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2011年6月17日 (金)

神経質礼賛 676.手芸

 勤務先の病院には入院患者さんのための作業療法室がある。そこでは、森田療法の患者さんとは別に、統合失調症など精神病の患者さんを対象に、手芸、塗り絵、木工、プラモデル製作、パズル、麻雀、読書、といった趣味的な軽い作業を行っている。意外なことに中高年の男性患者さんでも手芸コーナーでテーブルクロスを作ったり手提げ袋を作ったりしている人がいる。私は病棟間の移動の時などちょっとした時間に、この部屋に立ち寄り、患者さんたちの動きや表情を観察し、じゃまにならない程度に声をかけている。作業療法室では、いつも病棟で見るのとは違った患者さんたちの表情を見ることができる。統合失調症をはじめとする精神病の治療においては薬物療法が基本ではあるが、薬だけでは良くならない。特に意欲減退・集中力低下・感情鈍麻といった陰性症状には薬剤の効果は不十分であり、作業療法の意義は大きい。

 私が担当している患者さんで関節リウマチを合併している人がいる。リハビリ専門病院に転院したこともあったが、もはや歩行は不可能となって、車椅子生活になってしまった。指の関節も大きく変形して箸を持つにも大変で日常生活に苦労している。それでも作業療法には参加して、不自由な手で刺繍やパッチワークなどの手芸に取り組んでいる。同じ作業をするにも普通の人の10倍、20倍の時間がかかる。それだけに完成した時の喜びはひとしおである。いいものができたら姉に送りたい、と言ってがんばっている。たとえ体が不自由になっても、残された能力を振り絞って生き尽くしていくことができるのだ、ということをいつもこの人から教えられている気がする。

 生き尽すということに関して、森田正馬先生は、よく正岡子規を引き合いに出された。子規は肺結核から脊椎カリエスを併発して病苦にさいなまれながらも後世に残る作品を生み出した。

 正岡子規が、七年間、寝たきりで動く事ができず、痛い時は泣きわめきながら、しかも俳句や随筆ができたというのは、これが「日々是好日」ではなかったろうかと思うのであります。

(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.559

 仏教に涅槃という事がある。一般には死を意味するのであるが、その反面は、「生き尽くす」事であり、「生をまっとうする」事である。子規も命の限りを尽くして、涅槃すなわち大往生を遂げたのである。僕も著書が今度十二冊目になったが、僕が死んでも単に灰になるのではない。著書となって残るのである。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.705

 神経質人間はどうかすると心身の不具合を見つけ出しては仕事ができない言い訳にしがちである。しかし、五体不満足であっても、たとえ病気のために末期的な状態であったとしても、生き尽すことはできるのである。それに比べたら極めてゼイタクなわがままである。

 外来で「どうも調子が出ない」と訴える神経症の患者さんに趣味を尋ねると「何もない」という人が多い。読書もいいが、ちょっと日常を離れて手芸や工作などに取り組んでみるとよいのではないかと思う。完成したものが形として残るので達成感があってよい。生活に役立つ実用品はなおさらよい。最初は気が乗らなくても、やっているうちに気分もついてくるものだ。

 私は手芸はやらないが、家で空き時間があると弦楽四重奏曲の楽譜やヴァイオリン曲のピアノ伴奏譜をScore Grapher Liteというソフトでパソコンに入力している。音符はともかく、割と手間取るのがスラーの入力だ。やっと全部入力しミスをチェックし終えた時の満足感は大きい。そして、実際にそれに合わせて弾くことができるので、二度三度おいしい。

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