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2011年5月30日 (月)

神経質礼賛 670.草土記

 終戦後にベストセラーとなった『草土記』(白揚社)という本がある。著者は共同通信社の論説委員を務めた腕利きジャーナリスト水谷啓二さん、と言えば、森田療法を知っている方は、自助グループ「生活の発見会」の創始者・水谷さんだとピンとくるだろう。内容は、額縁画材料商・河原宗次郎さんの自伝である。河原さんは小学生の時から母親に行商をさせられ、高等小学校卒業と同時に商人への道を歩んでいく。何度も商売に失敗したり人に騙されたりして、無一文になったり多額の借金を背負い込んだりするが、七転び八起きで再び立ち上がり、ついには神田小川町に額縁製造・美術品販売の店「草土舎」を出すに至る。社名の由来は、ありふれた小商人として世間の下積みとなって雑草のように生きてゆこう、ということだそうだ。しかし、この本は水谷さんが言っているようにいわゆる単なる立志伝ではない。

河原さんには何度か大きな心の危機が訪れた。若い頃は仏教でそれを乗り越えようとして仏教救世軍に参加した。事業が順調に歩み始めた矢先、一緒にやってきた義弟が職人とともに独立して大阪に店を持つことになったのをきっかけに、強迫観念にさいなまれ、うつ状態に陥り、仏教の教えでは乗り切れなかった。倉田百三の本から森田正馬先生を知り、「自覚療法ともいうべき不思議な療法」つまり入院森田療法を受けて、見違えるように回復したのである。その後、戦時中・戦後の多くの苦難を何とか乗り切り、草土舎は再び活気を取り戻す。しかし、再び河原さんは強迫観念にさいなまれるようになり、森田先生の弟子だった古閑義之先生(本の中では「古賀」と表記されている)の自宅を訪ねるのが、この本の最後の場面である。

 河原さんは古閑先生に「自分の未熟な点を遠慮なく批評していただきたい」とお願いする。古閑先生は、発揚の後には沈鬱、緊張のあとには弛緩、という精神活動のリズムを知っていて、自分の心のなりゆきに一つの達観を持っているのはえらいが、それだけでは足りない、という。「河原さん、私はこのごろ、つくづく、自分が欲のふかい人間に生まれついている、と思うのですが、あなたはそういうことを思いませんか?」という言葉に「むろん、私も欲のふかい人間です。欲の皮の張った商人です」と答えると、古閑先生から「その通り!それが自覚です」と言われ、河原さんはハッと悟る。自分は生の欲望が強い人間であり、それゆえ死の恐怖にもおびえるのだ、と洞察したのだろう。帰りの電車の中での「人生の努力はすべて賽の河原で石ころを積み上げるようなものかも知れない。それでも、自分の好きな石を拾って、一つ一つ積み上げてゆくことの中に生甲斐もあれば、救いもあるのだ。こわされたら、また始めから詰み直すだけだ」という語りには強い共感を覚える。

 私自身、若い頃は、対人恐怖や強迫観念に悩み、ある時にはうつ状態に陥って3ヶ月間で12kg体重が減少した経験がある。自分は欲が深いという自覚はなく、目的に向かって驀進する人たちを見るとただただ羨ましく、自分は覇気がないダメ人間だ、人生の落伍者だと思い込んでいた。けれども、それは「生の欲望」の裏返し・神経質のヒネクレだったのだ。今にして思えば、本当はとても欲が深い人間なのだと思う。自覚するのが遅すぎたけれど、非力ながら「生の欲望」に沿って努力を積み重ねていこうという心がけになっているのは、少しは進歩したということなのだろう。

2011年5月27日 (金)

神経質礼賛 669.紹介状

 毎年4月から5月にかけては転居のため紹介状(診療情報提供書)を持って受診する人が増える。転医する場合、前の医療機関で紹介状を書いてもらい、新しい医療機関の初診時に提出するのが普通である。転居しなくても、評判を聞いてあえて遠方の医療機関に転医することもあれば、逆に通院が大変だからと近くの医療機関に転医する人もいる。医師との相性が悪いから転医するということもたまにある。前の医療機関で転医することを言いにくくて紹介状なしで次の医療機関にかかるのは適切な医療を受ける上で好ましくない。

 精神疾患は、経過が長いことが多いし、数値化しにくい情報が多いので、紹介状の良し悪しに差が出やすいように思う。後日、自立支援医療(通院公費負担)の診断書や障害年金の診断書などを書くことはよくあるし、症状が悪化して入院する際に都道府県に提出する医療保護入院届を書かなくてはならないこともある。そうなると最初に受診した医療機関の名前と日付、紹介元の医療機関の初診日、入院歴の有無、ある場合はその期間と入院形態、といった情報はとても重要である。それらが書いてない、すなわち神経質が足りない紹介状も時々見かける。また、診断名や処方内容が理解に苦しむ紹介状を見ることもある。どんな紹介状でも最低限、現在の処方は書いてあるけれども、それまでの経過も欲しいところだ。ある薬剤で副作用が出たとか症状がかえって悪化したというような情報がないと、次の医療機関で知らずにその薬を処方してしまうこともあり得る。

 私は患者さんが転医予定と知ると、あらかじめワープロで紹介状を作っておき、最後の受診の時に日付だけ入れて渡せるように準備しておく。入院したことのある患者さんの場合は自分で作成した詳しいサマリーがあるので、それも添付する。そうは言っても、急に転医するから紹介状を書いてください、と言われると、汚い字であわてて書くことになるが、要点だけは落とさないように神経質に書いている。

 紹介状を書いてもらう患者さんの側も、最終受診時に書いてもらうのではなく、その前の時にあらかじめ医師に伝えておくと、待ち時間が少なくて済むし、より有用な紹介状を書いてもらいやすくなるので、ぜひそうすることをお勧めしたい。

2011年5月23日 (月)

神経質礼賛 668.中味だけの販売

 一昨日の土曜日は午前の仕事を終えてから精神神経学会総会に行った。精神科専門医更新に必要なポイントを少しでも稼ぐためである。品川駅で山手線に乗りかえると車内の照明は消えている。日が差し込まない浜松町駅に停車した時にはかなり暗く感じる。乗客の中には高齢者や目が不自由な人もいる。節電は結構だが、乗り降りの際には危険が伴うのでその時だけは点灯させる神経質があってもよかろうに、と思う。新橋駅ゆりかもめ乗場のエスカレーターは止まっている。自動券売機にお金を入れようとして見ると休止中である。節電のために稼動しているのは2、3台だけのようだ。朝夕の混雑時には稼動させるのだろう。節約も臨機応変が大切で、事故や混乱をきたさないようにする必要がある。

 帰りには新橋駅でJRには乗らず、銀座通りを歩く。放射能騒動のためか、以前には目に付いていた中国人・韓国人たちの姿は見当たらない。時間があればヤマハで楽譜をあさりたいところだが、帰りの列車が気になるので鳩居堂だけにする。店内はいつも賑わっている。1Fが絵葉書、便箋、扇子、万年筆などの売場で、2Fが書道用品とお香の売場になっている。この店で「宮城野」という銘柄の線香を買うのが長年の習慣である。「お熨斗はどうしますか?」と店員さんが聞く。「家で使いますからそのままで結構です」と言うと、「中味だけもできますよ」と。初めて聞く言葉である。300円安くなるという。今回はその中味だけにしてみた。立派な木箱も使い終わればゴミになってしまうだけでもったいない。入れ替えて使い続けられればそれにこしたことはない。線香が折れないようにボール紙を台紙にしてプチプチのクッション材で包装してくれた。大きな青い紙袋はお断りしてそのままショルダーバックに入れる。こういう中味だけの販売が選択できることはいいことだ。

2011年5月20日 (金)

神経質礼賛 667.音波振動歯ブラシ

 パナソニックのポケットドルツという名前の音波振動歯ブラシがよく売れているらしい。小型であり、女性が小さなバッグに入れて持ち運びに便利なサイズである。ホームセンターでも売っているが、さらに価格が半分以下の中国製の音波振動歯ブラシがあった。商品名がHilipsとなっていて、いかにもアヤシイ。電気カミソリが有名で電動歯ブラシも作っている世界的電器メーカーPhilipsからPを取ったネーミングである。ヒリップスと読ませるのか、ハイリップスと読ませるのか。販売しているのはオーム電機というテーブルタップなどの小物電器製品でよく見かけるメーカーなので、それほど悪いものでもなかろう、と一応信用して試しに買ってみた。

 アルカリ単4電池1本で駆動する。電池寿命は1回2分、1日2回使用で40日なのだそうだが、1回2分という計算は甘い。3分で計算してほしい。神経質人間としては気になるところである。

 スイッチを入れるとブーンと軽い音がして歯ブラシが振動しているのを感じる。歯にあてて普通よりゆっくり動かしてみる。使った印象は、歯の表面は少しツルツルになったかなあとも思うが、今までより特別きれいになったという実感はない。気休めプラスアルファ程度の効果かなと思う。

 20年ほど前、電子歯ブラシと称するものを使ってみた時期がある。ブラシの柄の中にボタン電池が内蔵されていて、帯電したプラークがよく取れるというような説明が書いてあった。ブラシ先端部は交換できるようになっていた。本体の電池は交換ができないので無理やりこじ開けて電池交換して使っていた。本体が傷んで2回くらい買い換えただろうか。そのうち市場から姿を消した。やはり効果がなかったということなのだろう。

 この音波振動歯ブラシも効果が実証されなければ姿を消していく運命となる。とりあえず当分は使ってみるとしよう。

2011年5月16日 (月)

神経質礼賛 666.生肉による食中毒

 「焼肉酒家えびす」チェーンでユッケ(生牛肉)などを食べた客が病原性大腸菌O111による食中毒を起こし、4人が死亡した事件が話題になっている。安さをウリに急成長したチェーン店であるが、衛生面がずさんだったことが明らかになった。通常、生肉を出す場合、汚染されやすい表面をそぎ落とすトリミングという処理を行うのだそうだ。このチェーンではそれを怠ってそのまま使っていた。アルコール消毒したという説明もしているけれども表面にアルコールをかけた程度では殺菌できない。ちなみに飲兵衛の中には酒で胃の中を殺菌するから平気だと思い込んでいるオメデタイ人もいるが、もちろん迷信である。チェーン側では卸売業者がそのまま生食できると言ったからと言い、卸売業者はそうは言ってないと互いに責任をなすりつけあっている。

 この事件の報道で初めて知ったのだが、日本国内でそもそも生食用の牛肉というものは存在しないのだそうである。馬肉に関しては厳しい基準を満たしたものが生食用として流通しているが、牛肉でそれと同じことをやったら膨大なコストがかかってできないのだという。この事件以来、焼肉店ではユッケをメニューからはずし、スーパーでは牛肉のたたきの販売をやめるところが出ている。

 やはり生肉による食中毒は恐ろしい。ただでさえ腹が弱い私の場合、極力生肉は食べないことにしている。レバ刺しが目玉商品の居酒屋でもパスである。会社員時代、上司が鶏肉のコース料理をおごってくれた時には断りにくくて、鶏刺しを仕方なしに食べた。沖縄の病院に勤務していた時は、先輩医師に誘われて山羊料理の店で、山羊刺し、山羊睾丸の刺身をこれまた仕方なしに食べたが、小心者ゆえ、それから数日間は食中毒になるのではないかと戦々恐々だった。

 多分大丈夫だろう、と生食用でない肉を出していたら、いつかは食中毒事件を起こす。調理器具の衛生管理や調理法にも十分な注意が必要だ。神経質が足りないと客には迷惑をかけるし店も信用をなくして大損をする。店側も客側も肉の生食に関しては大いに神経質になった方がよい。

2011年5月13日 (金)

神経質礼賛 665.エビデンスと現実直視

 毎日新聞日曜版に連載されていた心療内科医・海原純子さんのコラム「心のサプリ」は好評のうちに終了となったが、このところ4回限定で「大震災によせて」という特別編が掲載されている。5月1日付の記事では震災を通して現代日本社会の問題点について論じられていた。

 問題点の第一はエビデンス(証拠)の欠如である。それゆえに感情的対応をしてしまい風評被害が起る。政府要人が風評被害の産物を食べて見せるパフォーマンスだけでは信用されない。きちんとデータを示して安全性を証明する必要がある。第二は現実を直視しない(できないようにする)、例えば「人々がパニックにならないように」という名目で事実を隠す点である。医療でもかつては悪性疾患であることを本人に告げずに治療をしていたが現在は本人にきちんと告知するようになっているのに比べると、政治の対応は遅れていると海原さんは指摘し、国民が現実を直視できるようにすべきだと論じている。私も全くその通りだと思う。この二つの問題点に関しては愚民に甘んじている私たち自身にも責任があるだろう。

 エビデンスと現実直視ということは、神経症への対応でも重要かもしれない。「自分はダメだ」と感情的に決めつけてできることを先送りする。これではよくならない。脳や内臓や筋骨格系に器質的異常があるわけではない。検査で病気であるというエビデンスがないのであれば、いつまでも病気探しをしていないで健康人らしく行動していくことが大切である。そして、社会生活でも家庭生活でも嫌なことはいくらでも起る。つらい現実を直視せず逃げようとしていてはますます嫌になるだけである。森田正馬先生が言われるように、嫌なことを嫌でないようにしようと「はからう」のが神経質のいけないところである。嫌なことは嫌なままで仕方なしに片付けていく、それが「あるがまま」であり、嫌々ながらも行動しているのが実は「日々是好日」なのである。

2011年5月 9日 (月)

神経質礼賛 664.鬱は伝染する

 長く通院している患者さんたちで、春先に調子を崩す人は多い。人間も動物の一種で、冬眠はしないものの冬モードからの切換えの際に心身の変化をきたしやすいのだろうと思ったりもする。また、3月・4月は年度の切換え時でもあり、進学・就職・転勤・転居といった生活上の変化が起きやすい時である。本人の異動はなくても職場で周囲の人が入れ替わるとガラッと雰囲気が変わることもある。社会環境上の変化は気候の変化よりもさらに大きな影響を及ぼす。特に気分障害(うつ病・躁うつ病)の患者さんはそうした影響を受けやすい。

 それに加えて、今年の春は東日本大震災があった。親類・友人が被災したという患者さんの調子が悪くなるのは当然だとしても、そうではない患者さんも長時間報道番組を見続けているうちに抑うつ気分が強くなってしまったり、不眠が悪化したりする傾向がみられた。神経症の人で、地震や津波が心配で、携帯電話の地震警報をセットしたら、夜中もしょっちゅう警報が鳴って、眠れなくなってしまった、と訴える人もいる。

 報道番組で家族を失った人たちの悲しみを見て何とも思わないのはよほど鈍感力の強い人くらいだろう。被災した方々を気の毒に思い、自分が同じ立場だったらどうだろうかと考えるのが普通の人である。毎日報道番組を見続けているうちに少しずつ抑うつ気分に傾いていってもおかしくはない。『鬱るんです』なんていう題名の本が出ているけれども、実際のところ鬱は伝染する。うつ病の周囲の人もうつ状態に陥りやすい。続けて震災関連番組を見ているうちに調子が悪くなるのは、被災者の人々への心理的同一化が起きるためではないかと思う。

被災した方々を思いやることは非常に重要ではあるけれども、たまたま今回被災しなかった私たちが元気であることが、最大の支援になりうる。生かされていることに感謝しながら、働き、時には遊び、たまには旅行もし、与えられた一日を有意義に過ごしていくように努めていくことが大切なのではないだろうか。それとともに神経質を生かして、来るべき大災害に備えていくことである。

2011年5月 6日 (金)

神経質礼賛 663.再セットアップ

 勤務先で個人用に使っているノートパソコンの動きが悪い。買って5年になるXP機である。立ち上げに長時間かかるし、ソフトが動き出すにも時間がかかる。ビジー状態が異常に長い。そろそろ大掃除しなくてはいけない。自宅に持ち帰り、再セットアップを行った。

 棚の上で埃をかぶっているパソコンの箱を引っ張り出し、マニュアルを読む。おっと、作業の前にはデータの移動を忘れてはいけない。大容量の外付ハードディスクに一時お引越しである。積み残しがないよう、神経質にチェックする。いつも再セットアップすると、ユーザ辞書も消えてしまい、「やまいだれ」系の難しい漢字が多い医学用語(特に皮膚科疾患名は難しい)や森田療法関係用語の変換に苦労することになる。今回はユーザ辞書のバックアップ・復元の方法を調べておき、バックアップした。それから延々と長時間の再セットアップ作業が始まる。時間がもったいないので、その間、別のことをやって過ごす。仮住まいのデータを元に戻して、さあこれで大掃除は終わり、というわけにはいかない。購入時についてきた付属ソフトのいらないものを削り、普段使うアプリケーションソフトをひたすらインストールすることになる。そして各種設定もしなおしである。なんだかんだで結局1日仕事である。試しにWORDで「もりたまさたけ」と入力すると「森田正馬」に変換されるし、「がじょく」→「臥褥」もOKで、一安心である。パソコンの動きもよくなったように感じられる。

 パソコンの場合は再セットアップでソフトを買った時の状態に戻すことができるのだが、人間の場合はそうはいかない。過去の履歴をすべて引きずって生きていかなければならない。特に神経質人間は過去の失敗に強くこだわり、ああしておけば良かったのに、こうしていればこんなことにならなかったのに、とクヨクヨ考えがちである。しかし、過去はどうにもならないのだから、今できることを積み重ねていくしかないのだ。森田正馬先生の色紙に「失敗は改良の喜びなり」とある。神経質性格の偉大な先人たち・・・徳川家康(209話)・乃木希典(382)・松下幸之助(211)のように失敗を良薬とすれば神経質性格が生かせるのである。

2011年5月 2日 (月)

神経質礼賛 662.一歩あゆめば一歩前進する

 前出の山野井房一郎さんは、常に「一歩あゆめば一歩前進する」ということを口癖のように言っていたとのことである。神経質人間はいろいろと考えて計画を立てるのは得意なのであるけれど、それを実行に移すのが苦手である。最初の一歩がなかなか出ないまま、計画倒れということにもなりかねない。考えてばかりいたのでは一歩たりとも前進しないが、とりあえず一歩でもあゆめばそれだけ前進する、千里の道も一歩から、ということである。

神経質人間の場合は最初の一歩が踏み出せればそれが二歩になり三歩になり、長続きする。森田正馬先生が「神経質は重い車」と喩えたように、最初に動き出すまでが大変でも、一旦動き出してしまえば今度は簡単には止まらず動き続けるのである。

 私もこんな駄文を毎月10話ずつ書き続けているが、当初は1年続ける自信はなかった。自分の恥をさらすことも書くことになるので、始める時にはどうしようかと躊躇もした。しかし、いつしか5年を過ぎ、不思議と続いている。一旦動き出すと止まらない神経質そのものである。書きたいことがあれもこれも出てくる時もあれば、全くネタが浮かばない時もある。しかし、そんな時にも周囲を「見つめる」うちに何かしら出てくるものである。森田正馬先生が「見つめよ」と繰り返し言われていたことが体験的に理解できるようになったこの頃である。

2011年5月 1日 (日)

神経質礼賛 661.神経質でよかった(2)

 第二部の「私の生き方」は、山野井さんの仕事や家庭での日常生活で起ったできごとについて神経質目線(?)で書かれている。当ブログの大々先輩といった感じである。面白いところを拾ってみると、「感情の処理法」という項があって、森田先生の「感情の法則」を山野井さんなりに噛み砕いて説明しているのだが、さらに、いろいろの場合(できごと)-感情-行動-その理由、という表がある。まだ認知療法が世に出る前に、同じようなアイディアを考え出して使っておられたのには感服する。例えば、出勤時に靴が磨いてない(当時は妻が夫の靴を磨いておくのが常識だった)-気がきかない奴だ-笑って「いいよ、ただほこりを払ってくれさえすれば」という-うっかりしかると、ふくれられて損をするから という具合である。妻を怒らせると大損をするのはいつの時代も同じである(苦笑)

山野井さんは能率的生活6か条を提唱された。

(1)やさしいことから手をつける

(2)理屈は後回しにして、とにかく手を出す

(3)少しのひまがあれば手を出す

(4)場所を選ばないで仕事にかかる

(5)時々仕事をかえる

(6)億劫なときは無理にはしないが、仕事はしまいこんでおかず、常に目につく所においておく

 というもので、森田先生の言われた「腰を軽くする」とか「休息は仕事の中止に非ず、仕事の転換の中にあり」といった言葉をさらに具体的に述べたものである。

 書の最後の「原稿著作の生活へ」「公認会計士の資格」「会計事務所」は後半生の自伝的な部分である。山野井さんは努力の人であり、中学・大学は夜学を出ている。いきなり専門書を出せたわけではない。ダメで元々のつもりで専門誌に投稿したものが採用され、時には連載記事を売り込んで採用され、大学教授に認められるところとなり、専門学校の講師をして実績をつけ、ようやく本が出せるようになったのである。公認会計士の資格についても、終戦後の制度変更の時には受験資格が得られず、その後の制度変更でやっと受験資格を得て二回目の挑戦で合格している。東京に事務所を出すのにも資金がなくて苦労し、最初はある会社の厚意で、片隅に机を一つ置かせてもらってのスタートだった。自宅兼事務所の土地確保や建設、そしてその後の仕事の獲得には形外会での人脈が役立った。かつて神経症に悩んで森田先生のところに入院した人たちは学者・医師・公務員ばかりでなく大会社の社長や役員に出世した人も少なくなく、お互いに触発しあうとともに助け合っていたからである。

 少しずつの積み重ね、そして前進のためには「ダメで元々」怖いながらもやってみる、ということを繰り返して、すばらしい人生を全うされたのだと思う。名伯楽・森田先生の教えを生かし続けてのことである。同じ神経質人間として見習っていきたいものである。

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