神経質礼賛 670.草土記
終戦後にベストセラーとなった『草土記』(白揚社)という本がある。著者は共同通信社の論説委員を務めた腕利きジャーナリスト水谷啓二さん、と言えば、森田療法を知っている方は、自助グループ「生活の発見会」の創始者・水谷さんだとピンとくるだろう。内容は、額縁画材料商・河原宗次郎さんの自伝である。河原さんは小学生の時から母親に行商をさせられ、高等小学校卒業と同時に商人への道を歩んでいく。何度も商売に失敗したり人に騙されたりして、無一文になったり多額の借金を背負い込んだりするが、七転び八起きで再び立ち上がり、ついには神田小川町に額縁製造・美術品販売の店「草土舎」を出すに至る。社名の由来は、ありふれた小商人として世間の下積みとなって雑草のように生きてゆこう、ということだそうだ。しかし、この本は水谷さんが言っているようにいわゆる単なる立志伝ではない。
河原さんには何度か大きな心の危機が訪れた。若い頃は仏教でそれを乗り越えようとして仏教救世軍に参加した。事業が順調に歩み始めた矢先、一緒にやってきた義弟が職人とともに独立して大阪に店を持つことになったのをきっかけに、強迫観念にさいなまれ、うつ状態に陥り、仏教の教えでは乗り切れなかった。倉田百三の本から森田正馬先生を知り、「自覚療法ともいうべき不思議な療法」つまり入院森田療法を受けて、見違えるように回復したのである。その後、戦時中・戦後の多くの苦難を何とか乗り切り、草土舎は再び活気を取り戻す。しかし、再び河原さんは強迫観念にさいなまれるようになり、森田先生の弟子だった古閑義之先生(本の中では「古賀」と表記されている)の自宅を訪ねるのが、この本の最後の場面である。
河原さんは古閑先生に「自分の未熟な点を遠慮なく批評していただきたい」とお願いする。古閑先生は、発揚の後には沈鬱、緊張のあとには弛緩、という精神活動のリズムを知っていて、自分の心のなりゆきに一つの達観を持っているのはえらいが、それだけでは足りない、という。「河原さん、私はこのごろ、つくづく、自分が欲のふかい人間に生まれついている、と思うのですが、あなたはそういうことを思いませんか?」という言葉に「むろん、私も欲のふかい人間です。欲の皮の張った商人です」と答えると、古閑先生から「その通り!それが自覚です」と言われ、河原さんはハッと悟る。自分は生の欲望が強い人間であり、それゆえ死の恐怖にもおびえるのだ、と洞察したのだろう。帰りの電車の中での「人生の努力はすべて賽の河原で石ころを積み上げるようなものかも知れない。それでも、自分の好きな石を拾って、一つ一つ積み上げてゆくことの中に生甲斐もあれば、救いもあるのだ。こわされたら、また始めから詰み直すだけだ」という語りには強い共感を覚える。
私自身、若い頃は、対人恐怖や強迫観念に悩み、ある時にはうつ状態に陥って3ヶ月間で12kg体重が減少した経験がある。自分は欲が深いという自覚はなく、目的に向かって驀進する人たちを見るとただただ羨ましく、自分は覇気がないダメ人間だ、人生の落伍者だと思い込んでいた。けれども、それは「生の欲望」の裏返し・神経質のヒネクレだったのだ。今にして思えば、本当はとても欲が深い人間なのだと思う。自覚するのが遅すぎたけれど、非力ながら「生の欲望」に沿って努力を積み重ねていこうという心がけになっているのは、少しは進歩したということなのだろう。
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