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2011年6月27日 (月)

神経質礼賛 680.主観的虚構性

 朝、通勤の道を急いでいると、路面を見て一瞬ぎょっとする場所がある。大きさといい色といい形といい、鳩そっくりで、「もしかして舗装作業の時に巻き込まれた鳩の死骸ではないか」という考えがよぎる。何のことはない、横断歩道を塗るのに使った白ペンキがこぼれたものが、たまたま鳩の形に見えるだけのことである。わかっていても気味が悪い。心理検査に用いられるロールシャッハテストと同じで不安心理が投影されるのである。気味が悪いのはそのままにして駅への道を急ぐ。

森田正馬先生は症状について患者さんたちに説明する際に「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」という句をよく引用された。この句は江戸時代の俳人・横井也有(1702-1783)の句「化物の 正体見たり 枯尾花」が変化したものだと言われている。怖い幽霊かと思ってよく見たら枯れススキだった、というわけである。不安心理があると、事実を歪曲して何でもないものを恐ろしいものとして見てしまうのだ。患者さんたちが恐怖とする症状も実は枯れ尾花に過ぎないのである。

 神経質人間は、自分のことになると事実を客観視できにくい。心気的気分のために判断が歪曲されがちである。特に症状ともなると過大に評価しがちであり、事実と異なっていることが往々にしてある。このことを高良武久先生は「主観的虚構性」と呼んだ。

 人前で顔が赤くなっても、言葉に詰まっても、激しく緊張しても本人が気にしているほど周囲の人たちは気にしていない。パニック発作は本人にとっては死ぬのではないかと思うくらいに辛いが、パニック発作で直接命を落とす心配はない。不潔なものが体についてしまったのではないかと気になって何度も繰り返し手を洗ったところで合理性はない。いろいろな神経症があるけれども、主観的虚構性はどれでも言えることである。事実唯真、気分に流されずに客観的事実を見て行動していくことが大切である。

2011年6月26日 (日)

神経質礼賛 679.商品券・ギフト券の廃止

 以前、子供の誕生日祝にプレゼントした音楽ギフトカードが使えなくなったことを知り、あわてて払戻手続きしたことを書いた(597話)が、その後も続々と商品券やギフト券廃止の話が出ている。金融庁のホームページには利用終了あるいは終了予定の商品券の一覧がある。これを見ると、全国規模のものでは、期限なしの全国共通食事券すし券がすでに廃止となり払戻手続期間が今年の2月末までだった。食肉ギフト券は今年の7月31日で利用終了となるそうである。その他、廃止・払戻手続が決まっているのは、各地の駐車場やガソリンスタンドのプリペイドカード、タクシー券、旅行券、ショッピングセンターの商品券など実に多岐にわたっている。

 平成22年4月に施行された資金決済法に基づき、商品券やプリペイドカードなどを廃止する場合には、新聞に公告し、取扱店舗に掲示した上で、60日以上の払戻申出期間を設定してその間に申出があった場合は額面金額を払い戻すことになっている。しかし、周知期間が短いので、知らないうちに無効になってしまう恐れがあるし、60日の払戻申出期間では短すぎる。消費者保護のためと謳っているのだが、実際には業者保護にも思える。全国規模のギフト券の廃止はニュースで知ることができるけれども、地方の商店街の商品券廃止だとかガソリンスタンドのプリペイドカード廃止は、しばらく利用していないと廃止情報が入ってこない。こういうことには神経質を生かして対抗するしかない。

 せっかくの金券が紙くずになってしまわないように、今一度引き出しの中に眠っている商品券の類を調べてみる必要がある。

2011年6月24日 (金)

神経質礼賛 678.神経質の3代目・徳川家光

 前話の徳川秀忠とお江の間には二人の息子があった。実は側室にも男子がいたが、一人は2歳で死亡し、お江の手にかかったのではないかとも言われる。もう一人は、側室のお静が懐妊中にお江が堕胎するように強要したため、お静は大奥から逃げ出して秘かに男子を産んだものだ。これがのちの保科正之で、家光や家綱の後見人になった人である。

 お江は貧相な長男の竹千代(家光)を嫌い、次男の国松(忠長)をかわいがった。竹千代は病弱で小心な性格で吃音があって無口だった。一方の国松は利発な上、お江の伯父・織田信長を思わせる容姿端麗ぶりで両親に愛される。竹千代には家康の神経質のDNAが、国松には美形で才覚に富む織田家のDNAが強く影響したのかもしれない。まだ長子が相続するというルールが決まっていない頃だったから、父親の秀忠もお江の影響で国松を世継にする方向に傾いていた。それを逆転したのが竹千代の乳母・お福(春日の局)である。お福は駿河に隠居中の家康に直訴して竹千代を世継とすることに成功する。一方の国松は駿河大納言忠長として55万石の大名となるが、将軍になれなかった鬱憤が晴れないまま精神錯乱をきたして幽閉され、28歳の時に切腹させられる。その後、家光はうつ症状に悩まされるようになる。

家光が「生まれながらの将軍である」と高らかに宣言し、権現(家康)の再来と言われたのは実は幕府ブレーンたちによるキャンペーンのおかげである(現代のどこかの国の将軍様ファミリーも似ている)。歴史の教科書に出てくる家光のイメージはかなり脚色されたものだったらしい。実際には政治は幕臣任せであり、私生活も男色にふけり、乳母のお福が見かねて町娘たちを連れてきて側室にあてがうといった状況で、家康や秀忠に比べると軟弱な印象はぬぐえない。やはり「玉磨かざれば光なし」、神経質は苦労しなくてはダメである。

 もし、家光が将軍になれず、忠長が将軍になっていたらどうなっていただろうか。忠長だと自分の才覚を頼りに周囲の意見を聞かずに自分が思ったとおりに行動してしまい、安定政権を築くことは難しかっただろう。家光の神経質のおかげで徳川幕府は盤石となったのかもしれない。

2011年6月20日 (月)

神経質礼賛 677.神経質の2代目・徳川秀忠

 今年のNHK大河ドラマはお市の方の娘・お江(お江与、小督)が主人公であるため、その夫・徳川秀忠にも注目が集まっている。一般的に創業者のいわゆる2世というと、どうしても先代と比較されてぱっとしない存在になりやすい。秀忠の場合、息子の3代将軍家光に比べても目立たない。室町幕府の初代将軍・足利尊氏と最盛期の3代将軍・足利義満にはさまれた2代将軍・義が目立たないのに似ている。

 秀忠の評価は一般的に高くなく、愚将というイメージがある。関が原の戦いの際には大軍を率いて中山道経由で参戦するはずだったが、上田城の真田幸村に翻弄されて間に合わず、家康からひどく叱責されている。しかし、上田城での敗戦は秀忠に従った家康の重臣たちの間の不協和音が原因だと言われるし、家康の策謀でわざと関が原到着を遅らせて大軍を温存しようとしたのではないかという説もあるし、お江が姉の淀殿を助けたいがために秀忠をたきつけて無駄な上田攻めをさせたという説もある。武将としての戦果は乏しいものの、その後の徳川幕府の基礎固めに貢献したことは確かである。戦が収まり、文官としての統治能力が必要な時代に移り変わっていく時代では、秀忠のような人物がトップとなることは徳川幕府にとって好ましかった。有力外様大名を改易しただけでなく、弟・松平忠輝と甥・松平忠直を改易し、政権を安泰にした。また娘・和子を後水尾天皇に嫁がせた。現在の天皇はその子孫にあたり、お江を通じて織田家の血筋を引いていることになる。

 篠田達明著『徳川将軍家十五代のカルテ』(新潮新書)によれば、秀忠の人柄は、家康以上の律儀者で堅物であり恐妻家だったという。家康(11話・209話)の神経質なDNAが秀忠に継承されたのだろう。立派な体格で鉄砲の名手でもあり外見からは気弱な面は想像がつかないが、偉大な父親が大きなプレッシャーになっていたと思われる。家康のように何度も大きなピンチに襲われてそれを乗り越えて神経質性格を最大限に生かせるようになったのに比べると、秀忠にはそのような体験が少なく、神経質を生かしきるまでには進化できなかったのかもしれない。

秀忠が結婚したのは16歳、その時お江は22歳で3度目の結婚である。気が強いお江にとっては操縦しやすい夫だったことだろう。二人の間には二男五女が生まれた。お江は側室や奥女中たちをきびしく監視して妊娠しようものなら堕胎を強要したと言われている。ともあれ、神経質のDNAはさらに息子の家光にも伝えられることになる。

2011年6月17日 (金)

神経質礼賛 676.手芸

 勤務先の病院には入院患者さんのための作業療法室がある。そこでは、森田療法の患者さんとは別に、統合失調症など精神病の患者さんを対象に、手芸、塗り絵、木工、プラモデル製作、パズル、麻雀、読書、といった趣味的な軽い作業を行っている。意外なことに中高年の男性患者さんでも手芸コーナーでテーブルクロスを作ったり手提げ袋を作ったりしている人がいる。私は病棟間の移動の時などちょっとした時間に、この部屋に立ち寄り、患者さんたちの動きや表情を観察し、じゃまにならない程度に声をかけている。作業療法室では、いつも病棟で見るのとは違った患者さんたちの表情を見ることができる。統合失調症をはじめとする精神病の治療においては薬物療法が基本ではあるが、薬だけでは良くならない。特に意欲減退・集中力低下・感情鈍麻といった陰性症状には薬剤の効果は不十分であり、作業療法の意義は大きい。

 私が担当している患者さんで関節リウマチを合併している人がいる。リハビリ専門病院に転院したこともあったが、もはや歩行は不可能となって、車椅子生活になってしまった。指の関節も大きく変形して箸を持つにも大変で日常生活に苦労している。それでも作業療法には参加して、不自由な手で刺繍やパッチワークなどの手芸に取り組んでいる。同じ作業をするにも普通の人の10倍、20倍の時間がかかる。それだけに完成した時の喜びはひとしおである。いいものができたら姉に送りたい、と言ってがんばっている。たとえ体が不自由になっても、残された能力を振り絞って生き尽くしていくことができるのだ、ということをいつもこの人から教えられている気がする。

 生き尽すということに関して、森田正馬先生は、よく正岡子規を引き合いに出された。子規は肺結核から脊椎カリエスを併発して病苦にさいなまれながらも後世に残る作品を生み出した。

 正岡子規が、七年間、寝たきりで動く事ができず、痛い時は泣きわめきながら、しかも俳句や随筆ができたというのは、これが「日々是好日」ではなかったろうかと思うのであります。

(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.559

 仏教に涅槃という事がある。一般には死を意味するのであるが、その反面は、「生き尽くす」事であり、「生をまっとうする」事である。子規も命の限りを尽くして、涅槃すなわち大往生を遂げたのである。僕も著書が今度十二冊目になったが、僕が死んでも単に灰になるのではない。著書となって残るのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.705

 神経質人間はどうかすると心身の不具合を見つけ出しては仕事ができない言い訳にしがちである。しかし、五体不満足であっても、たとえ病気のために末期的な状態であったとしても、生き尽すことはできるのである。それに比べたら極めてゼイタクなわがままである。

 外来で「どうも調子が出ない」と訴える神経症の患者さんに趣味を尋ねると「何もない」という人が多い。読書もいいが、ちょっと日常を離れて手芸や工作などに取り組んでみるとよいのではないかと思う。完成したものが形として残るので達成感があってよい。生活に役立つ実用品はなおさらよい。最初は気が乗らなくても、やっているうちに気分もついてくるものだ。

 私は手芸はやらないが、家で空き時間があると弦楽四重奏曲の楽譜やヴァイオリン曲のピアノ伴奏譜をScore Grapher Liteというソフトでパソコンに入力している。音符はともかく、割と手間取るのがスラーの入力だ。やっと全部入力しミスをチェックし終えた時の満足感は大きい。そして、実際にそれに合わせて弾くことができるので、二度三度おいしい。

2011年6月13日 (月)

神経質礼賛 675.感じから出発する

 病院の待合室と外の歩道の植え込みとの間に2m×4mほどの庭がある。白い砕石が敷き詰められ、中央には魚をかたどった部分があってそこには茶色い砕石が詰められている。たまたま看護師さんが呼び出してもなかなか診察室に入ってこない患者さんを探しに待合室に出た時にこの庭を見たら、飛んできた枯葉や枯枝がたまっていて、草も生えているのに気がついた。毎日、森田療法の入院患者さんたちが外回りのゴミ拾いや草取りをしてくれているが、この庭は一段高いところにあって歩道側からは見えにくいので気が付かないのだろう。これは見苦しくて放っておけない。翌日の外来休診日に枯葉拾いと草取りをした。さらに、白い砕石部分に禅寺の石庭のような波紋を描けたらいいだろうなと思ってよく観察してみたが、残念ながら石庭の白砂と異なり、工業用の砕石に着色したものらしく、波紋を描くには適さないようだ。再び待合室側から見てみると、スッキリして気持ちが良い。

 森田正馬先生は「見つめよ」(502話)、「感じから出発せよ」ということをよく言われた。見つめているうちに、これは汚いぞ、という感じが沸き起こり、放っておけないぞ、と実際の行動に結びついていく。こんな具合に、自分の周囲を見渡せば、いくらでもやることが見つかる。そして、腰を軽くして行動していけば、不安を相手にしているヒマはない。

2011年6月10日 (金)

神経質礼賛 674.宇宙飛行士も験(げん)を担ぐ

 6月4日付毎日新聞夕刊のトップ記事は、『不思議な「験担ぎ」 朝にシャンパン 車輪におしっこ』と題して、ロシアの宇宙船ソユーズに乗る宇宙飛行士たちの験担ぎについて書いてあった。面白い記事なのでちょっと紹介しておこう。それは人類で初めて宇宙飛行に成功したガガーリン飛行士をまねた行為が定着したのだそうだ。打ち上げの朝にシャンパンを飲み、打ち上げ台へ向かうバスを降りた時にわざわざ宇宙服のファスナーを下ろして車輪に向かって小便を「発射」するという。逆にやってはいけないこともある。ガガーリンが戦闘機の墜落事故で死亡した朝、忘れ物に気付いて自宅に戻ったというエピソードがあって、以後、宇宙飛行士たちは忘れ物に気付いても自宅に戻らないようにしているという。6月8日にソユーズに乗った日本人宇宙飛行士も郷に入りては郷に従えでその習慣に従ったらしい。

 地上で自動車の故障ならば路肩に車を止めればよい。戦闘機の故障はそれよりもはるかに危険だが、脱出してパラシュートで降下するという非常手段がある。だが、宇宙船の故障は逃げ場がない。死に直結する。それだけに宇宙飛行士たちは常に不安との闘いを強いられる。迷信だとわかっていても験を担いで安心したい、という心理はよくわかる。

 しかしながら、験を担ぐのもほどほどにしないまずい。強迫神経症(強迫性障害)の場合、験担ぎ即ち強迫行為のために日常生活に支障をきたしてしまう。不潔恐怖の人では時間をかけて何度も手を洗う。それだけでは心配で消毒薬を何度も使う。もちろん清潔にしていけないことはないのだけれども、そのために膨大な時間と労力を費やす意味はない。単にその場の安心を得るがための「儀式」になってしまっているのである。不完全恐怖のため、家のカギの閉め忘れがないか、電気の消し忘れやガスの元栓の締め忘れはないか、といった確認も1回はともかく2回、3回と繰り返すのは無意味であるばかりでなく、時間がかかって後の行動に支障をきたす。これももはや安心を得るための儀式であって、2回やれば3回目をやりたくなり、3回やれば4回目をやりたくなって、エンドレス化する。困った人は家族を巻き込んで家族に確認させる、なんてことをやっているとますます深みにハマるだけである。

 今では強迫性障害の治療はまず薬物療法という流れになっている。しかし、薬で不安を軽減するだけではなかなか治りにくいし、一時良くなっても再発しやすい。不安なままに儀式はガマンして次の行動に移っていくということを続けていけば、その時は苦しいが徐々に症状は良くなっていく。治すには悪いクセを直すのと同じで、本人の努力が必要なのである。

2011年6月 6日 (月)

神経質礼賛 673.液状化現象

 東日本大震災の被害としてはもっぱら津波被害と原発事故が注目されているが、液状化の問題も深刻である。千葉県の東京ディズニーランド周辺では建物や電柱が傾いたり道路が陥没したりする被害が出た。湾岸の埋立地ばかりでなく、埼玉県のような内陸部でも沼地や湿地を造成して宅地にしたところでは同様の被害が出ている。せっかく新築したばかりの住宅が住めなくなったとか、傾いたマンション中で暮らして気分が悪くなってしまう、といった話もある。

 先日、TVのニュースで古地図がよく売れているという話題を取り上げていた。明治時代や江戸時代にその土地がどういう状態だったかを知るには古地図は役立つ。かつて水路だったとか現在は流れが変わっているが元は川が流れていた、となると液状化の危険性大である。家や土地を買う時に「さんずい」のついた地名や「水」の字が入った地名は要注意、ということは確かに言えるだろう。

 神経質な私が自分の家を建てる時には液状化を心配した。余分にお金はかかるが、地中ボーリング調査をしてもらい、地盤改良工事をした上で建てた。市のホームページによれば、私が住んでいる町の液状化危険度は「中」であり、東海地震の予想震度は6強となっている。一方、市内で若い人たちに人気の高い某住宅街はかつて沼地・湿地だったところで、そこは危険度「大」であり、東海地震の予想震度も7ということである。これから新しく土地や家を買おうという人は、その土地のかつての状態を調べ、液状化危険度も調べて、危険は避けるに越したことはない。液状化の危険度が高いところにすでに家があるという場合、他の地区よりも揺れが大きく倒壊しやすいことを念頭において地震対策をした方が良いだろう。神経質が自分と家族の命を守る。

2011年6月 5日 (日)

神経質礼賛 672.大阪・京都日帰りの旅

 一昨日の公休日は何年ぶりかで京都に出かけた。普段出勤するのと同じ時刻に家を出て下り新幹線に乗る。せっかく京都まで行くのだからと欲張って大阪まで足を伸ばしてメンタルヘルス岡本記念財団図書室に立ち寄り、古閑義之先生の著書を探す。メンタルヘルス岡本記念財団は20119月に事務所を移転してアクセスがとても便利になっている。JR大阪駅や阪神・阪急梅田駅から歩いてすぐ、曽根崎のお初天神に隣接する梅田パシフィックビル7Fに入っている。森田正馬全集をはじめ森田療法関連書籍やビデオはもちろん一般的なメンタルヘルス関連書籍も所蔵していて、無料で利用できる。平日の午前10時から午後5時まで開館しているので、関西在住の方や仕事や旅行で大阪に行かれた方はぜひ一度寄られてはいかがだろうか。

 大阪で腹ごしらえした後、阪急電車で京都の嵐山に向かう。一度行ってみたいお寺があった。江戸時代の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)が建立した大悲閣千光寺という観光客があまり行かない寺だ。渡月橋のたもとから大堰川の南岸を1kmほど上流に向かって緑のトンネルのようなところを歩く。ちょっと蒸し暑いけれど沢から吹き降ろしてくる涼風が心地よい。車は通行止めの狭いアスファルト舗装の道で、歩いている人も少ない。途中の川原で尺八を吹いている人がいた。寺の入口から山を登っていくと梵鐘があって「一人3打 自由」と書いてあるので打ち鳴らす。本堂まで登ると軍手をした6人の男子中学生たちがおしゃべりしながら住職さんのお手伝いをしている。学校の課外授業なのだろう。住職さんから「お仕事ですかー?」と声を掛けられる。黒い上着に黒靴という姿では確かに観光客らしくないなあ、と苦笑する。本堂からの眺めは壮観だ。親切にも双眼鏡が置いてある。紅葉の季節ならば最高だろう。また来てみたい。

 まだ時間があるので渡月橋を天竜寺側に渡り、嵯峨野を散策する。先ほどの静寂さとは打って変わり賑やかである。観光人力車が走り、洒落た食事処や喫茶店や土産物店があちこちにある。足も疲れてきたが欲張り根性のため、休まずに先へ先へと歩いてしまう。化野念仏寺を越えると鳥居本の美しい町並みに出会う。苔むした屋根の建物が並ぶ。よくCM写真や映画のシーンで使われる赤い鳥居のところまで来た。と思ったら一台のミニバンが走ってきて鳥居の真下に駐車してしまった。せっかく絵になる光景が台無しである。古語の「あさまし」がピッタリだ。こういう神経質が足りない行為はいけない。

ここで引き返し、化野念仏寺に入る。本堂に面白い標語が張ってあった。

こどもしかるな

   来た道だ

年寄り笑うな

   行く道だ

 なるほどその通りである。「行く道」を半ばまで進んでしまったわが身を振り返る。

 帰りはもと来た道から別れ、JR嵯峨嵐山駅へと向かう。電車に乗り、京都駅ですぐに新幹線に乗り換え、普段仕事を終えて帰る時刻に帰宅する。神経質らしくムダがないが、もうちょっと遊びがあってもいいかも知れないなあと反省する。

2011年6月 3日 (金)

神経質礼賛 671.躁と鬱

 人には誰でも多かれ少なかれ気分の波がある。気分が高揚している時期もあれば落ち込んでいる時期もある。それが極端な状態が躁状態とうつ状態ということになる。うつ病・うつ状態はよく話題になるが、躁病・躁状態が話題になることは少ない。気分高揚・爽快感・意欲亢進・多弁・不眠(うつの不眠と異なり本人は苦にしない)といった症状があり、易怒・刺激的になったり自己過信から誇大妄想を呈したりすることもある。困るのは気が大きくなって高価な買物をしまくったりギャンブルに大金をつぎ込んだりして浪費することや、他人とトラブルを起こすことである。躁が収まって気がつけば、借金や周囲の人との不和が残っていて愕然とすることになる。実は躁病・躁状態の診断は意外と難しい。そもそも気分爽快であれこれ行動できる状態は本人にとって望ましいと感じられて医療機関にかからないし、浪費に困った家族が本人を連れてきても、ふてぶてしい態度や治療者を小馬鹿にする言動があったりすると、パーソナリティ障害だとか物質乱用だとか時には統合失調症と診断されてしまうことがある。

また基礎気分が高い人もいれば低い人もいる。会社を経営しているような人には基礎気分が高い人がよくいて、自分ではうつ病だと言って受診しても、多弁で元気溌剌に見える場合がある。客観的には正常範囲であっても、軽躁状態がその人にとって普通になっていると、相対的にうつだと感じられるのも無理はない。

 前話の河原さんの場合、神経質性格ながら気分の波がやや大きい循環気質的な性格傾向を併せ持っていて、さらに基礎気分が普通の人よりも高めだったのだと思う。そういう人は軽いうつ状態になっても普段との落差が大きいだけに奈落の底に落ちたような感じになる。森田療法は神経症(不安障害)の治療法であって気分障害(躁病やうつ病)の適応はないけれども、神経質性格を基盤とした軽度の気分障害には有効な場合がある。調子が良いからといってやりすぎず、悪いからといってがっかりせずに最低限の行動は続けてみる。気分はともかくなるべく健康人に近い生活習慣をしていくうちに、時間がたてば必ず気分も正常化してくるものである。

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