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2011年4月11日 (月)

神経質礼賛 654.人を悦ばせようとすれば 即ち親切となる

 東日本大震災からちょうど1カ月が経った。まだまだ多数の行方不明者があり、ライフラインの回復にも時間がかかっているが、少しずつ復興へ向けて動き出している。全国から義援金が寄せられるとともに、津波のために壊滅的な打撃を受けて避難所で生活している方々のために多くのボランティアの人々が被災した方々の手足となって活動しているのは頼もしい限りである。

 直接的なお手伝いばかりでなく、昔懐かしい童謡・唱歌を唄ったり演奏したり、あるいは落語で楽しんでもらったり、肩をもんであげたりというようなボランティアも大いに役立っている。ただ、スポーツ選手がガンバレを連呼したり、気合を入れたり、の類は控えて欲しいものである。オリンピックやワールドカップ応援のノリではいけない。家族や住む家や財産を失い、心身ともに疲弊しきった人たちに過度の励ましは感心しない。今までがんばりにがんばって何とかここまで来ている人々には、励ましよりも、まずつらさへの共感が大切である。うつ病の人への対応に準じた方が良い。

 森田正馬先生が書かれた色紙に次のようなものがある。

人に親切と思はれようとすれば 親切の押売りになり

人を悦ばせようとすれば 即ち親切となる

 その人の境遇をよく考えた上で、役に立とうとすれば、有効な援助になる。

 全国的に、今年は花見や祭りは自粛という流れになっている。犠牲になられた方々への弔意・不便な避難生活をされている方々への配慮という意味なのだろうが、過度の自粛は経済の萎縮を招き、結果的には被災された人たちのためにならない。先週のニュースでは、岩手県の日本酒の蔵元が、花見を自粛しないで被災した地方の日本酒を飲んで下さい、というメッセージを流している、ということだった。なるほどその通りである。放射能汚染の風評被害で困っている地方の産物を買ってつまみにし、福島・宮城・岩手のお酒で一杯やり、花を愛でて私たちも元気を出そう、というのもよいだろうと思う。

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コメント

先生のおっしゃる通り、まず被災を免れた私たちがなるべく平常心で過ごすべきですね。

とは言うものの、先ほどの大きな余震で、都内の職場も揺れ、震えが止まらなくなりました。

電車も動いていたので、いつも通り、帰りつくことができましたが、恐ろしくてなりません。

生への執着は当たり前で恐ろしく思うのは特別なことではないとわかっていますが、娘と離れての都内への通勤、恐ろしいです。

アドバイスを頂けたら嬉しいです。

先生のブログを駆け込み寺のようにしてしまい申し訳ないです。

アッシュ様

 震災から1ヶ月になるのに今日の大きな余震には驚きましたね。娘さんのことが御心配でパニックになりながら帰宅された御様子がよくわかりますが、この時の心情がまさに「純な心」だと思います。そして怖いまま帰宅できたという「事実」にも目を向けていただきたいと思います。不安なまま仕方なしに行動したという今日のアッシュ様はまさに「あるがまま」なのです。すばらしいことだと思います。
 地震が怖くないようにしたい、というのは不可能です。私も地震はとっても怖い。誰もが怖いのです。アッシュ様だけではありません。それを怖くないようにしよう、平常心でいよう、というのは森田先生が言われた「かくあるべしといふ、虚偽たり」なのです。ビクビクハラハラしながら行動しているのが森田先生の言われる「平常心是道」です(禅の専門家は別のことを言うでしょうが)。
 仮に娘さんと同じ街で勤務されていたとしても、災害時にすぐに駆けつけられるとは限りません。今の境遇の中で全力を尽くす、それでよいのではないでしょうか。

「かくあるべしという、虚偽なり」。

勇気を頂きました。

いつも頑張りが足りないと感じ、仕事をしながら夜間大学に通ったり、母親となっても仕事を続けたりと、頑張らないといけないと強く感じ続けてきました。

今回の震災で、生きるありがたさ、自分の気持ちを否定しないで生きていくことを本当の意味で学べたらと思います。

パニック障害を森田先生の考え方で良くなってきたと思っていましたが、上っ面しか理解していなかったのかもしれません。

怖いなりに、できることをする勇気をまた頂きました。

先生、ありがとうございました。

アッシュ様

 これではまだまだダメだもっと頑張らなくては、と一生懸命に行動して来られたのは、まさに「よりよく生きたい」という「生の欲望」に沿って神経質を生かして来られたのだと思います。私も同じ気持ちでガムシャラに頑張っていたことがあるので、とてもよくわかります。ただ、「生の欲望」と「死の恐怖」は表裏一体のものです。生の欲望が強いということは死の恐怖も強く出やすいのです。御自分の心身の変化に注意が向きすぎると、「症状」という形であらわれてきます。ですから症状をなくすことよりも、恐怖は仕方ないものとして生の欲望に沿って行動していくのが森田先生の考え方の根幹であります。
 なかなか完全にということはできません。何もかもパーフェクトにできる人はほとどいません。今のままで十分なのではないでしょうか。自分の気持ちを否定しない・・・それもあるがままであります。
 あまりがんばり過ぎるのも疲れますから、適度に休符を入れるのもよろしいかとも思います。

私もツイッターを介して造り酒屋の方が「ぜひ花見をして下さい、そして日本酒を飲んで下さい」という動画を見ました。

被災地外の人の募金活動などを見ていると、皆何かしなくてはと思っているのは確実だと思いました。
しかし、冷静な被災地の人に比べ、いまいちどうして良いかわからず過剰自粛や買占めに走っているようにも見えます。

被災地の人が冷静な様子からは、森田療法が言う「とにかく今やるべき事をやる」という姿勢を感じます。

schin様

 コメントいただきありがとうございます。
 おっしゃるように、被災地の方々が「今やるべき事をやる」のに比べると、直接被害を受けなかった人たちが過剰自粛や買占めに走っている、ということはありそうですね。
 昨日、買物に行ったら、ボックステッシュが一つもありませんでした。単一電池は韓国直輸入のものが高値で売られていました。まだ不安心理からパニック買いに走る人たちがいるのでしょう。
 日本酒の売り場に福島県のお酒が5銘柄あったので、「あだたら吟醸 奥の松」というのを買って来ました。順次買ってささやかな福島応援にしようかと思っています。

今回も実際に生かしやすいお言葉を教えて下さり有難うございます。
「人に親切と思はれようとすれば親切の押売りになり」
  ↑
これやってました。こんなに親切にしてるのに喜ばれないし、
好かれないなあ、と不思議でした(笑)
 
「人を悦ばせようとすれば即ち親切となる」
  ↑
押し付けの「親切ごかし」ではなく、真に相手の身になって、
窮屈とか、堅苦しいと思われないように、小心翼翼でうまくやります、うひひ。

たらふく様

 コメントいただきありがとうございます。

 私も過去を振り返ってみれば、親切の押売りだったと反省する行動があります。ともすれば自己中心になりがちな神経質人間に対する注意の言葉だと思います。
 やはり、人を悦ばせたい、という純な心が大切なのだと思います。そして、それは「ものそのものになる」でもあります。

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