神経質礼賛 690.道は近きにあり
森田正馬先生の時代には神経症(不安障害)は神経衰弱と呼ばれ、治りにくい病気として恐れられていた。そして、種々のインチキ療法や新興宗教による治療が隆盛をきわめていた。森田先生は患者さんたちの前で次のように言っておられる。
しかるに僕の神経質療法は、「病ではない」とか、「治らぬと覚悟せよ」とか、「不眠など、どうでもよい。眠るに及ばない」とかいう事になると、普通の患者はたいてい逃げてしまう。しかし神経質の患者を、いたずらに患者の心持に迎合し、気休めのような事をすれば、一時はその症状がよくなるにしても、その根治は決して望まれない。
真理は平凡である。「道は近きにあり」で、決して奇抜でもなければ、僥倖にあこがれるというわけには行かない。これを理解する人の少ないのも無理のない事である。(白揚社:森田正馬全集第5巻 p.721)
症状を何とかなくしたい、この症状さえなければ自分は何でもできるのに、という思いが神経症の人には強い。しかし、症状をなくそうとする「はからいごと」自体が自分の心身に注意を向けて、感覚が鋭敏になり、ますます症状を強めたり、新たな症状を作り出したりしてしまう。つまり森田正馬先生が「精神交互作用」と呼ばれた悪循環に陥ってしまうのである。症状は仕方なし、相手にしないという方針で、目の前の仕事に取り組む、仕事がなければやるべきことを探して行動していく、ということを続けていけば、神経症の症状はいつしか忘れているものなのである。道は近きにあり、日常の生活の中にカギがあるのだ。症状でつらい時に、「ここが勝負どころ」とふんばり、そして一歩前進でよいから行動していくことが大切である。
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