットにティッシュペ-パーを入れたままにしたものを洗濯してしまうトラブルが頻繁にあったのが最大の原因だろう。これでは洗濯機が止まるのもムリはない。やっとのことでパイプをきれいにしてまた洗濯機を動かしてみると今度は防水パンに排水がたまりあふれ出した。防水パンの排水口にもヘドロ状の物質が詰まっていたのだ。動脈硬化が全身に及んだのと同様である。洗濯機を完全に移動させ、悪臭に悩まされながら悪戦苦闘、どうにかきれいにすることができた。

 やはり数年に一度は排水パイプをはずしてきれいにし、防水パンの排水口の中も掃除する必要がある。そして普段から洗濯する前にポケットにテッシュペーパーが入っていないか神経質に調べてから洗濯機を回した方が良さそうである。

2011年4月 1日 (金)

神経質礼賛 651.嘘

 今日4月1日は御存知エイプリールフール(April Fool`s Day:四月馬鹿)の日である。その起源については諸説があるが、決定的なものはない。いつも4月1日になると、海外のメディアが嘘のニュースを流して話題になる。これが大騒ぎの原因になることもある。どうせなら、夢のある嘘ニュースを流してもらいたいものである。

 日本には「鷽(うそ)」という名の鳥がいて130円切手の図柄になっている(お暇な方はJPのホームページで「普通切手一覧」を御覧下さい。実物を見たことのない3円切手・ほととぎす、とか1000円切手・松鷹図、とかもあって面白い)。鷽と嘘が同音であることから、各地の天満宮では「うそ替え」の神事が1月に行われる。中には4月に行う天満宮もあるという。前年にあった災厄を嘘にして今年は吉にしようと祈るものである。同じ嘘にまつわる行事でも、こちらはエイプリールフールと違って人に迷惑がかかる心配はないし、災い転じて福としよう、という東洋的発想がなかなかいい。

 神経質人間とりわけ強迫的な人は嘘が嫌い、というよりも実は、人から嘘つきと思われることを極度に恐れる。それはそれで良いことではあるのだが、間違いがあってはいけないと過度に確認して身動きできなくなってしまう人がいる。こういう人が外来診察に来ると症状を事細かに書いた数ページにわたるメモを取り出し、長々と読み上げていくことになる。少々良くなっても、良くなった点には注意がいかず、新たな「症状」を見つけ出してくるので、メモが減ることはない。嘘を言ってはいけない、落ちがあってはいけない、もし言うことが不十分だと誤った診察をされてしまうかもしれない、ということなのだろうが、そのためのメモを作る時間や労力があるのなら自分の家の中を見渡せばいくらでもやるべき仕事はみつかるはずである。そして「症状」はあっても、次々と仕事をみつけて行動していくようになれば、気がついたら「症状」は消えていた、というような治り方をするのである。

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