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2011年8月29日 (月)

神経質礼賛 700.取越苦労

 私も含めて神経質人間は、「もしああなったらどうしよう」「こうなったらどうしよう」とあれこれ先の心配をしがちである。それは、失敗や破局的な事態を防ぐのにとても役立つのではあるけれど、あまり心配し過ぎると、考え過ぎて疲れてしまうし、心配でがんじがらめになって動きがとれなくなってしまう。特にそれが自分の体調や心理状態にばかりに向いてしまうと、次々と「症状」が出てくることになる。森田先生は形外会高知支部の座談会(昭和9年11月5日)の際、疲労や疼痛は人間の安全弁である、と話し、さらに次のように述べておられる。

 神経質は、その安全弁が鋭敏過ぎて、疲労感や病の感じが強過ぎて、その本人自身の感じのままに従った時には、何事にも大事を取り過ぎ、取越苦労が多過ぎて手も足も出なくなる。それでも神経質が、その身体の強いという証拠には自分でさまざまの症状を訴えながら、しかも相当の勉強もできている。かくの如く、神経質の心悸亢進とか頭痛・眩暈とかいうものでも、地震かあるいは自分の子供の急病とかいう時には、思いがけなく無理な活動ができ、あるいは一週間も不眠不休で働き、後に自分でも自分の強さに驚き、同時にいつの間にか病気の治っている事に気のつく事がある。これがもし、脚気衝心の時の心悸亢進とか、脳病の眩暈とかいう時には、いかなる場合にも実際に働く事は決してできない。すなわち実際の病気の時には、強いて働くのは無理であるが、神経質の場合には、それを自分勝手に無理と思うだけの事で、事実においては、強いて働いても、少しも無理ではないのであります。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.564

 私の場合、若い頃は対人恐怖や種々の強迫観念に悩まされた。何か自分にとって悪い状況が頭に浮かぶと、取越苦労の連鎖反応が止まらなくなって身動きできなくなってしまっていた。今でも取越苦労がなくなったわけではないけれども、何とか臨界点以下に収まっている。空に浮かぶ雲のように、心配が浮かんでは消え・浮かんでは消えの繰り返しで、心配を抱えながら行動している。不安はありながらも行動する習慣が身についたおかげで、どうやら安全弁が適度に機能しているようである。

2011年8月26日 (金)

神経質礼賛 699.精神統一法

 今年の夏の全国高校野球大会は日大三高の優勝で幕を閉じた。私の母校も久しぶりに出場したけれども1回戦で習志野高校にあえなく敗退してしまった。何万人もの観客の注視する中、きびしい暑さの中、甲子園球場という晴舞台で自分たちの力を発揮するには、野球の技術だけでなく強い精神力が必要である。

 新聞記事によれば、選手たちの精神統一法としていろいろなことが行われていたようである。関西高校はピンチになるとナインがマウンドに集結し、全員が爪先立ちしたという。臍の下に意識を集中させながら爪先立ちすることでリラックスする合気道の応用だそうだ。神村学園は、試合前にベンチ前で正座して精神統一をしていた。智弁和歌山高校は、詩吟の腹式呼吸で集中力を高めていたという。以前、試合前に皆でお祈りする宗教系の高校があったし、球場で仰向けに寝てリラックスしようという高校もあったように思う。

 野球に限らず、他のスポーツでも、演奏家や歌手でも、受験生でも、不安や緊張を解消して集中力を高めたいというのは同じだと思う。緊張をほぐすために自己暗示、イメージトレーニングといったことが行われている。もちろん、それで効果があればそれでよい。しかし、「こんなことをして効果があるのだろうか?」と疑問に思いがちな批判力の強い神経質人間は概して自己暗示がかかりにくいだろうと思う。緊張してはいけない、と思えば思うほど、ますます緊張してしまうものである。緊張するのが当たり前であって緊張しないようでは困る、くらいに考えて、緊張するとかしないとか自己の状態に注意を向けるのはやめて、緊張はありながら体を動かしていく。その結果、緊張はあってなきが如き状態となる、という森田式も一つの対処法ではないかと思う。

2011年8月22日 (月)

神経質礼賛 698.自宅に800冊がやってきた!・・・自費出版狂騒曲第1楽章

 自宅に800冊の『神経質礼賛』が送られてきた。妻のピアノと子供のサイレントドラムと私のヴァイオリン・ヴィオラ類が置いてある部屋は本に占領されてしまった。1冊約375gとして総重量300kgである。大地震が起きて自分の本に埋もれて死んだりしたら恥だろうな、と神経質らしく心配する。

 「いよいよ四分休符のヤツ、マニった(躁状態になった)か!」と思われるだろうが、私なりに熟慮を重ねての行動である。

 かつて大阪のメンタルヘルス岡本記念財団で「心の健康セミナー」の講師をした際、岡本常男理事長(現・会長)さんから「森田療法の本を書きませんか」と言われたことがある。岡本さんはビジネスマン向けに森田療法関連本を書かれている。お話を伺って、森田療法に関わる精神科医が本を出して、もっと森田療法をアピールしてほしい、というお気持ちがひしひしと伝わってきた。当時、私はまだ若僧だったし、今でもうだつの上がらぬ勤務医に過ぎない。大学教授や有名病院の院長ならばともかく、一介の勤務医が本を出すにはハードルが高過ぎる。それでもこのブログが5年近く続いたところで自費出版を決意した。

 自費出版といってもどこに依頼したらいいものだろうか。いろいろ調べてみた。自費出版で有名なB社だと、自分の本が一部の書店に並び、毎日新聞に広告を出してくれるというのがとても魅力的だが、著作権の扱いや金銭的な問題で裁判にもなっているようなのでそこは避けた。講談社や中央公論といった大手出版社のホームページにも自費出版の案内があって、それによれば、四六版(B6版よりわずかにタテ長)ハードカバー300頁の本を1000部刷るのに205万円、それ以外に納品手数料や在庫管理料がかかる。これでは少々負担が重い。そこで森田療法関係の本を数多く出している白揚社に相談したところ、それより安い価格で作ってもらえることになった。1000部刷って200部を白揚社に置いてもらい残りは私の自宅に保管し、売れゆき状況に応じて白揚社に送ることとなった。運送料が相当かかりそうだが、それでも大手出版社の自費出版サービスよりは金銭的な負担は少ないと踏んだ。それで、一挙に800冊が自宅にやってきたのだ。

当初の原稿だと分量が多すぎて100ページ以上カットした。音楽関係の記事もカットの対象となった。表紙カバーはデザイナーに頼むとお金がかかるので、編集者さんが考えて下さった。1年近く要してやっと出版にまで漕ぎ着けた。

 価格は本体1600円プラス税で1680円。①書店からの注文販売、②白揚社の直販、③アマゾンを通してのネット販売である。1000部のうち100部は図書館などに寄贈する。本が届いたらすぐに送れるように、先月から大型封筒に宛名書きをし、切手も貼って準備していた。

 さあ、これから自費出版狂騒曲はどうなっていくのだろか。第1楽章でフェードアウトしてしまうのがオチかもしれない。また動きがあったら続編を書きます。

 なお、明日23日(火)、読売新聞に掲載される白揚社の広告の中に(小さく)本書の書名と著者名を入れてもらうことになっています。

2011年8月19日 (金)

神経質礼賛 697.オオキンケイギク

 私の勤務先は8年前に移転して山の中腹にある。山を切り開いて造成した住宅や新しくできた道路があって、道路脇には雑草が生えている。こういう場所はどこもそうだが、セイタカアワダチソウがはびこっていたのが、近年はススキがまた復活しつつあるという。そんな中、形はコスモスに似て、ひときわ鮮やかな黄橙色の花を見かけるようになった。植物には疎い私でも「何の花だろう」と気になっていたら、最近TVのニュース番組でオオキンケイギクが急激に増えて駆除しているという話題があって、もしかするとそれかもしれない。

オオキンケイギクは北アメリカ原産で明治時代に導入されたが、多年草で根が丈夫であり繁殖力が非常に強く、カワラナデシコを絶滅させてしまうということで、2006年に特定外来生物に指定され、栽培・販売・移動が禁止となっている。目立つ花だから、知らずに家の庭に移植してみようか、と思う人がいてもおかしくない。花自体はきれいだけれども、どこもかしこもこの花だらけになったら、異様な景色になってしまうだろう。

 ややこしいことに園芸用に販売されているキンケイギク(金鶏菊)はオオキンケイギクの類縁ではあるが、一年草であり、群生するようなことはないらしい。またメキシコ原産のキバナコスモスも一年草で、花がよく似ているが、葉の形で鑑別できるようだ。

 繁殖力が強い外来種が生態系のバランスを崩してしまう問題は植物に限らず動物でもみられている。沖縄ではかつてハブ退治に導入したマングースが厄介者になっている。最近では、川や湖に釣り愛好家が放流したブラックバスがアユなどの在来の魚を絶滅寸前に追い込んでいる。よかれと思ってやったことではあろうが、先々大きな問題を起こすことになる。事前によく調べて、在来種に対する影響を考えてみる必要がある。外来種の導入に関しては神経質になった方がよさそうだ。

2011年8月15日 (月)

神経質礼賛 696.日本化

 最近のエコノミスト誌に掲載された、アメリカのオバマ大統領やドイツのメルケル首相を「日本化している」と揶揄する、和服を着た二人の風刺画つきの巻頭記事が話題を呼んでいる。決断をいやがり、痛みを伴う財政再建を避けているのは日本と同じ、というわけだ。日本にとっては実に有難くない比喩である。

 アメリカの債務残高は日本円にして約1100兆円にのぼる。しかし、それに近い約1000兆円の債務残高の日本の方がはるかに深刻である。アメリカの年間予算が約300兆円なのに対して日本の年間予算は約90兆円。いわば年収の4倍弱の借金を抱えたアメリカ家に対して日本家は年収の10倍以上の借金を抱えていることになる。普通の家庭や企業ならばとっくに破産している。バブル崩壊以降、不人気政策を避けて問題を先送りして子孫にツケを回し続けてきた歴代政権に問題があるが、本当の責任はそれを許し続けている国民にあるのではなかろうか。

 

 痛みを恐れてやらなければならないことを避けてしまうのは、神経質人間にもありがちで気をつけなければならないことである。対人恐怖の人は人前に出るのを極力避けようとする。会食恐怖の人は何かと理由付けして人と一緒の食事を避けようとする。不安神経症の人は電車に乗ることや会議に出ることを避けようとする。不潔恐怖の人は本人にとって不潔になると思われることを避けて無駄な手洗い行為などで気を紛らわそうとする。不完全恐怖の人はすぐに外出することを避けてカギの閉め忘れを恐れて何度も何度も確認して安心を得ようとする。そんなことをしていれば、ますます恐ろしくなるばかりである。そして敷居を高くしてますます行動しにくくしてしまうのである。目先の安心にしがみついていては、結果的には苦しみ続けることになる。ちょうど水泳の飛び込みと同じである。慣れるまでは、飛び込む前は恐ろしい。痛いんじゃないかとか、苦しいだろうなあとか、といろいろ考えていると体も硬くなってしまう。しかし飛び込んでしまえばそれほど恐ろしいことではなかったとわかるのである。「恐怖突入」(212)という森田先生の言葉の通りである。

2011年8月12日 (金)

神経質礼賛 695.プチ・サマータイム

 今年の夏は、原子力発電所の停止に伴う電力不足を乗り切るために、国をあげてサマータイム導入の議論もあった。結局、各企業や役所ごとに、勤務時間をずらしたり、土日出勤の木金休みにしたり、といった対応となっている。勤務時間を早めにずらすことについては、ピッタリの通勤の電車やバスがなくて不便している人がいるかもしれない。休日の曜日を変えることで、今まで土日休みを利用してボランティア活動をしていた人には影響があるだろうし、今は夏休みでいいとしても学校が始まれば土日に子供と一緒に出かけたりすることができなくなるだろう。神経質人間としてはそのあたりが心配になる。幸い、今のところ大きな混乱はないようだ。

 私はこの夏は1本早い電車で出勤するようにしている。電車を待つ上りホームは南向きのため、朝の強い日差しがモロに照りつける。歩いて汗だくのところにそれではたまらない。1本早い電車は始発なので、ホームで待つことなく、すぐに座れるので楽である。そして、着いた駅の待合室でTVニュースを見て時間を調整する。ちょっと時間に余裕があると見える風景も少し変わってくるものである。駅前タクシー乗場の屋根を這っているアケビが小さな緑色の実を付けている。急いで歩いていたため例年は見落としていたのだが、交番前のヤマボウシの木に赤い実が生っているのに気付く。ヤマボウシの実は食用や果実酒用になるらしい。そして、イチョウの木を見上げれば、もうギンナンの小さな実が生っている。私のプチ・サマータイムは節電の役には立っていないが、こころのゆとりに役立っているようだ。立秋を過ぎてもきびしい暑さは続いているけれども、少しずつ季節は巡っていく。

2011年8月 8日 (月)

神経質礼賛 694.不思議飲料SOYSH

 今年の3月に発売となった、大塚製薬のSOYSH(ソイッシュ)は、豆乳ならぬ豆炭酸飲料という変わりダネである。豆の栄養分が丸ごと摂れる健康飲料というコンセプトだ。実際に飲んでみると、ちょっと不思議な味がする。これは好き嫌いが分かれる飲物だろうと思う。私のような神経質人間から見ると、味はともかく、ボトルは問題アリだ。女性を意識してスマートな形のボトルになっているが、やはりガラスのビンでは重いし、廃棄するのが厄介である。そしてボトル全体を覆っている白い薄いプラスチックのフィルムは蓋のあたりがささくれやすく、下手をしたら指を傷つけるのではないかと心配である。ぜひともアルミ缶入りにして欲しい。

 大塚製薬の飲物と言えば、オロナミンCが有名である。私が子供の頃に見ていたアニメ「巨人の星」のCMによく出てきた。今にして思えば子供向けの番組で大人のスタミナドリンクのCMを流していたのはちょっと奇妙である。子供が小遣い銭を握り締めてオロナミンCを買いに行くとは考えにくい。子供の脳に刷り込んでおいて将来買ってもらおうという遠大な戦略だったのだろうか。オロナミンCにウイスキーやジンやミルクを加えて飲むとか、卵を加えたオロナミンセーキ、という飲み方を提案するCMもあった。

 焼酎をこのSOYSHで割ってみたらどんな風になるだろうか。まず、グラスにSOYSHを注いでみる。炭酸飲料なのになぜか泡が出てこない。見た目は豆乳のようだ。全く不思議である。25度焼酎を同量注いでかき混ぜて飲んでみる。焼酎の牛乳割りやトマトジュース割りがあるくらいだから、まあこれもアリかな、という程度で、特にお勧めできるというものではなかった。

2011年8月 5日 (金)

神経質礼賛 693.り系

 7月28日付読売新聞1面のコラムにK首相が周囲から「系」の人、と呼ばれているという記事があった。一応、東工大卒で「理系」出身ということなのだが、退陣表明した後もズルズルとその地位にしがみついて、「独りよが」・「思い上が」だから「系」の人なのだそうだ。

 学生時代は実験や実習に追われ、企業に就職してからも安月給で夜遅くまで働き続けている、実直な理系出身エンジニア諸氏は、「系」と一緒にされたら迷惑だろう。理系らしさの欠如したK首相は学生時代、真面目に実験や実習に取り組んでおられたのだろうか。市民運動に御熱心で理系としての教育をお受けになっていなかったのではなかろうか。首相である現在、科学的な発言は乏しく、他人の意見は聞かず、黒を白と言い張る能力に長けておられる。まるで近隣の言論統制国家の首長のようである。

 神経質人間の場合は、独りよがり・独善とは正反対に独悪(?)、自分は全然ダメだとレッテルを貼りがちである。仮に人が褒めてくれても、どうせお世辞だろうと考える。そして思い上がりとは正反対に思い下がり(?)、劣等感にさいなまれるのである。自分が損をすることはあっても、人に迷惑をかける心配はない。人畜無害である。気が小さいまま、自信が持てないまま、そのまんまでよい。そして、自分は劣等だからと黙々と努力し行動していけば神経質の良さが発揮できるのである。

2011年8月 3日 (水)

神経質礼賛 692.最後の(?)SSRI・レクサプロ

 国内では最後のSSRIとなるであろうと言われているレクサプロ(一般名:エスシタロプラムシュウ酸塩)が今月22日に発売予定だという。今まで国内で発売されたSSRIはいずれも「うつ病・うつ状態」以外に各種不安障害の適応を取っているが、レクサプロは発売時「うつ病・うつ状態」のみが適応となる。長所は用量の調整がしやすい点であり、初期量10mgがそのまま維持量となりうる(最高用量は20mg)。薬価は212円とのことで、他のSSRIパキシル20mg錠やジェイゾロフト50mg錠とほぼ同等である。メーカーの担当者が持ってきた文献では、海外での解析データで他のSSRIに比べて有効性と忍用性が高かったとある。メーカーとしては、用量調整が容易である点と強力な効果・忍用性をウリに、まずはうつ病治療薬として売り込み、さらには不安障害への適応拡大を図っていく方針のようである。なお、他のSSRIと同様に消化器系の副作用が多く、国内臨床試験550例の調査では悪心が23.8%で最も多い。

 これで、また抗うつ薬の選択肢が増えたことになり、処方する側としては正直言って悩ましくもある。そしてレクサプロが不安障害への適応を取得すれば、メーカー間の競争が激化し、ますます売り込みに力が入っていくことだろう。神経質人間としては、供給が需要を拡大させる、などということにならないか心配である。

2011年8月 1日 (月)

神経質礼賛 691.中国高速鉄道事故

 中国の高速鉄道で大惨事が起きた。停車中の列車に別の列車が追突して高架橋から転落し、多数の死傷者を出した。信じられないのは事故後の対応である。事故原因は落雷のためと片付けて、すぐに行方不明者の捜索も打ち切ってしまい、事故車両を埋めて処分し、列車の運行を再開した。言論統制が行われている現地でもさすがにインターネット上で当局に対する批判が殺到し、当局としてもやむなく事故車両を掘り起こして事故原因を調べるという姿勢を取らざるを得なくなった。

日本やドイツの技術をそのまま流用しながら中国独自の技術で作り上げた高速鉄道だと自慢していたが、問題の制御システムは確かに中国製だったらしい。事故から1週間たってから、システムエラーのため赤信号を出すところが青信号だったという話が出てきた。日本の新幹線の場合、フェイルセーフの原則が徹底していて、トラブル発生時はとにかく赤信号にして車両を止めて安全を図るシステムになっている。国の威信をかけて突貫工事で作り上げた鉄道であり、ちょっとやそっとの事故では運転をやめるわけにはいかない、ということらしいが、事故原因をしっかり究明することなく運転していたら、さらなる大事故を繰り返すことになるだろう。緊急時に備えた乗務員の訓練が不十分だったと言われている。ずさんな工事も指摘されている。今後は災害時の問題や耐久性の問題が出てくることは目に見えている。神経質が足りないと、とんでもないことになる。

 その点、神経質人間は過去の失敗にこだわり、二度と同じ失敗を繰り返さないようにと気を配る。歴史上の人物を見ても、三方原の戦いで大敗した時の情けない自分の肖像(しかみ像)を座右に置いて慢心の戒めとした徳川家康(209話)、西南戦争で軍旗を奪われた失態を一生忘れなかった乃木将軍(382話)、「失敗の原因はわれにあり」と毎晩寝る前の1時間を反省の時間に充てていた松下幸之助(211話)、みな神経質を生かして大成している。失敗から学び、失敗を活かす姿勢が必要である。

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