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2011年5月 1日 (日)

神経質礼賛 661.神経質でよかった(2)

 第二部の「私の生き方」は、山野井さんの仕事や家庭での日常生活で起ったできごとについて神経質目線(?)で書かれている。当ブログの大々先輩といった感じである。面白いところを拾ってみると、「感情の処理法」という項があって、森田先生の「感情の法則」を山野井さんなりに噛み砕いて説明しているのだが、さらに、いろいろの場合(できごと)-感情-行動-その理由、という表がある。まだ認知療法が世に出る前に、同じようなアイディアを考え出して使っておられたのには感服する。例えば、出勤時に靴が磨いてない(当時は妻が夫の靴を磨いておくのが常識だった)-気がきかない奴だ-笑って「いいよ、ただほこりを払ってくれさえすれば」という-うっかりしかると、ふくれられて損をするから という具合である。妻を怒らせると大損をするのはいつの時代も同じである(苦笑)

山野井さんは能率的生活6か条を提唱された。

(1)やさしいことから手をつける

(2)理屈は後回しにして、とにかく手を出す

(3)少しのひまがあれば手を出す

(4)場所を選ばないで仕事にかかる

(5)時々仕事をかえる

(6)億劫なときは無理にはしないが、仕事はしまいこんでおかず、常に目につく所においておく

 というもので、森田先生の言われた「腰を軽くする」とか「休息は仕事の中止に非ず、仕事の転換の中にあり」といった言葉をさらに具体的に述べたものである。

 書の最後の「原稿著作の生活へ」「公認会計士の資格」「会計事務所」は後半生の自伝的な部分である。山野井さんは努力の人であり、中学・大学は夜学を出ている。いきなり専門書を出せたわけではない。ダメで元々のつもりで専門誌に投稿したものが採用され、時には連載記事を売り込んで採用され、大学教授に認められるところとなり、専門学校の講師をして実績をつけ、ようやく本が出せるようになったのである。公認会計士の資格についても、終戦後の制度変更の時には受験資格が得られず、その後の制度変更でやっと受験資格を得て二回目の挑戦で合格している。東京に事務所を出すのにも資金がなくて苦労し、最初はある会社の厚意で、片隅に机を一つ置かせてもらってのスタートだった。自宅兼事務所の土地確保や建設、そしてその後の仕事の獲得には形外会での人脈が役立った。かつて神経症に悩んで森田先生のところに入院した人たちは学者・医師・公務員ばかりでなく大会社の社長や役員に出世した人も少なくなく、お互いに触発しあうとともに助け合っていたからである。

 少しずつの積み重ね、そして前進のためには「ダメで元々」怖いながらもやってみる、ということを繰り返して、すばらしい人生を全うされたのだと思う。名伯楽・森田先生の教えを生かし続けてのことである。同じ神経質人間として見習っていきたいものである。

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