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2011年6月24日 (金)

神経質礼賛 678.神経質の3代目・徳川家光

 前話の徳川秀忠とお江の間には二人の息子があった。実は側室にも男子がいたが、一人は2歳で死亡し、お江の手にかかったのではないかとも言われる。もう一人は、側室のお静が懐妊中にお江が堕胎するように強要したため、お静は大奥から逃げ出して秘かに男子を産んだものだ。これがのちの保科正之で、家光や家綱の後見人になった人である。

 お江は貧相な長男の竹千代(家光)を嫌い、次男の国松(忠長)をかわいがった。竹千代は病弱で小心な性格で吃音があって無口だった。一方の国松は利発な上、お江の伯父・織田信長を思わせる容姿端麗ぶりで両親に愛される。竹千代には家康の神経質のDNAが、国松には美形で才覚に富む織田家のDNAが強く影響したのかもしれない。まだ長子が相続するというルールが決まっていない頃だったから、父親の秀忠もお江の影響で国松を世継にする方向に傾いていた。それを逆転したのが竹千代の乳母・お福(春日の局)である。お福は駿河に隠居中の家康に直訴して竹千代を世継とすることに成功する。一方の国松は駿河大納言忠長として55万石の大名となるが、将軍になれなかった鬱憤が晴れないまま精神錯乱をきたして幽閉され、28歳の時に切腹させられる。その後、家光はうつ症状に悩まされるようになる。

家光が「生まれながらの将軍である」と高らかに宣言し、権現(家康)の再来と言われたのは実は幕府ブレーンたちによるキャンペーンのおかげである(現代のどこかの国の将軍様ファミリーも似ている)。歴史の教科書に出てくる家光のイメージはかなり脚色されたものだったらしい。実際には政治は幕臣任せであり、私生活も男色にふけり、乳母のお福が見かねて町娘たちを連れてきて側室にあてがうといった状況で、家康や秀忠に比べると軟弱な印象はぬぐえない。やはり「玉磨かざれば光なし」、神経質は苦労しなくてはダメである。

 もし、家光が将軍になれず、忠長が将軍になっていたらどうなっていただろうか。忠長だと自分の才覚を頼りに周囲の意見を聞かずに自分が思ったとおりに行動してしまい、安定政権を築くことは難しかっただろう。家光の神経質のおかげで徳川幕府は盤石となったのかもしれない。

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