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2011年4月22日 (金)

神経質礼賛 657.我が身のことは人に問え

 職場に置いて使っている日めくり暦にこんなことわざが出てきた。自分のことは自分が一番よく知っていると思いがちだけれども、意外と自分では見えていない部分があるものだ。特にクセは自分では気がついていないことが多い。

 神経症の症状はどれも自分にとっては非常に苦しいが、人から見れば「何だ、そんなこと、どうってことないじゃないか」ということが多い。例えば対人恐怖の人は人前に出るのが恥ずかしいし何か話すのが恐ろしい。顔が赤くなっているのではないか、言葉につまったりどもったりしたらどうしよう、そんなことばかり気になる。会食する時には緊張して食物がノドを通らない感じがする。しかし、はたから見る分には本人が思っているほどではない。自分の方にばかり注意が向いてしまっているので、苦痛は過大評価し、できた行動は過小評価してしまうのである。そして自分ばかりが辛くて苦しいと思い込むのである。

 これは、集団療法をやってみるとよくわかる。対人恐怖の人は不安神経症(パニック障害)の人をうらやましがる。あんなに溌溂として人前で堂々と話せていいなあ、それに比べて自分は一番重症だと思い込む。逆に不安神経症の人は、自分は不安発作が起ったら死ぬ思いがする。それに比べれば人前で緊張するなんてどうってことない、自分の方がずっと重症だと思う。不眠や頭痛や胃腸障害を訴える普通神経質の人は、自分はあれこれ体の不調があるけれど他の人は大したことはない、自分が一番重症だと思う。強迫行為の人は、不潔が気になって頻繁に手を洗わなければならないし、戸締りやガスの元栓を止めたかどうかをいつも気にしてなければいけないから、自分が一番つらいと思う。しかし、集団療法を通じて「誰もがそれぞれ辛いのだ」とわかってくると差別観が平等観に変わってくる。そして辛いままに仕方なしに行動する習慣がついていけば自然と症状を忘れるようになっていくのである。入院森田療法や生活の発見会の集談会にはそうした他者を通しての自己洞察ができる仕掛けがある。入院森田療法を行っている施設は少なくなっているし誰もが入院できるわけではないので、神経症がなかなかよくならないという方は全国各地で集談会を行っている生活の発見会に入会してみるのも良いだろうと思う。

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コメント

先生のおっしゃる通り、私もパニック障害が強くでているときは、自分が一番つらいと思っていました。今まで、恥ずかしくないくらい頑張ってきたのに、自分に負けたようで絶望感。自分に負けていては娘の母親として役目がはたせない。予期不安が強く、家にいるとき以外は恐ろしくてなりませんでした。

早い時期に森田療法の書籍に出会え良かったです。

震災以来、地震不安でまたおかしくなりそうでしたが、四分休符先生のブログに励まされ、頑張っています。

帰宅難民マップ、運動靴、防災頭巾、ラジオ、懐中電灯を職場に備え、神経質をフルに発揮して(笑)通勤しています。
動悸や目眩が強くなりそうなこともしばしばですが、倒れるまではやることをやると思って行動しています。
すると不思議と、無事に家に帰りつき娘と旦那と1日を終えることができて、川の字で寝ていたりします。

少し辛いけど、全体でみると幸せ、というのが本当の幸せなのかなと思っています。

南関東地震の警戒情報もあり恐ろしいですが、自分の寿命まで、なんとなく幸せ精神で過ごしたいと思います。

アッシュ様

 コメントいただきありがとうございます。

 体調や気力がいつもパーフェクトというわけにはいきませんね。まして、外からのストレスがいろいろ加わります。思いがけない出来事も起こります。そんな中で、不完全ながらもできる事を積み重ねていく、それで十分だと思います。アッシュ様の場合、100点満点の120点ですよ(笑)。もう少し手を抜いてもよろしいのでは(笑)。

 子供が小さい時に家族並んで寝る、というのは実に幸せなことです。仕事や家事で忙しいけれども、充実した生活を送っておられて、まさに「日々是好日」そのものだと思います。

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