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2011年9月30日 (金)

神経質礼賛 710.健康人らしく行動する

 森田正馬先生のところには相談の手紙がよく舞い込んできた。ある時、41歳女性から「私は何病なのでせうか。如何にすれば治りませうか」という手紙が届いた。この人は13歳の時に他人から変な笑いをされたのが気になり、その笑い方を自分でするようになった。28歳の時に隣家の人から言われたことが気になって髪が結えなくなり外出もしなくなり、36歳の時には着物が着られなくなった。年中裸で肩から薄い布団をかけてコタツに入ったままの生活を続けている。数に対するこだわりが強く、風呂は月に2回しか入れない。精神病の書物は多数読み、記憶力も良いが、いざ実行となると子供同然だという。この手紙は家族の代筆である。森田先生は、代筆でなく本人が書いてくれないと診断が不正確になるかもしれないと前置きした上で、強迫観念の治療法について述べている。その中では物理学者にして俳人・随筆家の寺田寅彦(1878-1935:森田先生と同じく高知県出身、熊本の第五高等学校の後輩で、英語を夏目漱石から学ぶ)も6歳か7歳のころ、医師の診察を受ける際に笑いたくなり、後に医師に診てもらう時には必ず噴出したくなって苦しんだことを書いている。そして、家の人が世話を焼きすぎると悪化するばかりであり、結局は本人が健康人と同様に行動していくのが治療になると書いている。

通信療法・「奇妙な病氣」より

 そこで強迫観念はどうして治すかといへば、つまり普通の人の心理に立ち帰れば、簡単に治る訳であります。そして貴方の現在では苦しくとも思ひきつて、髪もゆひ・衣服も着て、次第に人並の生活に帰る事が必要です。しかし之も御自分で、無理に思ひきらうとしても、中々苦しくて思ふやうに出来ませんから、そこで周囲の人・或は指導者の氣合を借らなければなりません。それは氣合であつて、決して理屈をいつたり、説明しては実行の効果はありません。数に関する事や・風呂に入る事も、苦痛をこらへて、断然為すべき事をなさらなければなりません。しかし其強迫観念の苦痛に、一々勝たうとするのでなく、先づ手初めとしては、毎日氣の向くまゝに、何かと仕事をなさるやうにしなければなりません。庭掃除・盆栽の手入などからお始めになるのが一番手軽です。(白揚社:森田正馬全集 第4巻 p.558

 この症例は重症の強迫神経症(強迫性障害)だが、統合失調症の可能性も否定できない。現代ならば薬物療法を行いながら、森田療法や認知行動療法といった訓練療法的な精神療法を行っていくことになるだろう。上記の森田先生の指導のポイントをもう一度まとめると

①強迫観念が気になって苦しくてもがまんして、やるべきことをやっていく。

②健康な人の行動をまねて健康人らしい生活を心がける。

③最初は手軽にできる軽作業からやっていく。

④理屈ではなく実行が大切である。

⑤家族は本人の世話を焼きすぎてはいけない。

ということになる。特に重症の強迫神経症では家族が本人に巻き込まれて強迫行為のお手伝いをしてしまい、ますます症状を悪化させてしまうことはよくあることである。

これらは現在でもそのまま強迫神経症の治療に役立つことである。

2011年9月26日 (月)

神経質礼賛 709.走ることは生きること(金哲彦さん)

 先週の月曜の朝、いつものようにNHKのニュース番組を見ようとTVをつけたら、ホリデーインタビューという番組で元マラソン選手・金哲彦さんが出演していた。金さんは早大時代に箱根駅伝の山登り5区で大活躍し優勝に貢献。社会人となってからはマラソン選手として活躍。陸上のクラブチームを創設して後進や市民ランナーたちの指導をしながら陸上競技の解説者としてTVによく登場しておられる。その金さんは5年前に大腸がんの手術を受けた。翌年に出場したマラソン大会ではさすがの金さんも手術後の腹部の痛みに耐えかねて、途中で歩いてしまうが、それでも5時間以上かけて完走した。その時に感じたことは、「痛いということは生きているということなんだ」「人間は走るようにできている」ということだったそうである。そして「走ることは生きること」というわけである。

 これはすばらしい言葉だと思う。金さんの場合、少年時代から走ることに全力をつぎ込んできた。そして、現在は多くの人々に走る喜びを伝えている。まさに森田正馬先生の言われた「己の性(しょう)を尽くし 人の性を尽くす」である。「走る」を広く考えてみると、私たちの場合は「働くことは生きること」ということになるだろう。働くとは職業としての仕事だけでなく、日常生活のこまごまとした作業も含んでいる。

悪いところ探しの名人である神経質人間はともすると、毎日毎日、同じようなことの繰り返しで何もいいことがない、と愚痴をこぼしがちである。しかし、雑事に追われてハラハラしながらも一日が過ごせたという事実に価値がある。そして、不安があるということは生きている、ということでもある。筋肉の痛みと同様に不安は必要不可欠な警報シグナルだ。不安をなくすことはできない。不安だからやらないということではなく、不安な場面では神経質を生かして周囲に気を配りながら一歩一歩前進していくことも大切である。

2011年9月23日 (金)

神経質礼賛 708.帰宅困難

 一昨日の台風では首都圏を中心に帰宅困難となって苦労された方も多かったことと思う。

 いつも台風が近づいてくると、列車の運行が心配になる。火曜日が当直で、一昨日は午前が外来勤務だった。もう一晩当直勤務だったらよかったのだがうまくいかないものである。外来に立ち寄った製薬会社のプロパー(営業)さんが言うには「会社から昼で仕事を切り上げて帰宅するように、という連絡が入りました」とのこと。台風が近くに迫ってきているのでモタモタしていたら巻き込まれてしまう。幸い急ぎの仕事は片付いていたので午後の病棟の仕事は翌日に回すことにして、昼過ぎに駅へ向かった。ホームには強風が吹きつけている。新幹線ホーム下りの追越車線には通過するはずの列車が停車したままで、後から到着した「こだま」も先の運転の見込みが立たない様子だ。そこで在来線ホームに走り、各駅停車の列車に乗った。座席から運転席の窓が見えるが、風雨が強くて前方が見えにくい状態である。川も激しく増水している。途中で強風のためストップした箇所もあったものの、どうにか自宅がある街の駅まで動いてくれた。電車には早目に帰宅の途に着いたサラリーマンたちがいて、「これじゃあ危ないからラーメン屋で一杯やって台風が過ぎるのを待つか」「昼間からビールもいいですねえ」などと呑気なことを言っている人もいた。駅前のデパ地下から外に出ると風雨が激しく、30秒もしないうちに丈夫なはずの傘は「多発性骨折」を起こして使い物にならなくなった。カバンの中には非常用の使い捨てレインコートも用意していたのだが、もはやズブ濡れでどうにもならない。ここは神経質がイマイチ足りなかった。念のためレインコートを着た上で外に出るべきだった。建物の軒下を伝いながら懸命に走って何とか無事に帰宅できた。折れた骨がむき出しで危険な傘も持ち帰り、燃えないゴミの日に捨てやすいように処理した。

 この日、東京に行っていた子供は帰りの新幹線が品川でストップしてしまい、帰宅困難者の一人になってしまった。周辺のビジネスホテルに泊まろうとしたがどこも満室でアウト。ダメモトで以前に受験で泊まったことのある宿に行って聞いてみたら空きがあって泊まることができたという。

 台風は動きが予測できるので、最新情報を得ながらある程度対策の取りようがある。それでも、仕事の都合でどうしても休めなかったり帰宅が遅れたりして、帰宅困難者になる可能性がある。ましてや東日本大震災のような大地震はいつ起きるかわかったものではない。外出前には携帯電話をフル充電しておき、サバイバルのためのツールを用意し、帰宅困難になってしまった場合のシミュレーションをしておく必要があるだろう。これに関しては大いに神経質になった方がよい。

2011年9月19日 (月)

神経質礼賛 707.不安心即不安心

 当ブログは、いかにも神経質らしく地味ではあるが、少しずつ読んで下さる方が増え、最近では1日200-300アクセスとなっている。おかげ様で累積20万アクセス(たぶん開始から1年後くらいを起点としている)に達した。森田療法ばかりでなく、様々な記事を書いているので、検索でひっかかって見ていただけることもある。ちなみにここ4ヶ月間(6月1日以降)のページ別アクセス数(トップページ以外)のベスト10は、

第1位  529話 サインバルタ

第2位  457話 新しい抗うつ薬リフレックス

第3位  372話 鈴木知準先生

第4位  692話 最後の(?)SSRI・レクサプロ

第5位  659話 アルツハイマー型認知症治療薬

第6位  223話 新型うつ病

第7位  532話 下流の宴

第8位  677話 神経質の2代目・徳川秀忠

第9位   92話 白癬(水虫・いんきん・たむし)について

第10位 678話 神経質の3代目・徳川家光

となっている。やはり新規の薬に対する関心は高く、そうした記事が上位を占めているのはやむをえないところである。

「白癬(水虫・いんきん・たむし)について」はなぜか根強い人気がある。自分の恥ずかしい体験も書いていて、書籍化の際、編集者さんからカットするように勧められたものの一つである。やはりカットしてよかった(冷汗)。

不出来な記事も気になるので、出版を機に古い記事を全部削除しようかと思っていた。しかしながら、現在でもよく読んでいただける記事もあって、一旦削除してしまったら元には戻せないので、なかなか決断がつかない。

 特に鈴木知準先生について書いた記事には3年近く経った今でもコメントをいただいており、知準先生の治療を受けた方や本を読まれた方々のちょっとした掲示板のような存在である。現在Googleでキーワード「鈴木知準」を検索すると、何と当ブログがトップに表示されている。これでは削除するわけにはいかない。

 最近、知準先生の治療を受けた方からいただいたコメントで、晩年の知準先生は「不安心即不安心」という言葉を使っておられたとのことである。森田正馬先生の言葉に「不安心即安心」(208話)という言葉がある。不安であっても、じたばたせずに不安なまま仕方なしに行動すれば、いつしか不安はあってなきが如き状態となってくる、といった意味である。しかし、不安をなくすために仕事をするのであれば、それは「はからいごと」に過ぎない。そもそも不安にとらわれているわけで、「かくあるべしといふ、猶ほ虚偽たり」ということになる。「不安は不安でそれっきり」という知準先生の教えからすれば、むしろ「不安心即不安心」ということになるだろう。「不安常住」そのままでよいのである。

2011年9月16日 (金)

神経質礼賛 706.がんばりすぎない

 3月11日の大震災から半年が経過した。地震や津波で直接被害を受けて避難所で生活していた方々も仮設住宅などの新しい住居に移られ、復興に向けての動きが進んでいる。しかしながら、まだ多くの行方不明者が残っているし、原子力発電所からの放射能汚染のため避難生活を強いられている人々が帰宅して元の生活に戻れるメドは立っていない。放射能の「除染」といっても化学物質の中和反応のように無害なものに変えることはできないのだ。洗い落としたり土を入れ替えたりしたところで、結局は放射性物質を別の場所へ移動させるだけの「移染」でしかないのである。

 避難所で生活している間、とにかくがんばらなくては、と緊張状態を続けていた人たちが仮設住宅に移ると、今までたまっていた疲れが出て、うつ状態に陥りやすいというような報告もある。将来の展望が描けない状況では、強い不安にさいなまれやすい。国は絵空事ではなく必ず実現できる将来への道筋を提示する義務があるのではないか。

 がんばり続けるのは本当に大変である。人間は生死にかかわるような場面では交感神経の働きを最大限に高めていわゆる「火事場の馬鹿力」が出せるけれども、それは長くは続かない。そしてその後に反動が来るものだ。睡眠時間を大幅に削っての受験勉強でも1年続けるのはムリで、せいぜい半年が限度だろう。

 仕事にしても同じことである。昨今はどこの職場でも少ない人員とコストで成果をあげることを要求される。ヒステリー傾向の人であればすぐに「こんなのはムリだ」と周囲を巻き込んで大騒ぎをして逃げるのに対して、独立独歩を好む神経質人間だとじっと耐えてがんばり続けることになるわけだが、やはり長期間がんばりすぎたら潰れてしまう。潰れないようにするためには、生活の中に適度な休符を入れるとともに、明らかにムリな要求に対してはNOと言うことも必要になってくる。

「休息は仕事の中止に非ず、仕事の転換の中にあり」と色紙に書かれ、お弟子さんや学生の教育、患者さんの指導、執筆、講演旅行と暇なく働き続けた森田正馬先生にしても、お弟子さんと話しながらの晩酌を楽しみ、将棋を指したり、踊りを楽しまれたりした。月1回、形外会の集まりも、神経質談義ばかりでなく、全員で東京音頭を踊ったり、寸劇をしたり、時にはピクニックに出かけることもあった。健康的な趣味は生活の休符となりうる。そして適度な休符によって音符が生きてくる。

2011年9月12日 (月)

神経質礼賛 705.クレジットカード

 私はクレジットカードが好きではないので、極力新しいカードは作らないようにしている。そもそも1カ月以上経ってから銀行引き落としになるのが嫌である。小心者なので未払金があるのは気持ちが悪い。できる限り早く現金決済したいところだ。以前書いた神経質人間の貝原益軒(605)と同様である。インターネットのプロバイダもカード払いでなく銀行振り込みができる業者を利用していたのだが、その業者が潰れて、やむなくプロバイダを変更した際に初めて指定のクレジットカードを作った。年会費永年無料のカードである。後は、子供の音楽教室の支払いが指定のカードを作らざるを得なかったためこれもやむなく作ったが、子供が音楽教室をやめた際にはすぐに解約した。ゴールドカードには縁がない。なお、私は心配性なので、カード更新の際には、はさみで切り刻み、少しずつ捨てていく。カードを2つに切っただけではカード番号が知られる恐れがあるからだ。

 ましてやカードを用いたキャッシングや分割払いを利用したことはない。そうした金利はゼロ金利時代なのに(その人の年収や信用度に応じて)年利5-18%と驚くほど高い。カード会社にとっては大きな収入源になっていると思われる。特に、毎月の返済額を一定にするリボルビング払いにすると、借金をしているという感覚がマヒするので、さらに余分な買物をしてしまい、高金利ゆえ借金が雪ダルマ式に増えていく恐れがある。「危うきに近寄らず」の神経質感覚が身を守る。

2011年9月 9日 (金)

神経質礼賛 704.とんぼ

 朝、駅横の駐車場でとんぼをよく見かけるようになった。まだ暑い8月の終わりごろからボチボチ姿を見せ始め、今は多くのとんぼたちが忙しく飛び回っている。近年は夏が長くなって心地よい春と秋が短くなってしまったけれども、とんぼはまぎれもない秋の使者である。

 とんぼは特異な能力を持っている。ヘリコプターのように空中で静止できる生物は他にはあまりないだろう。ハイテク技術が進んだ今日でも、ロボットトンボを作るのはまずムリだと思われる。そして、その動きは実に敏捷だ。子供の頃、蝉は網でよく捕まえたけれど、とんぼにはいつもすばやく逃げられた。とんぼの前で指をグルグル回すと捕まえやすいと言われていたが効果はなかった。私の周りでもとんぼをつかまえたという話はめったに聞かなかった。じっと止まっていても大きな眼で周囲をよく観察しているようだ。とんぼも神経質のお仲間なのかもしれない。

 秋にちなんだ童謡の名曲はいくつかあるが、とんぼを題材としたものに「赤とんぼ」(三木露風作詞 山田耕筰作曲)と「とんぼのめがね」(額賀誠志作詞 平井康三郎作曲)がある。入院患者さんたちの音楽クラブを担当していた際には季節にちなんだ歌をよく歌っていてこれらの歌も皆で歌った。どちらもとても短い歌だ。「赤とんぼ」は情景が頭に浮かんでくる、しみじみとした名曲だけれども、音域がちょっと広いので、年配の患者さんたちには少々歌いにくい。その点「とんぼのめがね」はきっちり1オクターブにおさまっていて歌いやすい。

 とんぼは西洋では不吉な虫と思われてきたそうだ。一方、日本では「勝ち虫」とされ、戦国時代の武士たちには好まれた。前にしか進まないことから、決して退却しない、という縁起をかついで武具や衣類の装飾に用いられたという。私たち神経質人間もとんぼにあやかって、自分の周囲をよく見つめ、身軽に行動し、必要な時には退却せずに恐怖突入していくことが大切だと思う。

2011年9月 5日 (月)

神経質礼賛 703.医者と味噌は古いほどよい

 普段、病院の机の上に置いて使っている日めくりカレンダーに「医者と味噌は古いほどよい」という諺が書かれていた。初めて聞く言葉だが、なるほど、一理あるかも知れない。

 こと診断となると、年配の大教授よりも若手医師の方が正確だったりもする。しかし、治療となると経験の差が出る。マニュアル通りに治ってくれればよいが、うまくいかなかった時の懐の広さという点では古参の医者に軍配が上がるだろう。「里山の医師」(543)の秋山邦夫先生や「老外科医先生」(544話)の鈴木茂能先生だったら、診てもらっただけで安心であり、それが自然治癒力を高めるということもありそうだ。

 精神科の世界ではどうだろうか。精神科医、というと世間的には、魔法使いのように思っている人もいるかもしれない。実際、精神分析を専門とする年配の先生方は、何でも見透かす特殊能力を持っているようにも思えるし、妖しげなオーラを発していることがある。その点、森田療法を専門とするような神経質医師だと、常識的であっさりし過ぎてしまうだろうか。

 「森田療法の生証人」とも呼ばれ長寿を全うされた井上常七さん(1909-2010)は、1932年の形外会で森田正馬先生について次のように発言していた。

篠原さんが、先生が風采があがらぬと感じたといわれたが、私も同様であった。初め古閑先生(森田先生の助手でのちに聖マリアンナ医大学長となる)を森田先生かと思った。和服で袴もつけず、猫背で、あてがはずれた気がした。も一つ先生は、お酒をあがらないだろうと思っていたのに、大分召しあがられたそうで、こんな先生に病気が治せるかと心配した事があった。(白揚社:森田正馬全集 第5巻 p.210

 困ったことに私も精神科医には見えないようである。大学病院に勤務していた頃は「精神科」のネームプレートを付けていたにもかかわらず他科の医師たちからは内科医だと思われていた。エレベータで私の姿を見てドア際の人が内科の階を押してくれてしまう、ということがよくあった。今の病院に勤務になってから、保健所の依頼で措置診察(自傷他害のおそれのある人を都道府県知事命令で強制入院をさせるかどうかの診察)のため他の精神科病院に出向くことがある。ある時、受付近くで待っていたら事務員さんが「M病院の先生、まだ来てないねえ」などと言っているので、「私ですけど」と言ったら、「すみません!警察の人だと思いました!」と言われてしまった。警察官と間違えられる精神科医もなかなかいないだろう。だんだん年齢的には古い方になってきた。見かけがパッとしないのはどうにもならないが、「古いほどよい」の仲間入りできるようにしたいものだ。

2011年9月 4日 (日)

神経質礼賛 702.へそのごま

 汚い話で申し訳ないが、へそのごまが気になって取ることがある。入浴した時に気がついて、本当はオリーブオイルなどを付けた綿棒で清潔にするのがいいらしいのだが、そんな悠長なことはやってられない、と耳かきを2本使ってこびりついたごまを取ってしまう(危険なので絶対にマネをしないで下さい)。へそのごまは垢ばかりでなく、白い繊維、つまり下着から出たカスも材料になっていることがよくわかる。

 

 最近の陸上競技の女子選手たちはTVで見ると、へそ出しスタイルで走ることが多くなっている。空気抵抗を少なくするためなのだろう。大勢の人に見られるのだから、いつもへそのお手入れをしているにちがいない、とつまらぬことを考える。さらに冷えると腹をこわしやすい神経質人間の私から見ると、おなかが冷えて体調を悪くしないだろうか、と余計な心配をする。

 

 強迫神経症で不潔恐怖のため汚れが気になって手洗いを繰り返す人はよくいるけれども、へその汚れが気になって強迫的にごま取りを繰り返してしまうなんていう話は聞いたことがない。普通は他人に見られることがないし、自分でも直接見ることは少ないだけに、へそのごまが気になる人はあまりいないのだろうと思う。

2011年9月 2日 (金)

神経質礼賛 701.忘れ物

 先日、新幹線の運転士がメガネを忘れて途中で運転を交代してもらったため、50分近い遅れが出る、という椿事があった。「運転士の体調不良」との説明だったので、事実を知った乗客たちはカンカンである。商売道具を忘れるようでは神経質が足りない。新聞によると、この運転士は最近の視力検査で0.9となり、視力0.9以下はメガネ等の使用が規則で義務付けられているため、メガネをかけて列車を運転するようになった。しかし、当日はメガネをロッカーに置き忘れてそのまま列車を運転し、途中でメガネをしていないことに気付いたそうである。

 心配性の私は、出勤時に定期券・病院の鍵・財布を忘れていないか必ずチェックしている。時間がない時には、家を出て歩きながら手探りでチェックすることもある。特に忘れたら困るのが病院の鍵である。忘れたら医局に入ることもできない。もっとも事務所で非常勤医用のマスターキーを借りれば良いが、ロッカーの鍵と机の鍵はそうはいかない。もし忘れたら手帳などがポケットに入った自分の白衣が出せないからとても困ったことになる。だから白状するとチェックは1回ではなく、2、3回している。

 歳を取るにつれ、法事に出る回数が増えてきた。香典袋にお札を入れ忘れていないかどうかがとても心配になる。もしも入っていなければ大変失礼なことになるし、大恥をかくことになる。確かに入れたはず、と思いながら、やはり袋を光に透かして確認してしまう。

 まあ、この程度の確認はミスを防ぐのに役立つが、あまり何度も確認するようでは、日常生活に支障をきたすことになり、強迫性障害の範疇に入ってしまう。過ぎたるは及ばざるが如し。確認はほどほどにするのがベストである。

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