神経質礼賛 680.主観的虚構性
朝、通勤の道を急いでいると、路面を見て一瞬ぎょっとする場所がある。大きさといい色といい形といい、鳩そっくりで、「もしかして舗装作業の時に巻き込まれた鳩の死骸ではないか」という考えがよぎる。何のことはない、横断歩道を塗るのに使った白ペンキがこぼれたものが、たまたま鳩の形に見えるだけのことである。わかっていても気味が悪い。心理検査に用いられるロールシャッハテストと同じで不安心理が投影されるのである。気味が悪いのはそのままにして駅への道を急ぐ。
森田正馬先生は症状について患者さんたちに説明する際に「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」という句をよく引用された。この句は江戸時代の俳人・横井也有(1702-1783)の句「化物の 正体見たり 枯尾花」が変化したものだと言われている。怖い幽霊かと思ってよく見たら枯れススキだった、というわけである。不安心理があると、事実を歪曲して何でもないものを恐ろしいものとして見てしまうのだ。患者さんたちが恐怖とする症状も実は枯れ尾花に過ぎないのである。
神経質人間は、自分のことになると事実を客観視できにくい。心気的気分のために判断が歪曲されがちである。特に症状ともなると過大に評価しがちであり、事実と異なっていることが往々にしてある。このことを高良武久先生は「主観的虚構性」と呼んだ。
人前で顔が赤くなっても、言葉に詰まっても、激しく緊張しても本人が気にしているほど周囲の人たちは気にしていない。パニック発作は本人にとっては死ぬのではないかと思うくらいに辛いが、パニック発作で直接命を落とす心配はない。不潔なものが体についてしまったのではないかと気になって何度も繰り返し手を洗ったところで合理性はない。いろいろな神経症があるけれども、主観的虚構性はどれでも言えることである。事実唯真、気分に流されずに客観的事実を見て行動していくことが大切である。
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